九.みちゆき
……約束の金曜日。
学校から急いで帰って来ると……愛美さんは、もうアパートの前で待っていた……!
今日も……天覧学院の夏の制服姿で。
「……お帰りなさい。早かったわね」
愛美さんは……聖母マリア様のような笑顔でオレを出迎えてくれた。
……でも、待てよ。
「……あれ……お友達は?」
確か……友達を二人連れて来るって言ってなかったっけ?
「ああ……加奈子さんたちは、大通りのところで待ってもらってるの!……ほら、ここ暑いでしょ?」
愛美さんは、ハンカチで首元の汗を拭う。
この時間は……アパートの玄関口は、陽光が直接当たって暑い……。
「……すみません……暑苦しい場所で」
オレは……急いで部屋の鍵を開ける。
「ちょっと待ってて下さい……すぐに、着替えてきますから……!」
……どこに行くにしても、公立中学校の制服のままではマズいだろう。
この格好のままでは……。
どっから見ても、男子中学生そのものだ。
とにかく……着替えよう。
お嬢様学校の制服と、並んで歩いて恥ずかしくないような服なんて……持ってないけど。
オレは、靴を脱いで部屋の中へ上がる点…。
「……待って、恵ちゃん」
愛美さんが……オレを呼び止める。
「……はい?」
「…その格好でいいわ。というか、制服姿の方がいいのよ……!」
と……愛美さんも、オレに続いて部屋の中に入って来る。
玄関のドアを閉めて……。
「でも……中学の制服ですよ、これ?」
しかも……公立中学校の。
黒地に金ボタンの……学生服。
「……それがいいのよっ!」
愛美さんは「チッチッチ」と人差し指を振って、オレに言う……。
「……恵ちゃん、知ってる?学校の制服は、どんな時でも『フォーマル』なのよ!」
……フォーマル?
「どんな格式の高いところにでも入れるってことよ……!」
……格式って。
あの……オレを、どこへ連れて行くおつもりなんですっ……???!
「恵ちゃん、ちょっと制服の前を開けて見て」
愛美さんが……オレに言う。
「え……どうしてです?」
オレには……意味が判らない。
「お姉ちゃんに……どんなシャツを着ているか、見せて欲しいのよ……」
オレは……。
よく判らないけれど……。
とりあえず……学生服の前のボタンを外す……。
「……やっぱり」
愛美さんは、オレの着ているYシャツをジロリと見て、言った……!
「……ケイちゃん。Yシャツは、もう少し綺麗なのはあるかな?」
……そんなこと。
……急に言われても。
「……いいえ……その。オレの持ってるYシャツは、みんな同じくらいクタクタです……!」
中学に入ってから……。
オレはそんなに背が伸びていないから……。
中学に入学した時に買って貰った、Yシャツもまだ着れる……。
というか……着ないといけない。
うちは、貧乏なんだから……。
「そうだと思った……だから、お姉ちゃん用意してきたのよっ!」
……はい?
「……これに着替えて」
そう言って、愛美さんは……通学バッグから、ビニール袋に入った新品のYシャツを取り出した……。
袋からを出して……オレの上半身に当ててみて……。
「うん……いい感じね。サイズも丁度良さそうっ!」
嬉しそうに微笑む……愛美さん。
「あの……このシャツは?」
見るからに……高そうなんですけれど。
オレの安売り店の投げ売りYシャツとは……生地から違うような。
「これはね……昨日、お姉ちゃんがデパートで買ったのよ……!」
……デ、デパートでって。
いや……愛美さんのことだから。
普通の、駅前の安売りしているデパートとかじゃないよな。
「うん……昨日のお稽古に行く途中に、銀座に寄ってね……!」
銀座のデパートって……。
お金持ちしか入っちゃいけないところじゃないですか……?!
エレベーターに、専用パイロットが常駐しているようなところでしょ?!
「……じゃ、お金払います……何かこのシャツ、ものすごく高そうだし……!」
……ブランドとかよく判らないけれど。
雰囲気からして、何か高級品ぽい感じがする……。
とにかく……こんな高価そうな物を、愛美さんからタダで貰うわけにはいかない。
……しかし。
「そんなの後でいいから、早く着替えて!」
愛美さんは、勢いでオレを押し切る……。
「それと……ベルトもこれの方がいいわっ!」
と、愛美さんの通学カバンから……今度は革のベルトが出てきた。
「男の子のベルトは、やっぱり革じゃないとダメよっ!」
確かに……僕のベルトは、三百円で買った厚手の布地のベローンとしたやつですけど……。
「……でも、これ……バックルとか金ぴかじゃないですか!」
こんなペカペカした物を……オレが身に付けても許されるのだろうか?
