第19話 氷の洞窟
鈴が氷の女王討伐を買って出た次の日の朝、
「“T”の字になれ」
「え? こ、こう?」
ペンギンの町の外で、麗は悠の言い通りに腕を大きく広げた。
「……そのまま動くな」
そう言って、悠は麗にすっと右手を向けた。
「空寂な暗闇は友を求む」
後、悠が静かに呪文を唱えると、真っ白な雪原にいくつもの黒い光が点り、最後に麗の頭の周りに黒い霧が発生した。
「……え?」
麗がその異変に気付いた直後、
「きゃああああああ!?」
雪原に散らばっていた黒い光が、彼女の頭を目掛けて勢いよく飛んできた。
麗の頭の周りに漂っている黒い霧を求めるように、黒い光を放ちながら飛んでくるその物体の正体はナイフや矢。
――これらは全て、ペンギンの町に行く間、麗が魔物達に突き刺していった武器である。
「隔壁の雫!」
鈴の声が響き、麗の周りに光の盾が出現した。
麗に向かって飛んできた彼女のナイフや矢はそれに弾かれて地に落ち、彼女の周りの黒い霧は、白い光に照らされて消え失せた。
「鈴!! ありがと!!」
「悠、何考えてる、ですか!?」
麗が涙目でお礼を言うのとほぼ同時に、術を解いた鈴が悠に言った。
「……武器を回収すると言ったから手伝ってやったんだろ? それに」
彼女の言葉に、
「“T”じゃなくて“十”の字になってたから、邪魔な頭を落とそうと」
悠はさらりとそう応えた。
「ふざけんじゃないわよ!?」
「ああ、成程、です」
悠に突っ込みを入れた麗の隣で、ぽんと手を叩いて彼の言葉に納得する鈴。
「いや、納得しないでよ、鈴!?」
「ガタガタ吐かしてないでさっさと拾え」
そんな彼女にも素早く突っ込みを入れた麗に、ペンギンの町で貰ったきゅうりをかじりながら、悠が命令した。
「何その言い様?! あんた一体何様よ!?」
と、彼の態度が気に食わなかった麗が言うと、
「……俺様?」
悠は、ふっと口を綻ばせてそう言った。
「うっざ!! あんたマジうっざ!!」
「みんな!」
麗が騒いでいると、そこに葵の声が聞こえてきた。
こちらに向かって走って来る葵に、言い争いをやめて顔を向ける麗と悠。
「遅くなってごめ―…うわあっ!?」
「! 葵!」
走って来る途中で足を滑らせて転倒した葵に、悠は慌てて駆け寄ろうとした。
その時、彼の足元にさっと麗の足が伸びた。
「ったあ?!」
悠はそれを思い切り踏みつけて、
「大丈夫か!?」
そのまま葵の元に行った。
「う、うん、大丈夫。ありがとう」
状態を起こすのを手伝ってくれた優しい悠にお礼を言う葵。
「ちょっ……ちょっと!! 別に飛び越えるだけで良いじゃない!?」
足掛けしようとして出した足を思い切り踏みつけてくれた酷い悠に突っ込みを入れる麗。
「自業自得だろ」
さらりと言い返す悠。
「ぶっ―…」
「中華まん買ってきたんだけど、食べる?」
「食べるぅ!」
葵の発言に、麗は悠に何か言うことを中止して食い付いた。
「? 鈴、何してるの?」
麗と悠に中華まんを渡した後で、葵が小首を傾げながらそう言った。
「え? ――鈴!?」
その言葉を聞いて、後ろを振り向いた麗は鈴の姿を見て驚いた。
「……麗が、拾わないから……」
「ごっ、ゴメン、鈴!! ありがとう!!」
辺りに散らばったナイフや矢を一生懸命集めていた鈴に、麗は慌てて駆け寄り、お礼を言って彼女を手伝い始めた。
「わあ、まさに氷の洞窟って感じだね〜?」
「はい、凍ってる、です」
「きゅうりは美味いなー」
地面と岩壁は凍りつき、天井には巨大な氷柱が無数に垂れ下がっている。
そんな氷の洞窟の内部を見回しながら、葵と鈴と悠が感想を述べた。
「なんで“寒い”っていう感想が出ないのよ!?」
すると、白い息を吐きながら麗が元気に突っ込んだ。
「うん。すっごく寒いよねぇ」
「はい、すっごく寒い、です」
「……あんたら、それ本当に寒がってる?」
麗の言葉にこくりと頷き、くすりと笑いながら葵がそう言うと、鈴もそれに続けて頷いた。
「味噌が欲しいな」
「……こいつに至っては、この寒いのに夏野菜なんか食ってるし……」
まったく寒そうに見えない葵と鈴の発言を聞いた後、きゅうりを食べながらそんなことを呟いた悠を見て、麗は何か疲れたように頭を抱えた。
「……昨日、悠は寒さに負けて倒れたのではない、ですか?」
「ああ。そうだ」
再びリュックからきゅうりを取り出した悠に、鈴が話し掛けた。
「では、きゅうりを食べていたらまずいのではない、ですか?」
小さく頷いた悠を見て、鈴が小首を傾げながらそう尋ねると、
「……きゅうりが不味いだと?」
どすの効いた声で悠が聞き返した。
その左手に、彼の武器である鋭く尖った釵をちらつかせながら。
「言ってない、言ってないわよ!?」
やんのかコラ、とでも言いた気に無表情で杖を構えた鈴の代わりに、麗がぶんぶんと手を振って、
「詰まり、鈴は、このただでさえ寒い洞窟の中できゅうりなんか食べて余計に体冷やしたら、墓穴掘ってる上に自分の首絞めてるようなもんでしょ? って言ってるのよ!」
二人の仲裁を試みた。
「なかなか感心できる自殺の仕方だな」
「出来ないわよ!?」
ブラックジョークをかました悠に素早く突っ込みを入れる麗。
「悠、また倒れたりしないよね?」
葵が心配そうに言うと、
「ああ。大丈夫だ」
悠はそれに頷いた後、葵の頭に手をぽんと乗せ、
「全然寒くないしな」
と、彼の頭をくしゃくしゃと撫でながら薄く微笑んで言った。
「「!?」」
その言葉を聞いて驚く鈴と麗。
「そっか。よかった」
「いやいやいや、全然よくないわよ?!」
「ゆ、悠、感覚がなくなってしまった、ですか?」
安心したように言った葵の言葉を麗が完全に否定し、その次に鈴がそう言った。
「あったかいぞ。魔法のおかげで」
さらりと返ってきた彼の答えに、麗と鈴は固まった。
「へぇ、凄いね。魔法でそんなことも出来るんだ?」
「ああ」
「でも、それならなんで昨日使わなかったの?」
「……油断してた」
「そっか……って、あれ? どうしたの、鈴、麗?」
「気にするな。それより、葵にも掛けてやる」
「わ、ありがとう、悠!」
それを気にも留めずに、葵の肩に手をまわしてスタスタと歩き始めた悠に、
「「悠!!」」
鈴と麗が同時に叫ぶと、
「断る」
悠は述語も目的語も聞かないでさらりと断った。