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十七.おおづめ(その3)




「……本当に、お父様にそっくりなのよ……恵ちゃんは」


 ……そうか。

 だから、愛美さんのお母さんは……。

 一目見ただけで、オレの正体に気付いたんだ……!


「まったく……変に意固地なところまで似ているわ」


 老優は……そう言う。

 ……ちくしょう。

 オレが……父親に似ているだって……!

 ……ちくしょう。


「……いいえ……恵ちゃんは、お父様よりお祖父様によく似ていますわ」


 愛美さんが、そんなことを言う。


「この子が……僕にかい?」


 愛美さんの言葉に、老優は意外そうな顔をした……。


「はい……頑固で、思い込みが強くて、全部自分一人で背負い込もうとするところが、みんなお祖父様にそっくりですわ……!」


 老優の口元が……緩んだ……。


「それなら、愛美……お前の方がもっと似ているよ」

「当たり前です。恵ちゃんは、あたしの『弟』なんですからっ……!」


 老優と愛美さんは……笑い合う。

 そんな二人を……オレは、呆然として見ていた。


「……ええい、負けだ、負けだ……僕の負けだよ!」


 老優は……さっぱりとした顔で、オレを見る。


「……おい、君」


 ニッと笑って……オレに声を掛ける。


「……はい?」


 オレには……その笑みの意味が判らない。


「さっきの提案は全部取り消すことにする。僕は……君を『孫』だと認めるよ……!」


 ……それって?!


「……今すぐとはいかないが、いずれ世間にも公表する。息子は、少々バツの悪い思いをするだろうが……なあに、全部、あいつの身から出た錆だ」


 オレを……『孫』と認める?

 ……何で?!


「……お祖父様っ!」


 愛美さんの顔が、わぁっと喜びに輝く……!


「……これでよいのだろう、愛美?」


 老優は……孫娘を見た。


「はい、ありがとうございますっ!!」


 孫娘も……祖父に微笑む。


「よかったわね、愛美ちゃん……!」


 加奈子さんが、愛美さんに微笑み掛ける。


「…よかった!」


 ……綾女さんも。


 ……何だこりゃ?

 ……何だこりゃ?

 ……何だこりゃ?


「……近いうちに、僕の家に来なさい。ちょうど、住み込みの弟子用の部屋が余っている」


 オレに……住む場所を提供してくれる?


「いや、あの……オレ、別にあなたの弟子になる気はありませんから……!」


 歌舞伎俳優なんて……オレには、無理だ。

 っていうか……。

 何で、こんな話になるんだ……?!


「こりゃ参ったな……そういう意味で言ったのではない」


 老優が……急に親しげな様子で、オレに話し出す。。


「別に君は……歌舞伎の修行をしなくてもいいし、日舞を習ったりする必要も無い。ただ、とにかく……僕が、君を孫だと認める以上は……僕の近くに居てもらわないと困る。眼の届く所に居てくれんと、色んな人間が君にチョッカイを掛けてくるからな」


 そんな理由で……。

 オレは、この老優の家に住まないといけないのか……?!


「……僕の家は広くてね、大きな稽古場もあるし、庭も広い。実は、ちょうど男手か欲しいと思っていたところなんだ。僕の家の仕事を手伝ってくれないかね?その代わりに、僕が君の住居と食事と学費を提供する……それでどうだね?これは一方的な『援助』じゃない。あくまでも、ギブ・アンド・テイクの関係だ。これなら、君の気も済むんじゃないかと思うんだが……?」


 老優は、そんな提案をしてくれるが……。

 オレには、その意味が判らない。


「そうよ。うちへお出でよ、恵ちゃん。お姉ちゃんと一緒に暮らそう……ねっ!」


 愛美さんも、優しい笑顔でそう誘ってくれる……。

 ……だけど。

 そんなの……受け入れられるはずが無い。


「……あの、すみません」


 オレは……はっきりと言った。


「オレはあなたの……緑郎左衛門さんのお世話になることはできません……!」


 ……うん。

 ……そうだ。


「……恵ちゃん……どうして?!」


 驚く……愛美さん。

 老優は、顔をしかめる。


「何か……理由があるのかね?」


 ……オレは。


「なぜ……オレは、あなたの家に住まわせててもらわないといけないんですか……!」


 オレの中に……。

 怒りの炎が燃えていた。


「それは……だって、君はこれから住む場所にだって困っているんだろう?」


 そうだ……オレには、何も無い。

 『家族』も……『家』も……。

 ……だけど。

 絶対に譲ってはいけないものが……ある。


「はい、オレには何もありません……ですから、あなたに助けて貰う道理も無いんです!」

「……道理?」


 老優が、不思議そうに首を捻る。


「……僕は、君を『孫』だと認めると言っただろう。祖父が、『孫』を助けるんだ……何の問題も無いだろう?!」


 ……オレは。

 はっきりと……言ってやった!