「……文句言わないでとっとと着替えるッ!お友達、お待たせしているんだからねっ!」
愛美さんは、頭ごなしに命令する……。
……はぁ。
今日はしょうがない……あきらめよう……。
愛美さんのお友達に、あんまりみっともない格好を見せられないもんな……。
「あの……着替えますから、後ろ向いててくれませんか?」
……と、オレが言うと。
「……え、何で?」
……何でって、何で。
「……恵ちゃん、恥ずかしいの?」
「……それは、まあ……その」
こんな綺麗なお姉さんの前で、ベルト外せば……パンツが丸見えだ。
そんなの……できるわけがない。
「……しょうがないわね。じゃ、後ろ向いててあげるから……はい」
愛美さんが、玄関のドアの方を向いてくれる。
オレは……しぶしぶ着替えを始める。
まず……今着ている古いYシャツを、パパパッと脱いで……。
愛美さんの持ってきてくれた新しいシャツに……。
……うわっ!
このシャツ……肌触りからして、いつもの安売りと違う……!!
ベルトも……革なのに、とっても柔らかくて……。
これ……何の革だ?
……牛、馬、ひつじ、さる???!
「それはね、コードバンよ」
オレが着替えた頃合いを見て……愛美さんが振り返る。
「……コードバン?」
「馬のお尻の辺りの革なの……ベルトの穴は合う?」
オレは……ベルトを締める。
「はい……1番内側の穴で、何とか締められます」
愛美さんが、ニコッと笑った。
「良かった……それ、お祖父様が『もう使わない』っておっしゃってた物なのよ」
……え?!
小柄なオレが締められるってことは……。
愛美さんのお祖父さんも……相当痩せている人なんだな。
「だから……このベルトは、恵ちゃんがずっと持ってていいからねっ!」
……持ってていいって?
「いや……いいですよ。こんな高価そうな物」
「もう使わない物なんだから、黙っていただいておきなさいっ!」
「……でも」
こんな立派なベルト……していく場所なんてないし。
学生服なんかを着る時に、していいようなベルトじゃないよな……これ。
「恵ちゃん、お金無いんでしょ……革のベルトの一本ぐらい持ってないと、困るんだから……文句言わないの!」
「……だけど」
オレ……これからの人生で。
革のベルトが必要になるようなことは、まずないと思う。
背広を着るような仕事に就くことは、まずないだろうし……。
「―もおっ!ぐだぐだ言ってると、恵ちゃんの舌、引っこ抜くわよ!」
愛美さんか、ぷくつと膨れる!
「……はい、判りましたっ!」
まあ……持っているだけなら、いいか。
「……よろしいっ!」
……どうにか、着替えが終わった。
Yシャツの上に……再び、学生服を着る。
「学生服を着ちゃったら……シャツもベルトも見えないじゃないですか……」
つい……そんなことを言ってしまった。
「そんなことないわよ……袖口からシャツの袖が見えているし……これって重要なことなのよ。それに……ベルトだって、革のちゃんとしたやつに替えたら……ほら、ズボンのラインがスッと綺麗に出ているわ……」
そういうことは……オレには、よく判らない。
「でも、オレ……学生服、似合わないですから」
……というか。
何を着ても……オレには似合わないと思う。
「え……どうして?」
愛美さんが、不思議そうにオレに聞く……。
「だって……オレ、体格が貧弱ですし……背が低くて、小柄で、肩幅も無いし……どんな服を着たって、格好良くはならないんですよ……」
自嘲気味に……オレは答える。
「いいのよ……格好良くなくたって……!」
愛美さんは、ケロリと言った。
「その分……恵ちゃんはとっても可愛いんだからっ!」
……可愛い?
……それは、ないだろう。
オレは……中学3年生なんだ……!
男なんだ……!
「それより……恵ちゃん、お姉ちゃんに手を見せて」
……手?
「……早くっ!」
「あ、はい……!」
オレは……愛美さんの前に手を差し出す。
「……ああんっ!やっぱり、指の爪が伸びてるぅぅ!……恵ちゃん、『爪切り』はどこっ?!」
「……そ、そこの机の引き出しにありますけど」
「……持ってきて、すぐっ!」
オレは……ダッシュで爪切りを取ってくる。
「じゃあ……お姉ちゃんが切ってあげるからねっ!」
愛美さんが……オレの手を握る……!
「いや……爪ぐらい自分で切れますから……!」
「いいからっ!……お姉ちゃんが、切ってあげるのっ!」
愛美さんに……指の爪を切ってもらうなんて…。
オレ……何かものすごく『小学生』扱いされているような気がする……。
それでも……愛美さんの申し出に断ることもできず……。
オレは……パチパチと爪を切られる……。
「……はい、これでよし!」
爪切りに満足した愛美さんは……うふふ、と微笑んだ……!
