あっちがわの砂
「あなたには、まだ、もうすこし、時間がある」
《あっちがわ》の凍りついた森のなかで、あの女の人は――似ていないのに、なぜか、どこかママみたいな女の人は――いいました。
だからでしょうか?
みっちゃんの前には、あれ以来、ぱったりと《道》があらわれなくなりました。
まだ時間がある――というのは、つまり、しばらく来なくていい。そういう意味だったのでしょうか?
(なんだか、かってだわ)
みっちゃん的には、ちょっとプンスカしてしまいます。
《道》ったら、以前は、あんなにしょっちゅう、あっちにも、こっちにも顔をだして、おいでおいでとさそってきたくせに……。
でも、それはそれで、よいことかも、とも、思いました。
《あっち》に行けないのは、もの足りない気もしないではないけれど、でも、前回のたんけんでは、なんだかキモチワルイような、コワいようなこともありましたし……やっぱり、ママのそばがいちばんだよね、と、思ったりもしましたから。
それに、なにより、ちいさいみっちゃんの毎日は、ただでさえハッケンの連続です。なにも《あっち》なんか行かなくたって、たんけんは、《こっち》でだっていくらもできます。
たとえば、そう……
いつもは正面の長いかいだんを、パパやママに手をひかれて、ふうふうしながらのぼっていた神社さんに、じつは裏道があって、そっちからだと、山ぎわの住宅地にぬけられて、なだらかな坂道になっているのが、わかったり……
幼稚園のすぐヨコの、ほそい路地にはいってみると、つきあたりに、おおむかしみたいな井戸が(ふたはしてあったけど)残っていて、そのそばに生えた木に、きれいなだいだい色の実がなっていたり……
クルマがびゅんびゅん走って、あぶないから手をはなしちゃだめって、いつもいわれる大通りの、ビルのすきまに、石の棒みたいのがたっていて、ムツカシイ文字(※ママにもよめません)が彫ってあるのをみつけたり……
《あっち》に通じていない、《こっちがわ》の道だって、ちゃんと、思いがけないところにつれていってくれることは、あるのです。
なんなら、そんなに歩きまわらなくたって、いいのです。
いつものご近所の道ばたにも、電柱の根もとや、壁ぎわや、はい水こうのふたのすき間なんかに、だれも見向きもしないような雑草がはえていて、そんなのが、ときどき、ビックリするくらいきれいな花を咲かせていることもありますし……
おばあちゃんちの庭のツワブキだって――まえにおばあちゃんがつくったツクダ煮を「おいしいよ」と食べさせられてダマサレた、あのオトナの味のツワブキだって――季節にはあざやかな黄色い花を咲かせていたりするのです。
おうちの門扉に、どろでできたツボみたいのがくっついてるのをみつけて、なんだろうってきいたら、ハチの巣だっておとうさんがあわてだしたこともありましたし……
幼稚園の門柱の下に、いつのまにかナンテンがはえて、赤い実をつけていた――そしておとこの子たちにたちまちむしられた――ことだってありました(ほんとにケンタロってばしょーがないんだから)。
ほかにも、あげていけば、きりがありません。
たわいない、ありふれた、でも、ちいさいみっちゃんには、そのつど、わくわくするハッケンです。
だから、まいにち、いそがしいのです。
《あっち》のことなんて――わすれたわけではないけれど――そうそういつまでも気にしていることはできません。にろくじちゅう《あっち》のことばかり考えてはいられないのです。
そうして、時間はすぎていくのでした。
季節もかわっていくのでした。
気づけば、あっというまでした。
二度も《あっち》へ行った夏。その夏がおわると秋。秋がおわれば、もう冬で……
やがては冬も終わって、そしたら今度は、もうじき春。さくらが咲いて、そつえん式。
みっちゃん、小学生に、なるのです。
※
「おばあちゃんにも、見せてくる!」
みっちゃんが、そういって、家をとびだしたのは、入学式を来月にひかえた、三月のある週末。
パパとママが、新品のランドセルを――ちょっとわざとらしくモッタイをつけて――プレゼントしてくれたときでした。
どう? どう?、と、みっちゃんの反応をたのしみにして、うずうずしているパパママに、
(ほんとオトナってしょうがないわねぇ)
なんて思いながら、みっちゃんだって、べつにヤブサカではないので、「わーい、わーい」とはしゃいでみせて……
からっぽのランドセルを背負って、パパカメラのまえでポーズをきめてあげたりなんかもしたのでした。
それから、「すうぷのさめない距離」のお家にひっこんでしまったおばあちゃんにも、見せにいこうと思いついたのです。
(なんたって、カワイイマゴのハレスガタ、だもんね)
ランドセルのままおさんぽしたかっただけ、ともいえますが……まあ、モノハツイデというやつでしょう。
玄関をとびだし、トコトコトコトコ。
お外の写真もイイネ!なんて、パパはまだパシャパシャやっています。
