六.さんぱつ
「さあ……始めましょうかっ!」
三善さんは……。
そう言って、ハサミをカチカチさせている……!
オレは……。
もう……言葉が出ない。
う……嘘ですよね?
お願いだから……嘘だって言って下さい……!
「恵介くん……そっちの端を引っ張ってくれるっ!」
三善さんは通学カバンから、さらにピクニック用のビニール・シートを取りだして……。
畳の上に敷いていく……。
なぜか、オレもお手伝い……。
「……はぁい、恵介くんは、ここに据わって下さぁいっ!」
……言われるままに…オレは、シートの真ん中に正座して座ることになった……。
「……それでは!」
続いて……三善さんは、オレの首元に……これまた美容室をやっているというお友達から借りて来たのだろう……散髪用のビニール布をフワリと掛ける……!
オレ……てるてる坊主みたいになってませんか?
あるいは、『妖怪油すまし』……。
「……では、切りますっ!」
……あの、三善さん。
せめて「どんな髪型にする?」とか「もみあげは残す?」とか……。
そういう話はしないんですか……?!
あ……しないんですね。
オレの希望とかは、全然聞かないんですね……。
じゃあ……もういいです。
……あきらめます。
……どうぞ…!
「……そんな『これから殺される』みたいな顔、しないでよっ!」
うん……殺されはしないだろうけれど……。
……でも。
不安がいっぱい……目一杯……。
「じゃあ……ホントに切りますからねっ!」
三善さんの細い指が……オレのボサボサの前髪を掴む……。
軽く捻って……ジャキリッ!
最初の斬撃が……オレの毛を、バッサリ落とす……!
「よしよし……いい感じ、いい感じ!」
そんな……まだ、切り始めたばっかりじゃないですか……!
「……お姉ちゃんが、恵介くんの頭を格好良くしてあげますからねっ……!」
……ああああ。
……三善さん……段々、眼が据わってきてるし……。
……あーらら。
もう……どうにでもなれだっ!
……し、しかし。
現在の三善さんは……。
ビニールシートの上に正座しているオレの前に立て膝になって……。
オレの髪の毛と格闘している態勢なわけで……。
……つまり。
今、オレの眼の前には……三善さんの制服の青いベストに包まれた柔らかそうな胸が……。 ゆらり、ゆらーり……と、迫って来ているわけで……!!
……ゴ、ゴクリ。
思わず……唾を飲み込んでしまう。
オレ……こんなに若くて綺麗なお姉さんのおっぱいを、こんな近くで目撃するのは……。
これが、初めてだ……!
……ああっ!
二つの豊かな山が……オレの顔に接触しそうなくらいにまで近寄ってくるぅぅ……!
……いやいやいーや!
……当たってる。
何か……ムニュッて、当たってるよ!!
オレのほっぺたに……当たってるよおおおっ!!
……や、ヤバイよ!
ほっぺたで……制服の布地の下の……。
ブラジャーの素材の感触まで判る……!
その下の……ぷっくりとした肉塊も……!
何という……弾む手応え……!
み、三善さぁんっ……!!!
もしもーしっ!!!
「……ちょっと、動かないでっ!
」
三善さんの左手が……クイッ!と、オレの頭をねじ伏せる……。
……その瞬間。
ビビビビッ!……と凍り付いたように。
オレのの全身が硬直する……!
頭に……三善さんの指の感触……!
「もおっ!動いたら、危ないでしょ?お姉ちゃん、刃物を持っているんだからね……!耳とか切っちゃったら、どうするのよ……!」
三善さんの綺麗な顔が……真上からオレを叱る……!
「……は、はい、動きませんっ!1ミリたりとも、身動き一つ致しませんっ……!」
オレは……甲高い声で叫んだ。
何で声のトーンが高くなってしまったのかは……よく判らない。
「そんなに緊張しなくていいから……ジッとしているのよっ!」
三善さんは……また、ハサミを振るっていく……!
オレの眼の前には……三善さんの首筋が見える。
そこに浮かぶ……丸い汗の滴。
汗ばんでいるからではないんだろうけれど……三善さんの身体からは、女の子のいい匂いがした。
……甘いミルクのような、優しい匂い……!
