海賊編(5)「他の部屋で寝るか?」
キャルリアンは何故か拗ねるように眉を吊り上げている。本気で怒っているわけではなく、媚びる色が見えている。それを煩わしいと思わない自分が、いた。
……だが。
は、と間の抜けた声を漏れた。いくら考えても、彼女が喜ぶ発言をした記憶は無い。拗ねられるような覚えも。
いや、それよりも先に。
その媚びは、ミリュリカがガルドやシガタに向けるものとは違う。『子供』が『大人』に向けるものとは、種類が別だ。
「ガルドさんは、迷ってくれました。大事なものの横に、私を並べてくれました。そのことが、――ガルドさんが困っているのに、なんて勝手なんだろうって自分でも思うんです。それでも――嬉しかったんです」
声が、眼差しが、底抜けに甘い。
その感情の根底を、目の前の少女は知っているのだろうか。
――自分だって、伊達に歳を食ったわけではない。
否。経験値が無くても、これで気付かないなら、そいつはとんだ阿呆か、曲者だ。
隠そうとすらしていない慕情。隠すことすら、彼女は知らないのかもしれなかった。
「だから、十分です。その事実だけで、私はこの先、自分が決めたことを悔いることなく、歩いていけます」
困惑するガルドを迎え入れるかのように、キャルリアンはふにゃりと笑った。
「お願いです。貴方の背負うものをひとつ、私にください。どうか、私を利用してください」
零れ落ちてきた甘い毒に、くらりとする。
ちょっと待ておい、と文句を言いたくなる。そんな感情を持つようなきっかけ、どこにあったよ。無ぇだろが。……頭を掻きむしりたくなった。先程とは別の意味で。
紐を手繰るように、これまでのことを思い出し、悟る。ミリュリカのにやにや顔。変に揶揄する口調。ああ、あれはそういう意味か。今になって理解する。あの娘は、歳相応にませている。かつ、キャルリアンとの距離も近い。てっきり「親子みたい!」と騒いでいたのかと思っていたのだが。
頭痛を抑えるべくこめかみを揉むガルドの顔を、キャルリアンが無邪気に覗き込む。
「駄目ですか?」
「駄目に決まってる」
咄嗟に出た言葉が、何に掛かる言葉だったのか、自分でもわからない。
「……じゃあ、勝手に背負います」
好きにしろ、という言葉を飲み込んだ。
「わかってんのか。わざわざ自分から辛い方へ行くこたぁない」
「私は駄目で、ガルドさんはいいんですか?」
むっと顔を顰めるキャルリアンに、たじろぐ。
「俺は……」
いいんだ。
その言葉は、尻すぼみになった。自分が良くて、彼女が駄目な理由を、おそらく上手く説明できない。説明ができない言葉では、彼女には届かない。
それでも、止めたかった。
「あんたは、まだ早いだろ、背負うには」
「でも私、自分で決めて海に出た時のガルドさんよりも、年上です」
「だからなん――」
はた、と動きを止めた。しばし考える。自分が航海に出たのは十六の頃だ。
不意に疑問が降って湧いた。
「……あんた今、いくつだ」
「え? えっと、十八、ですけど」
「十八だぁ!?」
「……あの、私、何歳だと思われていたんです……?」
ガルドの反応に何かを察したのだろう、キャルリアンの眉が大きく下がった。
はっきり言うと、年相応、には見えない。
身長が低いことも理由のひとつだが、何より肉が無さすぎる細い身体。これが、もっと年下であると決めてかかっていた大きな要因だ。
改めて頭のてっぺんから足の先までを眺める。よくよく見ると、ドーザルが日々腕を振るったおかげか、心なしか最初に会った頃よりもふっくらとしている気がする。いっそごつごつした印象があった腕や足も、女性らしい丸みを帯び始めていた。腰や胸もほんのりと服を押し上げており、当初よりも少々窮屈そうである。
このままきちんとした食事をとり、規則正しい生活を続けたら、近い将来、十八らしい体つきになるのかもしれない。
十八といえば、この世界にある大概の国で婚姻が可能な年齢だ。
それらの事実に今更ながら気付き、愕然とした。
あまりにもじろじろ見ていた所為だろう、キャルリアンが恥ずかしそうに身を捩った。
ようやく我に返り、そっと目を逸らす。
「でも、あの、見えないんですね、十八に……」
あからさまにショックを受けた顔をしたキャルリアンは、自分の身体を見下ろし、しょんぼりと肩を落とした。
「い、いや……」
そういうわけでも、ない。が、実際に考えていたことを口に出せるはずもなく、黙り込む。
「…………」
「…………」
お互いの間に横たわる、妙な静けさ。
涙目になったキャルリアンがそれを打ち破る。
「と、とにかく、私は、ガルドさんだけが背負うなんてことは、絶対に嫌です、から!」
口をへの字に曲げ、宣言する。
「…………勝手にしろ」
予想外の方向から繰り出された攻撃が、それ以上考えることを放棄させた。
要は、根負けた。キャルリアンの粘り勝ちともいえる。本人は無自覚だろうが。
「そろそろ帰るか」
立ち上がり、服についた砂を払う。じゃらりと鎖が揺れた。その先で、同じようにキャルリアンもよろよろ立ち上がっていた。
不意に目が合う。
「……ガルドさん、ちょっとだけすっきりした顔、してます?」
目を輝かせるキャルリアンの額を、悔しさ半分でぴんと弾いた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
――その夜のことである。
極めて重大な問題が、発生した。
いつものように夕食を食べ、いつものようにキャルリアンを連れて、自室に戻る。そして、いつもと同じように鎖の先をベッドの柵に括り付け――
この状況の異常さを、ようやく認識した。
がき、と音を立て錠が掛かった手枷を、じっと睨む。
「……なあ、あんた、他の部屋で寝るか?」
本人は無自覚とはいえ、親愛以上の好意を向けられている。
なおかつ、見えないとはいえ、一応は十八の娘だ。恐ろしいことに、手を出しても問題は無い。合法だ――いや、海賊が違法・合法を気にするなんて、阿呆らしいが――。
そんな女と男が、ベッドを共にする?
あり得ない、だろう。
「え? どうしてですか?」
心底不思議そうな声で返事をされ、ガルドは片手で顔を覆った。確かに、今更だ。今更すぎる。いろんなものが。だがあえて文句を言わせてもらうなら、なんでこの娘、最初に言わなかった。訊かなかった自分も自分だが。
ちらりとキャルリアンの様子を探る。目をぱちくりと瞬かせている。何も感付いていない。
――大体、どうして俺の方が気を遣わなきゃいけないんだ。
途端に馬鹿馬鹿しくなり、「なんでもねぇ」と会話を打ち切った。
結局いつものようにベッドに寝転ぶ。程なくしてキャルリアンもうんしょうんしょとベッドによじ登り、ガルドの横にころんと丸まった。
背中越しに、冷たくも熱くもない温もりが、じわりと伝わってくる。いつもならなんでもない温度が、ガルドを混乱させる。いや、やっぱりおかしいだろ、この状況。
数秒も経たずして、すーすーと寝息が聞こえてきた。安心しきっている。危機感などひとかけらも無い。
「…………」
落ち着かない。心地よい。それ以上に、居心地が悪い。
現在進行形で、取り返しのつかないことをしているような気分に陥る。
「やばいな」
何が、と自分に問い詰める前に、瞼を下ろす。
幸か不幸か、睡魔はすぐさま訪れてくれた。
――ざざ、と波打つ音がする。
潮が満ちる日が、間近に迫っていた。




