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囚われの人魚は星を知らない  作者: 岩月クロ
第5章 求める者に扉は開く
30/50

海賊編(2)なんとも傍迷惑な人魚である。

「五年は一緒に、いろんなところを見て回ったかのう……」

 当時の船旅を追想したリオが、表情を柔らかく緩めた。あれは楽しかった、とひそやかに零す。


「途中で見たサーカスなんて愉快じゃったの。あんなのわしらでもできる、と大声で言ったら、キレたサーカス団長に、じゃあやってみろと駆り出されて……」

「芸ができるとわかった途端、拉致されそうになった」

「一度わざと捕まってやってから、悠々と逃げてやろうと思うとったら、ドンペルクが先に一網打尽にしての」

「あの時は、ファニタもかなり怒ってた。彼女のパンチは痛かった」

「ガルディウスは今にも泣きそうじゃったの」

「彼は初めにピエロが出てきたあたりで、既に泣きそうだった」

「あやつ、まだ九つだったかの?」

「そう。誕生日の前日だった」


 握り飯を口に押し込む。中に入っている不思議な味のする具を咀嚼しながら、初めて聞く父の幼少時代の話に、脱力する。ドンペルクのイメージが崩れるのと同時に、自分の父のイメージもがらがらと音を立てて崩れていく。

 自分善がりな持論を展開し、母と自分を置き去りにした、無責任な男。今となっては、生きているかも死んでいるかもわからない。――ガルドにとって、『父』はそういう存在だ。実体の無い、ただの符号。

 それが、リオとリロの話を聞いていると、崩されてしまう。ガルディウスという人物が、実在する、自身の意思で考え、感じ、成長し、自らの足で生きていた存在であることを、思い知らされる。


「貴方たちが相当な問題児だったというのはよくわかったわ。その子にとっては、散々な前夜祭だったでしょうね」

 シガタが真顔で言い放った。リオがぷくりと頬を膨らませる。

「あやつときたら、『なんで大人しくしといてくれないの。おかげで慌ただしく出航するはめになったじゃない』なんて生意気な口を利きおっての。一番年下のくせに」

「でもリオちゃん、すっごく楽しそうだよ。……どうして、五年だけだったの?」

 ミリュリカの放った無邪気な質問に、リオとリロは顔を見合わせた。どちらから口を開くか、譲り合っているように見える。


 最終的に、口を開いたのはリオだった。

「ファニタに病気が見つかったのじゃよ」

「だから療養のために……ゆっくり生きられる場所に移ることにした。それが、ここ」

「病気……?」

 そう、病気。リロが頷く。

「それも、ただの病気じゃない。人魚特有の病気だ」

「しかしあれは、実のところ病気と呼ぶかも微妙じゃの。人魚の本来の姿なのかもしれぬ」

 ミリュリカが、キャルリアンを気にする素振りを見せている。人魚特有の病気――キャルリアンも発症する可能性があるのだ。

「どんな病気なの?」

「なあに、皮膚に鱗が生えるだけ(・・)の病じゃよ。結果的には、それ以外の症状は出なんだ。じゃが……それだけの症状でも、外で暮らすにはいささか困ったことになってのう」

 目立ち過ぎるのだ。悪い方向に。

 彼女にとって幸運だったことは、長い航海の経験を経たドンペルクが、身を隠すのに最適な土地を知っていたことだ。そうでなければ、噂は世界を駆け巡り、彼女が平穏に暮らすことはできなかっただろう。


