その8.タマシイノイチブ(4)
俺は慌てて魔法陣のほうを見た。ナイトロードも、驚いた顔で流離人の側へ行った。
と。
床の上に白く光っていた魔法陣が、赤い色に変わる。
その、光の間から、黒っぽい霧のような何かが、吹き出してきた。
「不味いっ。このままでは、こちらで魔王が実体化する――」
流離人が両手を、魔法陣に翳して何かしようとした時。
不意に、流離人とナイトロードの間の空中に、別な魔法陣が現れた。
魔法陣が出来て一秒もしない間に、ぽーん、と、人が飛び出して来た。
俺は驚きすぎて、思わず口をあんぐり開けてしまった。
現れたのは、黄緑色っつーか、若草色っつーか、の髪をした、すげーきれーな顔をした男だった。男は、俺とおんなじように声も出ないくらい驚いている流離人の隣に立つと、片手に持った白い杖を、赤い魔法陣に向けた。
「――在るべき世界へ戻れ。転移封鎖」
杖の先端についた赤い石から、まぶしい白い光が溢れ出た。
途端、魔王が出で来ようとしていた、赤くなった魔法陣が、黒板消しで消されたように無くなった。
流離人の館の床は、ただの木目の床になっていた……
危機は去ったんだ。俺もだが、さすがのナイトロードも、ちょっと脱力している。
「クレメントっ!!」流離人が、危機を救ってくれた闖入者、じゃなてい、恩人に呼び掛けた。
「一体、何処で何をしていたのだ? 随分と探したんだぞ」
クレメント、と呼ばれたきれーなにーちゃんは、銀色の目を細めて、くすっ、と笑った。
「済みません。未踏破の異世界への行き方が見つかったので、そちらを巡っていました。アーカイエスの伝言は、アッシア異界のセリーの店で見付けまして、急いで駆け付けました」
「それで……。いや、こちらこそ済まなかった。礼を言うのが先なのに」
クレメントは「いえ」と笑った。
「ところで。こちらの方々は?」
きれーな銀の目が、俺とナイトロードを見る。ナイトロードはすっ、と、クレメントの前へ出た。
「お初にお目に掛かる。私はハイ・グローバの元竜王、ナイトロード。絶対神ウォームが統べるエラステス界の最強の魔導師にしてリンス・エルナ異界の魔術王クレメント陛下に、こんな形でお会いできるとは」
ナイトロードがそう言った途端。
俺の頭ん中に、もんの凄くでっかい宮殿の、奥の奥の方の王様の椅子に座ったこのにーちゃんのイメージが、ぽんっ、と現れた。
にーちゃん、いやいや、王様の左右には、ずらっ、と並んだ家来らしい人間が、どう勘定しても二百人以上。
へー!! そんな偉いさんなんだ、このきれーなにーちゃん。
感心する俺をちらっ、見た魔術王陛下は、
「さすがハイ・グローバの竜王陛下ですね。よく僕の素性をご存じで」
と言いつつ、若緑色の髪を、ちょっと照れくさそうにぽりぽりと掻いた。
「ハイ・グローバの二形の者は、あちこちの異界に召還される。その都度、行った異界の噂話を持ち帰る者も少なくないので。
それにしても、流離人……いや、アーカイエス殿が「せめて知り合いが見つかれば」と言っていたのが、あなただったとはな」
そーいや、流離人って、あ、アーカイエスってのか。こいつもそんな偉いさんなのか?
俺、よっぽどヘンな顔で二人を見てたんだろう。
クレメントとアーカイエスが、揃って俺を見ながら吹き出した。
「あ、すいませ……。僕もアーカイエスも、そんなに偉い人間じゃないんですよ。ただ、血統のせいで、普通より少し魔力が多くて、それでいろんな仕事をさせられているっていう感じですね」
「ケットウ」漢字が、分かんねえっ。
って思ったら、ナイトロードが『血筋、と言えば分かるか?』と聞いて来た。
「ああ、そうか」
俺が口に出して頷いたら、クレメントがにっこり笑った。
――男だって分かってるんだけど、マジ、美人だこの人。
ちょっと、忘れられた里のエイミーに似てる、気がする。
けど、女子のエイミーにはわりぃんだけど、どっちがって言ったら、クレメントのほうが断然、きれいだ。
もちろん、セイルには敵わねえけど。
その、美人なクレメントが、ほわっとした口調で言った。
「竜王陛下と一輝くんは、本当に深く繋がっているのですね。……これは、期せずして、というより、もしかしたら必然的な結果なのかもしれませんねぇ」
「え?」俺は目を丸くした。
だって、クレメントには、俺とナイトロードが、あのセンドランドのバカ仔犬二匹のむっちゃくちゃ魔法で、ごっちゃに合体されて召還されたってコト、話してないんだが?