「……じゃあ、行きましょう!恵ちゃん、早く革靴を出して……!」
……革靴?
「……革靴、持ってるわよね?」
……はい???!
「……そんなの、持ってませんけど」
愛美さんの顔が、驚愕する……!
「……何でよっ?!」
……何でって、言われたって。
「だって……必要ないから」
……うん。
「そんな……入学式とか卒業式とか……学校の公式な行事な時には、革靴じゃないといけないんじゃないの……?」
……いや。
……愛美さんの通っている『お嬢様学校』なら、そうかもしれないけれど。
「……うちの中学は、白の運動靴なら何でもいいという校則ですから……革靴なんて、いらないんです」
「……ええええええーッ!」
愛美さんが、パニックに陥る……!
「……も、盲点だったわ!!どうしよう、もう革靴を買いに行ってる時間なんて無いし……!」
愛美さんが……真剣な顔で困惑している。
「いや、あの……革靴ってそんなに大事なんですか?」
オレには……よく判らない。
「……大事よぉ!靴はお洒落の要でしょっ!!!」
……そうなんだ。知らなかった。
「もういいわ、仕方ない。今日は諦める……恵ちゃん、今度、お姉ちゃんと革靴を買いに行きましょうねっ!」
「いや……でも、本当に必要ないですから」
……本当に、履いていく場所が無い。
「……靴は大切なのっ!!」
愛美さんの絶叫が……アパートの部屋の中に轟いた……!
◇ ◇ ◇
とりあえず……一番汚れの目立たない黒いスニーカーを履いて行くことになった…。
といっても、このスニーカーも大分くたびれている。
靴紐が、どうにも汚くなっているし……。
「……では、お祖母様、今日は恵ちゃんをお借りします」
家を出る前に……愛美さんが、バァちゃんの遺影に挨拶してくれた。
「……じゃあ、ちょっと行ってくるよ」
オレも……バァちゃんにそう告げる。
「さあっ!恵ちゃん、行くわよっ…!!!」
オレたちは……アパートを飛び出して……。
少し早歩きで、大通りに向かった……。
「もう……思ったより時間が掛かっちゃたわ!」
「……すみません」
何か、自分が怒られているような気がして……。
愛美さんに謝った。
「恵ちゃんはいいのよ……あたしが、お友達に可愛い恵ちゃんを見せたかっただけなんだから……!」
愛美さんはそう言って、ニッと微笑んでくれた。。
……はあ。
『格好いい』ではなく……『可愛い』なんだ……。
この人の中では……。
オレは、『子供』という設定で固定されてしまっているんだな……。
何だか……ガックリくる……。
「こっちよ……恵ちゃんっ!」
大通りへ出ると……路肩に、大きな黒塗りの車が一台停まっていた。
「……ベンツかな?」
「……ロールス・ロイスよっ!」
愛美さんは……真っ直ぐその高級車に近寄っていく……。
……え?!
すると……運転席から、黒っぽいパンツスーツを着た女の人が、サッと降りてくる。
綺麗というより……とってもカッコイイ感じの美人だ。
背が高くて、スラッとしてて……スタイルが良い。
ピンクのフレームの眼鏡を掛けている。
年齢は……二十代の前半ぐらいに見える……。
「ごめんなさい……時間が掛かって」
愛美さんが……眼鏡の美人さんに、話し掛ける。
「大丈夫です……まだ、充分に間に合う時間ですから……」
美人さんは、ニコッと微笑む。
……そして。
「……こんにちわ」
と……なぜか、オレに挨拶してくれた……。
「恵ちゃん……こちらは、山辺清香さん。時間に余裕が無いから、今日はお車を出していただいたの……!」
愛美さんが……そう、紹介してくれた。
……そうなんだ。
じゃあ……このロールス・ロイスは、山辺さんの家の車なのかな?
オレや愛美さんのために、わざわざ来てくれるなんて……。
愛美さんとは、どういう関係の人なんだろう?
「……こんにちわ。よろしくお願いします」
オレも、とりあえず頭を下げる。
「……どうぞ」
その女の人が……スッと、後ろの座席のドアを開けてくれた。
まるで、愛美さんがご主人様であるみたいに……。
その動作は……とても、自然だった。
「……ありがとうございます。さ、恵ちゃん、先に入って」
愛美さんが、そう言ってくれる。
「あ……はい」
オレが……車に乗り込もうとすると……。
車の後部シートの奥には……すでに先客が座っていた。
「……こんにちわ」
愛美さんと同じ、天覧学院の制服を着た……女の人……!
