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囚われの人魚は星を知らない  作者: 岩月クロ
第5章 求める者に扉は開く
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人魚編(5)「恋って、何……でしょう」

 帰り道は、静かだった。はしゃいでいたミリュリカが、ドーザルに背負われながら寝ていたことが理由かもしれなかったし、それ以外が理由だったかもしれなかった。


「出立は明日だったかの?」

「ええ。一番の用事は済んだし、貴金属類も早めに捌きたいからね」

 黙り込んだままの船長に代わり、シガタが明るい声でてきぱき答えた。

「そうか。ま、今晩も安心して、ゆっくり休むといい。この島は安全じゃからの。何しろ、わしらがおる」

 それを受け、ようやくガルドは表情を緩めた。

「ああ、ありがたくそうさせてもらう」



 シンと静まり返った部屋で、キャルリアンはちらっとガルドの様子を窺った。

 あっけない終わりだった。けれど、彼にとっては、とても大事な、一つの区切りだったはずだ。

 早くベッドで休むように促すべきか、それともそっとしておいた方が良いのか。困った末に、キャルリアンは候補に入っていなかった話題をあえて選択した。


「あ、押し花! 押し花見ましょう!」

 ぽんと手を打つ。陰鬱な雰囲気を吹き飛ばすように、あえて明るい声で。

「今か?」

「今です!」

 乗り気ではないガルドを押し切る形で、花を挟んだ板をいそいそと運ぶ。

「いざ……!」

 大袈裟な、と言いたげなガルドを無視して、ぱかりと開いた。


「…………」


 出てきたのは、鮮やかな赤――ではなかった。

 くすんでしまっている。

 思い切り落胆を顔に浮かべたキャルリアンの手元を覗き込んだガルドが「上出来じゃねぇの」と慰めるわけでもなく――彼はあくまでいつもどおりだった――感想を述べる。

「でも、赤くないです」

「なんだ、赤が良かったのか」

「だって……」


 ――ガルドさんは、人目を惹く、綺麗な赤のイメージなんです。その赤を見せたかったんです。


 そう言いそうになって、自分の口を両手で覆った。

 何故だろう。前までだったら、素直に口にできた気がするのに。

 彼の悩みを知って、彼にもできないことがあると知って、彼だって前へ進むためには大きな気持ちが必要であることに気付いて、――完璧な人間じゃないと理解して、余計に、心が疼いた。

 この気持ちの、根底は。


 ぶん、と頭を大きく振る。

 それからきっとガルドを見上げた。

「つ、次こそは! 綺麗に仕上げてみせます、から!」

「おう……?」

 ガルドは若干戸惑い気味だ。

 彼と自分の温度差に、なんだか少し悲しくなったのは、何故か。


 けれど――

「あんまり期待はしないでおいてやらぁ」

 可笑しそうに笑う彼に、先程までの張りつめた雰囲気は無かったから。

 そのことが、キャルリアンはとても嬉しかった。



「おやすみなさい」

 また明日、の挨拶をする。

 いつもは背中合わせに寝転がるが、この日は彼に寄り添うようにして、目を閉じた。

 彼の空気をいつもよりも近くに感じていたかった。


「……おやすみ」


 仕方ない、と言わんばかりの声色で、けれども確かに温もりが混じった言葉を、ぎゅっと抱き締めながら、キャルリアンは眠りについた。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 出航の朝は、いつもと変わりなく訪れる。――否、少し慌ただしかったし、『いつも』と違うこともあった。

 まず、朝食の場にモールインの姿が無かった。彼は昨晩から再び持ち場に籠り始めたらしい。シガタがそう言っていた。

 次に、リオが普段よりもやけに明るかった。そうやって寂しさを紛らわせようとしていたのかもしれない。


 微かな変化を肌で感じながら、いよいよ出発と相成った。

 陸地で見送りをするというリオとリロに向かって、「世話になった」とガルドが告げた。

「そんなに世話した覚えも無い」

 そうだろうか、と首を捻る。かなり破格の待遇だったように思う。

「……本当に、残るのか?」

 言外に、船旅に誘う言葉だった。その件については既に話がついていると言ったのはガルド本人だったが、彼としても気掛かりなのかもしれない。

「ここには、思い出もあるしのう」

「地下も、罠も、手入れをしないと、使い物にならなくなる」

「なあに、わしらは長生きじゃからの。ゆっくり生きるさ」

 リオとリロは顔を見合わせ、柔らかく微笑む。彼らの姿にもまた、最初の頃のような棘は無かった。守るべきものがなくなったためか、それとも自分たちとの距離が近付いたためか。後者だったら嬉しいのに、とキャルリアンは思った。


 吸血鬼の双子は海賊一味を見回した。

「もし何かあれば、ここはお主らの一時的な隠れ場にはなるだろうよ」

「報酬は美味しい食事で手を打とう」

 そうかい、とガルドは首の後ろに手を回す。照れ隠しのような表情。

「なら、あんたらが干からびねぇうちに来てやるよ。外に出れなくて困るかもしれないしな?」

「そういうことじゃの」

 リオが否定するわけでもなく、けらけらと笑った。

 また会おう、とはどちらからも言わなかった。

 けれど、いつか会いに来る。またここに。約束ではない。純粋に、会いたいから。――そういう気持ちを交わすことは、できたような気がしていた。



 遠ざかる島に、大きく手を振る。

 島の周りを分厚い雲が渦巻いていた。やがてそれは、島と船を分かつように間に立ち塞がり、同じように手を振っていた二人の姿を隠した。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 ――出立からしばらく。