なのに、どーしてそのことを知ってんだ?
クレメントは、俺が「?」って顔しんのに気が付いて、説明してくれた。
「お二人の魔力の流れを見れば分かります。同じ配色の魔力が、お二人の間を常に行ったり来たりしている……。これは、一度混合した経験がそうさせているのでしょうが、極めて珍しい例ですね。
あー、お二人の詳細な情報については、たった今、アーカイエスの記憶を開示して貰い、知りました」
あー?
人のコジンジョウホウだぜ? 勝手に知らねえ奴(っても、助けてもらったんで、ほんとは強えこと言えねえけどよ)に教えちゃうって、それどーよ?
俺は、思いっ切り眉間に皺を寄せて、不快感をアラワにしながらアーカイエスを睨んだ。
「仕方ないだろう。私よりクレメントの魔力の方がかなり勝っている。心話で開示を求められれば、余程でない限り応じるのが礼儀だ」
アーカイエスが悪気のなさそうな言い訳をしていたその時。
床に倒れていたハルバヤシュが目を覚ました。
「――ここ、は?」
赤金の髪が、さらさらと音を立てそうな動きで、頭を上げたハルバヤシュについていく。
黄緑色の目が、きょろきょろと周囲を見回していた。
「私……、魔王と合体していたのに……」
「それはもう、大丈夫ですよ」
クレメントが、優しい笑顔でハルバヤシュを見た。
イケメン、ってか、超絶美男子の笑顔って、男が見ても気持ちいい。
――って、俺、おかしいのかな?
けど、側にしゃがんで微笑んでくれるクレメントに、ハルバヤシュは赤くなりながらも少し笑顔になった。
「あなたと魔王を、完全に分離しました。……そこの英雄の方が」と、クレメントが俺を指差す。
ハルバヤシュが、黄緑色の目を丸く見開いて、俺を振り返った。
「本当に……。私と魔王を離してくれたのですね。ありがとうございます」
「結構突飛な方法だったが、魔王にも感情があったのだな、一輝の気合いが通じたようだ」とナイトロード。
「はらはらは、したけれどね」
アーカイエスが真面目な顔で言うのに、クレメントがくすっ、と笑った。
「の、割には、かなり余裕のご様子でしたが?」
「からかわないで欲しい。本当に大変な思いをしたのだ。君がもっと早くこちらに到着してくれていれば、アルシオン異界の御仁――いや、一輝に、あのような危険な作戦をさせなかった」
「それは失礼」
クレメントは、若緑の髪を揺らし、俺に向かって深々と頭を下げた。
俺は、なんだかもんの凄くコソバイイ気分になった。
「あ、いえっ。俺、喧嘩は慣れてっすからっ!!」
「それにしても」アーカイエスがむっとした顔を作った。
「あれで本当に、魔王が大人しくなるかな?」
「そうですねぇ」クレメントは、ナイトロードの手を借りて立ち上がったハルバヤシュを、ナゼかしげしげと眺めた。
……外見は穏やかな好青年っぽいけど、中は結構女好きのスケベか? もしかして?
思わず疑った俺に、クレメントは「違いますよ」と苦笑した。
あ、そか。
アーカイエスとクレメントの二人も、俺の考え事とか読めちまうんだ。
っくーっ!!
