閑話その1.セイルと夏祭
一輝とナイトロードがルルドニア異界に召還されている頃――
テシア異界のセイルが治めるセンドランドでは、女王陛下ご成婚の祝いの献上品の検品に追われていた。
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「西塔の検品終わりました~~」
「ペンドレーク領の活きマスの管理は、あれでよかったでしょうか?」
「バレンタイン伯爵家より、白馬十頭が到着しましたっ!!」
祝賀の儀は、ナイトロードと一輝がセンドランドに帰還してからということになっているが、我先に女王の心象を良くしようと上物を献上してくる貴族が後を絶たない。
それというのも。
ナイトロードがサンクセイの前侯爵イヴァリアス卿を焼き殺したためだった。
最大にして最強の黒幕の死で、サンクセイ勢はたちまち総崩れとなったのは言うまでもない。更に、女王が、一撃でイヴァリアス卿を倒した相手と婚姻したとなっては、もはやセイルに楯突く者は皆無になった。
サンクセイ現侯爵イグアスに付いていた姻戚筋の貴族までもが、皆、セイルの側につく意を表すために、自領内で一級と言われる品々を、これでもかと言うほどに王城に送り込んで来ている。
当のディアドロワ現侯爵イグアスについては、現在サンクセイ城に蟄居となっている。程なく退位を女王勅命で申し付けることになっている。が油断は禁物、である。
セイルに靡いたと見せかけて、一矢報いようとするイグアス忠義の者も居ないとは言い切れない。
多くの献上品から、そういった輩からの危険物を見抜いて取り除く総指揮をするのが、
魔導師長の役目である。
次から次と飛び込んでくる検品の報告を右から左とこなしながら、ヘンリー魔導師長は、レジーナ・シェイクロッドの話を聞いていた。
『だーからっ、竜王陛下はルルドニア異界へ直行遊ばされちゃったんだってばっ』
『それは、いつの事だ?』
『センドランドからハイ・グローバに戻ってすぐ』
決済を待つ部下の前で、魔導師長は「ふむ」と唸って手を止めた。
「どう、なさったのですか?」急に仕事を中断した魔導師長に、部下が不安そうに尋ねた。
「あ――いや。……これは、オリバー卿に渡してくれ」
部下が、魔導師長の決裁書を貰い、一礼して部屋を出る。
それを見計らって、魔導師長は、衛兵に、
「暫く、ここに誰も通すな」と命令した。
衛兵が部屋の外へと出ると、魔導師長はレジーナを呼んだ。
現れたハイ・グローバの二形のハイ・エルフは、今日はいつもと違い、黒のタイトドレスを着ていた。
とりどりに染めた髪はそのまま、大きく開けられたドレスの背中に流されている。
魔導師長は難しい顔でレジーナを見詰めると、低く言った。
「詳しい話を聞きたい」
「はいよ」
ふざけた返事とは逆に、肘掛椅子に腰を下ろしたレジーナは、至極真面目な口調で、《忘れられた里》の長老からの伝言を、伝えた。
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王城が祝いの品の検品の嵐に巻き込まれている一方。
女王の居室には、所狭しとドレスが陳列されていた。
成婚のお披露目と夏祭が重なるため、今年は王城の前広場に祭のパレードの民衆が入ることとなった。
その来た時に、セイルが民衆に顔を見せる際に着るドレスを選定するためだ。
これまで着たことがあるものから、祭のお披露目用にと、各ドレスブランドが腕によりを掛けて売り込んで来たものまでが、並んでいる。
ふんだんに使われた宝石やレース、中には、珍しい鳥の羽を織り込んだもの。
形も、クリノリンを用いて大きく膨らませたギャザーのロングスカートから、肩で着るストレートラインタイプ、胸での切り返しのあるプリーツのワンピースなどなど、様々である。
まさに、豪華絢爛、である。
「……マダム・サリーの店からは、北デリング領産のエイリュー鳥の羽を飾った、最新のストレート・ラインドレスが来ております。ああ、こちらでございますね」
リストを見ながら女王に一着ずつの説明をするオリバー卿の夫人ガーネットに合わせて、 侍女が、ドレスを恭しく持ち上げ、セイルの前へと持ってきた。
眼前に吊るされる服を見ながら、セイルは「ふむ」と頷く。
どれもこれも、秀逸な作品であるには違いない。
セイルが生まれ付いての女性なら、目移りして決められないかもしれない。
だが、セイルは元男。便宜上女王となっているだけで、中身の半分は男性だった。
「リリアン・ローズ嬢からは、最新のバックレスストレートタイプのドレスが来ております。――こちらの赤でございますね」
セイルの長い黒髪を意識してデザインされた深紅のドレスには、星くずを思わせる細かな半透明のラグノリン石――地球で近いものと言えば、ダイアモンドとなるのだろう――が、何百個と縫い付けられている。
リリアン・ローズというデザイナーは、本店をティンアード市、サンクセイ領一の大都市に構えている。
後ろ盾は、間違いなくディアドロワ現侯爵、というより、イヴァリアス前侯爵夫人マドレーンである。
この老婦人は、前々代侯爵夫人、イヴァリアス卿の母親マリアンが、自分の実家であるカランラッド領からわざわざ輿入れさせた、筋金入りのサンクセイ派だった。
そんな夫人が後ろ盾ということは、何が仕組まれていてもおかしくは無い。
セイルは、侍女に持たせていた赤いドレスを、近くに寄ってじっ、と眺めた。
――魔力の、臭いがする……?
