人魚編(2) 「案外、自覚はあるんスかねぇ」
答えを教えてくれるつもりはないようだが、いくつかのヒントはくれるらしい。
ゾイはキャルリアンに訊ねる。
「たとえば、兄貴がミリュリカと一緒のベッドで寝てたら、どう思うッスか?」
その言葉を受け、彼女はぽわぽわとその光景を脳裏に浮かべる。
むにゅむにゅと緩むミリュリカの頬。なんだかんだ言いつつも、優しく見守るガルド。――なんとも微笑ましく、心が温まるワンシーンだった。
「仲が良くて、いいですね」
へにゃりと笑うと、直後、はあ、と盛大なため息を返された。「ミリュリカは、こういうたとえには向かなかったんスかねぇ」とすうすう寝ている彼女を見下ろしながら、ぶつぶつ呟く。
「じゃあ、えーと、……ああ、ほら、夜のおねーさん的なのだったら?」
「……よる?」
頑張ってイメージしようとするが、上手くいかない。白い靄のような物体が、型が取れずに困惑し、揺らめている。まるっきり駄目なキャルリアンに、ゾイが仕方なさそうに助け舟を出した。
「……胸があるグラマラスな美女が兄貴と一緒にいたら?」
一拍、二拍。考える。妖艶な笑みを浮かべた女性が、ガルドの腕にするりと手を這わせる。豊満な胸が腕に押し付けられる。そういえば、過去にそういう体型の女性が好きだと聞いたことがある。なら、この状況は彼にとっても、満更でもないはず。
――ガルドはその女性に、どんな顔を見せるのだろうか。
がば、と上半身を起こした。視線を下へと落とす。すとーん、と落ちる。地面までばっちり見える。豊満とは真逆の自分の身体。
「…………」
「どうッスか?」
急に無言になったキャルリアンの顔を、意地悪く覗き込む。キャルリアンは、眉を精一杯寄せながら、はっきりとした口調で答えた。
「やです」
苛立ちを隠そうともしないキャルリアンを、ゾイは意外だと言わんばかりの面持ちで眺めた。
「……案外、自覚はあるんスかねぇ……」
ぼそっと呟いてみるが、胸のむかむかを治めようとしている当人の耳には届かなかった。
ぷりぷりしていたキャルリアンは、はたと気付く。
「でも、それとガルドさんの発言に、なんの関係が?」
口にしてから、ぐるぐると考えを巡らせる。
「ガルドさんは私と一緒に寝るのが嫌になった、もしくは……問題になった? ということですよね。なんらかの理由で。たとえば――た、たとえば?……なんでしょう?」
途中まではうんうんと頷いていたゾイが、途中でがくりと肩を落とした。
「そこで俺に振るんスか」
「ヒントだけでも!」
ゾイが露骨に嫌そうな顔をした。
「……嫌だ、って。思ったんスよね」
瞬間的に浮かんだのは、先程想像した光景だ。ちり、と胸が焦げ付いた。
むずむずする胸に手を置きながら、こっくんと頷く。
「それは、ヤキモチってヤツだと思うッス」
「ヤキモチ?」
「焼いた餅の略ではないッスから」
「そ、それくらいわかります!」
そりゃよかった。ゾイは、ははは、と可笑しそうに笑った。彼の笑い顔はレアだ。ガルドと同じ。ただそれに素直に感動できる程には、彼女の心のもやもやは晴れていなかった。
ヤキモチ。つまり、嫉妬。誰かを妬ましく思う気持ちのことだ。……誰に、どうして?