魔導師って、付き合いずれぇ。
「一輝は特別です。竜王陛下と、真我の一部が繋がっていらっしゃるからですよ。――それより、ハルバヤシュ王女」
柔らかいクレメントの声に呼ばれて、ハルバヤシュは「はい」と小さな声で返事した。
「魔王が持ち掛けたあなたとの契約は、あなたが一輝と共にこちらに来たことで解けました。魔法での契約が、こういった形で解けるのは珍しい例ですが」
どゆコト? と顔を見た俺に、ナイトロードは丁寧に教えてくれた。
「普通、魔法を使える者同士がお互い同意の上で契約を結んだとすると、どちらかがその契約の内容に反した行動をした場合、魔法での罰則が自動的に掛かるようになっている。
ハルバヤシュの場合は恐らく、魔王との契約に違反すれば、魔王の中に取り込まれてしまうというものだったのだろう。――だが、一輝が魔王を『殴った』ことで、契約のどこかが狂ったのだ。どちらにしても、一輝と私、流離人アーカイエスが、一か八かと腹を括ってやった行動が、良い方にいったのだ」
半分は、三人共やぶれかぶれだと思ってやったんだけどな。けど、ハルバヤシュがマオーから解放されたんなら、それでいいや。
クレメントのほわっとした笑顔に、ハルバヤシュが、ほんとーに安心したって顔で笑った。
「良かった……!! 私、もう誰も殺さなくていいのですね」
「そうですよ。――ただ、この界に長くあなたが留まると、再び魔王があなたを取り込もうと暴れ出す危険があります。ですので、一刻も早く別の界へ移動しなければなりません」
クレメントの説明に、ハルバヤシュは少しだけシュンとした顔になった。
「でも私……、自分の世界には、戻れません。あんな酷いことをしてしまって……。それに、戻ってももうシュナワの王宮には帰れないし」
「そうですか」と、クレメントは真顔で頷いた。
「テシア異界のお生まれのあなたを、他の界へお連れするのは容易です。けれど、別な世界にはあなたの全く知らない文明があり、言語があり、それらに慣れるのに苦労されると思いますよ? それでも、テシア異界以外の界へ、行かれますか?」
きっつい言い方じゃあねーけど、クレメントの言ってるコトは、かなりシビアだ。
俺の場合は、ナイトロードって相棒が居てくれたから、異界へすっ飛ばされても何とかなったけど、全く知らない場所に一人で放り込まれてたら、いっくら喧嘩上等の俺だって、ぜってービビってた。
……いや、竜になっちまってた時は、マジでビビったんだが。
ハルバヤシュも、クレメントの言ったことに気が付いたって感じで、酷く迷ってる様子になった。
戻りたいのに、戻れない。
考えたら、今の俺もおんなじ状況だぜ。
早いとこ自分の居た地球――こっちの連中に言わせっと、アルシオン異界って言うらしいけど――に帰って、兄貴の様子がどうなってっか、確かめたい。
もちろん、お袋にも謝りたいし。
こんなバカ息子でも、きっと心配してんだろーし。
……そーだ、ハルバヤシュにだって、きっと一人や二人は、彼女が居なくなって心配してた人が居る筈だ。
仲良くしてたマーヤって王女は、ほんとはどう思ってんのかな?
「あんたさぁ」俺は、そのことをハルバヤシュに言った。
「ぜってー、あんたが居なくなって心配してる人が、テシア異界に居ると思うぜ? 仲良かったって言ってたマーヤって娘には、最後に会ったのっていつだったんだ?」
ハルバヤシュは、はっとした表情で俺を見た。
「ずいぶん会ってないんだったら、きっと心配してんじゃねーの?」
「……マーヤは、多分……、私が王宮を追い出されたことを知りません。最後に会ったのは、私の母上が亡くなった葬儀の日でした。その後すぐに、私は王宮を出て行くように、後宮付きの官吏から言われて、母上の遺品を慌ただしく纏めて、翌日には出て行ったので……」
「それってもしかしたら、オヤジさんの王様が決めたことじゃないんじゃねえの?」
俺は、直感的にそう思った。、
いくら何十人って王女が居るからって、自分の子供が可愛くない親なんて、俺には信じられねぇ。
ハルバヤシュが邪魔だと思った他の誰かが、勝手にハルバヤシュを追い出したんじゃ?
俺が思ったことに、ナイトロードが賛同した。
「私も、一輝と同じ意見だな。後ろ盾の無い第一王女が居ては困ると思った誰かが、ハルバヤシュを王には秘密で王宮から出した」
「頼った先の神官に、娼館に売り飛ばされたって言ってたよな? それって、最初っからそーいうシナリオで、そいつらがタイミングを見計らって、あんたを罠に嵌めたんじゃねーのかな」
「の、可能性は、大ですね」クレメントも頷いた。
「だとしたら、ハルバヤシュ姫、あなたは断固としてシュナワに戻らなくてはなりません。あなたを貶めた人間達は、あなたのお父上も貶める可能性があります。僕も長く玉座に就いていた経験がありますので、嫌ですがそういった暗躍は見聞きしています」
「では……、わたしは……」
不安気な顔のハルバヤシュに、アーカイエスが薄く笑んだ。
「安心しなさい。クレメントと私も同行する。あなたの父上に、例え幻術が掛かっていたとしても、我々なら解くのは容易い。何より、あなたを案じる人々が、きっと王宮に居る筈だ。その人達のために、あなたは、シュナワの第一王女としての汚名を雪がなければ」
ちょー不安そうだったけど、クレメントとアーカイエスの励ましに、ハルバヤシュは、「よろしくお願いいたします」と頷いた。
うむむ?
どこかで見たよーな人間が、二人に増えていたりします・・・