海賊編(3)――乗り切れるか。
「うああああああああっ」
叫びと同時に、ぐっと剣を押し込まれる。技量も何もあったものではない、ただの力任せだ。だからこそ、余計なものが一切なく、面倒だった。舌打ちをひとつ零しながら、辛うじて押し返し、距離を取った。
「……話を聞きたいとこだが、こりゃ無理だな」
剣を構え直しながら、重心を落とす。考えを巡らせる。
――宝を探している、ということは、今のところ船を沈める気は無いはずだ。目的は制圧。ならば、船ごと振り切ってしまえば、それ以上攻撃はしてこないだろう。……他人の手に宝が渡るくらいなら沈めてしまえ、という究極論を発動しない限りは。
先程の様子を見る限り、さてどうだろうか、悩ましいところではある。攻め込んできている全員が全員あの状態だとしたら、判断しかねる。
隣の船から飛び移った際の着地音が、追加でいくつか聞こえてくる。
……どの道、この男ひとりに多くの時間を割く程の余裕は無いということだ。
追加で現れた敵勢に一瞥をくれると、ゾイから不満げな声が上がった。
「俺もいるんスけど、忘れられてるんスかねぇ」
「なら忘れられないように動け」
ゾイは首を捻る。
「それもそうッスね」
手持ち無沙汰気味にくるくる回していたナイフを、ぱしりと握ると、彼は軽く地面を蹴った。彼は敵の間を跳ぶように進みながら、着実に一撃を喰らわせていく。
ガルドやドーザルと比べると、力には劣る。だが、俊敏性は最も能力値が高い。
ミリュリカ曰く、
「ゾイって猿っぽいよね。うきーって鳴きながらひょいひょい跳ぶの」
とのことだ。
「ミリュリカ、せめて蝶に……」
ドーザルのフォローも、どうかと思うが。
「猿も蝶も嫌ッスよ」
うへえ、と呻くゾイに、かといって他に適当なたとえも浮かばず、当時、ガルドは苦笑した。
――ともあれ。要は彼の長所となるのは、その軽やかな機動性だということだ。徐々に体力を削り、隙を見せたところで致命傷を与える。……そんな動物が他にいたような気がしたが、やはり思い出せなかった。
眼前に迫った剣先をバックステップで避けながら、ガルドは過去の記憶をひとまず封じる。
繰り出される斬撃を避けながら、後方へと移動する。四度目を避けたところで、ガルドは大きく後ろへ跳び下がった。回転しながら、背後にあった柱の側面を蹴り、攻め込む。大きく一振り。ぎりぎりのところで致命傷を避けた相手の動きを確認しながら着地し、勢いを殺さないまま追撃する。二撃目もどうにか受け止めた相手がバランスを崩したことを、ガルドは見逃さなかった。
腹部に狙いを定め、剣を――
「……――っ」
全身を襲った悪寒に従い、ガルドは瞬間的にしゃがんだ。
そのまま振り切っていれば間違いなく自分の頭があった場所を、弾丸が通り抜けた。
「兄貴!?」
「構うな!」
異変に気付いた弟分に叫びながらガルドは目の前の男を蹴り飛ばしながら駆けた。足元に着弾するガルドを狙った攻撃に眉を寄せる。
狙いは正確。こちらの動きがはっきり見えているということだ。しかしそれならば、普通ならシガタの射程距離にも入り、彼がかたを付けている。それができない、ということは。
物陰に滑り込みながら、ひとつの考えに至る。
「……“同族”か」
少なくとも、人間ではない何かがあちらにもいる。
横並びになっている船か、あるいはもう一船か。
今のところガルド以外を狙ってはいないようだが、いつ方針転換するかわかったものではない。
深呼吸をひとつしてから、ガルドは再び物陰から飛び出る。予想通り襲ってくる銃撃を避けながら、移動線上にいる敵を薙ぐ。
ロープはまだ船と船を繋いでいる。もう少し時間を掛けたら、あれを完全に切り落とし、船を振り切ることができるだろう。シガタやモールインもその準備を進めているはずだ。
それまで、注意を自分に引き付けられたら、勝ち。
一時逃れの作戦だ――いや、作戦と呼べる程のものですらない――。位置を把握する能力は、少なくともガルドよりも上だ。海上で能力値が上がるキャルリアンと、同じ程度かそれ以上だろう。その適用範囲から外れたら、さすがにこの攻撃はできない。もっと単純に、銃弾が届く範囲の限界もある。
再び物陰に入り、額に流れる汗を拭う。いつもよりも神経を尖らせている。こうして同じ能力を持つ者を前にしてようやく、自分も大概、厄介がっていた自身の血に甘えていたのだという事実に気付く。
――乗り切れるか。
問い掛ける。あまりの愚問に、自分自身を鼻で笑う。乗り切れるかどうかなど、問題ではない。やるしかないなら、やる。それだけだろう。他に何が必要だ。
腹に力を込める。
「……っし」
気合いを入れ直すガルドの横で、艦内に続く扉が薄っすらと開いた。ぎょっとするガルドの前に、キャルリアンが姿を覗かせる。
「なんっ……」
言葉を飲み込む。何故かを問うている場合ではない。下がらせる方が先だろう。しかし、どうして出て来たのか。
一瞬の迷いを見せた隙に、キャルリアンは完全に扉から出たところにいた。
「……私は、半人前なので」
唐突に放たれた言葉に戸惑う。それがガルドが途切れさせた質問の答えだということに気付くことができたのは、ひとえに彼女がその後に続けた言葉があったからだ。
「外にいないと、上手く操れないんです」
