人魚編(3)「今日、ひとつ見つけました」
拳大の果実を齧りながら、一夜を明かした場所を後にする。
「近くにいるといいんスけど」
「そうですね」
くん、と鼻を動かす。キャルリアンの五感は鋭い方だが、自分たち以外の存在はヒットしない。まだまだ先は長そうだ、と心の中で呟く。
柔らかい砂の上は、歩くとシャクシャクと音がする。足を取られるので、体力を奪われやすいが、かといって森に近付き過ぎても危険だ。
幸い食糧の確保はなんとかなる。長期戦を前提にして、安全性が高い道を選ぶことにした。
「……あんた、なんで俺を助けたんスか」
無言の進行を終わらせたのは、意外なことに、彼の方だった。
「えーと」
正直に言っていいものか、迷う。仲良しこよしなんて嫌いだ、と言ったのは彼だ。しかしいくら考えても、他に理由が思い当たらず、観念する。
「仲良くなりたいからです」
「ふーん。……その方が、兄貴は喜ぶもんな?」
「え、そうなんですか?」
割合ガルドも、誰かの“ちょっかい”を嫌う性質だろうと思っていた。頑張れ、とは言ってくれたが、別に応援をしているわけではない。
単に、キャルリアンの覚悟を試しているだけだ。
そう告げれば、ゾイは驚いた顔をしていた。数秒置いてから、また、ふうん、と興味があるのかないのかわからない返答。
「私がゾイさんと仲良くなりたいのは、ガルドさんは関係なくて。ああ、でも……」
貰った言葉が、とても温かかったことを思い出す。
「私は、喧嘩は“嫌い”なんです。仲良くするのは、きっと“好き”です。これから、そうなると思うんです。――それを、教えてくれました」
胸にそっと手をおけば、その時に胸に灯った温もりが思い出せるような気がした。
「ガルドさんは、すごい人です。怖いところもあるけれど、すごく、優しい人です」
心の底から自然と出た言葉だった。
温もりが胸から溢れ出て、手先にうつる。
心臓の音が、何故かいつもよりも早かった。
「ゾイさんも、そう思いませんか? すごい人だって」
「え? ……と、」彼はハッと我に返り、何故か眉を吊り上げた。「当然っしょ、兄貴がスゴイなんて! 訊かれるまでもないッスよ!」
「ですよね! ね!」
初めて意見が合った気がする。ついに見つけた共通点に嬉しくなって、思わず手を取ってジャンプする。飛び跳ね、着地を繰り返していると、何度目かで着地に失敗してぐらりと身体が傾いた。
「っと!」
反射的にか、ゾイが彼女の腕を掴み、転倒を防ぐ。あっぶないな、と文句をひとつ。
以前ガルドと星空を見に行った時に、同じようにバランスを崩し、彼が受け止めてくれたことを思い出した。顔がガッと熱くなる。どうしてか、ひどく恥ずかしくて。
「……あんたってさ」
上から降ってきた言葉にようやく今の状況を思い出し、「なんでしょう!」と慌てて顔を上げる。
彼は躊躇いを見せた後に、普段よりもくぐもった声で続けた。
「兄貴のこと、好きッスか?」
きょとりと目を瞬かせる。予想外の質問だったからだ。キャルリアンは、自分が“好き”なものを並べ、その隣にガルドを配置してみた。
微かな違和感。けれど間違いなく、言える。
「はい、好きですよ!」
にこりと笑えば、何故か呆れ顔を向けられた。
「俺もスゲェ好きッスよ。尊敬してるッス。命の恩人だし、生き方はカッケェし。のたれ死にしててもおかしくなかった俺に、ならここで雑用でもしてろって生きる場所をくれた」
詳しい事情はわからないが、どうやらゾイは自分とそう相違ないスタートだったのかもしれない。
そんなことを考えながら、うんうん、うんうん、と相槌を打つキャルリアンに、「けどあんたのそれは」と複雑そうに言葉を紡ぎ、――はたと止まった。
「……やっぱ、なんでもないッス」
言うなり、黙り込んでしまったゾイに、キャルリアンはしばし頭を悩ませた後、ぽんと手を打った。
「つまり、私もゾイさんも、ガルドさんを好きってことですよね! それならきっと、仲良くなれます。好きなものが同じなんですから」
両手を広げて明言したキャルリアンに、流石のゾイも毒気を抜かれたようだった。深刻そうな色が吹き飛んだ拍子に、笑いが込み上げてきたのか、突然腹を抱えて笑い始める。
「なんスか、そのめちゃくちゃな持論! あんた阿呆っしょ!」
「え! へ、変、でしたか?」
敵の敵は味方、ともいう。なら、好きな相手を同じように好きな人は、友達になれるのではないか。それは、“普通”から逸脱している考えだったのだろうか。難しい。首を捻り、つい癖で親指を噛んだ。慌てて離す。ガルドに叱られてしまう。
ひとしきり笑ってから、ゾイは突如として我に返ったらしい。ハッと顔を強張らせ、こほん、とわざとらしく空咳をした。
「あー、あー。別に、ちょっとくらい何か被ってたからって、仲良くなる程、俺単純じゃないんスよね。まあ、俺もオトナだし、話くらいフツーにしてやらんこともないッスけどね?」
「ほ、本当ですか!」
これまでに無い発言に、キャルリアンは目を輝かせた。“話くらいフツーにしてやらんこともない”と彼は言った。これまで目を合わせると逸らされ、隣に座って話し掛けると無言で席を立っていた彼が、である。
これを大きな進展と言わず、なにを進展と呼べようか。
あまりの喜びっぷりに、ゾイは身を引きながら「気が向いたら、ッスから!」と慌てて予防線を張る。そもそも先程の発言だって、仲良くなる気は無い、を遠回しに伝えたはずだったのに、なんだって彼女は「はい!」なんて満面の笑みを浮かべながら喜んでいるのか。
「嬉しいです! 私きっと、誰かと仲良くできることも、“好き”なんですね」
浮かれつつも、どこか他人事のような発言に、ゾイが首を捻る。その表情から疑問を読み取ったキャルリアンが、「今、自分を見つけている最中なんです」と胸の前で握り拳を作る。
「好きなことも、嫌いなことも、これから自分がやりたいことも。私にはまだわからないから。でも今日、ひとつ見つけました」
握り締めた拳を、愛おしげに見つめる。掴んだものを、なくさないように。優しく目を細めた。瞳は、心の底から喜びの色を帯びている。
やりたいこと。ゾイは小さく復唱する。つられるように、自身の指先をそっと盗み見た。
小躍りしそうな程に喜んでいたキャルリアンは、不意に、「あ!」と声を上げた。
「ガルドさん……?」
「へ?」
キャルリアンの耳は、まだ遠方ではあるが確かに聞こえる彼の足音を捉えていた。
「無事に合流できそうです」
安堵の息を吐けば、隣でゾイは「え、全然見えねぇんスけど」としきりに目を凝らしている。
――噛み合わない二人の仲は、それでも少し、確かに互いに一歩ずつ、歩み寄った……
「もうすぐですよ、もうすぐ!」
「……なんスか、その自分だけ余裕ぶってる顔。すっげぇムカつく」
「え!?」
……かもしれない。




