八.かっとう
……そ、そんなこと、言われても。
「……うーん……そっか。まだ、『お姉ちゃん』は早いか……そうだよね……」
オレの表情を見て……三善さんは、そう言った。
「……はい……すみません」
まだ、早いんじゃない……。
……無理だ。
……そんなの。
「……じゃあ、『愛実さん』て呼んで」
……はい。
「せめて……下の名前で呼んでみようよ!……ねっ!」
三善さんは、ニコッと微笑む……。
そうだ……『三善さん』てのは、この人のお母さんの家の名前で……。
この人は、そのことを良く思っていないんだっけ……。
成人したら……お祖父さん……つまり、お父さんの方の家の名前……。
『江崎』に戻るって言ってたよな……。
「……わ、判りました。それなら、何とか」
ちょっと……悪いことをしていたような気分になった。
本人が嫌っている名前で……ずっと、呼んでいたんだから。
「あたしは……恵介くんのこと『恵ちゃん』て呼んでもいい?」
……はい?
けけけけ、『恵ちゃん』……?!
……な、何じゃ、そりゃ。
オ、オレは……もう、十五歳なんだぞ……!
そんな……『恵ちゃん』だなんて……!!!
「……ダメかな?」
年上の『お嬢様』の……顔が曇る……。
真剣な顔で……オレを見ている……。
「……お姉ちゃんの一生のお願いっ!!!」
……お願いったって。
「お願い聞いてくれないと……お姉ちゃん、死んじゃうかも……!」
……いや。
オレが先に死にます……。
ていうか……。
オレ……死んでもいいですか?
むしろ……。
殺してくれぇぇぇ!!!
「……いいですよ……別に」
もういいや。
何でもきやがれってんだっ!!!
「……ホント?いいのねっ!」
眼の前の美少女は、ニコニコ笑って喜んでいる……。
こんなに喜んでくれるのなら……。
いいか……ガマンしよう。
オレが耐えれば、いいことなんだから。
と……思ったのも、つかの間。
……彼女は言った。
「……では、ちょっと練習してみましょうっ!!!」
……はい?
……練習?
……何の?
「お姉ちゃんが『恵ちゃんッ!』って声を掛けますから、ケイちゃんも『愛美さんッ!』て呼び掛けてみで下さいッ……!!!」
……それって、どんな。
……『罪&罰ゲーム』なんだよ!!!
「……いっくよぉぉ!」
彼女が、オレに微笑み掛ける……!
「……恵ちゃん!」
……オレは。
「……ままま……愛美さん」
……何じゃ、こりゃ。
「表情が固いわよっ……もう一度!……恵ちゃん!」
「……愛美……さん……!」
……駅前の大通りで。
ななな……何て恥ずかしいことをッ!!
……ぬああああああっ!!!
……死ぬっ!
……もう、自分で死ぬ!
……悶死するぞ……オレ!!!
「……うむ、うむ、いい感じ、いい感じ!」
愛美さんは……とっても嬉しそうだった。
「じゃあ……約束だから……恵ちゃん、愛美お姉ちゃんの写真、撮ってもいいわよ!」
……そうだった。
そういう流れの話だったんだっけ。
「あ……ありがとうございます」
オレは、愛実さんから貰ったばかりのブルーの携帯電話を取り出す。
「……写真の撮り方判る?」
「はい……さっき、教わった通りにやります」
画面の中央に、愛美さんの姿を合わせて……。
……とりゃあっ!
青い携帯が、カシャン!と、シャッター音を模して鳴る……!
「……ちょっと見せて」
オレは……撮れた画像を、愛美さんに差し出した。
「うーん……まあまあね」
愛実さんは……オレの携帯の画面に映った自分の顔写真を見て、そう感想を述べた。
「でも……写真を撮っておくのはいいことだわ。きっと、良い記念になるわ……!」
愛美さんも……自分の携帯に映る、オレの顔を眺める。
「……そうですね」
オレは……。
何にせよ……この美しい人の写真が手に入ったことは、嬉しい。
「そうよ……あたしたち『姉弟』の記念写真だものっ!」
愛美さんの言葉が……オレの心に刺さる。
……『姉弟』。
オレとこの人は……。
本当に……そうなんだろうか?
