十八.おおづめ(その4)
「おい……君のお祖母さんの故郷というのはどこかね?!」
バァちゃんの……故郷?!
「……か、金沢ですけど」
老優は、さらに強い視線でオレを見る……!
「……北陸の金沢かね?!」
「……は、はい」
その迫力に……思わず、返事してしまった。
「愛美……僕の携帯電話を取ってくれ」
老優が、孫娘に命じる。
愛美さんも……よく判らないまま、近くの机の上に置いてあった黄緑色の携帯電話を手渡す。
老優は、目を細めて液晶画面のアドレスを確かめて……。
どこかに電話を掛ける……!
「……もしもし、東京の江崎です。住職はいらっしゃいますか……はい」
……そうだった。
オレの父親の名前は『エザキ・シン』。
『仲代』というのは……歌舞伎の家の芸名で……。
この人の本名は『江崎』なんだ……!
「ああ、この間の北陸の巡演では大変お世話になりました……実は、一つ住職にお願いしたいことができまして。はい……お墓を一つ、買いたいと思います。もちろん、僕のではありません。実はこの度、遠い縁戚の者が亡くなりまして。……はい。故人の生まれが金沢だったものですから……是非とも、ご住職のお寺に葬ってやりたいと思いまして。……そうですか。はい。よろしくお願いします。詳しいことは、また明日にでもご連絡します……お手数をお掛けして大変申し訳ない。はい……では失礼致します……!」
そうして、老優は……電話を切った。
「今電話した方は、金沢の僕の後援会の方でね……大きなお寺の住職さんだ。海の見える良い場所に墓地があってね。あそこなら、君のお祖母さんにも満足して貰えると思う……!」
……えええっ?!
「……でも、オレは、今すぐにお墓が買えるような大金は持っていません……!」
オレがそう、叫ぶと……!
「馬鹿者!それぐらい、出世払いで貸しておいてやるわッ……!」
老優は……そう、オレを怒鳴りつけた!
「お前が自分の稼ぎで墓を買えるようになるまで、何年掛かると思っているッ!……その間、ずっとお前のお祖母さんは埋葬されずに骨壺のままかッ!そんなことをすることの方が、よっぽど罰当たりだとは思わないのかッ!!!」
……でも。
「僕が無利子無担保で、貸しておいてやる……支払いは、十年以内。それで……どうだ?!」
確かに……それは、助かるけれど。
……でも。
「一応、教えておいてやるが……日本には、『死後何ヶ月以内に墓に納骨しなければいけない』というような法律は無い……しかし」
老優は……言った。
「お骨というものは、家の中のような温度や湿度の変化が大きいところに置いておくと悪くなってしまうんだ。それに……一般的にはは、四十九日忌法要の時に納骨するのが普通だ。だから……君のお祖母さんも、そうするべきなんだ」
オレだって……。
できることなら、そうしたい……。
……でも。
「……僕の世話になるのが、そんなに嫌か?」
……オレは。
「いえ……判っています。これが、とっても良い話だってことは」
……四十九日忌に、バァちゃんをお墓に入れてあげられる。
それも……バァちゃんの故郷の金沢に……。
「なら……多少の不満は、呑み込んでしまえ。君は男だろう……!」
老優が……ジッとオレの顔を見る。
……ちくしょう!
「……判りました。お墓の件は、お願い致します。お借りしたお金は、できる限り早くお返ししますから……!」
……うん。
中学を出たら……必死で働こう。
「……その件だがな」
老優が……オレに言う。
「君は……僕のところで働きたまえ!」
……え?!
「もちろん、歌舞伎の弟子ではない。君に判りやすい言葉で言えば、『付き人』だ。僕の行くところに付いてきて、鞄持ちをし……着替えを手伝う。用を言いつけられれば、すぐに言われた先に走る。そういう……下働きの人間だ。『男衆』と言うのだがね……最近は、『付き人』だの『マネージャー』だのと呼び方が変わったが……昔からある役職だ」
……いや。
……でも。
「僕の方のメリットは……君が、どこに居るのかいつも監視ができる。大金を貸したまんま行方不明になられても困るからな……!」
それは……そうかもしれない。
お墓って、すごく高いらしいし……。
「君の方のメリットは……そうだな。僕の『付き人』の仕事をしている限り、君の衣食住の費用は僕が全て払おう。住む場所は、さっき言った通り僕の家の弟子用の部屋だ。食事は他の弟子と一緒に賄いを食べて貰う」
……え?