オレの目の前では……相変わらず、二つの胸のふくらみが揺れている……。
すこし、髪を切るのに慣れてきたのか……。
もう……オレの頬に、胸が当たるようなことはない。
オレは……そこから下に視線を下ろす。
三善さんの腰は……何て細いんだろう?
このまま……ギューッと、抱き締めてしまいたくなる。
もちろん……そんなことは、許されない。
……見るだけ。
……見るだけなんだぞ……オレ!
この人は……オレとは違う世界の人なんだから……。
今、一緒に居るのは……何かの間違いで……。
……そうだ。
こんなの、間違っている……!
これは、夢だ……!
夢だから……もっと、見ておこう。
醒めないうちに……。
三善さんの腰の下にあるのは……。
制服のスカートから伸びた二本の足……!
これまた、びっくりするぐらい細い……。
それでも……太ももは、つるんとしていて……。
何か……触り心地が、良さそうで。
……あああああ!
「……緊張したままなのね、恵介くん」
三善さんの悲しそうな声に……オレは、ハッと顔を上げる。
三善さんが……オレを見下ろしている。
「……お姉ちゃんと居るの、怖い?」
……怖いって?
「……怖くないからね。愛美は、恵介くんのお姉ちゃんなんだから……絶対に、恵介くんに酷いことはしないわよ……約束するから……」
……三善さん?
「だから……安心してくれていいんだよ……!」
……オレ。
本当に……『子供』だと思われているんだ……。
オレだって……。
男なのに……。
「うん……急ぐことはないよね。そういうのは、ゆっくり時間を掛けて……少しずつ、信頼関係を築いていくしかないもんね……」
三善さんは……そう言いながら、オレの髪を切っていく……。
ハサミのチョキチョキという音だけが……部屋の中に響いていた。
……オレは。
黙って……三善さんの顔を見上げている……。
真剣な顔で……ハサミを動かしている、三善さん……。
どこから見ても……最高に、綺麗な女の人だと、オレは思う。
本当だったら……オレみたいな貧乏中学生は、話をすることさえ許されないような美人の『お嬢様』……。
そんな人が……今、オレの髪の毛を切ってくれている…!
嘘みたいだ……。
やっばり、こんなの……夢に決まっている。
こんな素敵な人が……オレの『お姉さん』だなんて……。
こんなこと……現実にあるわけがない……!
「……うーんと」
三善さんは……一度、オレから距離を取って、全体のバランスを見ている。
「ま……後で調整すればいいか……」
長い毛を……とにかく、大まかに切り落としたところで……。
今度は、櫛を使いながら……細かくカット作業に入っていく……。
……ジャキッ!
……ジャキッ!
……ジャキジャキッ!!!
ハサミを使いながら……三善さんが、何となくオレに言った。
「……ねえ、恵介くん」
「……な、何です?」
オレは……その一言だけで、ドキリとする。
「……恵介くんは、学校に好きな子とかいるの?」
……あわわっ!
いきなり……ストレートに剛速球が飛んできたッッ!
「……い、いないです」
そ、そんな子……!
「えー、好きな子いないんだ……?!」
オレみたいな……貧乏人が……。
レンアイとか、していいはずが無い。
女の子にジュースをオゴってやるどころか……。
自分の分のジュース代だって、持ってないんだから。
彼女ができると……金が掛かる……。
……浪費する。
……消耗する。
それは、オレの生活においては……死に直結する……!
「……そ、そう言う……三善さんはどうなんです?」
これ以上、こんな質問をされるのは困るから……。
オレも……直球で勝負するッ!
質問に質問で返すのは、零点なのかもしれないけれど……。
背に腹は代えられない……!
……何より。
三善さんに……恋人がいるのかどうか……。
確認しておきたい……。
どうせ、がっかりするのなら……早い方がいい。
今ならまだ、小ダメージで済む……。
……多分。
いや……きっと。
「……み、三善さんは……『彼氏さん』とか、いらっしゃるんですか?」
オレは……清水の舞台から飛び降りる覚悟で、そう尋ねてみた。
……1秒。
……2秒。
……3秒。
三善さんから……返答は無い。
「……ぷっッ!」
突然……吹きだして笑い出す、三善さんッ!