 キャルリアンは、久々にミリュリカの部屋に遊びに行った。毎日のように顔を合わすけれども、二人きりで話すことは少なかった。それは主に、キャルリアンがガルドの周りをうろちょろしているからだったが。


「女子会、第二回開催っ!」


 ミリュリカが拳を上へと突き出した。女子会。つまりはお喋り会。とはいえ、キャルリアンにはそうたくさんの話題があるわけではない。必然的に話す内容は限られた。

 最近やった、新しいこと。

 浮かんだのは、押し花のことだった。

「そういえば、あの日摘んでいった花なんだけどね……」

 押し花に挑戦したこと。なかなか道具が揃わなくて、ガルドと一緒に船内を探索したこと。結局思った程、赤色が強く出なくて残念だったこと。でもガルドの表情が緩んだから、嬉しかったこと――。


 キラキラした目で話を聞いていたミリュリカは、全てを聞き終えた後に、にっこりと笑った。

「いいねいいね、恋バナだね!」

「こ……?」

 意味を理解できずに、固まる。恋バナ? これが? どうして?

 しきりに首を捻るキャルリアンを見、ミリュリカはにまにま笑いを引っ込めて、存外に真剣な目で訴える。

「ガルドのこと、好きだよね」

「す、好きだよ。でも……」

 困り果て、こてり、と首を傾ける。反射的に自分の胸に手を押し当てたキャルリアンは、未だに自分では判断の付かない心の動きに戸惑う。

「恋って、何……でしょう」

「それは難しい質問だなあ」

 ミリュリカは腕を組み、むむむっと眉を寄せてみせた。


「たとえば……ふとした仕草や表情に、どきっとしたりとか」

 笑った顔が、無意識のうちに脳裏に描かれた。どき、と心臓が大きく動く。

「触れられたところが熱を持ったりとか。他の誰でもなく、自分が傍にいたいんだって思ったりとか。その人の喜びだけじゃなくて、苦労も一緒に背負いたくなったりするとか。あとは……」

 つ、と彼女の視線が動き、キャルリアンの顔を覗き込んだ。ミリュリカは手を伸ばすと、キャルリアンの頬を、むに、と抓る。


「その人のことを考えて、顔が赤くなったり、とか?」


 ……真っ赤になっている、自覚はあった。

 ミリュリカの言葉ひとつひとつに、ぽんぽんと浮かぶ思い出が、彼女の熱を上げた。

「う~……」

 無意味に唸るキャルリアンを見て、ミリュリカは可笑しそうに――それでいて嬉しそうにした。

「うん。キャルちゃん絶対に、ガルドのこと特別に好きだよね」


 ――それが、『恋』だと呼ぶならば。

 胸に宿ったこの気持ちは、きっとそれだ、とキャルリアンは思った。

 蓋をしても、蓋をしても、端からどんどん溢れてきてしまう程の強烈な想いが、もし特別なものではないのなら、そちらの方がおかしいのかもしれない、とも思った。

 そうやって遠回りをして、キャルリアンはようやく自分の気持ちを認めた。……認めざるを得なかった。


「良かったね!」

 屈託なく笑うミリュリカに、良かったのかな、と眉を八の字にする。

 ミリュリカは不思議そうにしていた。

「当たり前だよ。だって人を好きになるっていうのはね、とても素敵なことなんだよ。友情でも、恋愛でも、それはおんなじだよ」

「……うん」

 キャルリアンは素直に頷いた。ミリュリカと友人になれたことは良かったと思う。それは、心の底から。ガルドと出会えたことも嬉しいし、彼と一緒にいられることは楽しいし、彼の背負うものをひとつでも自分が支えられたら良いのに、とも思う。


 ……けれども。

 漠然とした不安が湧き上がる。


 今、キャルリアンは、幸せだ。とても。数か月前の自分には、予想できなかったくらい幸せだ。

 でも、忘れてはいけない。

 キャルリアンが今ここにいられるのは、自分一人の力ではない。誰かの犠牲があってのことだった。だから、キャルリアンはずっとここ(・・)にいてはいけない。一人だけ幸せになるなんて、許されるべきじゃない。

 そうやって自分に言い聞かせていたはずだった。

 それをいつか、ふとした拍子に忘れてしまいそうで、怖かった。



 船は、来た道を行く。

 その先には、キャルリアンが過ごしてきた港町がある。

 忘れられない過去を、置いてきてしまった場所だ。


「キャルちゃん?」

 不思議そうに――不安そうに、自分の顔を覗き込む友人に、はっと我に返る。大丈夫だよ、なんでもないよ、と笑いながら、キャルリアンは着実に近付く距離に怯える。

 ――それでも。

 忘れてしまいたいこと。それでも忘れるわけにはいかないもの。

 キャルリアンは、やっぱりそれから、逃げるわけにはいかないと思うのだ。彼が逃げなかったように。それがわかっただけで、彼らとの旅は必要だった。有益だった。幸運だった。彼らと笑い合う記憶を手にできたことが、全ての苦行の引き換えになる。

 その、はずだ……。

 キャルリアンは、そっと唇を嚙み締めた。




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