ほうっておいたら、そのままおばあちゃんちまでついてきそう。
それはそれでいいんだけど、でも、おばあちゃんとは、二人っきりでないとできない話もあったりするので……
「ひとりでいくのっ!」
なんて、コドモっぽく、いいはってみたりもしたのでした。
パパはしょんぼり。
ママがわらってなぐさめます。
もう何か月も、ずっと、なにごともなかったので、ママだって、みっちゃんひとりのおさんぽを、前ほど心配はしてないみたい。
うまいこと、ひとりで出発できました。
そして、じっさい、なんにも、ありませんでした。
おとなりさんも、おとなりさんのおとなりさんも、そのまたおとなりさんも、いつもとおんなじ、ふつうのお家。
アカメの垣根が半年ぶりに、また赤くなりはじめていたりはしたけれど……その垣根のすぐ横に、ふだんは存在しない《道》なんてものが、しれっと顔をだしていたりは、しないのでした。
おばあちゃんにもらった、あのかいちゅう時計だって、いつもどおり、ピクとも動かないままでした。
夏ごろまでの《道》のでしゃばり方にくらべれば、ひょうしぬけするくらい、なにごともなく、とうちゃくです。
ガラガラガラ。
古いガラスの玄関をあけて、
「おばーちゃーん」
呼びながら、かってにあがって、ずんずん、奥へ。
「あいよ」
どこからか、おばあちゃんの声がしました。
でも、姿は見えず。
「和室で待ってな」
きっとまたどこか奥の隅っこにもぐりこんで、古道具の点けんでもしているのでしょう。
おばあちゃんちは、なんだかよくわからない、古い道具でいっぱいです。
みっちゃんのかいちゅう時計だって、そのうちのひとつです。
おばあちゃんは、ひまさえあれば、そんな道具をハックツしては、ふいたり、みがいたり、油をさしたり、ネジを巻いたり……ときにはブンカイしてまた組み立てなおしたりしていることもあるみたい。
「たまに手入れしといてやらないと、へそを曲げるからね」
ちいさいみっちゃんから見れば、なにもかもが、キョウミシンシン、おもちゃばこ。いじりたくてウズウズします。
だから、いまよりうんとちいさいころは、ろくに見せてももらえませんでした。
いまだって、見るだけです。ほとんどさわらせてはもらえませんし、奥のお部屋は立ち入り禁止。
「あぶないものもあるからね」
おばあちゃんはそういいます。
それだって、どういう意味でアブナイのか……あのかいちゅう時計の性能を思えば、むしろ、かえってソソラレます。
(バクハツでもするのかしら?)
それは、まあ、イヤなので、いいつけをやぶったりはしませんが……いつかもうちょっとおおきくなったら、奥のお部屋にも入れてもらうんだって、みっちゃん的には、こころヒソカに決めていたりはするのです。
だから……ね?
仕方ないですよね?
おばあちゃんに「待ってな」なんていわれた、その和室の、ちゃぶ台のうえに、そんな、見慣れない、おおきな砂時計なんてものがおいてあったりなんかしたら、「みっちゃんホイホイ」にならないわけがありません。
いえ、もう、いっそ、おばあちゃんがわざとしかけたトラップなんじゃないかしらと、うたがってみたくなるくらい。
でも、まあ、ここは奥のお部屋じゃないもんね。
おばあちゃんが、こんなところに置きっぱなしにしているのだもの。そんなアブナイものなんかじゃないはずです。
だから、みっちゃん、まっしぐら。
砂時計にとびつきました。
両手でかかえて、ひょい、と、もちあげ、ガラスのなかをのぞきます。
そのときでした。
チッチッチッチッ
チッチッチッチッ
ひさしぶりに、ほんとうにひさしぶりに、時計の音が、きこえたのでした。
※
おなじ「時計」といったって、砂時計がそんな音をたてるわけはありません。
みっちゃんは、ポケットに手をつっこんで、かいちゅう時計をとりだしました。
やっぱり。
うごいているのは、そのかいちゅう時計のほうなのです。
それは、おばあちゃんにもらった、かいちゅう時計。
とってもフシギな、かいちゅう時計。
ふだんは、ウンともスンともいわず、止まったまま。
でも、《あっちがわ》の道があらわれると、とつぜん、チクタクチクタク、うごきだすのです。
《あっち》へいって、とくべつなカギでゼンマイをまくと、とおくのどこかで、ボーン、ボーン――大むかしの柱時計みたいな音がして、なんだか意味がわからない、でも、ステキみたいな、アブナイみたいな、ヘンなことが、起こるのです。
だけど、ほんとうにアブナクなると、みっちゃんを、ちゃんと《こっちがわ》につれもどしてくれたりも(たぶん)するのです。
なんでそうなるのか。みっちゃんにはわかりません。おばあちゃんも、きちんと話してはくれません。「そのうちわかるさ」そればっかり。
でも、とにもかくにも。
その時計の針が、チクタクチクタク、音をたてて、うごいているということは、きっとどこかに、あの《あっちがわ》の道が、ひらいているのです。