「……いないわよ、彼氏なんて……!」
笑いながら、ハサミをパチパチさせていく……。
「そ……そうなんですか」
……良かった。
『彼氏さん』なんて、居ないんだ。
……いや。
これは……喜ぶべきことなんだろうか?
どっちにしろ……。
オレには、関係無いことなんだし……。
……ええっと。
……うーむ。
「ていうかね……あたし、男の人とお付き合いしたことなんて、まだ一度も無いわよっ!」
「……ええっ?!」
思わず、大声を出してしまった……!
「……なぁに?そんなに意外?」
……それは。
……その。
「……はい、意外です。三善さん……とっても、綺麗なのに……」
こんな美人な高校生……世の中の男どもが放っておかないだろう……!
「……いやね、恵介くん。お姉ちゃんには、お世辞なんて言わなくていいのよっ……!」
……お世辞なんかじゃない。
本当に……心からそう思う……。
三善さんは……綺麗だ。
「……あたし、『天覧学院』て学校に通っているんだけど……恵介くん、知ってるかな?」
……天覧学院?!
「……あ、聞いたことはあります」
確か……お金持ちや芸能人の子供とかが通っている、有名な私立の名門校だ……。
大きな敷地に……幼稚園から大学までが、全部揃っているっていう。
すっごい、お金が掛かる上に……父母の面接試験とかがあって、品の悪い成金の子供とかは落とされるって聞いた……。
確か……共学だ。
「あたしね……幼稚舎の時から、ずっと天覧なの」
て、ことは……。
三善さんは……本当にマジで『お嬢様』なんだ……。
折り紙付きの……ホンモノの……完璧な『お嬢様』……。
「……それでね……あたしには、幼稚園からずーっと一緒の親友がいるの……!」
三善さんの……親友?
そ、それは……男?
それとも……女?
「……もちろん、女の子よ。洞口加奈子さんていうのっ!」
洞口……加奈子さん……。
「……その子はね……お父様がとっても怖い方でね…ううん、ホントはお優しい方なんだけど……とにかく『見た目が』っていうか……とにかく、お顔が怖い方なのよ」
顔が……怖い?
「……恵介くん、洞口文弥さんていう俳優さん……知ってるかしら?」
……ええっと。
「……あの……昔、ヤクザ映画とかに出てて、今はテレビで刑事役とかをよくやってる……?」
……うん。
誰もが知っている……人気のある俳優さんだ。
いつも『暴力団員』か『警察官』か……どっちかの役しか、ドラマで演じたことがないっていうことでも有名な……。
「……その洞口さんが、加奈子さんのお父様なのよ……!」
あ……そりゃあ、すんげぇ怖いや!
洞口文弥といえば……
とにかく……見た目が、ヤクザ。
遠目で見ても……ヤクザ。
それも組長クラスの……。
というか……本物のヤクザと親交があるんじゃないかって記事が、週刊誌に載ったこともあったような……。
そう言えば……前にテレビのトーク・バラエティで、洞口文弥が後輩の俳優を連れて六本木に飲みに行ったら、地元の暴力団が別の組織の『殴り込み』と勘違いして、危うく街全体が『抗争寸前』に陥ったことがあるっていう……強烈なエピソードを紹介していた……!
「……それでね……洞口さんは、とっても娘さん思いな方なのよ。加奈子さんが大好きで……入学式とか、授業参観とか、運動会とか、文化祭とか……そういう学校の行事には、お仕事をお休みしてでも、必ずいらっしゃるのよ……!」
あの……洞口文弥が……。
自分の娘には、目が無いんだ……。
「いらっしゃるのは、いいんだけど……!」
三善さんの……ハサミを動かす、手が止まる……。
「……何か問題が?」
洞口文弥が……学校へ来て……?!
「うちの学校にいらっしゃる度に……洞口さん、男の生徒たちに『おい、お前ら……うちの娘たちに手を出したら、ただじゃおかないからなっ!覚えとけよッ!』って……大きな声で、必ず脅かしていかれるのよ……!」
……うえええ?!
「それも、クラスの子だけじゃないの……もう、学校内で出会った男子生徒に、全員、片っ端から、そうおつしゃていかれるの……男性の先生方や……校長先生を脅かしているのを見たこともあるわ……!」
何だ……地獄絵図か……!
