その7.異界と魔界と別界と(1)
別嬪に殴られた顔を、ナイトロードがゆっくり戻した。赤くなった頬を、左手の甲で押さえる。
ってか、そりゃ俺の身体だぞっ。ムボービに殴られんなよっ!!
別嬪が、ずいっ、と一歩、こっちへ近づいた。
「わらわを捨てて行ったくせにっ!! どのような顔でここへ現れるかと思えば……。アルシオン異界の者と結合させられるなどという、不抜けた姿で来るとはっ!!」
「ア、アルティミシア様、お気をお鎮め下さいっ」エイミーが、おろおろと割って入った。
「よいのだエイミー。アルティミシアには、私を責める権利がある」
どんな? って問い掛けた俺に、ナイトロードは殴られた割に冷静な感情で答えた。
『娘だ。』
『――へ?』俺は、ゼツミョーに間が抜けた声を出した。
『む……、娘? 元カノじゃなく?』って訊いちまってから、あ、そうかって気が付いた。
ナイトロードには嫁さんがいたんだった。たしか、水竜で、セルリアーナ。
俺がそのことを思い出した途端、ナイトロードが、むっつりと、違う、って返してきた。
『アルティミシアの母親はセルリアーナではない。前妻だ』
うっひょーっ!!!! さっすが元王様っ!!
もしかして、リコンでサイコンの、いまどき俺らの世界のげーのーじんみたいなヤツのアレか?
……自分でも何言っちまってんのか、ちょっと理解不能だぜ俺。
美人に引っ叩かれたり、前妻の娘だったりで、頭コンラン状態だぜっ。
つか、300歳の竜のカミさんって、一体何人、じゃねえ、何匹いたんだ?
勝手にグルグルしてる俺に、ナイトロードは生温かい笑みをくれた。
『離婚はしていないし、妻はセルリアーナと前妻の二頭だけだ。前妻とは死に別れだ。ヘスティアは大主様の傍系の白銀竜で、強い魔力を持った雌竜だったが、アルティミシアを身籠った時、魔力の強さが禍して、出産後すぐに亡くなったのだ』
「はっきり申せばよいだろう? わらわが二形という、いびつな者であったため、母上はその魔力を捻じ曲げられて息絶えたのだと」
うわっ、この姫君にも俺らの会話ツツヌケかよっ。……まあ、そうだろーけど。
あ、ちょっと待て。
いま《二形》って言ったよな? この姫さま自分のこと。
え? じゃあ、ナイトロードがわざわざこっちに呼び戻されなくても、魔力の強い竜の二形なら、この姫さまが居るんじゃねーか。
『経験値の問題だろうな』
と、ナイトロードが俺の考えをやんわり否定した。
「アルティミシアは、まだ100歳に満たない。アルシオン異界の人間の年齢にすれば、16歳ぐらいだ。だから……」
ナイトロードが脳内会話を止めて、言葉を口に出したのは、俺らの会話が聞こえずに不安そうな顔をしているエイミーのためだ。
そーいうヤツだよな、ナイトロードって。付き合いは、まぁ短けえけど、いっしょくたにされてるお陰でナニ考えてるのかはよく判る。
結構、気ぃ遣いだ。
だもんで、アルティミシアに対しても、ナイトロードがどんなに気を遣ってるのかも、俺にはよぉくわかった。
でも、お姫さまにはオヤジの気遣いなんて、全く分からなかった、らしい。
「わらわが未熟だから、大主様がルルドニア異界へ渡るのをお禁じなされた、と言うのかっ!? それで、おまえを呼び戻したとっ!?」
戯言を、と、いきまく娘に、ナイトロードがやれやれ、と肩を落とした。
「やはり、大主様にルルドニア異界行きを申し出ていたか」
姫君が、ぎっ、とナイトロードを睨んだ。
「当然であろう。親に捨てられたわらわを、代わって大事に育んでくれたのは、この里の長老と大主様だ。その恩に報いるためであれば、わらわの力が使える場所ならば何処へなりと行く」
ナイトロードは、困った、って心の中で溜息をついた。
そりゃあそうだろう。危険だと判ってるとこへ、カワイイ娘を行かせるオヤがいるもんかっ。
って、俺がオヤジの気分になったってしょーがねえんだけど。
一緒になってるせいで、もしかしたらだいぶオヤジ化してんかな、俺?
