十四.いえとちすじ
「……そうか、君が山田くんですか」
老優は、そう言うと……ぷいと、鏡台の方へ視線を戻す。
「……お祖父様ったら、お化粧もお落としにならないで……!」
そんな祖父に……愛美さんは、心配そうな顔でそう言った。
「いや何……お前たちが、いつ来るか判らなかったのでね。風呂へ行かずに待っていたんだよ」
老優は、平然と言い訳するが……。
「嘘です……舞台から降りていらして、カツラもお外しにならないなんてことがあるわけありません。あたしたちを脅かそうと思って、ずっと衣装のままで待っていらっしゃったんでしょ?」
ニタァと子供の様に笑う……老優。
「は……バぁレたかっ!」
歌舞伎の口調で茶化して見せるが……口元は笑っても、その眼は笑っていない……。
……やっぱり、オレは。
……歓迎されていないんだ。
「……まあいいだろう。みんな、そんな所に突っ立ってないで、中へお入りなさい」
緊張した面持ちの愛美さんが……オレに小さく頷いた。
「……失礼致します」
加奈子さんが、一番先に靴を脱いで楽『次の間』に上がる。
「さあ……恵介さん」
オレに振り向いて、ニコッと笑ってくれた。
……オレも、一緒に畳に上がっていいのだと。
加奈子さんが、わざわざオレに声を掛けてくれたんだ……。
オレも、覚悟を決める。
靴を脱いで……『次の間』に上がった。
次に……綾女さん。
最後に……老優の親族である、愛美さんが靴を脱ぐ……。
「こっちの部屋にお入り……」
『次の間』に立っていたオレたちを……老優が、楽屋の座敷の中に呼ぶ。
老優の楽屋は……六畳の広さだった。
愛美さんが、加奈子さんと綾女さんに目配せする。
そして……座敷に入って、正座する。
オレも……並んで正座した。
何か……みんなで怒られているみたいだ。
「犬助……お前は、しばらく楽屋の前で番をしていなさい」
老優は、『次の間』に控えていたお弟子さんの一人に命令する。
「いいですか……僕が良いと言うまでは、決して誰もこの部屋に通してはいけませんよ。特に三十郎、あいつにはくれぐれも勘付かれないようにしておくれ。後で何かと言ってくると煩いから……」
……芳沢三十郎が、何を言ってくるというんだろう?
犬助と呼ばれたお弟子さんが……「承知いたしました、旦那」と言うと、スッと頭を下げて楽屋の外へ退出していく。
「それから……猿助。すまないが、お前さんは僕のカツラを外しておくれ。やっぱり、このままでは、ちょっと頭が重い……!」
と……もう一人のお弟子さんが、『次の間』からソソソと座敷の中へ入って、老優の背後に廻る。
「……失礼致します、先生」
「……うむ」
お弟子さんが……うやうやしく、老優の頭からカツラを外す。
カツラの下からは、頭全体を覆う白い布地(羽二重というらしい)が現れた……。
「ふぅ……楽になった。ありがとう、猿助」
猿助さんは、カツラを台に乗せている……。
間近に見る老優の顔……。
こうしてカツラを外すと……舞台で観た時の印象よりも、もっと年長のように感じた。
七十歳を、幾らか越えているくらいか……?
身体も細く、痩せていることも判った……。
「はい……どうぞ」
清香さんが、老優とオレたち全員にお茶を出してくれた。
「……うん、ありがとう」
老優は、清香さんに礼を言う……。
ズズッ……と、お茶を飲む老優。
その仕草も……歌舞伎の演技の一部みたいだった。
「……では……ここから先は、清香くんも席を外して下さい。猿助、お前もだよ」
「……はい、先生」
「……失礼致しやす」
お弟子さんと清香さんが……老優に頭を下げて楽屋から退出していく……。
出る時に、座敷と『次の間』を仕切る襖を閉めていく……。
……密室の中に、五人だけが残った。
老優と愛美さん、加奈子さん、綾女さん……そして、僕。
ひどく緊張した雰囲気の中で……しばらく沈黙が続いた。
お茶に手を付けているのは、老優だけだ……。
オレたちは正座したまま……黙って、老優がお茶を飲み終わるのを待っている……。
……やがて。
……老優の強烈な視線が、突然、オレに向けられる……!
「……仲代緑郎左衛門です」
老優が、オレに一礼する。
……ナカダイ・ロクロウザエモン。
……それが老優の名前らしい。
「……山田恵介です」
とにかく……よく判らないけれど、オレもご挨拶してみる。
「……で、君は本当に僕の孫なのかね?」
老優は……いきなり核心に触れた!!!