読んでいた文庫本から、スと顔を上げて……。
オレに、ニコッと会釈してくれる。
……すっごい美人だッ…!
愛美さんとは、また違った感じの……大人っぽい、しっとり落ち着いた雰囲気の女性。
愛美さんの美貌は……日本的な黒髪美人だけど……。
……この人は。
地中海とかの白い海岸で……爽やかな風の中に立つ『春の女神様』のような……。
西洋的な豊かで穏やかな美しさが……ある。
そう……豊かだ。
愛美さんより……胸が大きい。
遙かに……大きい…!!!
「……こ、こんにちわ」
オレも……慌てて、女の人に挨拶する。
「初めまして……わたし、洞口加奈子です……!」
うわっ……天使の微笑みっ!
声も……とっても、大人っぽい。
ハスキーで……セクシーだ!
この人が……映画俳優・洞口文弥の愛娘……?!
……うん。
この美しさなら……お父さんが、学校中の男子生徒を脅しまくっているのも理解できる……!
「……乗るのなら早くして」
と……今度は、車の助手席から……。
別の女の人の……低い声が聞こえた。
ルーム・ミラー越しに……切れ長で二重の涼しげな眼が、オレの方をジロッと見ている……。
オレの位置からは、肩と袖しか見えないけれど……。
やっぱり……愛美さんと同じ、天覧学院の制服だ。
ということは……この人が愛美さんのもう一人お友達……?!
「……ほら、恵ちゃん、もっと奥に入って!」
「……あ、はい」
愛美さんに促されるまま……オレは、は後部シートの中央に座る。
すかさず……隣に愛美さんが乗り込んできて、パタンとドアを閉める……。
……ええっと。
オレは……人よりも背が低くて小柄だ。
愛美さんは……長身でスタイルがいい。
洞口加奈子さんも、愛美さんと同じくらいの背丈かな……スタイルは、愛美さん以上だ。
……と、いうことで。
車の後部座席で……。
オレは、背が高くてプロポーションの良いお姉さんたちに……ギュッと挟まれるような感じになっている……。
大きくて幅のある車だから……別に、ぴったり肩をくっつけて座ってるわけではないんだけど……。
それでも……緊張する。
っていうか……この車の中には、すっごく女の子の甘ったるい匂いが充満してる……!
それに対して……。
オレ……汗臭くないかな?
今日は、体育の授業があったし……。
ちょっと……心配になった。
「では……参ります」
運転席の山辺さんが…エンジンを始動させる!。
……トゥルルルルルッ!!
オレたちを乗せたロールス・ロイスが……スイッっと滑らかに走り出す……!
「……何時からだっけ?」
助手席に座っている、愛美さんのもう一人のお友達の女の人が口を開く。
「確か……四時半よ」
加奈子さんが答える。
車のダッシュボードの時計を見ると……三時五十分。
「……ギリギリね」
え……僕が着替えとか、のろのろとやってたせい?!
「大丈夫よ……ね、清香さん」
愛美さんが……山辺さんに尋ねた。
「……はい、安全運転で充分間に合いますわ」
はぁ……良かった。
「……あ、恵ちゃん。みんなを紹介するね」
愛美さんが……オレに微笑みかける。
「あ……洞口さんには、さっきご挨拶していただきました」
うん……愛美さんも見ていただろうけれど。
一応……そう言っておく。
「……加奈子さんはね……この間も話した通り、お姉ちゃんと幼稚園からずっと一緒の親友なの。お祖母様の日舞のお弟子さんでもあるのよ!」
へえ……そうなんだ。
「愛美ちゃんだって、わたしの先生なのよっ!」
加奈子さんは、華やかな笑顔でそう言った。
「お稽古中に、わたしが判らないところがあったりすると……スッと近くに来て教えてくれるの。いつも、とっても助かっているのよっ!」
親友の言葉に……照れる、愛美さん。
「……それは……加奈子さんとは、いつもお稽古の時間が一緒だから」
「愛美ちゃんは人に教えるのが上手なの。撫子先生も、とっても褒めていらっしゃったわ……!」
……撫子先生?
「……あ、恵ちゃん、『紺碧撫子』っていうのが、お祖母様の踊りの時のお名前なの」
……『踊りの名前』?!
「うん……踊りの時だけの名前がね……」
それから……ちょっと恥ずかしそうに言う。
「お姉ちゃんにもね……『紺碧桜子』っていう名前があるの」
……え、愛美さんも?
