人魚編(4)「自分一人の人生くらい、全うできる」
「阿呆か、あんた。いかにもワケアリですって顔して、そのまま見逃されると思ってたのかよ」
何一つ変わらない、温度。
「う……」
どうやら一世一代の大嘘は、ばればれだったらしい。いや、だとしても。
「そ、そこは酌んで頂いて」
「そんな場合じゃないだろうが。大体、全部が全部、今更なんだよ。ここまできて無関係装えるかよ、阿呆」
阿呆って二回も言われた。ばっさり否定され、慄く。ちょっと泣きそうだ。いろんな意味で。
「俺だってまだ答えが出てねぇのに、勝手に消えようとしてんじゃねーよ」
「こ、答え……ですか? なんの?」
自分は何か彼に、問い掛けでもしていただろうか。首を捻るキャルリアンの額を、ガルドがピンッと弾いた。結構、痛い。いつもより痛い。
「とにかく帰るぞ。ここじゃおちおち話もできねぇしな」
帰る。……どこに、と問うのは無粋だ。わかっている。でも。
返答に窮し、視線をうようよ泳がせていると、前方から罵声が飛んできた。
「――ふざけるな、貴様!」
男の前には、数名の人間が倒れている。彼を庇って倒れたのか。その彼らを踏みつけながら、男は唾を飛ばす勢いで叫んでいる。元々、自分の思った通りにことが進まないと、癇癪を起こす男だった。
「そこの人魚を連れて行くなんて、許さない。許されるべきじゃない! いいか、これは、人の命を救う研究なんだ。賛同者だってたくさんいる。人魚の血肉が、どれほど素晴らしい発見に繋がるのか、想像できないのか!? 不治の病に臥せった人間を救い、救世主になれる! その礎になるんだぞ!? もっと光栄に思って然るべきなのに、――こんな化け物を、この僕が、偉大な存在にしてやろうというのに!」
「あ~……」
ガルドは、がしがしと髪を掻いた。
「悪ぃが、俺には学が無いもんでね、あんたがガキを甚振って笑う変態にしか見えねぇよ。第一、俺たちゃ、こんなガキ一人の犠牲が無けりゃどうにもならねぇヤワな世界にゃ住んじゃいねぇ。んなもんがなくたって、自分一人の人生くらい、全うできる。だろ?」
彼はそこまで言うと、キャルリアンへ視線を移した。問われているのは、男ではない。自分だ。――選べ。そう言われているのだと、すぐに気付く。
「……――ぁ」
男の言うことは、正しいのかもしれない。
人魚の特性を使えば、救われる命があるのかもしれない。
そのために、彼女が犠牲になることが正しいと、それは仕方がないことなんだと、多くの人間は言うのかもしれない。
――それでも。
キャルリアンの肩に、世界なんて重たいものは、乗っかっちゃいない。
そうガルドが言うのなら。キャルリアンは、もっと――口にして、良いのだろうか。
ほんとうの、気持ちを。
「私は」
唇を湿らせ、言葉をひとつひとつ紡ぐ。
「もう痛いのは嫌で……それが例えば、誰かの為なんだって言われても、それでも、怖くて、痛くて。何より私は――大事な人を、忘れたくなんかなくて」
手を伸ばす。その手は、自分でも笑えるくらいぶるぶると震えていた。
「ガルドさんたちを巻き込みたくないんです。傷付けてしまうから。それは本当に嫌で。そのくらい大切で。……だけど、私だけじゃ、私の願いを、叶えられないから」
指先が、届く。
――頼ればいい。
声なき声が、後押しする。
「たすけて、ください」
熱がキャルリアンの手を包んだ。
任せろ、という囁き。つられるようにようやく大きく息を吸えば、重く伸し掛かっていたものが、どこかに吹き飛んでいった気がした。
はっ、と男が鼻で笑う。彼は「とんだ茶番劇だねぇ」と憐憫と嘲笑を浮かべる。
「馬鹿馬鹿しい。ただの海賊である貴様らに、何ができるというんだ」
「……ただの海賊、ねぇ?」
大海賊は獰猛に笑い、剣の柄を握った。
「さて、試してみるか? 何ができるか」
それを合図としたかのように、ミリュリカの放つ砲弾の間を何名かがすり抜けた。必死の気配にたじろぐわけでもなく、ガルドは真正面から迎え撃つ。
人間以外の血を継いでいる彼らの動きは速かった。通常の相手であれば、速さだけで十分優位に立つことができるのだろう。だがガルドにとっては、それだけのことだった。焦りひとつ見せずに柄を相手の腹部に叩き込む。
「……ろくに戦いの経験も無いやつを差し向けるたぁ、なめられたもんだな」
吐き捨てながら、ガルドは大きく前に出た。群がる敵勢に向かって力任せに一閃振るい、押し退ける。……あくまで峰打ちだ。よくよく見れば、ミリュリカとドーザルもまた、相手を退けることを主とした戦い方をしている。
この局面において、ガルドたちにとってはこれが最も有効な戦法なのかもしれない。ただ、どうもそれだけでは無いような気もした。
キャルリアンが一人なら、できない戦い方だ。
肩の力を抜く。大丈夫、ともう一度、自分に優しく唱えた。
――自分は一人ではない。一人ではないから、できることが広がる。
床を湿らせた水に意識を払う。足の先が変化する感覚。べん、と尾びれで強く床を叩いた。反動で揺れた水がぶるりと蠢く。重力を無視して浮き上がった水は渦を巻き、次第に小さくも激しい竜巻へと生まれ変わる。キャルリアンはそれを大きく旋回させながら、自分たちと男を分断するように動かした。ともすれば彼女の制御を外れ、霧散してしまいそうになる小さな嵐を必死にそこに留まらせる。