心がざわつく。
「自分の気持ちも、周りの気持ちも、もう少しはっきり見た方がいいんじゃないスか? この島を出たらターリスに戻るんスから、それまでの間に」
ターリス、という言葉を聞いた途端に、すうっと心が冷えた。ガルドたちと出会った港。……キャルリアンが、それまで生きてきた町。
――そうだ、戻るんだ。自分は、あの地に。
このままここに残ることを、キャルリアンは、自分に対して許していない。許せない。
どうしてそんな大事なことを、忘れてしまっていたのだろう。
青褪めたキャルリアンに気付いてか、ゾイが困ったように眉尻を下げた。
「……アンタが邪魔とかは、思ってないッスよ、別に。アンタ自身が、自分で決めたらいい」
唐突に投げられた言葉を理解するのに、数秒を要した。
どうやら彼は、自分を慰めようとしてくれているらしい。ここに残っても、離れても良いと言ってくれているらしい。
この島に着く前、さっさと船から降ろすべきだ、と主張していた彼からは想像がつかない。少しは仲良くなれたのだろうか。
ぱちぱちと不思議そうに目を瞬かせるキャルリアンに、ゾイは急に我に返り、怒鳴った。
「勘違いしないで欲しいんスけど、いてほしいってわけじゃないんで! むしろいなかったらいなかったで、せいせいするんでっ!」
「んにゅ……うるさーいぃ」
むく、とミリュリカが身体を起こす。ごしごしと目を擦りながら、周りを見渡す。
「あれ、あたし、寝てた?」
「……ぐーすかと」
まだ寝惚けているのか、ふうううん、と返事と欠伸が混じった声を出しながら、ミリュリカはぐぐっと腕を伸ばした。
「もったいないことしたような、贅沢なことしたような……」
彼女は、寝起き特有の舌足らずな声でそう零しながら、髪に付いた草を指先で摘み、ぺいっと捨てた。何度か寝返りを打っている間に、至る所に絡み付いていたようだ。後頭部側へと手を伸ばすが、微妙に位置がずれて、上手く取れていない。ともすれば、余計に絡まっている。
悪戦苦闘しているミリュリカを救うべく、キャルリアンは「取りますね」と手を伸ばした。
「ありがと、キャルちゃん!」
下手に手を出すと悪化することに気付いたのだろう、ミリュリカは手をすっと下げた。
「二人とも、なんの話してたの~?」
「えっと……」
言われてみれば、なんの話をしていたのだろう。キャルリアンは首を捻る。
「アンタの好きなコイバナってやつッスかねぇ」
げんなりした顔で、ゾイが答え、――直後、しまった、と顔を歪めた。
案の定と言うべきか、ミリュリカの目がきらきらと輝き出す。
「えーっ、なにそれなにそれ! 楽しそう! あたしもしたかったのに、ゾイだけずるい!」
「俺だって別にしたくてしてたワケじゃ……! 第一、真っ先に寝たのはソッチッスからね!?」
「起こしてくれればいいじゃーん!」
「やッスよ、メンドーだし!」
ぽんぽんと飛び交う喧嘩腰の会話に狼狽えたのは一瞬だった。段々とわかってきた。彼と彼女は喧嘩をしながら、程よい距離感を保っているのだ。喧嘩は嫌いだけれど、これは別物。『例外』というやつだ。
強張りかけた肩の力を抜いて、いそいそとミリュリカの髪から草を取り除く作業へと戻る。
「――ミリーちゃん、全部取れたよ」
「やった、ありがと!」
ぴょん、と嬉しそうに飛び上がったミリュリカは、周囲を見渡す。
「花冠は時間が無いから諦めて、お花摘んでこ。シガタが橙色で、お兄ちゃんが桃色で、モールインは……黄色かな? 危険信号的な意味で」
そんなことを言っていた彼女は、不意にキャルリアンの手元を見る。
「赤は?」
片手で持ったままだった花に、再び視線をやる。
「……赤は、ガルドさん」
「やっぱり! 赤っぽいよね」
にしし、とミリュリカは笑いながら駆けていく。
「じゃあ赤色はよろしくね~」
慌てて首肯で答える。が、ミリュリカは既にこちらを見てはいなかった。初めから任せるつもりだったのだろう。
赤色、赤色。唱えながら、花を探す。小振りの花より、大振りの花の方が似合いそうだ。今手にしている花のように。こんなにたくさんの中でも、すぐに見つけてしまえるくらい。
手持無沙汰で突っ立っているゾイを見る。
「ゾイさんは良いんですか」
「俺、花、別に好きじゃないッスもん」
眉間に皺が寄っている。方便、ではなさそうだ。それでもついてきたのは、ガルドに言われたから、という理由ともうひとつ、なんだかんだで身内を放っておけないからだろう。
「……ゾイさん」
「なんスか」
「ありがとうございます」
虚をつかれた顔をしたゾイは、しばらくしてから顔をふいっと背け、ぶっきらぼうに言い放った。
「ドーイタシマシテ」




