第37話 てんぷらの町
「わあ、賑やかな町だね」
町の中心部から離れた静かな所にある宿屋の部屋を取った後、外に出た葵がそこから町を見回してそう言った。
「ホントホント! お店がいっぱいだわ! どんなお店があるのかしら?」
その隣で同じように町を眺めながら麗が言った。
数え切れないほどの様々な店が立ち並ぶ、そんな賑やかで華やかなこの町の名前は“てんぷらの町”。
「あれ全部がてんぷら屋ではないことは確か、です」
「……住人も普通に人間だったな」
「まだそんなこと言ってたの?!」
この町の様子を見ても表情が変わらない鈴と悠に突っ込みを入れる麗。
「では、この町でのお小遣いを渡します、です」
鈴はそう言って麗の突っ込みをさらりと流し、三人に同じ金額が入った小さな布袋を手渡した。
「じゃあ、ここから各自、自由行動ね!」
袋を受け取ると、麗が目を輝かせながら言った。
「うん。用事が済んだら此処に戻って来ればいいんだよね?」
「はい、です」
葵の確認に鈴が頷いたのを見た後、
「それじゃ、解さーん!」
麗の元気いっぱいな声と共に、四人はそれぞれ別の方向に向かって歩き出した。
「わあっ、可愛い」
町の中心部に着くと、麗は早速目に入った洋服の店の前で立ち止まった。
「うーん、こんな素敵な町なのに、どうして“てんぷらの町”なんて変な名前なのかしら?」
そうして品物を見ながら麗が疑問を浮かべていると、
「てんぷ〜ら〜、何かお探しですか?」
店員の一人が爽やかに微笑みながらこちらにやって来た。
ちなみに、てんぷら=この世界のお店での挨拶。
「あ、いや、可愛いなぁと思って」
先程の答えが見付かったことに気付いていない麗。
「ありがとうございます。そうですねぇ……あなたは可愛いから、こんなお洋服はいかがでしょう?」
にこやかに笑いながらお高そうな洋服を勧める店員。
「か、可愛い?」
常套手段に乗せられてしまう麗。
「はい、とっても。ああ、これなんかもどうでしょう?」
盗賊風味な小娘が店に来たから警戒の為に近付いたのだが、いい鴨を見つけた、と店員は心の中で腹黒い笑みを浮かべ、可愛いと言われて照れている麗に次々と商品を紹介した。
「わあ、それも可愛い!」
「……」
まんまと店員に乗せられている麗を見掛けた悠は、
「ぷ。ダッサ」
彼女を助けずにその店を素通りして隣の店に立ち寄った。
「あ、てんぷ〜ら―…」
客が入ってきたので顔を上げたその店の娘は、客を見た途端に硬直した。
(かっ、かか、かっこいい……!!)
それは、自分の店にとんでもない美形さんがやって来たから。
「きゅうりはあるか?」
とんでもない美形さん、悠は、石化した店員に簡潔な質問をした。
「ひゃ!? あ、はい! ええと、パパ!!」
そんな彼に話し掛けられ、店員は嬉しそうに顔を赤らめて素早く父親を呼んだ。
「おう。なんだ?」
すると、眉間に皺を寄せたいかにも頑固そうな父親がやって来た。
「お客様よ。きゅうりは何処にあるの?」
「あ?」
顔を赤く染めている娘を見て、父親は客である悠に訝し気な視線を向けた。
「……」
明らかに敵意がある父親の鋭い視線を、表情をまったく変えずに受け止める悠。
「けっ……ほらよ。きゅうりは此処だ」
そんな態度が気に食わなかったのか、父親はきゅうりがいっぱいに入った籠を乱暴に持ち出した。
「いくらだ?」
真っ黒なロングコートのポケットに手を突っ込んだまま尊大に値段を尋ねる悠。
「一本100Nだ」
吐き捨てるように値段を教える父親。
「いくらだ?」
すると、悠が再び値段を聞いた。
