海賊編(3)「あんたは、そっちの方が楽なのか」
食事が終わると、各々、席を立ち始める。
困惑気味に座ったままになっているキャルリアンに、「おい」と声を掛けると、彼女はどこか安堵したように息を吐く。無意識に手を差し出す彼女に、目を細めた。
長く拘束されていた名残りなのだろうか。彼女は、自由に動くことが苦手なのかもしれない。
「あんたは、そっちの方が楽なのか」
呟きは確かに彼女の耳に届いただろうに、目立った反応は無かった。ともすれば自由であることがストレス過多の原因になり得そうな彼女の腕を掴む。
――本当は、もう外したままでもいいかと思っていたのに。
ガチャ、と音がした。彼女の腕に、鎖が絡まる。
「部屋に戻る」
一言伝えれば、キャルリアンは殊勝にハイと応えた。つくづく、調子が狂う。
「ああ、しまったな……」
部屋の扉を開けてから呻く。自室はまだ、入れる状態ではなかった。
舌打ちをしながら、落ちた物を蹴飛ばしながら道を作る。鎖の繋ぐ先を、さっさとベッドへと変える。
「そこにいろ」
指し示されたベッドとガルドの顔を交互に見た彼女は、戸惑ったように手を胸の前に持っていく。キャルリアンが動く度に、じゃら、と音がする。
「なにかお手伝いすることは、」
「無い。強いて言うなら、大人しくしてろ」
しょんぼりと項垂れた彼女は、とぼとぼベッドへ向かうと、その端にちょこんと座った。鎖が奏でる音を聞きながら、おもむろに彼女の足首を掴む。
「前々から気になってたんだが」突然のことで驚いたのだろう、剥き出しの足の指は一瞬反り、それから丸まった。小さな足の裏は赤くなっており、見るからに痛々しい。「なんであんた、靴を履かないんだ?」
長時間外を歩いたためか。柔らかい砂浜だったことがまだ幸いしたのだろうが。
下半身が尾びれに変わることもあるためかと思ったが、他に身に付けている物は、特に問題なく、消えたり戻ったりしている。ならば靴を履いていても問題は無いはずだ。
「……音が、鳴るので」
彼女の答えは、端的だった。
「音?」
「はい。靴音が鳴ると、怒られます。それに、どうせ横になっていることが多いので……」
キャルリアンの身体が、微かに震えた。それが怯えだと理解できたのは、娘の顔色が見るからに青くなったからだった。
「わかった、わかったからもういい」
言葉を遮ると、ガルドは壁に固定してあった為に嵐の被害を免れたベッド脇の棚から、包帯を取り出す。
「ここじゃ動き回るだろ」
くるくると自分の足に巻かれていくソレを、キャルリアンは不思議そうに眺めていた。
「今はこれで勘弁しろ。あと、痛いなら痛いって言え」
右足から、左足にうつる。
キャルリアンは白い布で覆われた右足を、そっと持ち上げた。
「ありがとう、ございます。サイズ、ピッタリです」
その声は、どこか泣きそうにも響いた。
「そりゃどーも」
結び目をきゅっと締めながら、「悪かったな」と囁いた。今度は、聞こえるであろうことを前提に。何に対するものなのか思い当たらなかったのだろう、彼女は目をぱしぱしと動かした。
「俺ぁな、父親の顔を知らねぇんだ」
口から、は、と漏れたのは嘲笑――もっというなら、それは自嘲と呼べるものだ――。幼い時分の話だというのに、平然としていられない自分に対するものだった。
「俺と母を守るために、出て行ったんだそうだ」
冗談じゃない、と思う。
顔を知らない“父親”を恨んだのは、普段は笑顔を振りまく母が、見えぬところで独りで涙を流し、嗚咽を押し殺す姿を、何度も何度も目にしたからだ。
誰かのため?
そんなもの、自分の行動を無理やり正当化するためのただの方便だ。
“守ってやる”? そんなもの、誰が欲しいと口にした。
どれだけ繕ったところで。
独り善がりの、自分のための、行動だ。
「だから俺は、簡単に自分を犠牲にしようとする奴は嫌いだ。それを美談として扱う奴もな」
そこまで話して、ようやくキャルリアンは、これが過去に『あんたには関係無い』と打ち切られた話の続きだということに気付いたようだった。
ガルドの話を何度も咀嚼するように、目を伏せ、眉を八の字にする。
考えて、考えて、考えた彼女は、そうっと瞼を持ち上げて、「でも」と口にした。
「誰かが誰かを想って、心から幸せを願って、そうして行動することもまた、簡単なことではないと思うんです」
その言葉は、キャルリアン自身ではなく、誰か別の者を脳裏に浮かべたのだろうと思った。彼女の瞳は、ひどく揺れている。そういう想いを向けられたことが、あったのか。
「そうだな」
一理ある、とは思う。
「わかっていても受け入れられないから、周りは俺のコレを“トラウマ”と呼ぶ」
――ああ、なんだって俺は、こんな話をこの小娘にしているのだか。
約束を守った礼がてら、気紛れに、少し触りを口にしたつもりのはずが。
調子が崩れる。
「それなら、私の心にあるこの気持ちも、“トラウマ”、なのでしょうか」
キャルリアンは、自分の胸にそっと手を置いた。まるで、そこに傷付く心があるとでも言うかのように。
「背負っていくのが嫌で、嫌で、堪らなくて。辛くて、心が潰れちゃいそうで。それなのに投げ出せない」
白くなる程に強く握り締めた手を、その指先を、彼女はそっと伸ばして、ガルドの手をたどたどしく掴んだ。
「一人きりなのかと思っていました。ガルドさんも同じなんですね。不謹慎だって、わかってますけど、そのことが、」
ふにゃり、という擬態語がよく似合う笑みだった。安心感を前面に押し出した表情に、固まる。
「――とても、心強く感じます」
しばらく見惚れた後に、我に返る。ぼんやりしていた自分を恥じた。何してんだか。短く舌打ちする。
「……勝手にしろ」
強引に手を引き、身を離す。床に散らばったものを手に取り、所定の位置に戻す。しばらくそうやって心を落ち着かせてから振り向くと、彼女はひどく傷付いた顔をしてしょんぼりしていた。
「おい」
顔が引き攣る。
「あんた耐性無さ過ぎだろ」
「耐性……?」
上目遣いでこちらの様子を窺っているらしいキャルリアンの頭を、乱暴にぽんぽんと叩く。
「ちょっと言われたくらいで凹むな。自分の意見押し通すくらいの図太さを持て。ゾイを追う時はできただろうが」
「あ、あの時は必死で……!」
「あ? 今は必死じゃないってか?」
にやりと笑って言うと、彼女は極めて遺憾だと言わんばかりに目を大きくして、口を尖らせた。
「ガルドさん、意地悪です!」
勢いよく顔を背けたキャルリアンは、その勢いのままに、ぼすりとベッドに倒れ込んだ。もぞもぞしながら布団に包まり、わかりやすく、そして盛大にいじけている。
その様子を確認してから、ガルドは部屋の片付けを再開した。少ししてから、キャルリアンが体勢を変える音がした。背中越しに視線を感じる。どうせあの娘のことだから、『やっぱり手伝うべきなんじゃ……』などと思っていそうだが、努めて無視する。
静かな船内に、穏やかな波の音が届く。
耳を傾けながら、明日から入る本格的な調査に関して、考えの手を伸ばす。
――ほんの、少し。
軽くなった心が、跳ねた。
全てが上手くいくような錯覚を刻みながら。