……信じて、いいのだろうか?
背筋に……ゾクリと、戦慄が走る……!
「……あ……あたし、そろそろ行かなきゃ!」
愛美さんは、駅の時計を見上げてそう言った。
「は……はい」
「……恵ちゃん、またね!」
……昨日と同じように笑顔で。
愛美さんは、駅の中へ入って行く……。
オレも同じように見送る……。
昨日のオレは、笑ってなかった……。
何か困ったような、戸惑いの表情で……愛美さんを見送った。
……今日のオレは。
笑って、彼女を見送っている……。
この顔は……作り笑顔だ……。
「……ばいばーい!」
最後に大きく手を振って……。
愛美さんの姿は、駅の奥へ消えた……。
「…………!」
オレの心の中には……違和感と恐怖感と焦燥感が渦巻いていた。
オレ……いいのだろうか?
こんなことを続けてて……?!
オレ……いいのだろうか?
こんな風に……あの人と会い続けて……?!
夕暮れの町の中……アパートへ戻る帰り道、オレはずっと考え続けた。
……一人ぼっちになって。
いや……自分一人の『現実』に戻って……。
途中で……通りを歩く親子連れを見た。
買い物帰りの母親が……小学生くらいの男の子を連れて歩いている……。
「……今日はパパの帰りが遅いから、ラーメン食べて帰ろうか?」
「……やったー!」
子供は、笑っている。
母親も、笑っている。
幸せそうな……親子の姿。
……オレは。
ふと、立ち止まる。
そうして……道行く人々の姿を、一人一人眺めてみた……。
みんな……『家族』がいる。
あの人にも……この人にも。
きっと……いる。
……なのに。
オレには……『家族』がいない。
バァちゃんは、死んだ。
母親はいない。
父親は……顔も知らない…。
……そして。
三善さんは……愛美さんは、オレの『家族』なのか……?!
『家族』に……なってくれるのだろうか……?
!
スゥッと心の奥底から……一つの回答が、明確に浮かび上がってくる……。
……そんなの、無理だ!
だって……オレたちは、あまりにも住む世界が違う。
オレは、『隠し子』で……。
愛実さんは、正式な奥さんだった人との間の正式な子供で……。
その上……。
愛美さんは、お嬢様で……名門校に通ってて、美人で背も高くて……。
オレは、どうしょもないくらいの貧乏人で……馬鹿で、成績も悪くて、学校に友達もいなくて……何より、チビだ……!
中3なのに、小学生と間違えられるような……貧弱な身体をした、チビだ……!!!
少しも……愛美さんに相応しい人間じゃない……!!!
……こんなんじゃ。
オレたちが、『家族』になんてなれるわけがない。
……絶対に。
こんな状態で……このままずるずると、愛美さんと会い続けるわけにはいかない。
オレは……きっと、オレは……あの人に甘えて、迷惑を掛けるだけの情けない存在になってしまう……。
あの人は……オレに食事を作ってくれようとするだろう。
今日みたいに……オレに、物を与えてくれようとするだろう。
そのうちには……お金だって、置いていってくれるようになるだろう。
ずっと……みっともないオレのために、何かをしてくれようとし続けるだろう……。
……だけど。
オレは……そんな愛美さんに。
何も返せない……何もしてあげれない。
オレは……何も持っていないんだから……!
その上……オレと会うことは、彼女に時間と労力を無駄遣いさせることになる……。
……すでに今日。
愛美さんは、『習い事』を休んで来てくれたんだし……。
彼女のお祖父さんに、叱られるリスクを背負ってまで……。
このままでは……いけない!
こんなことが……ずっと続くわけが無いんだから。
今なら、まだ引き返せる……。
……忘れることができるはずだから。
……だから!