ガルドの目の前で、下半身が魚の姿に変わる。キャルリアンが水に浸からずともその姿になれることを、ガルドは初めて知った。淡く優しい青い光が彼女を包み込んでいく。幻想的な光景に、不覚にも見惚れた。
ばちん、と尾びれが地面を叩く。
変化は顕著だった。
からからに渇いていた空に、突然黒い雲が渦巻いた。中心点は、ガルドの海賊船と、騎士団の船のちょうど間。偶然などではなく、人為的なものだった。
「――人魚!」
歓喜か、狂気か。狭間に迷い込んだかのような声に反応し、ガルドは振り向きざまに剣を振るう。峰打ちなどを考えている余裕は無かった。赤色がガルドの服を汚す。――隣にいた、キャルリアンの身体をも。
血を浴びた人魚は、しかし妙に落ち着き払った様子で、それを受け入れた。平然としている。それが虚勢だと気付けたのは、微かに瞳が揺れていたからだ。
「悪い」
咄嗟に出たのは、謝罪だった。
「謝らないでください」
震えを押し殺した声で、キャルリアンは訴える。
「私は、背負うって決めたんです。背負いたいと思ったから」
――だから。
局所的な嵐が発生する。吹き荒れる風が海水を巻き取り、高く広い巨大なハリケーンを作り出す。それは、船と船の間を完全に閉ざした。突然荒れ始めた海に、船が大きく煽られる。
『あらー、これはやばいですねぇ~』
何故だか楽しげなモールインの声が響いた。
「……おい」
やり過ぎじゃねぇの、これ。
胡乱気に見れば、案の定というべきか、人魚は眉尻を下げた。
「こ、コントロールは、ちょっと苦手で……っ」
「…………そうかよ」
急を要する場面だというのに、がっくりと肩から力が抜けた。
ふー、と長く息を吐く。シガタが放っていると思われる銃声が何度か聞こえる。勝手に乗船した手合いはあらかた始末がついているだろう。それよりも味方の安全が優先だ。
視界も足場も悪い嵐の中では戦力外となるミリュリカを連れたドーザルが、どこからともなくぬっと現れた。片手にゾイの首根っこを掴んでいる。まずはその二人をぽいぽいと扉の向こうへ放り投げた彼は、じっとガルドを見た。
「……ああ、ここは大丈夫だ。中で待機しといてくれ。念のため見回りを頼む」
ドーザルは無言で頷くと、彼の身体には小さな扉を潜った。
「シガタ!」
「そんなに大声出さなくても聞こえてるわよぉ」
上からひょっこりと顔を覗かせた彼は、肩を竦めてみせた。
「どうだ?」
「さあ。視界に入る限りでは全員当てたけど」
「なら大丈夫だな」
大きな波が甲板の表面を浚い、斬り捨てた連中を押し流していく。嵐はますます強まっている。
このままではこちらが流されかねない。シガタに目配せすると、彼は上からするりと降りてきて、重いドアの隙間に滑り込んだ。それを確認してから、尾でびちびち床を叩いているキャルリアンをドアの向こうへ押し込め、ガルド自身も中に避難する。
扉を施錠する。扉についた丸窓に風に巻き上げられた水がばしばしと打ち付けられている。心なしか先程よりも荒々しい。外をちらりと見たシガタが零す。
「ひどい天候ね」
「ごめんなさい」
突然の謝罪に、シガタは肩身が狭そうにしているキャルリアンへ視線を向けた。その後、ガルドへと視線を寄越す。軽く顎を引くと、それだけで彼は事情を察し「ああ」と呻いた。
「大丈夫。あのまま我らが船長がなすすべもなく凶弾に倒れるよりかはマシよ」
「あ? 誰がなすすべもなく倒れるって?」
フォローするにしても、その発言はいただけない。実際、危うかったことが事実だとしても。
ぎろりと凄めば、「おぉ怖い」と大袈裟に目を丸くする。キャルリアンはと言えば、くそ真面目に発言を受け取り、「あ、そうですね。それよりもマシです」とうんうん頷いている。この人魚も大概だ。他意が無いことはわかっているとはいえ。
大人気ない文句をひとつ放とうとしたところで、船が大きく傾いた。
「ひゃ」
キャルリアンが短く悲鳴を上げる。
揺れが落ち着いてから、シガタが首を傾げた。
「更に悪化してるみたいだけど」
「外にいる時は、一応あれでも抑えようとしていた結果なので」
そういえば最初に、『外でないと上手く操れない』と言っていたか。あれでも彼女なりに制御をしていたらしい。
揺れに耐えながら、苦笑する。
「んとに、最近はよく嵐に見舞われる」
これまでは難無く回避できていたものが、これで三回目だ。身を縮こまらせる彼女の肩を叩いた。別に気にして欲しかったわけではない。ただ無性に可笑しくなっただけだ。
全ては、人魚と出会った時から。
『――人魚を、見つけたら――』
ふと笑いを引っ込める。
彼らの狙いは、なんだったのだろう。
人魚の存在を知っていた。人魚に執着を見せていた。ならば彼らが『宝』と称したものは、どれのことだ。人魚そのものを指していたのだろうか。
そもそもターリス騎士団の旗を掲げてはいるが、本当に騎士として動いていたのかすら怪しいところである。だがあの制服は間違いなく騎士団のものだった。二艦も出動しているのだ、一部の人間が勝手に動いたにしては、規模が大き過ぎる。
頭を振る。考えたところで答えに至らないのであれば、これ以上の考察は不必要だ。事実だけを胸に留めておけばいい。
なんにせよ、今向かっている先が、くだんのターリスである。
全ての流通の根元。あの場所が本当に『敵』に回るのだとしたら、今後の動き方も考えなくてはならない。
答えは全てそこにある。
「ターリスまでは、あと数日か……」
零せば、キャルリアンの肩が震えた。




