リボンのついたクリスマス
そしてクリスマス当日。地上のコントロールセンターには、イーコムの重役や学園の研究者たちが集まっている。このデモの統括である石井もいた。エリは目の前の満月を見上げて、デモ会場の群衆の真ん中でメイの言葉を待っていた。この会場にいなくたって、満月が見えているなら頭にスピーチを強制的に流し込まれるだろう。
「――えー、こんにちは。私は今、みなさんの脳内に直接話しかけています」
セーラー服を着て現れたメイがそう語り出す。十二単で出てくるんじゃなかったっけ、と手を伸ばしても当然届かない。じっと見つめると、中心がぐにゃりと滲んで判然としなくなる。メイが視界を切り開いて目の前に立っている姿は、脳が普段から適当に補正して埋め込んでいる景色そのものだ。やはりある種、量子的であった。
周囲では視界がジャックされる初めての感覚におおっ、という歓声が上がる一方で、頭を抱えてうずくまる人も少なくなかった。エリにとってはもう慣れた感覚だが、本来なら一生使わないはずの脳の一部が確かに動いている。相性の悪い脳波が強力に頭を歪めるのだから、耐えられない人もいるだろう。
会場周辺では高出力電磁波反対協力連合会の行進が続けられていて、多くの人がかれらの配っていた新品のアルミホイルを持っていた。全員が「電磁波攻撃反対」「電磁波盗聴反対」と大きなスローガンの入ったアルミホイルを携えて集団幻覚を見続ける、異様な光景だった。
ふと、メイが月に飛び立つ前に「みんなに最高の思い出をプレゼントしようね」と言っていたのを思い出す。私、後半の台本見てないけど大丈夫だっけ……なんて思いながら、セーラー服のかぐや姫のつまらないスピーチを聞き流しているうちに、とうとう時間が来た。演説の流れを突然ぶった切って、メイがエリの視界に向かって一歩前に出る。
「ねぇエリ? あなたはどんな犬が好きなの?」
「私は、ボーダーコリーが好きよ。頭がいいから! あなたは?」
「ボルゾイ! カッコよくて足が速いから!」
「うん、知ってた!」
「私だって知ってるよ。昔一緒に図鑑見たよね! んー……あと何の話するんだっけ?」
「アレでしょ。脳波を……ね? みなさ~ん、お手持ちのアルミホイルを頭に巻いてくださ~い!」
スピーチが中断され、明らかに計画から外れた不気味な会話が自分たちの脳内で繰り広げられている。『何か』に勘付いた群衆が怯えた声を上げて、まだ落ち着いていたはずの周囲を巻き込んで動揺し始める。エリの言葉を鵜呑みにして、慌ててアルミホイルを頭に巻き始める人もいた。メイが時折サブリミナルのように流し込んでくる不安や恐怖の感覚の前では、脳波コミュニケーションの有名な逸話のオマージュだと気付く聡明さは消え去ってしまうのが人間というものである。
コントロールセンターからも不安に駆られたスタッフが数人飛び出して、石井が怒鳴り声を上げてパニックを制止しようとする。しかし、もう遅い。そんな下界のことは気にせず、メイがじわじわと脳波の出力を高めていく。ここまで来ると、もうメイと相性の悪い脳の持ち主は自分が歩いている方向さえ分からなくなるだろう。
「えー、もう? エリはせっかちだなぁ」
「みなさん、急いでくださいね~! そろそろ始めちゃいますよ~」
「ま、今さら何人か巻き込んだって変わらないっしょ。じゃあ、まずはでっかいクリスマスツリー!」
満月から降り注ぐのは、きっと今や銀河系で一番巨大で悪趣味な、電飾でぎらぎらのツリー。視界を埋め尽くすクリスマスツリーは、視界に収められないくらい巨大なのに、頂上を飾るベツレヘムの星の輝きまで一目に収めることができた。増幅器の限界を優に突き抜け、下層にある衛星回路を焼き切り、エリというたった一人の受信機のためにメイが脳波を送り続ける。そのイメージは満月から逃げ回る全ての人類の脳へ、直接流し込まれた。
それだけではない! 人々が逃げ惑う会場の中、空をじっと見つめて動かないエリの横に本物の巨大なクリスマスツリーが建つ。もう一本。さらにもう一本。メイがエリに初めて小石を渡したように、イーコムが集めた沢山の観客が持つ脳波を少しずつ集めて物質に変換し、メイが想像したとおりのクリスマスツリーが建っていた。
しかし、今ここにいる誰も幻覚か現実か区別できない。科学を超えた魔法の力なのか、誰かが操られているだけなのかも分からない。しかし、エリが触れるモミの木の感触は確かに目の前にあった。
「次は~……でっかいプレゼント!」
