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土曜日の夕方。小雨が降りしきる中、華絵は地図を片手に渋谷にある小さなスタジオへ向かっていた。
ピロミクンを含む数人の俳優を目指す青年たちがスタジオで即興の演技をくりひろげ、関係者がビデオや写真を撮るという企画だ。一部のネット上の会員にはその様子がリヤルタイムに配信されるという。
五階建ての小さなビルは大通りから路地裏へ入ったところにあった。少し上のほうに入口があり、外階段があった。華絵が上がってガラス張りの玄関から中を覗き込むと廊下に長机が置いてあり『受付』と書いてある。トイレらしきところからちょうどスタジオに入ろうと若い男が出てきてガラス越しに華絵の姿を見つけた。男は扉を開いて少し怪訝そうな顔をした。
「撮影会に御用ですか?」
「はいそうです」
「ここへ名前を書いてください。料金は千円です」
受付を済ませてスタジオに入ると十人ほどの青年が愛想良くカメラに向かってしゃべり掛けていた。見物している者も十人くらいだ。しかし見物客は全員十代くらいの若い女性で、華絵は皆の視線を一斉に受けた。華絵は三十歳。やや童顔なので見方によっては二十代前半くらいに見えないこともないが、服装はごまかせない。思いっきり『主婦です』というような格好だ。
脇に膝をついて出番を待っているピロミクンの姿が見えた。彼はすぐ華絵に気付き、目を細めた。相変わらず感情が入っていないロボットのような表情だ。
ついにピロミクンの出番になった。彼の仲間は三人である。ところが話しているのはピロミクン以外の二人ばかりで、無表情のピロミクンは完全に浮いてしまっている。いや、浮いているのならまだいい。存在感がほとんど無くなってしまっているのだ。
――引いてちゃダメだよ、ピロミクン。何か言わなくっちゃあ。
華絵が身を乗り出してジェスチャーをしていると、音も出していないのにカメラマンが『しーっ』と言うように唇に指を当てて不愉快そうな表情をした。華絵はシュンとなり思わず小さくなった。
ピロミクンは美形である。しかし、その周りにはしらけ鳥が飛んでいる……。
最後は、一人ずつ、お菓子を食べてそのおいしさをアピールするコーナーのようだ。次々とギャグを飛ばしながら、体も目一杯動かしておいしさを表現する青年たち。
ピロミクンは?
ピロミクンの番になった。彼は引きつったような笑顔で一言感想を口にした。
「ナイステイスト!」
何度も言うようだが、ピロミクンはイケメンな今日の出演者の中でも上から三番目くらいには入るような美形である。しかし、セリフは最低、表情も最悪、演技はどっちらけである。
華絵は悔しくて悲しくて、そして一生懸命なピロミクンが可哀想で涙がこぼれそうになってきた。
――ピロミクン。あなたはどうしてもっと前に出るように頑張れないの? お願い、神様。彼を何とかしてあげて。
休憩になったので、華絵はもう帰ることにした。するとピロミクンは廊下へ出てきて彼女へペコリとお辞儀をした。
「華絵さん。本当にありがとう。僕、嬉しいよ」
顔が全然うれしそうではない。しかしその言葉が一生懸命な彼の精一杯の気持ちを表していた。




