街灯・ゴーグル・パンダ
「外灯」「ゴーグル」「パンダ」
僕はその日、街頭の下にパンダのぬいぐるみが置かれているのを見つけた。
そのぬいぐるみは、もうどこがもともとの黒い部分だったのかわからないほど、ひどく汚れてしまっていたが、どうしてだか、とても温かく感じたのだった。
*
突然だが、地球は滅びてしまった。
その瞬間がやってきたとき、本当に唐突に、世界は滅びてしまったのだ。
後から聞けば、原因はとある一人の男が、たったひとつのボタンを押したこと、なんだとか。
時に、バタフライエフェクトという言葉を知っているだろうか。
なんてことはない、日本で蝶が羽ばたいたとき、地球の裏側で竜巻が起こるというなんともまあ荒唐無稽な話である。
何が言いたいかといえば、つまり今回のこともそういう些細なことから起こった、ということだ。
では、原因からではなく、結末から説明していこう。
まず、世界が滅びた。それは、本当に突然巻き起こった核戦争が原因だった。北朝鮮、ロシア、アメリカ、中国、様々な先進国から世界中に向けて核弾頭が飛び出したのである。
丸い地球のあちこちで巨大なきのこの雲がニョキニョキと生える様は、太陽や月でさえ初めて見る光景だったのではないかと予想される。
最初に核弾頭を発射したのはロシアであった。もちろん、何も考えずに放った訳ではない。アメリカ国籍の潜水艦からたった一発のクラスターミサイル…つまりは、広範囲を爆撃するミサイルがたまたま首相の乗っていた車に直撃したからである。
つまり、報復のためとロシアがアメリカめがけて核弾頭を発射したのだ。ところが、アメリカはその事態を予想していなかった。頭をつぶせば勝てると思ったわけではない。誰も命令していないのだ。そして、知らせと共に急に降ってきた核弾頭である。それはもう敵が多い国なわけであるからして、それこそ諸国に向けて核弾頭を大売出しの如く撃ち放ったのだ。
核保有国たちも我が国に核が落とされるなどという事態であるからして、核弾頭の到達よりも早く自国の保有する核弾頭を発射した。
それにより、世界が滅びた…つまりは、人間が住めるような環境ではなくなってしまったのである。
さて、ではアメリカ国籍のその潜水艦である。
その潜水艦に、一人の男が乗っていた。その男は自国に繋がる通信機から伝令を受けていた。
「ロシア大統領が搭乗する車両に攻撃せよ。」
男は戸惑いながらも、ミサイルの発射ボタンを押したのであった。
これが世界が滅びる原因だった、ボタンの一押しである。
ところが謎が残る。アメリカ側からの指示はなかったのである。では、この通信はなんだったのか。実はここにも、ボタンの一押しがあったのだ。
そもそもこの通信機、ラジオと同じものである。つまり、自国に繋がる周波数に合わせていたのである。ところが、その日男は周波数を変えて祖国の民放ラジオを聴いていたのである。男には娘がいて、その娘が市内の音楽コンクールに出場すると妻から連絡があったからだ。
もちろん、男はそのコンクールで娘の美声を楽しんだ後、周波数を元に戻した…筈であった。筈であったというのも、実際には間違えてしまっていたのであるが。
そして、その周波数はとあるテロリスト達の使用している無線の周波数とたまたま合致してしまったのである。
かくして、天文学的な確率が重なり合い、地球は青い星ではなくなってしまったのであった。
地球は灰色の星へと変貌した。空気は汚染され、マスクやゴーグル無しでは外を歩けない。生物のほとんどは死に絶え、残されたのは空気清浄マシンが生きている大規模なシェルターのみであった。
そこはもはや地下都市とも呼べるほどであったが、都市とは言っても人々を束ねる者は居らず、暴力による交渉が主であり、物品の流通すらもなかった。
僕が今懸命に生きている現在の時間軸といえば、地球破滅戦争と呼ばれたその未曾有の大事件から早20年ほどの月日がたった頃のことである。
*
僕は、灰色の地面の上をマスクとゴーグル、気持ち程度の防護服で徘徊していた。
放射能など、最早関係なかった。今生き残っている人間のほとんどは完全に放射能を浴びてしまっているし、日に日に数が減っているのだ。僕だって、なんのために生きているのかすら分からないくらいだ。
それに、あまりに防護しすぎても動きづらい。シェルターに戻れないくらい疲労して外で倒れてしまったらそれこそ本末転倒である。
また、なぜ僕がこんな世界を歩いて回っているかというと、それは残っている生活用品や食物を探すためである。