「それは……オレには、良く判りません」
そうとしか……今のオレには答えられない。
「……判らない?!」
老優は鋭い眼で、ギギッとオレを睨む。
「判るはずがありません……祖母は、オレに何も教えてくれないまま亡くなりましたし……!」
オレは……その老優の眼を、睨み返した。
こんな風にプレッシャーを掛けられる筋合いは無いし……。
だいたい……愛美さんたちが、怖がっているじゃないか……。
「うむ、まあ、そうだろうね……君としては、そう答えるしかないのだろうよ……!」
老優は……冷たい眼で、オレを見ている。
どう扱うべきか……オレを計りかねているようだった。
いずれにせよ……オレが訪ねてきたことを喜んでいないということは、よく判った。
「……恵ちゃんは、お祖父様の孫です。あたしの弟です!」
オレと老優の間に……愛美さんが割って入る。
「……恵ちゃん、ごめんなさい。お姉ちゃんは……別に、恵ちゃんを騙そうとしたわけではないの。どうしても、恵ちゃんをお祖父様に会わせたかったから……!」
……愛美さん!
今考えれば……幾つもヒントはあった。
1.そもそも愛美さんが、オレを歌舞伎の劇場に連れてきたということ。
2.加奈子さんの言葉……『日舞と歌舞伎は、絶対に切れない間柄にある』
日舞の家元と歌舞伎俳優が、縁戚関係がある可能性なんて……ちょっと考えれば想像できたことだ。
3.……綾女さんの言葉、「……あなたも、あたしの『遠縁』であることに間違いは無いのよら」
綾女さんのお姉さんの旦那さんが歌舞伎俳優なんだから……愛美さんの血族が歌舞伎俳優だとしても全然おかしくはない。
……以上のことから推察すると。
この『老優・仲代緑郎左衛門』さんが、オレの父方のお祖父さんというのは本当なんだろうな……。
……あまり、感動は無い。
むしろ……「何だかなあ」って気分になっている…。
「ごめんね……恵ちゃん、怒ってる?」
「……怒ってませんよ」
別に……怒るようなことはない。
ただ、ここでオレは……。
この老優に対して……どう振る舞うべきなのか……。
……それが判らない!
「……愛美、お前はしばらく黙っていなさい」
老優が……穏やかな口調で、孫娘を制した。
続いて、他の少女たちを見る……。
「……まずは、加奈子ちゃん、綾女ちゃん」
加奈子さんが、頭を下げる。
「……はい」
綾女さんは……黙ったまま、加奈子さんに続いた。
「いつも、うちの愛美と仲良くしてくれて本当にありがとう。僕は、君たちにとても感謝しています……しかし……!」
老優の眼が、大きくギョッと開く。
小さい子なら、ワッと泣き出してしまいそうな……迫力があった……!
「……今回のことは、ちょっとやり過ぎです。友達思いなのは有り難いが、あまり感心できることではありませんね」
加奈子さんが、スッと顔を上げる。
「お言葉ですが、先生……!」
その顔は……やんわりと微笑んでいた。
「……何かね?」
老優が、グッと加奈子さんを強く見つめる……。
「確かに……事前にご相談せず……突然、この場に恵介さんをお連れしたことはお詫びいたします。しかし……わたしたちがこういう機会を設けなければ、先生は恵介さんに会っては下さらなかったでしょう?」
「……そんなことはない」
老優は……一言で否定した。
「愛美から、この子のことを問いただされた後……僕も気になって彼について調べさせていたところです。財前くんの法律事務所とも連絡を取っています……いや、驚きました!」
そう言うと……老優は座布団を外して、畳の上に座り直した。
「……君には、大変申し訳ないと思っています!」
と……老優は、オレに深々と頭を下げる……?!
「……えっと……あの……?!」
突然の老優の行動に……オレは、頭が付いてこない。
な……何で。
愛美さんのお祖父さんが、オレに頭を下げるわけ……?!
そんなオレの様子を無視して……老優は、つらつらと喋り始めた。
「……もちろん、僕は……息子に君という『隠れた存在』がいるということは、前々から知っていました」
……知っていたんだ。
……『隠し子』のことは。
「……しかし、君の生活環境や、息子が君にどんな形の援助をしているかというような『細かい事柄』については……今回、財前くんに聞くまで、僕はまったく知りませんでした」
この人の息子……つまり、オレの父親。
オレの母親にオレを産ませて……捨てた。
「僕はねえ……君のことは、息子が『ちゃんとやっている』のだろうと、そう思っていたんです。息子を信じていました。だから、僕は……君のことは息子の『個人的な問題』であって、親が横から口出しするようなことでは無いと考えていたんです。息子は、すでに立派な成人しているわけですし」
……息子の『個人的な問題』だから。
……親が口出しすることではない。
つまり……この人は、遠回しに……。
オレは……『孫』ではないと言っている……。
「しかし……まさか、何もかも財前くんの事務所に任せきりにしているなんて……。いや、驚きました。正直、息子には裏切られたという心境です。彼にはさっき、電話で強く叱っておきました……」
その言葉で……ハッと気付く。
この人が歌舞伎俳優ということは……。
もしかして……その息子も……?!