子供の頃から、この類の魔術の残臭は、何となく感じられた。が、魔力の弱い自分には、ただの勘でしかないと思われた。
ナイトロードが別れ際に言った、『リンゼル王の系譜は魔法封じが掛けられている』の一言を信じるならば、自分にも、悪しき魔術の残滓くらいは見分けられているのかもしれない。
「魔導師を呼べ」セイルは決断し、声を張った。
「お呼びでしょうか?」すぐに入って来た若い魔導師は、セイルにドレスを調べるよう言われ、躊躇いがちに超高級品の衣装に手を伸ばした。
しかし、その途端。
「あっ、つっ!!」
ばちんっ、という炸裂音と共に、ドレスの胸の部分が弾け飛ぶ。丁度心臓の辺りに大穴の空いた布を見て、オリバー卿夫人ガーネット以下、侍女達が騒ぎ出した。
若い魔導師が、すぐにヘンリー卿に連絡を入れたため、数分も掛からずに、セイルの私室へ魔導師長と、丁度一緒にいたレジーナが姿を現した。
「まぁた、派手にやっちゃってくれたねぇ。ディアドロワ一派残党も」
雷撃の呪文で腹部が裂けたドレスを摘まみ上げて、レジーナが溜息をつく。
魔導師長も、眉を顰めて品物を見詰めた。
「……して、陛下。どうしてこの品が暗殺用の仕掛けがされていると、お気づきになられましたのか?」
セイルは、少し躊躇いながら、「臭いだ」と話した。
「魔力の臭いがしたのだ。……私には、大した魔力は無い。が、昔から、仕掛けのための魔力の臭いは、どういう訳か嗅ぎ分けられた」
「はあん?」レジーナが、ずいっ、とドレスに顔をくっつけた。
「この『臭い』が判るんなら、そりゃ十分に魔力があるってコトじゃないの? 女王さま」
「そう……なのか?」確かに、ナイトロードにはそう言われた。
「そうか」
ぱんっ、とヘンリー魔導師長が拳を叩いた。
「ディアドロワ候夫人は、陛下に弱いながらも魔力がおありなのを知っていた。だから、弱い魔力でも、触れれば雷撃の呪文が発動するように、術を掛けたのか」
「あー、それで、魔力の無い侍女のおじょーちゃんが持っても大丈夫だったってわけか」
ふうん、と納得するレジーナの隣で、セイルははあっ、と肩を落とした。
「とにかく、誰にも危害が無くて良かった。――しかし、いつまでこんな陰湿な嫌がらせを続ける積りなのかな、ミセス・マドレーンは」
「いっそのこと、首、刎ねちまったら?」
スパッと言うと、レジーナはドレスを放り出して近くのソファへ座った。
魔導師長は、面倒な話になりそうだと、部下の魔導師と侍女達を下がらせる。
と、それまで黙っていたオリバー卿夫人ガーネットが、義兄に言った。
「どうでしょう。この祭の間に、マドレーン様を王城にお招きしてみては?」
「それで、どうするのだ?」魔導師長は、驚いた顔でガーネットを見返した。
「そもそも、こんなにサンクセイ領主様方と陛下の御関係が拗れてしまったのは、ディアドロワ侯爵家の婦人方の権勢欲がお強いからですわ。でも、今度の、竜王陛下の御英断で、もはやサンクセイの主家の殿方は、ほどなく退位をお命じになられますイグアス様を除き、お一人も残られていません。ですから、今回のマドレーン様の暗殺まがいの行為を、王城にマドレーン様をお呼びになって陛下が鷹揚にお許しになり、マドレーン様が素直に頭を下げられれば、これで完全にサンクセイ方との戦は終結、となりますでしょう?」
「なるほど。陛下が、この度の事は不問に付す代わりに、ディアドロワ候夫人に今後一切の陛下への手出しをしないと確約させる、というのか」
ガーネットの提案に、ふうむ、と魔導師長が唸る。ソファに腰掛けたレジーナが、にたっ、と笑いながら言った。