次に愛実さんが、オレに「会いたい」って言ってきた時は……。
……理由を作って断ろう。
…もう二度と。
……彼女とは会わないようにしよう。
……そうするべきなんだ。
……それしかないんだ。
そういう結論を導いて……オレは、アパートに戻った。
部屋の中に入る点…。
一人きりの部屋は静かだ……。
寂しい……少し、怖くなる。
昨日までは……一人で居ることも、こんなに怖くはなかったのに……。
部屋の中には、バァちゃんの祭壇の線香の香りと……。
それから……ほのかに、愛美さんの匂いが残っていた……。
……オレは。
『消臭スプレー』でその匂いを消して……。
それから……ちょっとだけ一人で泣いた……。
◇ ◇ ◇
……と、こ、ろ、が!!!
夜の十一時過ぎに……突然、携帯電話が鳴った。
オレの知らない……妙に明るいクラッシックっぽい音楽が、ジャンジャラジャーラ!ジャンジャラジューラ!!と、流れてきて……!
液晶の画面を見てみると……。
〔メールが一件、届いています〕
昼間教わった通りに、キーを操作してみる……。
〔送信者:愛実お姉ちゃん
件名:お休みなさい。
今日はとても楽しかったです。髪の毛ごめんね。でも、坊主頭の恵ちゃんも可愛くて、お姉ちゃん好きよ。寝冷えしないようにね。お休みなさいっ!〕
しばらく……呆然とその画面を眺めた。
急に頭の中に……愛実さんの笑顔とか。
……匂いとか。
……手の感触とか。
そういう生々しい記憶が……ぐるぐると蘇ってきる。
何か……お腹が減っている時みたいな、切ない気持ちが身体を駆け巡る……。
……すると。
また突然、携帯電話がジャンジャカジャーラッ!と……鳴り出して…!!!
……画面を見ると……?!
〔着信:愛実お姉ちゃん〕―!!!
……はいいいいいいっ???!
何で……今メールしてきたばかりの人が。
今度は……直接、電話を掛けてくるのぉ?
オレは……おそるおそる、通話のキーを押す……。
「……おっそーいっ!恵ちゃん、あたしからのメール、見た?見た?もう、見たわよね?!」
愛美さんは、すでにハイテンションのマックス・モードだった!!
「……は、はい……見ましたけど……?」
オレ……こんなに怒らせるようなこと、何かしたか?
「……あのねぇ、恵ちゃん!お姉ちゃんからメールが届いたら、すぐに返信をするっ!そうじゃないと……ちゃんと恵ちゃんに届いたのかどうか、お姉ちゃんが判らないでしょ?!」
……え。
そ、そういうものなんですか?
メールって……!
「メールに気付いたら、1分以内に返信!それがルールだからねっ……!!!」
そんな……大変なものなんだ……!!!
「あ……もしかして、恵ちゃん、返信の仕方が判らなかったの?」
愛美さんが、そんなことを言い出してくれたから……そういうことにしよう……!
「は、はい……あの、そんなような感じだったんです……!」
愛美さんの怒気が……晴れる。
「なぁんだ……そうなんだ……良かった!」
……はい?!
「……お姉ちゃん、恵ちゃんに嫌われちゃったんじゃないかって……ちょっぴり心配になってたんだからねっ……もお!」
ああ……だめだ。
オレ……もう、この人のペースから逃れられないのかもしれない……!
完全に……底なし沼にハマっているような気がする。
「……ところでさ、恵ちゃん。今週の金曜日なんだけど、学校が終わった後に何か予定はあるかな?」
……いけない、いけない。
しっかりしろ、恵介。
さっき決心したばかりじゃないか!
「……あの、その……金曜日は、ちょっと……用があって」
……断れ。
……ちゃんと、断るんだ。
「ふーん……どんな用?」
……どんな?!
……ええっと。
「……それは、その……学校で……ええっと」
……思い付かない。
……普段から、学校で他のやつらと交流してないから……。
とつさに言い訳が……頭に浮かばない!!!
「……恵ちゃん。本当は、用になんて何も無いわよねっ!」
……な、何でバレる?
「……は、はい、すみません」
電話の向こうから、クスッという笑い声が聞こえてくる……。
「……恵ちゃん、嘘下手よね」
……え?
「……お姉ちゃんには、すぐに判るんだからっ!」
……お姉ちゃん?