ラメの入った包装紙で巻かれてリボンのかかった巨大な箱が降り注ぐ。何が入っているかは、メイにもまだ分からない、両手いっぱいで抱えられるくらいの箱が、十個……そして二十個。イーコムの幹部でさえ、既に今の状況は理解できずにいた。かれらの巻いていた最高級の脳波遮断ヘッドギアは、確かにメイの脳波を防いでいるはずだったが、全員が月から降り注ぐクリスマスの目撃者であった。これは幻覚ではない!と誰かが叫んだ。
「そして~……でっかいダブルベッド!」
ふかふかの大きなベッドの柔らかい感触が流れ込む。会場の外へ、できるだけ遠くへと逃げ惑っていた人々も、その心地よい感覚に思わず足を止めた。月面基地という、いま世界で最も孤独な場所にいる少女が、地球でただ一人待つ少女のために宇宙規模の『寝室』を作り上げていく。
と、メイが月から飛び込むための救助マットが完成するのを遮るように、石井がコントロールセンターから飛び出した。
「な、なんだこれは! 中止だ! 今すぐ装置を切れ!」
そう叫ぶ石井の脳内に、エリの勝ち誇ったような笑い声が響く。石井がさっきまで監視のためにかじりついていたモニターは既に脳波で焼き切られて、二人が犬の図鑑を読んで笑っている子供じみた記憶が何度も何度もループで再生されていた。
石井にとって、孤独な養護施設育ちの少女を月のお姫様に祭り上げることは、彼なりの救済のつもりだった。純粋に宇宙を夢見た少年の頃の石井は、かつてそんな景色を思い描いていた。デモが大失敗に終わりつつある今この瞬間も、何光年超えても届く脳波の力にまだ夢を追い求めている。
しかし、メイが求めていたのは天上の玉座などではなく、クリスマスまで指折り数えてエリとマシュマロココアを飲む時間だけだったのだ。
「うるさい! エリに近づくな! 私たちのこと、くだらない計画の道具としか思ってないくせに!」
「な、なんで……俺は、ただみんなの夢を――」
そう言い終わるより先に、石井の足元やコントロールセンターの中に次々と爆弾が降り注ぐ。いやいや爆弾ってなんだよ、と思うかもしれないが、いかにもゲームに出てくるような黒い球体に導火線が付いた爆弾だ。メイが爆弾と聞いて最初に思いついた爆弾である。人間の想像を強化することしかできない、AIによる選択的増幅装置の弱点でもあった。
そんな安っぽい爆弾がゲームみたいに全てを吹き飛ばすのを見届けてから、メイは満を持して月面基地からエリの立つベッドに向かって落ち始める。彼女の頭のイメージのまま、まっすぐ。彼女に残った脳力を全てつぎ込んで、全てのイメージを作り上げる。そして、用意していた最後の仕掛けを投下した。
「じゃあ、最後に~……リボンで巻かれた私の恋人!」
「え……ちょっと待って!」
一際明るく白い光の矢となって世界に降り注ぐのは、エリが真っ赤なリボンで身体を最低限だけ覆う裸リボン姿のイメージだった。人々を貫いて地上に降りた光の粒がエリの身体を周りながら覆っていくと、やがて彼女はメイの想像通り、リボンで巻かれた姿で大事な恋人を待ち受けていた。メイがどこに落ちるのか分かっていて、そうするはずだったように腕を広げる。
――とすん。月から落ちたとは思えない羽根のような軽さで、セーラー服姿のメイが腕の中に収まった。断熱圧縮なんて空間ごと飛び越えて着地した冬の冷たい身体を擦りつけて、メイがにっこり笑う。後ろではコントロールセンターが燃え続けていて、ここにいるのは見つめあう二人だけだ。
しかし、月の光を浴びた世界中の人類の脳裏には、恥じらいながらこちらを見つめる謎の少女のあられもない姿が焼き付いて離れなかった。かれらの記憶は少しずつ姿を変えながら、理想の裸リボンとして定着していくだろう。きっと明日は、この話で持ちきりに違いない。イーコムなんて、そのまま何の話題にもならないまま潰れてしまえばいいんだ。
「エリ、私の声が聞こえる?」
「メイ、あなたの目の前にいるわ! この変態!」
さて、世界初の脳波による会話実験といえば、アレクサンドラとトーマシンによる「メイシー、私の声が聞こえる?」「サンディ、あなたの声を感じているわ」というものが有名である。しかしこれは正確な事実ではない。
クリスマスに月面から脳波をジャックし、倫理を忘れた企業を倒産に追い込み、何億人もの脳にリボン姿の恋人の姿を焼き付けた――史上最悪で最高にハレンチな少女たちの伝説の方が、インターネットでは有名だからだ。




