四.おでむかえ
とにかく……帰宅途中にドラッグストアに寄って、一番安い匂い消しスプレーなど、掃除グッズを購入する。
予定外の出費は痛いけど……三善さんに部屋の匂いなんかで、嫌われるのは困る。
それから……アパートに戻って、決死の覚悟で大掃除を敢行……!
……三時間半の苦闘の末。
取りあえず……どうにか、人様にお見せできる程度には片付いた。
片付いたと……思う。
……あんまり自信は無いけれど。
今日の午前中の遺品整理で取り出した荷物を……また、押し込んだ。
それから……見つかるとヤバそうな物も、ことごとく紙袋に詰め込んで、押し入れの奥の方へ「ぐいぐい」と突っ込んでおいた……
……そう。
なるべく……簡単には、取り出せない場所へ……。
三善さん……オレが見ていない時に、勝手にあちこち開けそうだから……。
……あの人、外見はすごい大人っぽいのに……子供っぽいことをするのが、とっても好きそうな感じがする。
それから……改めて、部屋中に消臭スプレーをバシュバシュと噴霧する……。
何か……部屋に消臭剤の匂いが籠もって、逆にツンと鼻につく感じになったけれど……。
……いや。
『部屋が臭い』と『消臭剤臭い』なら……『消臭剤臭い』の方がモア・ベターな選択だろう。
なので、これはこれで良しとする。
……スプレー完了。
そんな騒ぎを……一人でドタドタと真夜中過ぎまで繰り広げた。
……シャワーをザッと浴びて、汗を流そう。
オレ自身も、消臭しないと……。
うちは元々、風呂無しアパートだったんだらしいんだけど……大家さんが、後付けでユニット式のシャワーを付いてくれている。
縦180センチ、横90センチの……シャワー・ルームというより、洋服屋の試着室みたいな狭い空間だ。
多分……押し入れだった場所に、無理矢理、プラスチックのユニットがビシッとハマっているという感じだ。
換気扇を常に回していないと……おそらく、シャワー・ユニットの中で窒息する。
バァちゃんとの約束で……シャワーのお湯を出しっ放しにしていいのは3分間ということになっている。
シャワーは、水道とガスのダブルで金が掛かるからな……。
だから……頭や身体を洗う時は、シャワーを止める。
冷たい水がお湯になるまで待って……一気にシャボンを洗い落とす。
そして……即、シャワーを止める。
うむ……今夜も3分以内でいけたはずだ。
やったぜ……バァちゃん!!!
湯冷めしないように、そのまま布団を敷く。
シャワー後は、10分以内に眠るのが……うちのルールだ。
蛍光灯を消して……。
三善さんと出会ったことで……興奮して寝付けないと思ったけれど……。
いつも通りに……オレは、あっという間に眠りに落ちた……。
◇ ◇ ◇
翌日は……学校へ行っても、放課後の『三善さん来訪』のことで頭がいっぱいだった。
少しも……授業に集中できない。
いや……授業に集中できないのは、いつもだけど。
オレは、学校の成績は良い方では無い。
勉強に……向いてないんだと思う。
バァちゃんを心配させたくないから、赤点だけは取らないようにしているけれど……。
得意な科目も一つも無い。
学校って……好きになれないんだよな。
ホームルームが終わったら……速攻、ダッシュで家へと戻る!
オレは帰宅部だから……誰にも気兼ねなく、真っ直ぐに帰った。
ハァハァと息を切らせながら、アパートに辿り着くと……すでに、三時二十分。
三善さんは……まだ来ていない……。
……ホッとする。
アパートの部屋に飛び込んで……。
もう一度……部屋中を消臭剤まみれにする。
それから……大きく窓を開いて空気の入れ換えをした。
まだ……三善さんは、来ない……。
オレは……窓から顔を出して、ジッと表の通りの様子を覗きながら、彼女を待つ……。
……やがて。
……三時二十七分。
通りの向こうから……オレのアパートに向かって歩いてくる三善さんの姿を、肉眼で確認したッ……!
……三善さん、来襲!
……三善さん、来襲!
オレの心の中で、警戒警報のサイレンが鳴り響く……!