「そうして貰う必要があるんだ。『付き人』の仕事は、二十四時間勤務だからね。例え真夜中だろうと……君は、僕に呼ばれたら寝床から飛び出して来ないといけない。衣食住は保証してやるが、自由な時間は無い……そういう仕事だ。洋服だって、舞台スタッフ用のTシャツとかジャンパーとかそんなものを支給してやるだけだ。月給は……そうだな、とりあえず最初は十三万やろう。働きによっては、毎年少しずつ増やしてやる……!」
……ええっと。
……あの。
「……中学生の君を雇ってくれる会社は無い。中学を卒業したって……保護者のいない人間は、まともな仕事には就けんぞ」
そんなこと……。
判っているけど……。
「いいかね……衣食住に掛かる費用は、タダなんだぞ。お前の稼ぎは、全部、借金の返済に廻せるんだぞ……これが、どういうことか判るな……!」
……そ、そうか!
「毎月十三万円ずつ返したら……バァちゃんのお墓代は、何年で返せますか……?!」
オレの問いに……老優は、ニッと笑う。
「そうだな……まあ、二年か三年というところじゃないかな?」
……二、三年。
「ほんの数年だ……僕の下でガマンしてみる気はないかね……?!」
二、三年なら……ガマンできないことはないと思うけれど……。
……でも。
「そうだな……僕の息子とたまに顔を合わすことがあるかもしれないが……気にするな。歌舞伎俳優としての僕と息子は、それぞれ独立している。僕の『付き人』だからって、息子の言うことを聞く必要は無いんだ。むしろ、そんなことがあったら僕が黙っていない。あいつにはあいつの『付き人』がいるはずなんだからな……」
父親のことは……考えなくてもいいと。
老優は、約束してくれた。
「……これは、きちんとした仕事の要請だ。僕が貸した金を、君は僕のところで働いて返す。ただ、それだけのことだ。決して納得のできない話ではないと思うがね……!」
老優は、オレの眼を見る……。
オレは……。
……うん。
……仕事なら。
……受け入れるべきだ。
今のオレには……そんな仕事ぐらいしかできない。
数年で、借金を返せるのなら……。
「判りました……オレは、あなたの『付き人』になります……!」
オレは……腹を括った。
……何もかも。
バァちゃんのお墓のためだから……!
「そうか……判った」
老優が……置いてあった手帳を開く。
「君のお祖母さんが亡くなったのは……二週間前だったね?」
老優は、スケジュール表を見ているようだった。
「はい……そうですけれど」
「うん……となると、四十九日忌法要は七月の末だな。よしよし……どうにか、スケジュールに余裕がある。君のお祖母さんの納骨には僕も立ち会おう」
「……え、そんな……わざわざ来ていただかなくても……!」
東京から……。
わざわざ、金沢まで……?!
「仕方ないだろう。僕のご贔屓であるお寺さんから、僕がお金を出してお墓を買うんだ……僕が行かなくては、話になるまい……!」
……確かに、そうかもしれないけれど。
「それに……僕も、きちんと君のお祖母さんに頭を下げたい。いや……下げさせてくれ」
老優は……そう言ってくれた。
「『付き人』として僕の家に常駐するのは、お祖母さんの納骨の後からでいい。君も、色々と準備があるだろうしな……」
……この老優の家に行って働くのは、納骨の後。
……バァちゃんの骨は、持って行かずに済む。
そして……僕は、今のアパートを追い出された後に、住む場所を見つけることができた。
「そうだ、金沢は京都に近い。帰りに祇園へ寄ろう。もちろん、君は僕の『付き人』になるんだから……供をしてくれるだろうね……?」
……ギオンって?
……『祇園精舎の鐘の声…』って、アレですか?
「……わ、判りました。お供致します」
何だか、よく判らないけれど……。
「……お祖父様!恵ちゃんに、芸者遊びは早過ぎますっ!」
横から、愛美さんが口を挟む……!
……げ、芸者遊び?!
