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囚われの人魚は星を知らない  作者: 岩月クロ
第6章 壁を崩す手のひら
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海賊編(4)「潮時じゃねぇのか、大海賊」

 その後は、空恐ろしくなる程に何事も無かった。入港も普段通りだ。


 船上から、普段と変わらない賑わいを見せる港を見、ふんと鼻を鳴らす。

「シガタ、悪ぃが行く場所があってな、宝物庫の処理を頼めるか」

「アタシが?」

 露骨に嫌そうな顔。最近働き通しだったから、そろそろさぼりたいんだけど、と言いたげだ。

 付き合ってられるか。そもそも、さぼりを常態化するな。ガルドはさっさと背を向ける。

「じゃ、頼んだ」

「まだ承知してないけどぉ?」

 不満げな声は無視をするに限る。


 いったん部屋に戻ると、ベッドに腰を下ろしたキャルリアンがいた。彼女は数日前から、浮かない顔をしたままだ。ターリスに到着するとわかった時も、喜びよりも「着いてしまった」という顔をしていたように思う。そしてそれは、今も同じだ。

 手を伸ばし、枷を外す。

 キャルリアンはそれを見て、不安そうにしている。甲板に出てきた時の度胸は、どこへ行ったのだか。


「……あんたは捕虜でもなんでもない。好きにしろ」


 随分前からその扱いから外れていることは、お互いわかっていた。それをあえて今、明言する。

 戸惑ったままの彼女に、「けどな」と続ける。このくらいは、許されるだろう。

「なるべく、外には出るな。騎士団の件もある」

 何事かを言いたそうにする彼女の頭に、ぽんと手を乗せた。

 しばらく待ったが、彼女は何も言わない。

 ――言えばいいのに。

 いつぞや思ったことを、その時よりも強く、頭に浮かべた。

 一言。たったの一言。

 それさえあれば。そうすれば、引き止めることだって容易いのに。

 ふ、と息を吐く。対象は、彼女であり、彼自身でもある。

 まるで祈るようなその気持ちが、何から発生しているものなのか、彼だってまだはっきりとさせられていないのだから。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 ターリスの港町には、二本の大きな通りがある。それは大まかに、善悪でわけられる。

 善であるフィーガ通り。悪であるガタセ通り。ガルドがどちらに進むのかなど、言葉にするまでもなく明白だ。

 ガルドが向かったのは、ガタセ通りにあるターリス港一の大酒場だ。真っ昼間だというのに、店内は薄暗い空気に満ちている。非合法の品や、真実かどうかもわからぬ情報がそこらかしこで売買され、中にはいかにも怪しげな人間が密やかに取引を行っている。それに対して眉を寄せる者など誰もいない。これがここでは当然だからだ。