食物、といっても、携行用の乾燥食品であったり、時間停止装置を利用して包装されている災害用のレーションであったりと、肉や魚の姿はまったくといっていいほど見かけない。
そして、そういったものがあるのは、本当に極稀だ。僕だってこの3日間、水しか口にしていないのだ。
そろそろ何かしらの成果を挙げなければ死んでしまう。しかし見つかるのは、基本的に灰と黒く汚れた瓦礫だけだ。色のない世界とは、ここまで死の色に似ているとは思わなかった。
*
結局のところ、なんの成果も上げられずに僕はとぼとぼとシェルターへと帰還した。巨大なスペースで、聞くところによればおおよそ東京ドーム4つ分ほどの大きさの中に、10万人が住んでいるらしい。
住んでいると言っても、配給もなければ娯楽があるわけでもない。ただ、平らな地面が広がっているというわけではなく、掘っ立て小屋のようなものがそこかしこに並べられていて、本当に最低限、プライベートスペースがあるような場所だ。
まるでスラムと変わらない。小屋の壁なんてパンの耳くらいの薄さなもんだから、そこかしこで嬌声や人が殴られる音、咳き込む声や狂った笑い声が聞こえる。
これなら、外のほうがまだましだと思えるくらい、僕にとっては地獄だった。
僕はそそくさと自分の小屋の中へと入ると、5日前ほどに見つけたタバコに火をつけた。味もひどいし臭いもひどいが、もとより絶滅危惧種の嗜好品である。それを僕だけが楽しんでいるという事実だけが、今日の僕を癒してくれるのだった。
余談ではあるが、当然喫煙者なんてものはほとんど存在しなくなった。
*
僕はその日、街灯の下にパンダのぬいぐるみが置かれているのを見つけた。
そのぬいぐるみは、もうどこがもともとの黒い部分だったのかわからないほど、ひどく汚れてしまっていたが、どうしてだか、とても温かく感じたのだった。
それとなく拾い上げると、どうやらお腹を押すと声が出るタイプのぬいぐるみだったようで、固い感触が指に残った。
まさかもう電池は生きていまいとそのお腹を押すと、意外なことに音が聞こえたのである。
「こんにちは。このメッセージを聞いたということは、君は街灯の下にいるということだ。その街灯の下で待っていてくれ。毎晩0時に私はそこに行く。」
なんとも、突拍子もない話である。この2115年の世界で、このようなメッセージが残されていようとは。
いまや生きている時計などありはしない。が、このようなぬいぐるみの中にある音声出力装置が生きているということは、誰かが定期的にこの中身を入れ替えるか電池の補充を行っているということに他ない。
だとすれば、僕から考えると時間など計測のしようもないが、待っていれば誰かがここにくるということだ。
例のシェルターよりももっと環境の整っている状態で生き残り、生存者にメッセージを送るような人間がいるということだ。
僕ははたとと考え、そこで得体の知れぬ誰かを待つことに決めたのであった。どっちにしろ、ここで野垂れ死んだところで構いやしない。生きる意味などとうになくなっているのだから。
*
それからどれくらいの時間がたっただろうか。いつの間にか夜になっていた。電気など完全に止まっているこの地球では、夜になると星たちが美しい光景を夜空のキャンパスに彩る。決して、例の事件が起こる前までは見ることができなかった光景だ。
えもいわれぬ美しい光景をその瞳に焼き付けながら、しんしんと冷える夜の寒さに身を震わせていると、遠くから音が聞こえてきた。
そんな馬鹿な、と、僕は夢を見ている気分になる。
エンジン音だ。この世界で、生きている機械は地下都市の空気清浄マシンと空調システムだけだと思っていた。
久しぶりに聞く、燃料を燃やして動く機械の音だ。人間の心臓の音よりも珍しい。
そしてその機械は、僕の目の前で停止した。ホバーカーと呼ばれる空飛ぶ車である。電磁石を使用し、この地球上の舗装された場所すべてに設置されたマグネスチールから反発して浮かぶもので、2060年くらいから普及した車の代わりとなった、20年前まではどこでも見かけた乗り物だ。
そのドアが開き、一人の防護服に身を包んだ人間が現れた。
「やっと一人、見つけた。さあ、乗りなさい。」
声の主は男のようだ。僕よりもよっぽど立派な防護服で、顔もすべてを覆い隠したスマートな宇宙服のようなものだ。見たところあまり汚れていない。
「あなたは、誰ですか?」
「もっともな質問だが、それは車に乗ってから話しても遅くはあるまい。さ、次の場所に行かなくてはならないんだ。乗るのか乗らないのか早く決めてくれ。」
男はそれきり口を閉じた。僕はといえば、迷うこともなくその男の前に歩み寄り、そっと車に乗り込んだのであった。
…つづく?
