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囚われの人魚は星を知らない  作者: 岩月クロ
第6章 壁を崩す手のひら
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人魚編(5)笑いながら生きてゆく。

 三つ巴となった状況下で、ガルドはミリュリカたちを手招きして呼び寄せる。

「あり得ない。なんで。どうして。僕は……僕は間違ってないのに! この研究が進めば、助かる命がたくさんあるんだ。賛同者だっていて……。あの子だって……助かったはずで……だから僕は……」

 キャルリアンは徐々に小さくなるその呟きに反応し、グーゼイヌを見た。自分の『敵』である男。笑いながら自分を傷付けた人間。

 その彼が、あの子、と言った人間は、彼にとって大事な存在だったのだろうか。過去に彼が救えなかった、大事な子だったのだろうか。

 彼が今、髪を搔き毟りながら呟いている内容は、あまりにも人間的だった。

 だが、だからといって――



「そうですね。グーゼイヌ伯、貴方は間違ってはいない」

 騎士の男が、独り言に応える。

「でもご存じですよね。誰かの命を奪うなら、真っ当では在れないんですよ。真っ当ではない生き方を、道理を外れた道を、貴方は自分で選んだんだ。なら何が起きても、文句は言っちゃいけませんよ。因果応報ってやつです。――さ、続きは全部、後で伺います」

 連れて行け、と指示を飛ばす。控えていた騎士が動き始めた。その動きを制するように、グーゼイヌが「ふざけるな!」と叫ぶ。ぎろりと睨み付けた先にいたのは、騎士の男であり、ガルドであり、キャルリアンでもあった。

「お前たちも同じだろうがぁっ!」

「そうですよ。――だから俺もあんたも、いずれ手酷い終わりを迎える。それだけの話だ。要はそれまでに、自分の望みを成し遂げられるかってだけの話だろうがよ」

 騎士の男が事も無げに返す。砕けた口調は彼の素だろうか。敬語を使っている時よりも、凄みがあった。

 その間も騎士たちは止まることをせず、命令に忠実に動き、次々とグーゼイヌと共にいた彼らを捕縛、あるいは保護している。先程までガルドたちと交戦していた彼らは、雰囲気に呑まれたのか、あるいは何もしないことが彼らなりの抵抗だったのか、すんなりと捕まっているようだ。



「俺らも行くぞ。あの狸、あわよくば俺たちも一緒に捕まえる気満々だからな」

 俺ら、の中に自分が含まれていることを察し、キャルリアンは必死に頷いた。

 だが、いざ退却するという時に、グーゼイヌとばっちり目が合う。彼ははっきりと、キャルリアンを責めていた。

 声が聞こえる。

 この喧噪の中、聞こえるはずのなかった声。

 キャルリアンが人魚だからこそ、届いてしまった声。


「大事にしてやったのに、この裏切り者が!」


 彼は、キャルリアンを詰った。

「誰のお陰で、死なずに済んでいると思ってるんだ! 誰のお蔭で、辛い思いをせずに生きていられると思っているんだ。僕が忘れさせてやったからだろうが!」

 騎士の腕がグーゼイヌに伸びる。それをがむしゃらに振り払い、彼は叫び続けている。

「キャルリアン」

 ガルドに名を呼ばれる。彼の耳にも聞こえたはずだ。しかしガルドはまるで何事も無かったかのように振る舞った。おいで、と差し出された手をじっと見る。

「私は……」

 どす黒い感情が、身体の中をぐるぐると回っている。そこに男に対するどうしようもない憐憫が混じり、よくわからない色味になる。

 でも――どんな事情があったとしても、そこにどんな正義があったとしても、キャルリアンは彼を許せない。許すことができない。

「ごめんなさい」

 差し出された手に、背を向ける。走って向かう先は、男のところだ。

 目の前に立つ。詰る声が近い。でもそれはもう、聞くつもりが無いものだ。


 パン、と小気味のいい音が響いた。


 は、と短く息を吐き出す。ずっとこうしたかったのだ、とやってから気付く。母の分、父の分、自分の分、――みんなの分、と言える程、キャルリアンは全てを背負えない――。どれにしたってこんなものでは到底足りるものではないが、これで十分だ。まけてやろう。この平手打ちひとつで、終わらせよう。

 こんな男に囚われ、怯えて生きるのは、もう御免だから。

 生きたい場所がある。そこには、不釣り合いなものだから。

 ここで置いていこう。そう考えたところで、どうしたって付き纏ってくるものなのだとしても、少なくとも、区切りをつけるのだ。

 頬を押さえ、呆然とした顔をしているグーゼイヌを、真っ直ぐ睨む。



「喪う痛みや悲しみを抱えて生き抜く権利くらい、私にだってあります。涙を流す心を、私は捨てたいだなんて思わない。私の心の在り方を、貴方が勝手に決めないで」



 彼女の言葉を受け、彼がどんな反応を示したのかはわからなかった。直後に騎士の腕が伸び、グーゼイヌを床に押し倒したからだ。彼の口からは喚き声が聞こえたが、それらはもはやまともな言葉にはなっていなかった。