「そんなことはない……十五歳なら、僕はもう一人でお茶屋で遊んでいたよ」
老優は平然と、そう言った。
「僕は、医者に一晩に飲んで良い酒の量を決められていてね……それを越さないように、見ていて、『そろそろ適量です』と声を掛けるのも『付き人』の仕事だからな……!」
……そうか。
それなら、仕方が無い。
「はい……判りました!」
オレは、そう……返事した。
「うむ……頼むぞ、恵介」
老優は……オレの名前を呼んだ。
「『付き人』なんだ……名前を呼び捨てにしてたって構わんだろう?」
……う、うん。
「はい……よろしくお願いします……あ、あの」
オレは……。
この人を何と、呼べばいいのだろう。
「僕のことは……『先生』と呼びなさい。他の人に対しては、『うちの先生』と言うんだ」
「判りました……先生」
オレは、そう返事した。
「……うむ。細かい話は、後日しよう。僕は、そろそろ風呂へ行かないと……化粧を落とさないといけないからな。今夜はこの後、来月の芝居の打ち合わせが入っているんだ……愛美は先に帰りなさい」
今はもう夜の九時をとっくに過ぎている……。
「え……こんな時間から、まだ仕事があるんですか?」
僕が驚くと、『先生』はカカカと笑った。
「恵介。僕はね……歌舞伎役者なんだよ」
……歌舞伎役者?
「……歌舞伎の俳優は、とっても忙しいんだ。一日のお芝居の終わった後に、深夜から次の舞台の稽古をすることだってある。お芝居の上演中だって出番と出番の間にマスコミの取材を受けたり、打ち合わせをしたり……一日に劇場を二つ掛け持ちして出演することだってあるんだ」
……『先生』が、そう説明してくれた。
「僕は……芸能の世界では、日本一忙しいと思ってるよ。だから、『付き人』が欲しいんだ」
……そっか。
それなら確かに……二十四時間勤務だ。
「ところで……僕の『付き人』ということは……僕の家族にも絶対服従だ。そのことは判っているね。もちろん、僕の家族というのは、僕の妻と愛美のことだ」
『先生』は、息子さんは無関係であることをさらに強調してくれた。
……えっと。
……まあ、そうなんだろうな。
『付き人』なんだから。
「はい……判っています」
『先生』は、オレを見る。
「そうか……では、愛美のところの学校へ転校して貰うぞ」
……はい?
「……うちの愛美は、大事な跡取り娘だからな。変なやつにチョッカイを出されないように、恵介が監視していてくれ……!」
「いや、あの……?!」
愛美さんの学校って……!
……天覧学園だろ?!
「毎日、愛美と一緒に登校して……愛美と一緒に帰って来るんだ。いいね」
……えっと。
どうせ、中学卒業までは義務教育で学校へ行かなきゃならないんだ。
それぐらいなら……。
中学生が、高校生の女の人と歩くのは恥ずかしいけれど……。
ボディ・ガードだと思えば……。
「判りました……『先生』」
オレは……答えた。
「うむ……頼むぞ。僕の妻にも近いうちに会わせる」
そして……『先生』は、部屋の外へ向かって怒鳴る。
「……おい、猿助!入って来い、風呂へ行くぞ。僕が入るまで火を落とさないように言ってあるだろうね?それから、清香さん、子供たちが帰るから送ってやってくれ……安全運転で頼むよ!」
それから、改めてオレの方を見て、
「……ところで、恵介」
「……はい?」
「お前が締めているそのベルト……僕のコードバンじゃないのか?」
……あ。
さっき、綾女さんに引っ繰り返された時に……。
……見られちゃったか?!
「……えっと……あの」
「あ、お祖父様……これは、あたしがっ……!」
愛美さんが、横から叫ぶが……。
『先生』はフンと鼻を鳴らして……。
「構わんよ……ちょっと惜しいが恵介にやる。それはとても良い物なんだぞ。だから、普段使いではなく、何か特別な時にだけ使うようにしなさい」
「……あ、ありがとうございますッ!」
「うむ。今日は本当によく来てくれた。加奈子ちゃん、綾女ちゃん、愛美、……ありがとう。それから恵介、これからよろしくな……!」
緑郎左衛門『先生』が笑って……スッと僕たちに頭を下げる。
「あ……オレの方こそ、よろしくお願いします!」
オレも『先生』に頭を下げる……。
加奈子さんや、綾女さんたちも……。
そして……オレたちは『先生の』楽屋から退出した。
◇ ◇ ◇
「……さすが、先生ね」
楽屋を出た途端……加奈子さんが言った。
「結局、一番良い形にまとめてしまわれたわ……」
……え?
……どういうことだろう。
「後は時間を掛けて……ゆっくりね」
加奈子さんが、愛美さんを優しく見つめる。
「……うん」
愛美さんが……小さく、頷いた。
「お祖父様ったら……昔から、『孫に、芸者遊びを教えてやるのが夢だ』って、おっしゃってたのよ……!」
……え?
うーむ、かなり改変しました。
ということは、クライマックスがもう一つ必要だな……。
続きは、また明日です。