「そういうのが……もう、毎度、毎度でしょ。今では、天覧学院の中では知らない人は無いくらい有名なのよ……!」
……はあ。
「……まあ、洞口さんは、ただの冗談のおつもりなんでしょうけど……」
そんな冗談が……あるのだろうか?
「あの……三善さん」
「なあに?」
「その……洞口文弥の娘さんて、どんな人なんですか?」
一応……尋ねてみる。
「え……加奈子さん……?とっても、綺麗な子よ……!」
……そうだろうな。
三善さんの親友なんだから……。
美人は、美人と仲が良い……。
それは、オレの中学でもそうだから……。
「それで……あたしは、その加奈子さんの親友でしょ?……いつも一緒にいるから、洞口さんの言う……『うちの娘たち』に入っているのよ。だからね……学校の男の子たちは、特別な用事でも無い限り、絶対にあたしたちには近寄って来ないのっ……!」
……うんと。
それは……とっても、良いことのような……。
「まったく……みんな、洞口さんの冗談を真に受けちゃって……!」
いや……洞口文弥は、本気だと思いますよ。多分。
その加奈子さんという娘さんが、三善さんと同じレベルの美人さんだとしたら……。
……しかし。
三善さんは……そのことを、本心ではどう思っているんだろう?
ホントはやっばり……。
男友達とか……恋人とか……。
欲しいんじゃないだろうか……?!
「あの……三善さんは、ホントのとこ……」
恐る恐る……オレは、質問する。
「……『彼氏が欲しいな』とか……考えたりしていますか……?」
三善さんのハサミが……再び、動き出す……。
「……全然!」
……はい?
全然……どうなんだ?
「……そんなの、別にいらないわ。今は、『彼氏』なんて……!」
ニッと……三善さんは、微笑む……。
そ、そうなんだ……。
何か……ホッとする。
「……あたしには、男の子なんかと遊んでいる様な、無意味な時間は必要無いもの。あたし……今は、日舞がもっともっと上手くなりたいの。少しでも、お稽古に集中して上達したいの……!」
また……日舞……。
日本舞踊中心の生活……。
「……時間の無駄になるようなことなんて、できないわよっ……!」
……でも、三善さん。
あなたは、今……オレの髪を切っている。
これって、無駄な時間じゃないないんですか……?
オレに会っている……この時間は全て……。
「……それにね……あたしは、好きな人ができても、その人とは絶対に結婚できないから。だから……男の人は、誰も好きにならないようにしているのよっ……!」
三善さんは……笑顔のまま、さらりと答えた。
「……それ……どういうことなんです?」
思わず……聞いてしまった。
そしたら……三善さんは。
「……え?……ああ。ごめんね……恵介くんは、気にしなくていいことだから……!」
そう言って……オレの頭を優しく抱き締める……!
……オレ。
心臓が……止まるかと思った……!
「……恵介くんは、お姉ちゃんが絶対に幸せにしてあげるからね……!」
オレの顔が……三善さんのムニッとした、柔らかい胸に包まれて……!
……汗の匂い。
女の子の……優しい、甘い匂いがする……!
「……だから……恵介くんに好きな子ができたら、お姉ちゃんに教えてね。お姉ちゃん、全力で応援してあげるから……!」
オレの頭を抱く手に、ギュギュギュギュギュッと力がこもる……!
……オ、オレは。
「……み……三善さんっ!……三善さぁんッッ!」
「ん……どうしたの?」
「……く……苦しいですッ…!」
力を込めて、抱き締めすぎですッ!
……おっぱいで呼吸困難なんてぇッッ…!
し……死ぬぅぅぅぅぅッ!!!
「あ……ごめんッ!」
おっぱい天国から……生還するッ!
「……ぷはぁっ!!!」
……ケホッ、ケホンッ……!
「……恵介くん、大丈夫?」
心配そうに、オレの顔を覗き込む……三善さん。
綺麗な顔が……また、オレに急接近する……!