 キャルリアンの目の前にも、ぬっと手が伸びる。騎士にとっては、自分も捕縛対象だ。しかしその手は、彼女に届くことはなかった。代わりに「ぐっ」という呻き声が聞こえた。

「何やってんだ。せめて一言、言えよ」

 呆れを多分に含んだ声に、ぴょんと身体が跳ねる。振り返ると、剣を握り締めたガルドが立っていた。鞘からは抜いていない。ここで騎士に手をあげると面倒になるのだろう。

「が、ガルドさん……、どうして?」

「それ呑気に喋ってる場合じゃねぇだろ」

 周りを見ろや。剣呑な彼に圧されて、視線を動かす。……確かに、悠長にお喋りをできる雰囲気ではなかった。

「それとも、来ないのか?」

「っ、行きます!」

 弾かれたように即座に返事をした。ガルドがふっと笑う。

「なら走るぞ」

 その声に従い、キャルリアンはガルドと共に出口に向かって走り始めた。

「キャルちゃん、急いで急いで!」

 ミリュリカが笑いながら、キャルリアンに向かって手を伸ばしている。必死に手を伸ばし、その手を掴んだ。ああ、なんてあたたかいのだろう。彼女がぎゅっと握ると、ミリュリカもそれ以上の強さで握り返した。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 港までの道を走る。

 同じ道なのに、一度目とはまったく違う心境だった。ただただ純粋に未来を思い、高揚している。


 ふ、と。ガルドが不意に立ち止まり、振り返る。

「ガルドさん?」

 キャルリアンもつられて足を止めた。どうしたの、とミリュリカも不思議そうにしている。

 ガルドの視線の先、ここからはずっと遠いその場所に、前回キャルリアンが逃げる手筈を整えてくれた男がいた。グーゼイヌの助手である彼は、先程の場にはいなかった。だから、キャルリアンの代わりに罰を受け、処分されてしまったのかもしれないと心配していたのだ。ほっと胸を撫で下ろす。良かった、無事だった。なんの確証も無いのに不思議と、彼がグーゼイヌと結託してキャルリアンをわざと逃したのだとは思わなかった。

 彼は、ひどく穏やかな顔をしている。達成感に満ちた顔だ。あの施設では見たこともない彼の顔。彼もまた、これから平穏な暮らしに戻るのだろうか。


「――――父さん」


 吐息に混ざって聞こえた単語に、キャルリアンは目を見開いた。

「ぇ」

 反応した彼女を、ガルドが一瞥した。困惑、しているように見える。

 唐突に、全てを悟る。

「最初、あの人があそこから出してくれたんです」

「……そう、か」

 ガルドは身体ごと向き直ると、深く頭を下げた。

 きっかり三秒、彼はそうしていた。顔を上げるなり早々に背を向ける。その顔は、どこか吹っ切れた顔をしていた。


「振り向かずに行きなさい」


 声が聞こえた。気のせいではない。ガルドが微かに顎を引いた。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 港は、普段と変わらず人がごった返していた。

「通るよ! ごめんね~!」

 ひょいひょいと間を抜けるミリュリカについていけないでいると、ガルドがキャルリアンをひょいと担いだ。

「掴まってろ。離すなよ」

「は、はい!」

 必死にぎゅっと抱き着く。ここで振り落とされたら大変だ。自分だけだったら、おそらく十中八九、捕まる。

 ガルドが地面を蹴った。

 潮の香りが広がる。胃を持ち上げるような浮遊感の後に、だん、と強い衝撃が全身を襲った。

「うっし、全員の乗船を確認! 出航するッスよ~!」

 ゾイの楽しそうな声が聞こえる。

「なんであいつ、あんな楽しそうなの?」

「スリルが堪らないんですって」

「ええ~、子供みたい」

「……ミリュリカ、同じ顔してる……」

「む……だってこんな慌ただしい出発久々なんだもんっ」

 好き放題、言いたい放題。そこには重苦しい空気は一切無く、意識はただただ明日へ向いている。


 目の前には一面、海が広がっている。

『きっと――』

 自分を送り出してくれた彼の言葉の続きを、キャルリアンは今だって知らない。だけど、想像はできる。



『きっときみはそこで、大切な人たちと出会うだろう』



 彼が、そうであったように。

 キャルリアンもまた、大事な人と笑いながら生きてゆく。




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