「オレは……あなたをオレの『祖父』だなんて認めていませんっ!!!」


 楽屋の中の空気が……凍り付いた。


「オレの家族は……死んだバァちゃんだけです!他には、誰もいませんっ!ですから……あなたみたいな『赤の他人』に、助けて貰うわけにはいかないんですっ!」


 ……ちくしょうっ!

 ……馬鹿にしやがって!

 ……ちくしょうっ!!!


「……恵ちゃん???!」


 愛美さんは……全く理解できないという顔でオレを見ている。

 うん……愛美さんには、判らないだろう。


「……バァちゃんが死んだ後に」


 オレは……心の中に浮かんだことを話す。


「病院から……アパートに遺体が来て。バァちゃんの仕事関係の人や、例の法律事務所の人とが最初は居てくれたんですけれど……そのうち、みんな帰っちゃって。もう、夜でした。いつの間にか、夜になっていたんです。気が付いたら、外が真っ暗でした……」


 ほんの……十数日前のことだ。


「オレ……そう言えば、朝から何も食べてないことに気付いて。水も飲んでいませんでした。だけど……アパートの部屋の中には、何も食べ物がなくて。ずっと、病院に泊まり込んでいたから……買い置きもなくて。だけど、バァちゃんの遺体を残して……一人で、コンビニに行く気もおきなくて……」


 ……暗い夜だった。

 ……寂しい夜だった。


「そしたら……ハッと思い出したんです。昼間、バァちゃんが亡くなった後に……同じ病室に居たオバサンが、オレにパンを一つくれたことを。パンは……オレのカバンの中に、半分潰れて押し込んでありました」


 ……オレは。


「変なコーヒークリームの入った、コッペパンでした。オレは……それをビニール袋から出して……。飲み物が何も無いから……水道の水をコップに入れて……一人で、もしゃもしゃ食べました。部屋の蛍光灯が、とても暗く感じられて……それから、部屋に蠅が一匹入り込んでいた。その羽音が……とても耳障りで……!」


 あの夜……オレは、一人だった。

 いや……今だって。


「パンの味は……全然判らなくなっていました。味がしないんです。パサパサのスポンジを食べているみたいでした。水道の水は……生温くて、鉄の味がしました。そうやって、一人でパンを食べながら……オレは、フッとバァちゃんの顔を見たんです」


 ……バァちゃん。


「バァちゃんの口は軽く開いていて……口の中に白い綿が見えました。鼻の穴にも。それで、オレ……バァちゃんは、もう……パンも水も口にすることができないんだなって思ったら、途端に悲しくなって……!!!」


 ……オレの、バァちゃん。


「でも、オレ……泣くわけにはいかないんです。ここで泣いたら……オレ、気が狂ってしまいそうで。怖くて、寂しくて、もう何がなんだか判らなくて……!だから、オレ……必死に涙を堪えて……それでも、眼から水が垂れてくるんです。いいえ……涙じゃないです。涙はしょっぱいですけれど……その時に、オレの眼から垂れてきた水は、水道水の味がしました。その眼からの水がパンに零れて……パンを濡らして……でも、オレ……最後まで食いました。だって……食べ物は、大事ですから……!!!」


 ……そうだ。

 だから……オレは。


「オレ……働かないといけません。働いて、働いて、必死に働いて……お金を作らないといけないんです!大金です。いっぱい、貯めないといけないんです……だから、食べ物だって倹約します。欲しい物なんか、何もありません……オレは、今すぐにだって働かないといけないんですっ!」


 ……何言っているんだ、オレ。

 ……何言っているんだよ。

 こんなこと……。

 この人たちに話したって……仕方が無いじゃないか。


「だから……あなたの家なんかに行っている暇は無いんですっ!だって、オレには……お金が必要なんですから!!!」


 ……ちくしょうッ!!!


 老優が……静かに、口を開いた。


「……何故だね?」


 今までとは違う……真剣な眼差しで。

 オレを見ている。


「どうして君は……働いて、お金を稼がないといけないんだね……?!」


 ……オレは。

 ……ああ。

 ……教えてやるさっ!!!


「お墓が……無いんです!!!」


 愛美さんが、ギョッとした顔をする……。


「……お墓?」


 他の人たちも……みんな驚いている。

 ……そうだろうさ。

 ……こんなの。

 お金持ちの家に生まれた人には……想像できないことだろう……!!!