『オヤジで申し訳ないな』
独り言に答えられて、俺はアワワってなった。
「……ですが、姫さま」今まで黙ってたエイミーが、しゃべった。
「長老様のお話では、ルルドニア異界の魔導師は、かなり狡猾な術者ではないかと……。そういった者が、こちらの話をまともに聞き入れてくれますかどうか」
「聞き入れなければ、力で押せばよい」
切って捨てた姫君に、ナイトロードが渋い顔をした。
「力押しが効く相手とは、限らない」
「ほう、竜の力を抑え込める人間などが、この世にいるというのか? 竜王どのの言葉とも思われぬ」
ふん、と鼻で笑う娘に、オヤジ(ナイトロード)は、多分俺だけに聞こえる程の魔力の声で、
『まだまだ、子供だな』と呟いた。
「とにかく、私と大主様で決めたことだ。そなたは、私に万が一のことがあった時のために、この里で待機していろ」
「親面をしおって!! わらわに命令などするなっ!!」
アルティミシアが怒鳴った瞬間。
周囲の木の葉が強い風に煽られてばっさばっさと揺れた。太い枝も、強風でぐぐっ、と撓る。
飛ばされそうになったエイミーを、ナイトロードがはっしと捕まえた。
さっすが元竜王さま。暴風にびくともしねぇ。
銀の髪を風になびかせたアルティミシアは、薄水色の目を大きく見張り、自分の父親を睨み付けている。
ってか、風竜だったんか、この姫さま。
……らっ? 俺ってば、いつの間にか竜の魔力の特徴を見分けられるよーになってる?
「落ち着け、アルティミシア」
「うるさいっ!! おまえなど、わらわの父ではないっ!!」
さっきより、もっと風が強くなる。千切れて飛んでく葉っぱの数がハンパねえし。
うーむむ、ソート―な聞かん気だな、姫さま。
あまりの木の撓りに、何事かと近くの家の住人が窓から顔を出した。
その窓目がけて、中ぐらいの枝が折れて吹っ飛んで行く。当たらなかったが、住人は慌てて顔を引っ込めた。
「あっ、危ないですからっ!! 窓は閉めてっ!!」ヤジ馬に気が付いたエイミーが、強風に息継ぎしながら注意する。
「いい加減に、勘気を抑えよ。アルティミシア。でないと、この里が壊れてしまう」
ナイトロードは穏便に、けどしっかり叱った。
でも、姫君は聞く気ナシ。両手を前へと突き出して、もっと魔力を放出する構えをとる。
仕方ないな、と、心で呟いて、ナイトロードは空いている手で宙に魔法文字を描いた。
「……魔法無効」
途端に、風が止む。
撓っていた木の枝も、瞬殺で大人しくなった。
「なにっ?」アルティミシアが、驚愕の表情でナイトロードを見る。
一動作で娘の魔法を消し去ったナイトロードは、ひどく優しい声で言った。
「すまんな。そろそろ大主様が長老の家へお出ましになる。私は行かねばならない。――そなたとは、また今度ゆっくりと話し合いたい」
実力差を見せ付けられて呆然としたままのアルティミシアの脇を、ナイトロードは何事もなかったみたいに、エイミーを助けるようにしながら通り抜けた。
俺らが十歩くらい行った時、背後で「待てっ」っていう、アルティミシアの声がした。
さっきの威勢はどこへやら。弱々しい声に、けど、ナイトロードは振り返らなかった。
りゃー!!
別嬪さんは、なんとナイトロードの娘でした!!
ナイトロードの浮気発覚!! と思われた方、すみません。