「へ……平気ですっ!」
オレは……スッと、顔を遠ざける。
……あああ。
口の中が……カラカラに乾いている。
……言葉が出ない。
「本当に平気なの……?」
オレの眼の前に……また、おっぱいが揺れている……。
思わず思い出す……その感触。
おっぱいの弾力って……スゴイッ!
あの柔らかさは……人が殺せる……!
いやいや……いかんいかん、おっぱいのことは、ひとまず忘れろッ……!
「……麦茶、飲みます」
オレは……自分のコップを取る。
「はい……恵介くん!」
三善さんが……紙パックから注いでくれた。
……それを。
一気に……ゴクリと飲み干した。
……ふう。
飲んだ途端に、汗がじわっと出てくる感じだ……。
「……落ち着いた?じゃあ、続きを切るからねっ!」
三善さんは……今度は、オレの背後に廻って……。
後頭部の髪を切り始めた……。
……ジャキジャキッ!
……ジョキッ!
……ジャキジャキッ!
はぁ……後ろに行ってくれて助かった。
これ以上、眼の前におっぱいがチラつくのは……。
どう考えても、身体に良くない……。
「……ねえ、恵介くん」
耳に囁かれた優しい声に……ドキッとする……!
「……恵介くんは、どんなことが好きなの? 」
……み、三善さん。
……み、耳元に息を吹きかけないで!
お……お願いですから…!!!
「恵介くん……学校は、楽しい?」
……オレは。
「……えっと……あの、別に……」
「えっ……楽しくないの?」
……うんと。
「……オレ……学校じゃ、みんなとあんまり話さないですから……!」
「……え、どうして?」
耳元の声が……オレの心を刺激する……。
「だって……オレ……みんなとは、あんまり話が合わないから……!」
高揚していたオレの心が……。
リアルな『現実』に……急速に冷やされる……。
「……何かあったの?」
……それは。
オレの……現実。
現実の生活……。
「……オレ……中学に入ったばかりの頃は、特にそうでもなかったんですけど……!」
小学校高学年から……中学に掛けて……。
みんな……変わっていく……。
「オレ……段々、他の子が興味を持つようなことに付いていけなくなって……」
「……付いていけない?」
……そうだ。
「オレ……そんなにテレビとかも見ないし。雑誌なんかも買わないし。パソコンとか、ゲーム機とかも持ってないですから……」
オレには……何も無い。
「……ずっと、バァちゃんと二人きりの生活だったじゃないですか。だから……海外のサッカー・チームとか……流行りのお笑い芸人だとか……人気のあるアイドルとか……そういうの、みんながよく知っていることが……判らなくて……!」
何を話していいのか……判らない。
みんなが話していることが……理解できない。
「そんなの、あたしもよく知らないわよっ!あたしのところも、ほら……老人が中心の家だから。あたしだって……若い人向けのテレビとかは、見てないし」
三善さんは……明るくオレに、そう言ってくれた。
「そうね……だから、あたしもクラスではお友達が少ない方だな。でも……さっきの洞口加奈子さんとか……このハサミを貸してくれた鈴木真代さんとか……高塚綾女さんとか……毎日、お話するお友達はたくさんいるわよっ……!」
それは……そうだろう。
だって……三善さんは、そんなにも美人で……。
人も良さそうで。
名門の学校に通う『お嬢様』で……。
きっと……頭だって良いんだろうし……。
「恵介くんにも……そういうお友達はいるでしょ?」
オレには……いない。
オレはクラスでも……ブッちぎりのド貧乏だ……。
身体だって……小さいし。
みっともないし……。
勉強だって、できないし……。
友達なんて……いるわけがない。
「……どうしたの、恵介くん?……学校で何かあったの?」
オレの暗い顔を見て……。
三善さんが、心配してくれる……。
……オレは。
「……オレ……先月の修学旅行、行かれなかったんです」
三善さんのハサミが……止まる……!