「それでファニタとわしらは島に住むことにしたのじゃ」

「ドンペルクさんは、ここには残らなかったの?」

「彼自身は、心からそれを望んでいた」

 リロは当時のことを思い出したのか、表情を曇らせた。悲痛な色が見え隠れする。

「でも、できなかった。彼が身を隠せば、世界中の者がみな、彼を探す。彼の財宝を求めて。……少なくとも、その段階で身を隠すことはできなかった。ファニタのためにも」


 本当は、傍にいられるのなら、宝なんて捨てたっていい。

 ドンペルクはそう言った。それから続けた。でも、それでも駄目だ、と。ドンペルクが本当に宝を全て捨てたところで、周りは思うだろう。



『彼はもっと大きな宝を隠しているに違いない!』



 そしてそれは、ある意味では間違っていなかった。



 彼は、大事な彼女を守るためにも、それまでと同じ生活を続ける他なかった。

 愛おしい彼女と別れ、海に出た。頻繁に帰ることはできない。だから、数年に一度だけ、帰ってくることを約束した。

 ファニタが亡くなるまで、彼が亡くなるまで、それは続いた。


 ぐす、とミリュリカが鼻をすする音がした。感情移入し過ぎだ。

 そこでふと気になり、キャルリアンの顔を窺った。案の定というべきか、彼女は顔を強張らせていた。第三者として聞くには、近過ぎる距離。近過ぎる事情。彼女もまた、どこかから逃げ、何かから追われている。自分の未来を宣告されているようにさえ思えるのだろう。

「…………」

 何かを堪えるように強く土を掻く白い手に、やや触れる位置へ手を動かす。手の甲越しに微かに伝わる体温に寄り添った。

 視線は森へ逃がす。隣に座る娘が驚いて身動ぎした気配を感じ取ったが、努めて無視した。

 体温が離れることは無かった。


「ガルディウスはドンペルクについていくと言い張っての。外の世界に興味があるからと言っていたが……一人にするのが嫌じゃったんじゃろ。小童なりに、繋ぎとめようとしておったのじゃろうなあ。生意気なやつめ」

「それからしばらくして、ファニタが子を身籠っていることがわかった」

「もうな、パニックじゃよ、パニック。わしら三人とも、子供なんて産んだことないしの」

「そもそも、リロは性別上、無理」

「……アンタ、男だったんスか」

「女に見える?」


 不服そうなリロに、「あ~……」と曖昧な反応をするゾイ。中性的な顔立ちをしたリロは、綺麗な男の子にも、綺麗な女の子にも見える。だが、もし『当ててみろ』とクイズを出されたなら――おそらく、不正解になる。


「そりゃあ、わしが超絶美少女なんじゃから、双子のお主も美少女に見えるに決まっておろう」

「……リオ、美少女だったの? 初めて知った」

「見慣れておるからのう。気付かなんでも、仕方ないことじゃ」


 そういう問題だろうか。突っ込みたかったが、やめておいた。吸血鬼の双子の顔立ちが綺麗なのは、腹立たしいことに事実だったので。

 何故だかは理解できないが、双子の片割れの発言に納得したらしいリロは「そういうことなら仕方ない」と不服申し立てを取り下げた。


「とにかく……話を訊ける相手も、探りを入れる相手もいないしの。せめて、とそこらの獣たちの出産を見学したんじゃが」

 したんスか、とゾイが引き攣り笑いをした。妊娠中の獣など、気が立っていて、とても近寄れたものではない。普通の人間なら……正直、自殺行為に等しい。下手を打ったら殺される。彼らとて、自分の子供を守ろうと必死だ。

 少しでも情報を掻き集めようとこっちも必死だったから、とリロが主張した。そのくらい切羽詰まっていたのだろう。

「……耐えて耐えて、力んで耐えて、出てきた赤子を舐めるってことくらいしかわからなんだ」

 かなりガン見したんじゃがのう。

 そう言って項垂れるリオの肩を、宥めるようにリロがぽんと叩く。

「リオはまだマシ。ファニタなんて途中から『ねえリロ、やばいよあれ、痛そう』しか言ってなかった」

「うん? それは知らなんだ。なんじゃ、だからあの晩、大嵐じゃったのか」

「ファニタの情緒、そのまま天候に直結する」


 なんとも傍迷惑な人魚である。


 ガルドをはじめとする、顔を引き攣らせた面々から、リロはそっと視線を外した。

「その後も……、…………、……いろいろあったけど、なんとか産まれた」

 不自然な間が気になるが、もはや誰も突っ込もうとはしない。

 気を取り直したように、んん、とリオが咳払いをした。


「可愛い女の子じゃった。ドンペルクが対面したのは、あの子が四歳になった時じゃったなぁ」

「泣いて喜んで、見ていられないくらいだった。顔くしゃくしゃで」

 揶揄する口調に反し、視線は柔らかい。リオとリロにとって、ドンペルクやファニタたちの存在は、紛れもなく救いだったのだということが、ありありと伝わってくる。


 永遠と勘違いしてしまう程に長い生の中において、すくすく育っていく娘の存在は、時計の針のようなものであったのかもしれない。




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