 そして、ガルドも間違いなくその内の一人なのである。



「よお、オッサン」



 木製テーブルに肘掛けている男の隣に、ガルドは許可無く座る。相手も承知の上なので、一瞥すらくれない。

「なんだ、生きてやがったのかクソガキ」

 ただの挨拶にも、本当に残念そうにも聞こえる声に、ガルドは「よく言うぜ」と吐き捨てた。

 テーブルの中央に置いてあった皿を引き寄せ、やけに味の濃い肉を咀嚼する。美味くはない。が、別に嫌いでもない。慣れ親しんだ安い味だ。

 しばし無言で貪り食う。腹が減っていたわけではなく、どう切り込んだものかと迷ったからだった。

「…………で?」

 痺れを切らした男が、先に話を切り出す。さっさと話せ、と言わんばかりの視線に肩を竦めた。

 これは演技か、あるいは本当になんの腹も無いのか。


 ――ガルドたちの動向がばれるとしたら、島の情報をガルドに流したこの男からだと踏んでいたのだが。


「宝はいつも通りに処理する。もう片方は、……焼き払った」

「へえ、そうかい」

 男の反応は薄かった。それがただのポーズなのかどうかを判断すべく、ガルドは彼の目の動きを注視する。今のところ嘘や誤魔化しのにおいはしない。

「なんだ、訊いた割に興味無ぇのな」

「そりゃそうだろ。俺にゃ固執する理由が無ぇからな。ただどうなったか把握したかっただけだ」

「俺が嘘吐いてるかもしれないけどな」

「見誤ったら俺の自業自得だ。そうだろ? 表じゃ騙す方が悪いに決まってるが、ここじゃ逆なんでね」

 情報を売る。情報を買う。あくまでそれだけ。信じるも信じないも、騙すも騙されるも、以降の責任は、情報を所有する者が全てを負う。そういうシステムで、ここは成り立っている。



『相手は恣意的に嘘を吐いているかもしれない』

『偽の情報を摑まされる可能性がある』



 それは、口にするまでもない『常識』である。ガルドも当然知っている。無論、目の前の男も。

 いつもと寸分の変わりもなく、ひたすらににやにや笑う男の顔をじっと見る。

 腹の探り合いにも至らない会話の応酬に、とうとうガルドは深くため息を吐き、正面から疑念をぶつけた。

「……戻る道すがら、ターリスの騎士団に襲撃されたが、ありゃなんだ」

「あん?」

 空気が変わった。低く鋭く、唸るような物々しい声。先程よりも余程真剣に、真偽を見極める眼差しをガルドへ向けている。

 声を発する前、ほんの一瞬――初めから意識していなければ、簡単に見逃してしまうであろう一瞬――、彼は虚を突かれた顔をした。予想外の方向から攻撃を喰らったかのような表情だった。この反応、どうやら本当に彼が糸を引いていたわけではないようだ。


 ――では、誰が。


「二艦だ。動かせる人間なんざ、限られてんだろ」

「……まあな」

 彼は意図的に短く言葉を纏めている。喋れば喋る程、感情というものは会話に透けて見えるものだ。それを知っているからこその対応だろう。

 男はにやりと笑った。それこそ、先程までと変わらない表情で。この短時間で持ち直してきたのは、さすがというべきか。場数を踏んできただけのことはある。

「見間違いじゃねぇのか」

「見間違い? 俺が? 馬鹿言うなよ」

 は、と鼻で笑うと、「どーだかなぁ」と揶揄交じりに打ち返される。

「河童が川を流れる時もあれば、猿が木から落ちることもある。なら大海賊が進路を誤るなんざ、腐る程あるってもんだ」

「無ぇよ」

 すかさずため息混じりに否定する。彼の意図するところはわかっている。どうせ挑発して、少しでも情報を落とさせようという魂胆だろう。


 おや、と男が目を見張った。

「今日はやけに丸いな。ろくに言い返しもしねぇたぁ」

「は? 丸い?」

「おうよ、大荷物降ろしたような面しやがって」

 面食らう。まさかこの男に、そんなことを指摘されるなどとは思いもしなかった。動揺を押し殺しきれなかったのは、一生の不覚だ。

「焼きが回ったな。やっぱ潮時じゃねぇのか、大海賊」

「まだ早い。もうひとつ、荷物があるからな」

 脳裏に浮かんでいたのは、キャルリアンの姿だった。これもまた、ガルドにとっては不覚である。

「……ほお」

 面白いものを見た、と言わんばかりの視線を向けられ、いささか居心地の悪さを覚える。


 さっさと話を畳んでしまおう。

 下手に会話を長引かせれば、確実にどこかで探りを入れてくるだろう。それは面倒だ。こっちだって、探られたら困ることはごまんとある――むしろ、探られて大丈夫な件の方が少ない――。なにより、これ以上嗤われるのは癪だ。何故だか弱みを握られた気分になることも、本意ではない。