「おお、これは素晴らしい……以前よりも力が……」
恍惚とした声が聞こえる。男はこの期に及んでも、自分の勝利を疑ってもいないらしい。
余裕だ。……だからキャルリアンでも察したことに気付けないのだろう。
これは時間稼ぎだ。なんのためか、何を待っているのか、キャルリアンにはわからない。けれど信じている。これは、ガルドたちにとって必要な時間稼ぎだ。
「派手な技を使ったな」
「駄目でしたか?」
人魚の技は、どうしても目立つ。加勢しようとすると、どうしてもこうなる。
「いや」ガルドはふっと笑った。「むしろ、いい具合に目立った」
彼が言い終わるとほぼ同時に、ミリュリカの砲撃が止まった。途端に静かになる。静かになると、周囲の音がよく聞こえる。たとえばそれは――キャルリアンの背後、施設の入り口側へ近付いてくる大量の足音。
耳が良いキャルリアンやガルドたちではなくても、感知できる程に、それは目前に迫っていた。
「貴様、まさか仲間を呼んだのか」
「仲間じゃねぇよ。ただ、……俺はお尋ね者だからな。こんだけ派手にドンパチやってりゃ、騎士サマがたが捕縛しに来るに決まってる」
「え。そ、それって……」
ガルドたちもまずいのでは。
おろおろするキャルリアンの頭を、落ち着け、とばかりにガルドが小突いた。そうだ。ガルドたちが考え無しに騎士を挑発することはない。ミリュリカもドーザルも落ち着いている。何か策があってのことだ。
意識して深呼吸をする。
ふ、と吐いて身体を空にする。すう、とゆっくりと吸い込む。
足の感覚が戻ってくる。しっかりと、自分の足で地面を踏みしめる。
「おんやぁ?」
背後から聞き覚えの無い男の声がした。
「海賊一味を追ってきたはずですが、……まさかこんなところで会うとは。奇遇ですね、グーゼイヌ伯」
言葉こそ比較的丁寧ではあるが、どこか粗野な印象を与える声だった。肩越しに振り向くと、航海中にガルドたちを襲ってきた船と同じ旗を掲げた集団がぞろりと揃っていた。声を張り上げていたのは、彼らの背後からのっそりと現れた男だった。
その集団において、彼は特出して大柄なわけでも、小柄なわけでもなかった。服装も、周囲の人間と同じだ。それなのに、その存在はよく目立った。
何故か、と考える。答えはすぐに出た。彼はあまりにも落ち着きすぎているのだ。
大海賊を倉庫へ追い詰めた状況だというのに、高揚感のひとつも窺えない。それに加え、明らかに『普通』ではないこの状況を前にしても、動揺ひとつ無いことに、キャルリアンは違和感を覚えた。
グーゼイヌ伯と呼ばれた男――キャルリアンは、彼の名を初めて知った。それまで、彼は周囲に『先生』という呼び方を強要していたからだ――は、未だにこやかな笑みを湛えていた。自分に手が及ぶはずがない。彼はこの状況下でも、そう信じているようだった。
「ああ、偶然ですね。ちょうどいいところに。そこの海賊をさっさと捕まえてください」
「言われずとも、それが我々の仕事ですからね。……ただ、」
襟を緩めながら、騎士の男はグーゼイヌの背後へ視線を走らせる。耳や腕など、普通の人間ではあり得ない見た目をしたままの面々もいたが、彼は驚いた素振りを一切見せなかった。
「そこにいる子供たち、捜索願いが出ている者が含まれているようです。その件で、是非貴方にも詳しいお話をお伺いしたいのですが」
「なに? そんなはずはありませんよ。彼らは全員、自分の意思でここにいるんですから」
「そうですか。なんにせよ、一度ご同行を。……貴方が裏で行っていることに関しても、気になるところですからねぇ」
グーゼイヌの顔色が変わる。彼は次に、ガルドと騎士の男の顔を交互に見る。
「貴様ら、グルか……!」
「人聞きの悪い。私は騎士なのでね、目の前で法を犯す奴がいれば、海賊でも、海賊以外でも捕まえますよ。この場合は、あんたら全員ですね」
ぎょっとした顔をしたグーゼイヌは、途端に唾を飛ばす勢いで喚き始めた。
「僕を捕まえる……? いいか、そんなことをしてみろ、お前たちが海賊と繋がっていること、全部暴露してやる。僕は顔が広いんだ。騎士団にだって協力者がいる!」
「へえ、協力者。どいつでしょうかね――ああもしかして、先日、私の許可を得ずに騎士団の船を使い、どこぞの海賊を襲撃した件も絡んでいるんでしょうか――。ちょうどいい、それも含めて詳しく聞きたかったんですよ」
彼は笑みを浮かべた。友好的、とは程遠い。今にも獲物の喉元に喰らい付かんとする肉食獣を彷彿とさせる獰猛な笑みだった。
「それと、ご心配なく。自慢じゃないですが、私も顔が広い方でして。貴方の狂言くらい、掻き消すことなど容易い」
「な……」
絶句するグーゼイヌとは対照的に、ガルドはキャルリアンの隣で「ほんと食えねぇオッサンだな……」とぼそっと呟いた。
「えっと、お知り合いですか?」
ガルドはキャルリアンを一瞥する。
「俺らを捕まえるために動いてる筆頭だからな、あれ」
それだけではないような気もするのだが。