「……オレのバァちゃん、死んじゃったけど……骨になっちゃったけど……うちには、お墓が無いから……!」


 バァちゃんの遺骨を……。

 オレは、何としても葬ってあげないといけない……!


「……どっかにきっと、山田家の代々のお墓があるんでしょうけれど…………バァちゃんが東京に出て来て何十年も経っているから……オレは、知らないんです。バァちゃんは、自殺したオレの母親のお墓の場所だって教えてくれなかったんです……!」


 ……そうだ。

 うちには……お墓が無い。


「……だから、オレは自分の力で……必死に働いて、バァちゃんのため新しいお墓を買わないといけないんですっ!だから、お金が必要なんです。中学を卒業したら、すぐに働いて……いや、できることなら今すぐにだって働きたい!働いて、働いて……バァちゃんに立派なお墓を建てるだけのお金……オレは貯めないといけなくて……!」


  ……バァちゃん。

 可哀想な一生だった……オレのバァちゃん。

 一生働き詰めで亡くなって……。

 今は、骨になってしまった……。

 オレの……バァちゃん。


「……だから恵ちゃん……ずっとお金のことを心配していたのね……!」


 愛美さんが……そう、呟く。


「バァちゃん……死ぬ前に、ずっと『故郷へ帰りたい、故郷へ帰りたい』って言ってました。だから、オレは……骨だけでも故郷に埋めてあげなきゃいけないんです……!」


 ……バァちゃんには。

 オレしか、家族がいないんだから……!!!


「……それなら、お墓ができるまで……お骨ごと、お祖母様もうちへ来ていただけばいいわ……恵ちゃんと一緒に!」


 バァちゃんの骨を……!

 愛美さんの家に持って行く……???!


「そんなこと……できるわけないじゃないですか!!!」


 渾身の思いを込めて……。

 オレは……叫んだ!!!


「……恵ちゃん?」


 愛美さんが……絶句する。


「だって……オレのバァちゃん。きっと、オレの父親のことを許してないと思うから!いいや……絶対に許していないッ!許せるはずがないだろっ!結婚して、奥さんも子供も居るはずなのに……バァちゃんの娘を妊娠させて……子供を産んだばかりのその娘は、自殺しちゃって……バァちゃんは、赤ん坊のオレを一人で押しつけられて……死ぬまで働いて!こんなの許せるわけがないよ。バァちゃんは、絶対に許さない!全然、許してないって!許せるわけがないっ……!!!」


 ……許さないまま。

 ……バァちゃんは天国に逝ってしまった。


「だから……オレがバァちゃんの骨を持ったまま、緑郎左衛門さんの世話になるなんて……そんなこと、できるわけないじゃないですかッ!そんなの……バァちゃんが、可愛そうだよッ…!!!」


 これが……オレと愛美さんの間にある本当の溝。

 ……深い亀裂。


 バァちゃんは……愛美さんの『家』を許さない。

 だから、オレも……許さない。

 ……許してはいけない。

 オレと愛美さんは……絶対に理解し合えない。

 この人たちは……『敵』だから……!


「……そうか。だから君は、最初から一貫して僕からの援助の話を拒否していたんだな……!」


 老優が……オレを見る。


「……はい」


 オレも……老優を睨み返す。

 これは……オレとバァちゃんの絶対に捨てられないプライドだ……!

 オレたちは……死んでも、この人に『施される』つもりはない……。


「確かに……非があるのはこちらなのに、僕には『君を助けてやろう』、『施してやろう』という高飛車な気持ちがあったと思う。自分の家の都合ばかりを考えて、君が今までどんな思いをして生きてきたのか察してやれなかった……すまない」


 老優は、深く頭を垂れた。


「……君にも、君のお祖母さんにも、心から謝罪する!」


 そんなこと……言われたって。

 それで……どうなるってことではない……。


「ごめんね……あたし、恵ちゃんの気持ち、全然判ってなかった……!」


 愛美さんが……オレに謝りながら、またぽろぽろと涙を溢す……。


「……いいんですよ。そんなこと」


 結局……オレたちの間にある溝は、どうやっても埋まらない。

 オレたちは、違う世界の人間だから……。

 絶対に……判り合うことはできない。

 涙と共にパンを食べたことの無い人たちには……!


「……しかしだ!僕を舐めて貰っては困るッ!歌舞伎俳優、七代目仲代緑郎左衛門は、男でござるぞッ!」


 ……老優は、突然クワッと目を見開いて、オレを睨んだ。





 今話は、物凄く加筆してます。

 なかなか大変です。

 次話で何とか、決着を付けられればいいのですが。


 えー、明日に続きます。

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