「……恵介くん、どうして修学旅行、お休みしたのっ?」
……それは。
「うちには……お金が無いから。バァちゃんは、無理をしてでも行かせてくれようとしたんですけれど……オレが、断りました。バァちゃんを家に残して……オレだけ、旅行なんてしてられないですし……!」
修学旅行なんて……遊びだ。
そんな遊びに……バァちゃんの稼いでくれた大事なお金を、浪費するわけにはいかない……。
「でも……修学旅行に行かなかったことで、決定的になったんだと思います」
クラスの中での……オレの立場が……。
「……修学旅行が終わって、他のみんなが帰ってきたら……何か、ホントに誰も、オレとは話をしてくれないようになって……!」
……仕方ない。
修学旅行に行かれないような……底抜けの貧乏野郎とは……。
誰だって、仲間になりたくないだろう……。
『貧乏軍団』とか、後ろ指をさされることになるだろうし……。
「……そうだったの」
再び……三善さんのハサミが動き出す。
「でも、いいんです……正直、クラスの連中と一緒に何日も旅行に行くなんて、ちょっと気が重かったし……行かれなくって、良かったんですよ。あれはあれで正解だったんです……」
オレ……何で、こんな話をしてんだろ……。
格好悪いよな……。
でも……どうしてだか。
三善さんには、何もかも話してしまいたくなってて……。
……ちくしょう!
「それに……うちで修学旅行に行けなかったのは、オレだけじゃないですし」
「……恵介くんだけじゃないって?」
「はい……死んだバァちゃんも、子供の頃、うちが貧乏で修学旅行へは行かれなかったんだそうです。オレの母親も……」
「……恵介くんのお母様も?」
「オレの母親は、中学の時の修学旅行は行ったらしいんですけれど……高校の時は……」
「やっぱり……お金が?」
「いいえ……オレの母親、高校中退なんで……」
「……中退?」
「……死んだジィちゃんが、事故を起こして……ジィちゃん、トラックの運転手だったんですけれど……飲酒運転で、車ごと踏切に飛び込んで電車と激突しちゃって。幸い……回送車だったから、ジィちゃん以外に人が死んだりはしなかったんですけれど。……でも、全部ジィちゃんが悪いから……残されたバァちゃんたちは、鉄道会社に補償をしなくちゃいけなくなって……!」
それで……オレの母親も、高校をやめて働かないといけなくなったらしい……。
「……そうなの」
「……はい」
三善さんが……穏やかな声で、オレに尋ねる……。
「……恵介くん。今、中学三年生なんだよね……?」
「はい……そうですけど」
中学三年……。
義務教育は……もう、終わる。
「……中学を卒業した後の……進路は、どうするつもり?」
「……それは」
……それこそ。
オレの現在の最大の悩みであって……。
「……お姉ちゃんに話して……お願い」
その優しい言葉に……。
オレはつい……心を許して、口を開いてしまった……。
「オレ、中学を卒業したら……できれば、バァちゃんみたいに青果市場で働きたいと思ってます……」
「……市場?」
「はい……中卒でも働かせてくれそうなところ……オレは、他には知らないですから。会社によっては……『寮』とかもあるみたいですし……。バァちゃんが働いていた会社の人に、今、就職先を探して貰っているんです。東京じゃなくって……地方の小さな市場なら、住み込みの仕事もあるかもしれないって、言われてるんですけど……!」
それが……オレの。
たった一つの未来の選択肢……。
「……恵介くん。高校には、行きたくないの?お勉強は嫌い?」
「それは……現実問題として、オレには無理なことだから……」
「……何が無理なの?」
オレの髪に触れている指先……。
ジャリジャリと髪を切るハサミの感触……。
耳元に囁く優しい声……。
女の子の汗の匂い……。
それらが、一つになって……オレの心を、解きほぐしていく……。
だから……弱いオレは。
ついつい……心の底を打ち明けてしまって……!
「……お金が、無いから。今までは……バァちゃんの働いてくれた収入と毎月の『養育費』で、何とか生活してきたけれど……これからは、オレ一人きりですから。正直……住み込ませてくれる会社があれば、オレ、来月からでも働きたいんです。今のオレには、お金が必要ですから……!」
……そうだ。
オレには……金が要る……。
「オレ……定時制の夜間の高校へ行くも考えたんですけれど……市場は朝が早いし、夜勤もあるから両立させるのは難しいらしくて……中途半端になるのは嫌ですし……」
それなら……最初っから、諦めてしまった方がいい……。
「今はまだ……バァちゃんの残してくれた貯金もありますから。もし、今すぐに仕事が見つからないとしても……何とか、中学を卒業するまでは、そのお金と月々の『養育費』でどうにかしのいで……その後は……!」
一生懸命に働いて……。
少しでも、お金を貯めないと……。
「……恵介くん。お父様から『養育費』は、毎月幾らいいただいてるの?」
三善さんが……オレに尋ねた。
……そうだ。
オレに『養育費』を送っているのは……。
この人の……お父さん。
「……それは」
「いいから、教えてちょうだい……ね」
三善さんは、再び手を止めている……。
彼女の真剣な気持ちを……オレは、背中越しに感じる……。
「毎月……七万円です」
「……たった?」
…………!!!