「……愛美ちゃんは、『名取り』なのよ。撫子先生、ご自慢の孫娘なんだから。今年の春からは、小学生のクラスで指導もしているんでしょ……?」
『名取り』……?
『指導』……?
「それは…あたしはお祖母様に言われて、初級クラスのお手伝いをしているだけよ。指導なんてしてないわ……あたしは『名取り』だけど、『師範』の資格は持って無いもの」
『師範』……どんどん知らない単語が増えていく。
「それでね、恵ちゃん……今、車の運転をして下さっている清香さんは、一昨年からお祖母様の『内弟子』をなさっているの」
「……ウチデシって何です?」
ついに聞いてしまった……。
そろそろ、話が判らなくなってきている……。
「内弟子っていうのはね……自分の師匠の先生の家に住み込んで、お世話をしながら修行をするお弟子さんのことよ……」
……と、いうことは。
愛美さんのお祖母さんは……住み込みの弟子がいるような偉い先生ってこと……?
……何か、話のスケールが想像できない。
全然判らない……判らなすぎる……!
「……彼、よく判ってないみたいよ。ポカンとした顔してるわ」
ルーム・ミラー越しに……切れ長の眼が僕を観察している。
あ……この人はまだ、紹介して貰ってない。
「あ、恵ちゃん……彼女は、高塚綾女さん。こないだ話したでしょ。可愛い弟さんがいるって……」
「……あんなの、全然可愛くないから」
切れ長の眼が……冷たい口調でそう言った。
「……何言ってるのよ。綾女さん、いつもとっても可愛がってるじゃない!」
「可愛がってるけれど……可愛いとは思ってないから」
綾女さんは、そっけなくそう言った。
「綾女さんはね……お姉ちゃんが天覧の中等部に入ってからのお友達なんだけどね……彼女は、ミュージカルのダンサーを目指しているのよ!」
日舞の次は、ミュージカル……。
踊る人ばっかりだな……この車の中。
「……初めまして」
ミラーの中の眼は、それだけ答えた。
「……よ、よろしくお願いします。ところで、愛美さん……?!」
オレの頭に……ちょっとした疑問が浮かぶ。
「……なあに、恵ちゃん?」
「……あの、もしかして、この車の中のみなさんは僕のこと…?」
「ええ……知ってるわよ、みんな。恵ちゃんが、あたしの『弟』だってこと……!」
やっぱり……!!!
「な……何で?」
……だって。
オレは……愛美さんの腹違いの『秘密の弟』で。
……『隠し子』で。
世間の皆様に……大々的に公表して良いような存在じゃない……。
……そう思う。
「……いいのよ!ここにいるのは、みんなお姉ちゃんの親友だから。加奈子さんも、綾女さんも、清香さんだって……お姉ちゃんが、大切なことを、みんな打ち明けられる大事なお友達なんだからっ……!」
愛美さんは……ニッコリと微笑む。
「……大丈夫、問題はないから」
ミラーの中の綾女さんの眼が、オレにそう言った。
「わたしたちは、愛美ちゃんの味方よ。だから……恵介さんの味方でもあるの……!」
加奈子さんが……オレの膝に自分の手を置いて、そう言ってくれた。
「……私も同じ気持ちですわ」
運転席の清香さんまで……!
「……恵ちゃんは、もう一人じゃないんだからねっ!」
愛美さんも……自分の手をオレの手に重ねてくれた……。
愛美さんの手は……柔らかくて、温かい。
この温もりを……オレは、信じていいのだろうか…?!
「ところで……愛美さん。今日は、どこへ行くんです?」
……そうだ。
この顔ぶれで……。
この車はどこへ向かっているんだ……?
みんな、時間を気にしていたけれど……。
「あれ……恵ちゃんに言ってなかったっけ?」
「……聞いてませんけど」
「嘘よ。電話でちゃんと言ったでしょ……今日は『カンゲキビ』だって……!」
だから……!
「その……『カンゲキビ』って何なんです?」
愛美さんが……眼を丸くする。
「……あ、そっか……恵ちゃんには、ちゃんと意味が伝わってなかったのねっ!」
うん……全然判らないっての。
「……ごめんなさい。『カンゲキビ』っていうのは、『劇を観る日』っていうことよ!」
……ゲキヲミルヒ???!
……劇を観る日。
……観劇日。
……なるほど。
……えええっ?!
「……劇を観るって???!」
愛美さんが、フフッと笑う。
「はいっ!あたしたち、今日これから『歌舞伎』を観に行きますっ……!」
……カブキ?!
カブキって……何ぃぃぃ?!
さて、ということで登場人物が揃いました。
美しいお姉さんたちに囲まれて……どうなることか。
続きは、また明日。