 ガルドはぎろっと男を睨んだ。

「つか、俺にとやかく言う前に、自分の進退を考えるべきじゃねぇか?」

 船の件、何も知らなかっただろう。言外にそう責め立てれば、男は大袈裟なまでに手を振った。

「おいおい、それこそナメちゃいけねぇ。情報も考えもあるさ。ただお前さんに渡さないだけでな」

「それが虚勢じゃないことを祈っといてやるよ」

 皿に残った硬い肉を噛み砕き、席を立つ。金は……いいだろう。今回はあちらに情報をくれてやった側だ。このくらいの代金は払ってもらおうじゃないか。




 酒場を出てから、ガルドは不意に足を止めた。太陽がやや傾き始めた時刻。雲ひとつない空だ。久々だった。これなら――きっと夜空には綺麗に星が散らばることだろう。

 また気が向いたら星を見せてやる、という約束にも到達していないような『約束』を、果たしてキャルリアンは憶えているだろうか。

 また近いうちに、気が向けば(・・・・・)天体観測とやらでもしてみるか。

 そんなことを考えながら、ガルドは歩みを再開する。心なしか、早足で。



 ガルドの情報源である彼は知らなかった。

 船を襲撃した彼らは人魚を知っていた。

 さて、ではどこからガルドたちの居所は漏れたのか。

 解は単純だ。

 ぎり、と歯を食いしばる。もはや見ないふりも、後回しもできない。そんな予感がした。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 部屋で待っていたはずの彼女は、何故か船の入り口あたりで立ち尽くしていた。出歩く分には制限は無い。それは先に伝えた通りだ。

 ……だが。

 その背中が、あまりにも虚脱しているように見えて。すっかり力を失ってしまったように見えて。

 ガルドは反射的に、彼女の肩を掴んだ。

 大袈裟なまでに肩を揺らした彼女は、目を丸くして彼を見上げる。

「ガルド、さん……」

 掠れた声が、唇の隙間から落ちた。

「何があった」

 遠回しに聞いても仕方がない。直接的に問えば、彼女は不思議なくらい澄んだ瞳でガルドを捉えた。その瞳は、随分と長い時間を掛けてガルドを見、それからふっと伏せられた。

「別に……」なにも、と続いた言葉はあまりにも小さ過ぎて、すうっと空気に溶けてしまう。

「ただ、決めただけです」

 言い直すと同時に、キャルリアンは強い瞳でガルドを見た。

「自由にしていいと仰いましたよね? ――私、ここで船を降ります」

「……どうして?」


 予想していなかったわけではない。

 その時がくれば、

 ――『そうか』

 そう言って、ただ送り出すつもりだった。

 でもどうしてか、今はそれができない。

 ただ、……『遅かった』、と。それだけが胸の中を渦巻いている。


 問われることは予想外であったのか、キャルリアンは「どうして、って……」と顔を歪めた。

 彼女は、ぎゅう、と強く拳を握る。

「嫌に、なったんです。この前みたいに、襲われたり、血が流れたり、流したり、誰かを、傷付けたり。そういうことが怖くて。やっぱり、私には向いていないので、……だからですよ」

「それだけか? 何か他に、」



「――もうほっといてください!」



 言葉を遮り、キャルリアンが叫んだ。眉をぎゅうと寄せた顔で彼女はガルドを睨み、肩に置かれた彼の手を払い落とした。

「私は……貴方のこと、嫌いです。だから船を降ります」

 吐き捨てるように鋭い声を放ちながら、彼女は一度も目を逸らさず、ただただガルドを睨む。視線を外したら負けだと思っているかのようだ。ふー、と粗く息を吐いた彼女は、ようやく少しは鎮火したのか、先程よりも昏い目をガルドに向ける。

「なので、どこかで私を見掛けても、話し掛けるとか、やめてください。気分悪いので」

 落ち着き払った声で、彼女は告げる。

「――さようなら。どうかもう二度と、会うことがありませんように」

 踵を返したキャルリアンの姿が、雑踏の中に紛れて消えていく。



 満足に話す時間も無いまま、あまりにもあっけなく切られた糸。

「……ざけんじゃねぇぞ」

 小声で放つ。果たして、耳の良い彼女に届いたかどうか。

 どちらにせよ、それは彼女の足を止める程の効果は無かった。




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