その一言に……オレは強く反発する―!
……やっぱりこの人は、『お嬢様』だ。
オレとは……違う世界の人なんだ!!!
「……オレのバァちゃんは……毎日、朝早くから市場で働いて……それで、月に稼いだお金が手取りで十四万円ぐらいです!厚生年金とか、雇用保険とか引かれたら……ホント、それぐらいにしか残らないんですっ!オレは、オレの父親がどんな仕事をしているのかとか全然知らないですけど……それでも、オレのために毎月七万円のお金を送金するっていうことが、とても大変なことなんだって判ってます……だから……!」
「……ごめんなさい……あたし!」
三善さんの手が……オレの肩に触れる…。
「いいえ……いいんです」
どうせ……三善さんには、少しも関係のない話だ。
「でもね……恵介くんが成人するまでは、お父様には責任があるわ。月に七万円で足りないのなら、必要なだけお金を出していただくべきよ。あたしからお父様にお話してもいいわ……!」
「……そういうのはいいです。絶対に、やめて下さいッ!」
オレは、ハッキリと強く断った……!
「……どうして?」
三善さんの声が……震えている。
「……バァちゃんが、前に言ってました。『あんたのお父さんからは、向こうがくれるという分だけを受け取りなさい。貰う方の側の人間が、これじゃあ足りないからもっと寄越せなんて言うのは、みっともないことだよ。そんなんじゃあ、他人の金を当てにしているだけの、性根の腐った人間になってしまうからね』って……。オレも、そう思います」
オレは……乞食じゃない……。
「……本当に立派な方なのね。恵介くんのお祖母様……!」
オレは……バァちゃんの遺影を見る。
……笑っていない、厳しい表情。
「バァちゃんは……北陸の金沢で生まれたんだそうです。早くにお父さんを亡くして……それで、バァちゃんが一人で東京に出て来て働いて、故郷の弟に仕送りをしてたんだそうです。でも、バァちゃんの弟は、大人になったら勝手に故郷の家と土地を売り払って、どっかへ行ってしまったらしくて……。手紙一つも残さずに。処分した家のお金も一円も渡さないで……。バァちゃんが東京で結婚した相手も、そんなにいい人じゃなくって……さっき話した通り、飲酒運転で事故って……バァちゃんに多額の借金だけを残して死んじゃったんだそうです。その上、娘はオレを産んで一人で勝手に自殺しちゃうし……」
……バァちゃん。
オレのバァちゃん。
「……だから、バァちゃんは本当にずっと働いてきて……。いつも誰かのために。なのに、全然幸せになれなくって。オレは……ずっとバァちゃんに助けて貰うだけで、何もしてあげれないままで……!」
バァちゃんは……死んでしまった。
今は……骨だけになって。
あんな小さな桐の箱に納められて……!
「でも、やっぱり……恵介くんは、高校へ行った方がいいと思うの。あなたのお祖母様も、そう願っていらっしゃると思うわ……!」
……そんなこと。
……言われたって。
……オレは。
「ねえ……恵介くん。お祖父様の家で……お姉ちゃんと一緒に暮らさない?うちで生活して、うちから高校に通えばいいわ。あたしがお願いすれば……お祖父様は、きっと許して下さると思うの……!」
優しい声が、耳元に囁く……。
これは多分……この上もなく魅力的な申し出なんだろう。
……でも。
……オレには。
「……ね、そうしましょうよっ!」
……そんなことは。
「できません……オレ!」
「……どうして?」
三善さんの声が……震えている……!
「……オレ、働いて……とにかく働いて……それで、お金を貯めないといけないんです……!」
今のオレには……お金が要る。
できるだけ早く……まとまった額のお金を貯めないと……!!!