……いや、誰にだって判るだろう。
……オレの見え透いた嘘なんて……。
「あのね……今度の金曜日の放課後、お姉ちゃんとデートしようよっ!」
……デート???!
……デートって?
……まさか、あのデートなんじゃ……?!
「あ……デートじゃないか。お姉ちゃんのお友達も来るから」
……デートじゃない?
……友達も来る???!
「……は?」
オレには……何がなんだか、よく判らない。
「うん、女の子が二人……二人とも、とっても綺麗な子なんだよっ!」
……女の子が……二人?
って……愛美さんの友達なんだから……。
やっぱり、オレよりも年上なんだろうな……。
「一人はね、洞口加奈子さん……ほら、今日話したでしょ?」
ああ……ヤクザ映画の名優、洞口文弥の娘さん……。
「もう一人はね……高塚綾女さん」
「それって……もしかして五歳の弟がいる?」
弟と風呂に入るって人か……。
「そうよ……二人とも、お姉ちゃんの親友なの。それでね……えっと、恵ちゃん、金曜日なんだけど今日と同じで、三時半に帰って来られるかな?」
……やばい。
このままでは、約束させられてしまう……。
「……で、でも……愛美さん」
何としても……この状況を変えないと……。
「……なあに?」
「……金曜日は……愛美さん、日舞の稽古なんじゃ……」
……そうだ。
今度の金曜日は、お稽古優先にしてもらって……。
『またの機会に』って、ことに……。
「大丈夫よ……その日はあたし、『カンゲキビ』だから」
……カンゲキビ?
「そうよ……あたしの家では、『カンゲキビ』は、お稽古をお休みしてもいいことになっているから……」
……カンゲキビ?
……感激日?
……間隙日?
……何だ???!
「……えっと……意味がよく判らないんですけど……」
そしたら……愛美さんは。
「詳しいことは、金曜日に話すわ。……じゃあ、お姉ちゃん、三時半におうちまで迎えに行くから……いいわね!!!」
「……えっと……あの」
「……恵ちゃん、お返事は?!」
「……そ、その」
「……い、い、の、よ、ねっ!!!」
……うわわわああ。
この人に抵抗するのは……無駄なことなのかもしれない。
「……は、はい……判りましたっ……!」
「……よろしいっ!」
……終わった。
……何もかも。
「……お姉ちゃん、とっても楽しみにしてるからね!」
愛美さんは……嬉しそうだった。
「朝にまた『お早う』のメールするわよつ!……今度はちゃんと、すぐに返信するのよっ!」
「……はい」
「……じゃあね、お休みっ!」
「……失礼します」
そして……電話が切れた。
薄暗い部屋の中で……僕は一人、途方に暮れる……。
◇ ◇ ◇
……そうして。
朝にはまた『お早う』のメールが届いて……。
[お早うございます]とだけ返信をしたら……。
「返信文が短い!」と……またお叱りの直電が掛かってきた……。
そして……就寝前に、また『お休みなさいメール』が……。
火曜日、水曜日、木曜日、金曜の朝と……。
愛美さんと、そういう『メール』のやり取りが続いて……。
オレ……ちょっとマヒしてきた。
『愛美さん』という……不思議な『姉』の存在に……。
いつの間にか……メールを楽しみに待っている、オレがいる。
携帯の画面の中の……愛美さんの姿を、ジッと見つめているオレが……。
……ヤバイと思う。
このままでは……オレ。
愛美さんに……恋してしまう。
愛美さんはオレを……『弟』だとしか思っていないのに……。
オレにとっての愛美さんは……やっぱり『姉』じゃない。
とっても綺麗な……年上の女の人で……。
……どうしよう?
……このままじゃいけない。
……でも……オレ。
やっと起承転結の、承が終わった感じです……。
次話から、転かな……。
うまくいけば、他の女の子たちの登場までいけると思います。
本当は、連休中にササッと改稿して終わらせる予定だったのですけれど……。
昔の原稿は……ホント、手を入れないと……。
ここまで、直さないといけないとは思っていませんでした。
はあ……がんばろう。
明日に続きます。