人魚編(2)温もりが足りない。
「――い。おい! 起きろ!」
「ん……」
自分の身体を揺さぶられ、薄らと目を開く。どうやら寝てしまっていたようだ。焦った顔にこてりと小首を傾げれば、彼は刹那、ひどく安堵した顔を見せた。それも瞬きを繰り返している間に消えてしまったが。
見間違いだろうか。
目を擦りながら、視線を足へと向ける。もうすっかり人間の足に戻り、濡れていた服も乾いていた。対するゾイの服は、まだ生乾きだ。
空は雲が晴れることは一切なく、ただ前に見た時よりも明らかに周辺が薄暗いことから、あれから時間が経ったことがわかる。
ついでにいうと、裸だった彼は、薄汚れた布を纏っていた。
「ゾイさん、それ、どうしたんですか?」
「その辺りに落ちてたッス」
森に入る前に、海岸沿いに打ち上げられていた布を拝借し、簡易の服としたらしい。
小脇に抱えていた大量の木の枝を見ていると、歩けるか、と訊ねられた。慌てて立ち上がる。
「こっち」
短い指示に従い後ろをついて歩くと、それまでの岩場と違う、細かい砂を敷き詰めた場所に出た。海の音が近い。
そこには既に、丸太や小枝が大量に置いてあった。
「これだけありゃ、朝まで持つっしょ」
ふんと鼻を鳴らした彼は、持っていた木の枝をその隣に放り投げた。
丸太を並べ、木の枝を数本手に取ると、手を翳す。ボッ、と点火する。
「魔法、使えるんですか?」
「ちょっとだけ」
しっかり火がついたことを確認してから、丸太の間に放り込む。広がった火が、丸太にも移ったようで、パチリと爆ぜる音がした。
仄かに暖かい空気が周囲に漂う。手を添えれば、より一層はっきりと温もりを感じ取れた。
「明日になったら、海岸沿いを歩いて、兄貴たちを探すッス。たくさん歩くんで……」
ゾイはうつらうつらとしていた。彼こそ疲れているはずだ。はい、と返事をしたが、果たして届いているかどうか。
完全に寝落ちた彼を一瞥してから、空を見上げた。雲に覆われた空に、星は見えない。
あの双子の星が見たかった。強い光を見たら勇気が貰えるような気がしたのに。
「……連れて行ってもらえるまで、我慢、ですね」
腕で膝を抱え込み、顔を埋める。
今は人といるのに。逃げ出す前なんて、ずっと独りきりが普通だったのに。ぎゅう、と手を握る。背中に感じる、温もりが足りない。
――初めて、心細さを覚えた。
「朝ッスよ」
乱暴に肩を揺すられ、目を開く。気付いたら寝ていたようだ。膝を抱えて座っていたはずが、横向きに倒れている。寝ている間に倒れたのか、それとも寝ぼけ眼で自らこの体勢になったのか。
直後にすっくと立ち上がったキャルリアンを見て、ゾイは意外そうに目を大きくさせた。
「朝、強いんスね」
「え? あ、えぇ……まあ」
施設では、すぐに起きなければ、懲罰があったからだ。話を逸らすように、「海岸沿いに歩くんですよね、どちらに進みますか」と視線を動かす。
「潮が流れてく方に行きたいんスけど」
「じゃあ、こっちですね」
指を向けた方向を追ったゾイは、「わかった」と平坦な口調のまま同意した。意外な思いになったが、何も言わないでおく。言って喧嘩になっても仕方がない。少しは信用してくれたんだろうか。そう思うと、自然と頬が緩んだ。
「昨日は食えるモン探す余裕なかったから、もっかい森に入ってくるッス」
「あ、じゃあ私は海で魚を捕ってきます!」
「……獲れんスか?」
「たっ……たぶ、ん?」
素手で魚を獲ったことなど、本当に小さい頃にしか――まだキャルリアンだった頃にしか、ないけれど。
ゾイは期待が一切こもっていない目をしていた。
数十分後。
赤い果実と、それからウサギを一羽。それがゾイの収穫だった。
二人分にしては少ないかな、と呟きながらナイフを片手にウサギを捌いている。そうしながら、ちらりとずぶ濡れで突っ立つキャルリアンを見上げた。
「魚は?」
「…………」
無言で目を逸らす。
ため息すら、投げ掛けられなかった。
ゾイは肉を棒に突き刺し、火に入れる。
「これ、あんたの分」
渡された肉を、見よう見まねで焼く。しばらく無言でそうしていた。もういいだろ、と彼が火から取り出した肉は、確かにパッと見、上手く焼けているようだった。遅れて、自分の手も引っ込め、火の中から回収する。
少し冷ましてから、齧り付いた。癖の強いにおいと硬さに苦労しながらも、食事にありつけたことをありがたく思う。これからしばらく歩かなければならないのだ。体力をつけることは必要不可欠だった。
水分は瑞々しい果実で摂る。
「飲み水が欲しいとこだけど、すぐに見つからなかったんスよ。生き物がいるってことは、どっかに水源があるってことなんスけどねー」
ゾイは食べ慣れているのか、特にウサギの肉に顔を顰めていない。
今は森の探索よりも合流が先決だ、と彼は言う。ガルドたちが無事に辿り着いていることを、これっぽっちも疑っていない。そのことに力を貰った気分になる。
よし、と気合いを入れると、大きく口を開けて肉にかぶりついた。
頬をこれでもかと膨らませ、あむあむと頬張っていると、キャルリアンの傍らで、ゾイが「リスみたいになってんだけど大丈夫ッスか」と顔を引き攣らせていた。