「……あいつは今、京都の劇場に出ていましてね……来月、東京に戻って来た時には、改めてきちんと話しておきます」
……そうか。
……だから。
……母親の遺品に、歌舞伎の雑誌があったんだ。
「……恵ちゃん、前に『お父様には、どうしても会いたくない』って言ってたでしょ。今月なら、お祖父様とお父様は同じ舞台には出演なさらないから……!」
先に……祖父にオレを会わせるために……。
それで愛美さんは……。
今日……オレをこの劇場へ連れて来たんだ。
「君の現在の状況については、財前弁護士から詳しく報告書を送ってもらいました。お祖母さんのことは残念でした……それでなんですがね……」
老優は……一人、淡々と話し続ける。
まるで、これも一つの『お芝居』であるかのように……。
「……息子のやる事は、もう信用できません。そこで今後の君の面倒は、全て僕が見ることにしようと思います。僕は、歌舞伎・仲代家の当主です。どうか、僕の言葉を信用していただきたいと思います……!」
何か……テレビで、政治家が話しているのを聞いているようだった。
この言葉には……『心』がない。
ただ業務として……仕方がないから、話しているだけにみえる……。
「……つきましては、君の進学と就職について……これは、全て僕に任せて下さい。決して悪いようにはしません。また、君の大学卒業までの学費と生活費については、僕が完全に保証します……!」
「いえ……あの……!!!」
いたたまれなくなって……つい、声を発してしまった。
……オレ。
こんな話をしに、わざわざ来たんじゃない……!
「いえ……君が、遠慮する必要は一切ありません。これは僕の家長としての義務です。息子の不始末は、僕がどうにかしなければならない……こればかりは、きちんとやらせてもらいます……!」
当主……責任……家長……義務。
……この人は。
『仕方がないから、お前の世話をしてやる』……と言っている。
むしろ、『施してやる』という方が近いのかもしれない。
オレの誕生を……『不始末』だと言った……。
「その代わりというのも何ですが……君に一つだけ、僕と約束していただきたいことがあります……!」
……ああ。
何を言われるのか……何となく判った。
「君が、僕の『孫』であるということ……僕の息子の『隠し子』であるということは、今後、一切、誰にも公表しないと約束して下さい……!」
……やっぱり。
……そういうことか。
「それから……愛美のことも、決して自分の『姉』だは思わないで下さい。君と愛美は、あくまでも『他人』です。そして、できねことなら……もう二度と、愛美とは会わないでいただきたい……!」
老優の言葉は……どこまでも冷徹だった。
「……お祖父様っ、あたし、そんなこと納得できませんっ!」
「……お前は黙っていなさい」
「いいえ、黙りませんっ!」
孫娘は、祖父に真っ向から立ち向かう……!
老優は……静かに口を開いた。
「判っているだろう……お前とこの子では、生きている世界が違うんだよ」
「……世界?!」
愛美さんの瞳が、大きく見開かれる。
そうだ……世界が違う。
……それは、
……この数日、
……ずっと、オレが、
……思ってきたこと。
愛美さんを見る度に……知る度に。
自分と愛美さんを……比較して……!
「お前は歌舞伎役者、仲代家の娘として生まれ……同時に、日本舞踊・紺碧流の家元の血筋を引いている。普通の人間ではない。伝統を受け継いでいくという重い責務がある……!」
祖父の言葉が……愛美さんの心に暗く深く染み渡っていく……!
「そんなこと……お祖父様に言われなくても判っています……あたしっ!」
それでも、彼女は……祖父に強く自分の思いを伝えようとする。
「……それなら恵ちゃんだって……お父様の子供です。お祖父様の孫です!」
……だけど。
「いいや、この子は違う。彼は、僕の孫ではない……!」
……そうだ、違うんだ。
「……お祖父様?!」
愛美さんの顔が……青ざめる。
「この子は……『隠し子』だ」
……隠し子。
「仲代家にとっては、『存在していない子』……いや、決して『存在を認めてはいけない子』だ」
……存在してはいけない子供。
それが……オレなのか……。
「……お祖父様、それではあんまりです。恵ちゃんは……!」
愛美さんは、涙を零しながら祖父に言う……。
「判るだろう……愛美。二度と会わないことが、お前とこの子にとって一番良い選択なんだよ……!」
「……そんなことありませんっ!」
何とか、間に合いました。
えーと、ここからクライマックスです。
もうすぐ完結なので、がんばろうと思います。
では、また明日。