今日の三善さんの姿は……学校帰りの制服姿。
上は……薄い水色のブラウスの上に鮮やかなブルーのベスト。
下は……濃い緑色がベースのチェックのスカートだ。
ブラウスの首元には……エンジ色の大きなリボン。
ベストの胸には、校章のワッペンが付いていた。
その細い足には……紺のソックスに黒の革靴。
長い黒髪は……今日は、黒いリボンで一つに纏められていた……。
色遣いも形も……とても上品で華やかな印象だ……。
どこの学校か判らないけれど……見た目だけで『私立のお嬢様学校』な感じがする。
いや……オレは、そういうのに詳しくないから、良く判らないけれど。
でも……三善さんは、うちの中学の女子みたいにスカートを短くしたりはしてないし。
暑いからって……ブラウスの胸元のボタンも開けていない。
学校の指定カバンも、渋い濃紺のやつで……その辺の女子高生みたいに、変なマスコットをジャラジャラ括り付けたりはしていない……。
きちんと、校則通りに制服を着ているだけなのに……どうして三善さんには、あんなに清潔感があるんだろう……?!
昨日の白ワンピースとは、また違う方向で……彼女は、『お嬢様☆光線』をキラキラと撒き散らしている……。
あっ……オレに気付いたッ!
おおっ……オレに向かって、ニコニコと手を振ってくれている……。
……ええっと。
……オレも、彼女に手を振るべきなんだろうか?
……いや、そんな恥ずかしいことができるかよ!
オレは……別に、三善さんの彼氏とかじゃないんだし……。
あ……彼氏は、手なんか振らないのか?
いや……むしろ、振るのか?
その辺が、よく判らないけれど……!
……とにかく!!!
このまま……窓のところに居るのは、よくない気がした。
オレ……まるで三善さんが来るのを、ずっとここで待っていたみたいじゃないか……。
実際……そうなんだけど。
……速やかに、移動せよ!
……窓辺から撤収……!
オレは、オレの身体にそう命じる……。
で……どこに行こう?
……そうだ!
オレは……部屋のドアを開けて。
玄関前で……彼女を『お出迎え』することにした……!
……やがて。
うちのボロアパートの鉄階段を……。
「カンカンカン」と……甲高い音を立てて……。
美しい三善さんが……上がって来る……!
「……こんにちわ!恵介くん、待った?」
制服姿の三善さんが……オレを見て、ニコッと微笑む。
「……いや、オレも、今、帰ってきたばかりですから!」
……オレは。
……とかでもない嘘吐きだ。
というか……。
何だ……この、このものすごくありがちな会話は……?!
「……良かった。あたし、今日は『お稽古』を休んできちゃったんだ……!」
そう言って……三善さんは可愛らしい舌をペロッと出した。
「……お、『お稽古』?」
何の……『お稽古』なんだ?
「……うん。あたし、病気以外で『お稽古』を休んだのは……生まれて初めてよ!」
……え?!
「あの……いいんですか?」
お、オレに会うためなんかで……休んだりして……。
「……ホントは、ちょっとマズイんだけどね」
三善さんは、エヘッと笑った……。
「……でもいいのよ。月曜日は、『英会話』だけだから。あ、先生には、昨日のうちにご連絡してあるから問題ないのよ」
……休むことは、連絡済み?
「……先生は『問題ない』のに、何がマズイんです?」
オレがそう尋ねると……三善さんは、ちょっと暗い表情で……。
「……お祖父様がね」
……お祖父様?
「お祖父様は、とてもお稽古事にはとても厳しい方だから……内緒でお休みしたことが判ったら、とってもお怒りになられると思うわ……!」
……三善さんのお祖父さんて、そういう人なんだ。
「昨日も話したけれどね……あたし、ずっと、父方の祖父の家で暮らしているの」
……そっか。
お祖父さんが、三善さんのお稽古事の月謝を払っているんだ。
それなら……厳しいのも理解できる。
「……三善さん、他にも習い事しているんですか?月曜日は『英会話だけ』って、言ってましたけど……?」
『だけ』ってことは……他にもあるってことだよな……。
「……うん、月曜日は『英会話』。で、火水金は『日舞』のお稽古日なの」
「……ニチブ?」
何だ……そりゃ?!
「……『日本舞踊』よ!」
ああ……和服を着て、舞台でチョコマカ踊るやつか……。
よく判んないけれど……。
「……ね、恵介くん。日本舞踊って、どう思う?……観たことある?」
……そんなの。
……あるはずが無い。
「……無いです」
三善さんは、ちょっと残念そうだった。
「……でも、何となくは判るわよね?」
何となくって、言われても……。
「……あの……和服で、クルクル踊るやつですよね?木の枝とか持って……」
……木の枝だっけ?
……釣り竿とかだったかもしれない。
いずれにせよ……良く判らないし、興味も無い。
「まあ……そんな感じかな」
背の高い三善さんが……オレの眼を上から覗き込む。
「……ね、今度、観に来ない?」
……え?!
……何を?!