「太陽」「ディスプレイ」「笹船」
男は、「ノア」と名乗った。
彼は僕を拾い上げた後、廃墟と化した灰の街をホバーカーで走り回り、僕と同じような生存者を探していた。僕はといえば、その車の中でノアに質問を投げかけ続けていた。
あのぬいぐるみの電池はあなたが入れ替えていたのかと聞けば、その通りだと返され、本当に毎日街をめぐっているのかと聞けば、その通りだと返される。
「時に君は、笹舟を知っているかね?」
唐突に、ノアが言った。
「笹舟?なんですか、それ。」
「笹舟はね、笹で作る船のことさ。」
――笹。この世界ではもう見ることができない植物の一種だ。中国や日本ではごくポピュラーな植物だった。筋の通った固めの葉を持ち、パンダの好物とされていた。
…パンダ、か。そういえば、メッセージを残すのに使ったのもパンダのぬいぐるみだったな。ノアはパンダが好きなんだろうか。
まあそれはそれとして。笹で作る船とはいったいどういうことだろう。おぼろげな記憶をたどれば、笹という植物は硬い幹を形成しない。だから、船の作りようもないと思うのだが…。
「笹舟はね、大きいものじゃないんだ。」
と、ノアは僕の心を読んだかのようにそう言ったのだった。
「小さい舟だ。人を乗せるものじゃなくて、想いを乗せるものなんだよ。」
「想いを?」
「そう、想いさ。小さい頃、笹舟を作って小川に流して競争したんだ。」
そう語るノアの横顔は、寂しそうでありながらも温かな表情をしていた。
*
その後、夜明けまで…とは言っても、昼だってそれなりに暗いのではあるが…街中を巡ったが僕以外に見つけた生存者は見受けられなかった。それもそうか。そもそも僕がいたシェルターで外に物を見つけに行く人は少なかったし、早々に切り上げて帰ってきている。
それに、僕がはじめて見つけた人間らしいから、かなりのレアケースなんだろうなぁ。
「今回は成功だったな。やっとこ一人見つけられた。さあ、僕らのユートピアへ招待しよう。」
と、ノアが指をぱちんと鳴らすと、運転席の前に光子ディスプレイに目印が浮かび上がる。今までのナビゲーションとは別の場所だ。
小一時間ほどホバーカーを走らせると、目的地に着いた。僕のいたシェルターよりも30kmほど離れたところのようだ。なるほど、これほど遠くには僕の足ではたどり着けない。
先時代の文明の姿を、本当に本当に久しぶりに見た。
そこはドーム状の建築だった。車のまま内部に入ると、風除室の中にそのまま入っていった。そして除染シャワーが部屋の中に振りまかれ、放射能や外に死ぬほどばら撒かれた死の埃を落としてくれた。
満を持して車から出ると、そこはシェルターのように清浄機を通しただけの淀んだ空気ではなく、澄み切った空気で満たされていた。
「さあ、歓迎しよう。ここはユートピア。この私、ノアの作った箱舟さ。」
ノアが歩きながら口を開き、内部に繋がる自動開閉ドアが開くと同時に口を閉じる。反対に、僕の口は未だかつてないほどに広がることとなった。
僕の目の前には、まさしく箱庭のような、大自然が広がっていたからである。
*
鳥のさえずり、虫の音、昔散々聞いたはずで、もう聞き飽きたと思っていた生き物たちの生を謳歌する声が僕の耳を揺らした。緑にあふれた建物の中は、様々な動物たちであふれかえっていた。羊や豚や馬や牛、ライオンやゾウ、キリンまでがそこかしこに、サファリパークみたいに、まるでそこに居て当然と言う様に欠伸をしていたり葉を噛んでいた。
「…僕は、夢を見ているのか。」
「この場所はまさに夢かもしれない。だが、まさしく現実なのだ。」
そうだ、この光景はまさしく現実だ。鼻を突く青い匂い、赤い血が通った動物たちの匂い、踏みしめる緑の感触、耳に届くさえずりや鳴き声。全ての五感を刺激していた。
「どうだい、僕らのユートピアは。」
「…暖かい。」
そして、僕が何よりも強く感じたのは、ドームの天井を貫いてこの場所にだけ降り注ぐ太陽の光だった。