「……どうして、お金が必要なの?!」
……それは!
「……何か理由があるの?」
ダメだ……これ以上は、話しちゃいけない……!!!
他人には……話すべきことじゃない。
三善さんは……他人なんだから……。
「……内緒です―」
「……お姉ちゃんにも言えないの?!」
「……はい」
……オレは。
この優しさに……溺れてはいけない……!
耐えろ……山田恵介!!!
三善さんは……。
すぐにいなくなってしまう……人なんだから……。
……他人だ。
……お姉ちゃんじゃ……ない!
「……三善さんだって……オレに内緒のことが、あったじゃないですか……さっき」
オレの弱さが……つい、三善さんに攻撃的な言葉を投げ掛けてしまう……。
「言ってましたよね……『オレには関係の無いことだ』って……だから、オレもそう言います。三善さんには……関係の無いことですから……話しませんっ……!」
三善さんのハサミを持つ手が……ビクッと震えた。
「……そう……判ったわ」
三善さんは……寂しそうに呟いた……。
「そうよね……何でも、お姉ちゃんに話してくれるわけはないわよね……」
耳元で、ハサミの音が大きく「ジャキリン!」と響く!
「……すみません」
これは……『家族』でない人には、話してはいけないことだと思うから……。
……と。
「……あれっ!」
突然……三善さんがスットンキョな声を張り上げる……?!
「……はい?!」
その瞬間……!
オレの髪の毛が一気に……!
大量に……バサリと床に落ちて……?!!!
「……あ……やっちゃった、あたし……!」
……みみみみ、三善さぁん?!!!
な、何を……???!
「……だ、大丈夫よっ!ここから、何とか取り戻すから!バランスを……左右のバランスが取れれば、こんな失敗、何とかなるんだからっ!」
……し、失敗?!
「まだまだ、取り戻せるはずよっ……!」
……さらに。
……ジャッキリ!
……ジャッキリ!
……ジャキジャキ、ジョッキリ…!!!
オレの……髪の毛が……。
どんどん……切り落とされていくぅぅぅぅっ―!!!
「……うわぁ……ダメかも」
ダメ……かも……って……???
「こんなの……思いっ切りザックリいかないと、全体のバランスが取れないわよっ……!」
……ザックリ!
……ザックリ!
……ザクザク、ザックリクリクリ…!!!
……あの。
……頭がどんどん……。
………何か、スースーしてきたんですけど……!
「……あっれぇ!」
ななな、何ですか……?!
「……ごめん、恵介くん」
……もしもし。
……三善さぁん?!!
「……あの……オレ、ちょっと鏡を見て来てもいいですか?」
「……ど、どうぞ」
……オレは。
てるてる坊主の状態のまま、ずるずると布を引きずって……洗面所の鏡へ向かう……!
……鏡の中のオレの姿は……。
『虎刈り・オブ・ザ・虎刈り』……!!!
これはもう……。
メシャメシャの……ザンバラ頭になっていた……!!!
……ど、どうするよ、これ。
こんな……タイガー・ヘッド……。
これはもう……モヒカン刈りにするしかないかね……。
って……真ん中も欠けてる箇所があるから……。
モヒカンさえも……無理…か……。
どう見ても……『再生不能』ですよね……?!
「……恵介くんっ!」
と……オレの背後から……。
三善さんの決意に満ちた声と共に……。
何やら……ウィィィーン!という、電気モーターの振動音が聞こえてきて……!
「……大丈夫よっ!最後の手段として、真代さんから、一応、この機械も借りてきてあるからっ!」
そ……それは!
三善さんが……説明書の表紙の文字を読み上げる……!
「えっと……『楽々スムーズ、フラッシング・ローリング・バリカン機能搭載……1足す、2足す、SUNバリカン900クラッシック・M61型』よッ……!!!」
ででででで……電動バリカン……!?
電動バリカンなんですねっ!
……うわわわわわっ!!!
えっと……恵介くん、可哀想に。
しかし……元の原稿が酷いので、改稿にとんでもなく時間が掛かってます……。
はぁ……連休が過ぎていく……。
明日に続きます……。