「いいんじゃないの? そのお使い、あたしが行ったげるよ。多分、あのおばさんのことだから、ただ「来い」っつったって、どーのこーの文句並べて来やしないさ。けど、今度の事で女王様がカンカンに怒ってて、申し開きをしなきゃ、またダンナの竜王様をけしかける、って言ったら、絶対飛んで来るね」
「……だが、あまり脅し付けても、逆効果だろう?」
ディアドロワ候夫人が、それでもこちらへ出向かなければ、徹底抗戦ともなり兼ねない。
困惑するセイルに、ガーネットが言った。
「確かに、あまり強くお言い付けになるのはどうかと思われますが。でも、女同士、腹を割って話したい、と申せば、マドレーン様も案外さっぱりとしたご気性の方と伺います、出向いて来られるのでは、と」
それに、と、オリバー卿夫人は付け加えた。
「先程も申し上げたように、もはやディアドロワ侯爵家には、跡を継がれる男子がおられません。理の無い争いは止めよ、と、陛下が申し付けられれば、それでよいのかと」
「そうだな」と、ヘンリー卿は顔を上げた。
「要は、ディアドロワ侯爵家筆頭となったマドレーン夫人が、陛下に害をなさないと、公で確約する姿を見せればよいのだ。――しかし、見返りも居るな」
「……養子を、ディアドロワ侯爵家に送ればよいのではないか?」
セイルの意見に、皆が一斉に女王を見た。
「お心当たりが、おありで?」と、ガーネット。
セイルは、やや口の端を釣り上げて、笑った。
「あのバカ二匹ではどうだ?」
魔導師長が、ぎょっとする。
「ルシウスとアレクサンダー、ですか?」
セイルは「そうだ」と頷いた。
「二人とも、フィッシャー卿の三男四男だし。しかも、母親はあの才女と名高い、アイリーン・タイラーだ」
ヘンリー卿の四番目の弟の後妻は、身分は魔導師館書記長と低いが切れ者として名の通った高官タイラー卿の二女だった。
「なるほど。双子に、後見役としてアイリーンを付けてディアドロワ侯爵家に入れる。となれば、もはやマドレーン夫人の思うようにはなりませんね」
ガーネットも、得心がいったと頷いた。
「だが、ディアドロワ侯爵家の存続はなる。女王暗殺を不問に付す交換条件としては、悪くないであろう」
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かくして。
セイレィニア・エレナ・センドランド2世陛下の成婚のお披露目を兼ねた夏祭は、王城と城下町を中心に、盛大に行われた。
伝書鳩役を買って出たレジーナは、ディアドロワ侯爵夫人に、それとなく脅しを掛け、まんまと王城へと引っ張り出した。
セイルは、ヘンリー卿とオリバー卿、それと夫人のガーネットと共に更に綿密に計画を練り上げ、ほぼ当初の予定通り、マドレーンに詫びを入れさせることと、ルシウスとアレクサンダーをディアドロワ侯爵家へ押し込むことに成功した。
パレードが、セイルの出るのを待ち兼ねて、王城広場のバルコニーの真下で、渦を巻くように踊っている。
真昼の強い日差しの下、セイルは、一輝と婚姻を誓った時の純白のドレスを着て、バルコニーへと出た。
パレードの群衆の踊りが、リズムが、一段と派手やかになる。
セイルを讃える、民衆の声。それに優雅に答えながら、セイルは思った。
とりあえず、センドランドは落ち着いた。
あとは、愛しい伴侶が無事に戻って来るのを、ひたすら召還の神に祈るのみ。
――早く、戻って来てくれ、一輝。
戻って来てくれたら、その時は……
その時こそ、絶対、本当の妻になる。
一輝のために男には戻らないと、女王は青天の下に強く誓った。
えと、ナイトロードがえらいこっちゃやっちゃって、ハイ・グローバに行っちゃった後の、センドランドの情勢です。
セイルも、なかなかちゃんと女王業やってる、かな?