「ああ? だから100Nだって―…」
答えている途中、言葉では言い表せないほど恐ろしい悠のプレッシャーに当てられる父親。
「ご、50にょ―…」
「いくらだ?」
「タダでございます」
プレッシャーに耐え切れなくなった父親は、頭を直角に下げてそう言った。
「そうか。では、この店に置いてある分全部頂こう」
深々と下がった頭を見て、悠は腹黒い笑みを顔全体に浮かべながらそう言った。
「「て、てんぷら……」」
毎度あり、と目の端に涙をうっすら光らせる父親と、まだうっとりと悠を眺める娘。
こうして、悠はきゅうりの代金を踏み倒して八百屋から出ていった。
「……?」
巨大な袋を担いで足早に町の中心部から離れていく悠を見掛け、鈴は小首を傾げた。
「もう、用事が済んだ、でしょうか?」
と言いながらも、どうでもよさそうにパンダとクマのぬいぐるみに目を戻す鈴。
「……どちらがよい、でしょうか?」
鈴は、それらのどちらを買おうか悩んでいた。
旅する身である彼女が、等身大のパンダ、またはクマのぬいぐるみを買ってどうするつもりなのか、それは彼女しか知り得ないミステリーなのであった。
麗が店員に乗せられて、店員が悠に乗せられて、鈴がパンダとクマで迷っている頃、
「はあっ、はあっ……」
葵は1000N札を数枚握り締め、息を切らして走っていた。
「ヒャハハ! 待ってよ、葵ちゃ〜ん」
しかも、危ない感じの三人のお兄さんに追い掛けられていた。
「な、なんでこんなことになったんだろう?」
必死に走りながら、葵は今ここに到るまでの経緯を思い返した。
(ええと、町を歩いてて、まず、木に風船が引っ掛かって困ってた男の子の風船を取ってあげて、次に荷物が重くて困ってたおばあさんの荷物を持ってあげて、最後に道で倒れていた妊婦さんを病院まで運んだらこのお金を無理矢理渡されて……)
慈善活動しまくりな葵。
(それでこのお金をどうしようか考えてたらあの人たちが来て……)
「名前何て言うの?」
「え? ええと、葵です」
「可愛い名前だね。葵ちゃん、俺らと遊ばない?」
そう言われた。
そして、服を掴まれた。
で、逃げた。
「て、僕は男だよぉ!?」
目の前の現実に、珍しく激しく突っ込みを入れる葵。
だが、突っ込みも虚しく、危ない感じの三人はニヤニヤといやらしく笑いながら追い掛けてくる。
彼らにとって、恐怖に怯えて逃げ惑う中性的な可愛らしい顔をした葵は魅力的なようで。
「怖がらなくても大丈夫だよ、葵ちゃん」
「だから僕は男―…うわあ!?」
大きな曲がり角に差し掛かった時、彼らに突っ込みを入れている途中で、葵に不幸が訪れた。
普段からよく転ぶ彼は、こんな非常時にも何かにけつまずいてしまった。
全速力で走っていた為か、葵は大きく前方に飛んだ。
「!」
願ってもない幸運なハプニングに目を輝かせる三人。
――しかし、
「わ?!」
「! 葵!?」
前方に飛んだ葵は、真っ黒な人物の胸に飛込む形になって転ばずに済んだ。
そして、その真っ黒な人物は、
「! 悠!!」
きゅうりが大量に入っている袋を担いだ悠だった。
「ど、どうしたんだ?」
突然横から自分の胸に飛込んできた葵に目を白黒させる悠。
「っ!! ゆ〜!!」
禍が福に転じた安心感からか、彼の胸の中で泣き出してしまう葵。
「!? あ、あおっ?! なっ、泣いてる!? ど、どうしたんだ、葵?!」
そんな葵に、珍しく慌てふためく悠。
「……彼氏イケメン……」
突然現れた悠を葵の彼氏だと勘違いし、まったく勝ち目がないと思った三人は、町の中に消えていった。
この判断は、最善だった。