「……お姉ちゃんが踊っているところ……恵介くん、観に来てくれないかな……?!」
……うーん。
……それは。
……あの。
正直……イメージが湧かない。
多分……三善さんが、綺麗な着物を着て踊るのは素敵なんだろうけれど……。
……何か、退屈そうだし。
……わざわざ観に行くのは。
……ちょっとなあ。
「……は…はい、そうですね。何かの時に機会があれば……ぜひ……!」
それでも……適当な約束をしてしまう。
弱い……オレ。
「……うん。約束したからねっ!」
三善さんは、ニコッと微笑んだ。
ホントは行く気が無いだけに……その微笑みが心に痛い。
「……えっと……じゃあ、木曜と土日以外は、みんな習い事をしているんですか?」
早いところ『日舞』から話を変えよう……。
「……いいえ。木曜日には、お三味線を習っているわ!」
お……シャミセン?!
「……三味線て、あの三味線ですよね?」
猫の皮が張ってある、和風のギター……?!
「……そうよ。どうしたの…?」
……ええっと。
「いや……あの。オレ、同年代の女の子で三味線を習ってる人なんて知らないから……!」
同年代以外でも知らない……。
テレビでしか見たことないよなあ。
「……ああ、お三味線はね、日舞のためにやっているのよ……!」
……日舞のため?!
ヤバイ、話がまた日舞に戻った……!
「あのね……日本舞踊って、基本的にお三味線の伴奏で踊るのよ。だから、自分でお三味線を弾けるようになっていたいなって思って……!」
いや……何で?
伴奏が三味線だからって……。
別に、弾けなくたっていいように思うんだけど……。
「まさか……三味線を弾きながら、踊るとか……?!」
オレの言葉に……三善さんは、クククと笑い出した。
「そんな器用なことできるはずがないでしょ!……面白いわね、恵介くんの発想は」
……ええっと。
三味線の話も、これまでにしよう……。
「じゃあ……三善さんは、週に五日もお稽古事があるんですか…?」
月曜が『英会話』で……。
火水金が『日舞』……。
そして、木曜が『三味線』……。
「うーん、家でも踊りのおさらいするから……あたし、ほとんど毎日、踊っているのよっ!」
また話は、日舞に戻る……。
「……じゃあ、日舞浸けじゃないですか?」
「そうね……ホント、そんな感じなの……!」
三善さんは、楽しそうに笑っている……。
「はぁ……三善さん、ホントに日舞が好きなんですね……!」
……うん。
好きじゃないと、毎日は無理だよなあ。
その上……日舞のために三味線まで習っているんだし……。
……ところが。
……三善さんは、「えっ?!」と驚いた表情をする……。
「……あの?」
ど……どういうことだよ?
「う……うん」
ちょっと困り顔の……三善さん。
「……あ、あの、好きだからやってるんじゃないんですか……日舞……?!」
嫌なのに……毎日、踊ったりはしないだろう。
……普通。
三善さんは、真顔で少し考え込む。
……それから、オレに答えた。
改めて……笑顔を作って。
「……好きよ……あたし、日舞」
いや……好きだったら。
今の変な間は……何だったんだよ……?!
「……好きなことは、好きなんだけど……改めて、そんなこと考えたことなかったから……あははっ、急にそんなこと聞かれて、びっくりしちゃったっ!」
……考えたことがない?
……びっくりした?
「あのね……恵介くん。あたしのお祖母様……つまり、恵介くんのお父様のお母様はね、日舞の先生をなさっているの……!」
……日舞の先生。
オレの……もう一人のお祖母さんが?!
「おうちで日舞教室を開いているのよ……だから、あたし、生まれてからずっと日舞を踊っているの……!」
日舞教室……。
あ……町で看板を見たことがある。
『**流・日舞教室』っての……。
……でも。
「……家で教室を開いているんですか?」
カルチャー・センターとかじゃなくて……?!
「そうよ……うちの和室の広間で……!」
広いんだ……三善さんの家。
「だからね……あたしは、子供の頃から日舞を踊るのが当たり前になっちゃっているのよ。踊ることが、生活の基盤になっちゃっているから……改めて『日舞が好きか?』って聞かれると……それは確かにそうなんだけど……!」
三善さんは、フフッと笑う。
「……ちょっと考え込んじゃったの。でも、嫌いじゃないわ。あたし……踊るのは大好きなの!」
三善さんが……オレを見る。
「……あたしね、将来は、お祖母様みたいに日舞の先生になるんだって決めてるの……!」
……将来の夢。
この人は……もう、自分の未来が見えているんだ……。
だから……毎日、日舞を練習して……。
三味線も……本気で習っているんだ。
……すごいな。
オレなんて……来月のことさえ、どうしようか迷っているのに……。
「……英会話を習っているのもね……いつか外国の人に、日舞を教えてみたいって思っていてね……それでなのよっ!」
……大人なんだ。三善さん。
いや……オレよりも年上なんだから。
大人なのは、当たり前なんだけれど……。
……それでも。
……オレとは違う。
別の世界に生きている人なんだ……。
「……じゃあ、ホントに毎日、日舞ばっかりなんですね」
「そうね……土日は、色んな方の発表会にも行ってるのよ。他の人の踊りを観るのも、大切な勉強だから……!」
……何かちょっと。
オレには……想像できない。
「……大変なんですね」
「大変じゃないわよ。全部、自分でやると決めたことだから……ところでさ、恵介くん」
三善さんは、ポケットからハンカチを取り出して……首元の汗を拭った。
「……はい?」
「そろそろ、お部屋の中に入らない?……ここ、お日様が当たって暑いわよ。恵介くん、暑くないの?!」
……あわわ!!
オレが部屋に勧めないから……。
すっかり、玄関先で立ち話になっていた……!!!
「あ……すいません!ど、どうぞ……!」
オレは、急いで靴を脱いで……先に、ソソソっと部屋に上がる。
「……お邪魔しますっ!」
そうして…ついに、三善さんが…僕の部屋に上陸したぁッッ―!!!
三善さんは、丁寧に片方ずつ革靴を脱いでいく……。
女物の小さな革靴は……何だかとても可愛らしく見える。
白い手が……脱いだ靴をきちんと揃えた。
ついでに、オレの汚い運動靴まで揃えてくれて……。
ああ……綺麗な手に、余計なことをさせてしまった。
……ふ、不覚を取った!
こうなったからは……死んでお詫びがしたい。
マジで、そう思う……。
「……ふーん、綺麗にしているのね」
三善さんは、部屋の中をぐるりと見渡している。
畳の上は、チリ一つ無い。
窓ガラスも全部拭いてある。
……よしよし、掃除作戦は取りあえず成功だ。
「……!」
……三善さんの視線が……死んだバァちゃんの祭壇に到達する…!
「……恵介くん」
「……はい?」
……彼女は、言った。
「……あたし、恵介くんのお祖母様に……ご挨拶させていただいてもいいかしら?」
大きな黒い瞳の……真面目な表情。
「そ、それは……どうぞ」
オレの言葉に……スッと祭壇へと赴く、三善さん。
その動作も……凜として美しい。
畳の上での立ち振る舞いに慣れているんだ……。
……そして。
彼女は、祭壇の前に正座して……。
葬儀屋さんの置いていった祭壇用のライターで、お灯明のロウソクとお線香に火を着ける。
祭壇に深く頭を下げ……手を合わせてくれた……。
それから……真っ直ぐ、バァちゃんの遺影に向かって……!
「……初めまして。ご挨拶が遅くなって大変申し訳ございません。わたくしは、恵介くんのお母様違いの姉で……三善愛美と申します」
……三善さん。
「……ご生前にお目にかかれなくて、とても残念です。今まで、恵介くんを慈しんで下さって、本当にありがとうございます。恵介くんを健康で、立派な男の子に育てて下さって……姉として、心より感謝致します」
三善さんが……オレのバァちゃんに、お礼を言ってくれる。
正直……オレは、嬉しかった。
生きてきて良かったとさえ思った……。
可哀想だった……オレのバァちゃん。
決して幸せな一生を送ったとはいえない……バァちゃん。
そんなバァちゃんの一生を……三善さんに、認めてもらったような気がした。
「これからの恵介くんのことは……どうか、わたくしにお任せ下さい。わたくしが、恵介くんを全力でお守りします。お祖母様にご心配をお掛けるようなことは、決してありません。この身に賭けてお約束致します。ですから……どうぞ、安らかにお休み下さい……!」
そう言ってくれた……三善さんが……!
「……ありがとうございます」
オレも正座して……三善さんに頭を下げる。
三善さんは……。
「……馬鹿ね……何、言ってるのよ。恵介くんのお祖母様は、あたしにとっても大切な方なのよ……!」
三善さんの笑顔は、とても優しい……。
「……あたしたち、姉弟なんだから」
その言葉が……オレの心に突き刺さる。
……そうなんだろうか?
オレたち……本当に、姉弟なんだろうか……?!
……うん。
まあ……こういうペースで、進めていきたいと思います。
押し入れにブチ込んだシャワー・ユニットは、昔の友人の下宿にありました。
ホントに、窒息しそうな感じでしたね……。
それでは、次話はまた明日……この続きをアップ致します。