「えーと……」
みっちゃん、きょろきょろ、見まわしました。
すると、すぐに見つかります。
さっきくぐってきたばっかり。開けっ放しのふすまのむこう。板ばりのろうかに、さらさら、さらさら……乾いた砂が流れこんできています。
さらさら
さらさら
さーーっ
砂はだんだんふえていきます。
茶色い廊下があっというまに真っ白になって、いまはもう、和室のなかにまで入りこんできています。
ざーっ
ざざーーっ
ざざざーーーっ
「おいおいおい」
あっというまに畳の上にうずたかく、砂の層ができました。
ろうかには、もう、みっちゃんの腰くらいの高さまで、砂がつみあがっています。
砂は、それでもまだ、あとからあとから、じゃんじゃん、どんどん、流れてくるのでした。
みっちゃんは、もう、足首まで砂にうまっています。
なんだか、みおぼえのある、見た目でした。
でも、見た目だけです。
砂は、このあいだの雪とは違って、熱いのです。まるで、去年つれていってもらった、夏の海の砂浜みたい。
でも、それより、もっとかるくて、さらさらしています。
さらさらだから、ちょっと足をモゾモゾさせると、かってに、さーっと、すべりおちていくのです。
だから、するっ――砂から足をぬくのはカンタンでした。
もっとも、その足を砂におろすと、またぐっと沈みこむうえに、あとからあとから砂がながれてきて、なんどでも埋めにかかってくるのでしたけれど……。
そのままじっとしていたら、だんだん深く埋められてしまって、けっきょく、やっぱり、身動きできなくなりそうです。
そうなるのがいやなら、するっ、するっ、すぽんっ。なんども、なんどでも、足をぬいて、おろして、ぬいて、おろして――くりかえさないといけません。
それっていわゆる足ぶみですけど……
砂はどんどん流れて、どんどんつもって、上へ上へあがっていきますから、同じ場所で足ぶみしているだけだと、だんだん、天井が近づいてくるのでした。
そのままだと、いずれは身うごきできなくなって、やっぱり、どうも、イキウメです。
イキウメがいやなら、和室を脱出しなければならないみたい。
みっちゃん、ため息。
「これも《道》……なのかしら?」
まわりはただいちめんの砂。道はばなんてわかりません。道っぽくはありません。でも、こうやって、みっちゃんを《あっち》にさそいこもうとするのなら、やっぱりこれも《道》の一種ではあるのでしょうか。
《道》ってなんなのかしら?
《あっち》って、どこなのかしら?
すこし前までは考えなかったギモンが、みっちゃんの胸にうかびました。
なんってったって、みっちゃんだって、来月には小学生。ずいぶん、オネーサンになったのです。いろいろ、考えたりだって、するのです。
ちょっと前まではホンモノだって信じていた、アニメやトクサツが、いまでは作り話だってわかるみたいに――ちょっと前まではフツウだと思っていた《あっち》が、どれだけヘンテコなのか、いまではハッキリわかるのです。
すると、あらためて、ふしぎなのは、おばあちゃん。
どうしておばあちゃんだけ《あっち》のことを知ってるのでしょう?
どうして、こんな、かいちゅう時計を、もっていたのでしょう?
どうして《あっち》の人が、「おばあちゃんによろしく」なんて、おともだちみたいなことを、いったのでしょう?
もしかしたら、おばあちゃんも、《あっち》の人だったんじゃないかしら?
でも、きいても、いつも、はぐらかされます。
「さあてねえ」
「どうかねえ」
「おせんべ食べるかい」
「冷蔵庫にジュースあるよ」
ちょっと、ズルイのです。
だからといって、いいかげん、このままでは困ります。
「こんどこそ、ちゃんと、おしえてもらわないと」
でも、そのまえに……
とりあえず、今は、ここをぬけだすのが先決です。
ざっく、ざっく、ざっく……
砂のなかを、いっぽいっぽ、足をぬいて、おろして、ぬいて、おろして……歩きました。
そうしてからだを前へおくると、足は、下へしずむだけでなく、うしろのほうへ、ずるずる、すべるのでした。
砂は高いところから流れてくるから、つまり、ちょっとした坂道です。
その坂を、いっぽふみだすたびに、すすんだぶんの半分くらいはすべりおちながら、ちょっとずつのぼっていくのです。
ずるっ、ずるっ、ずるうっ……
お砂場をスコップでひっかいたみたいな足あとを残しながら――それもすぐに埋められながら――みっちゃんはすすみました。
そうして、さいごは、ふすまに手をかけ、えいっ、と、一気に和室の外へ――
するとそこはもうおばあちゃんちのろうかなんかじゃなくて、みわたすかぎり、砂、砂、砂の世界なのでした。
ひろびろとした空から、まぶしいお日さまが、ギラギラ、照りつけてくるのでした。
「あづい……」
みっちゃん、うへえってなりながら……
背中のランドセルを、ひとつゆすって、ととのえなおすと……
見わたすかぎりの砂のなかを、歩きだすのでした。
※
行けども行けども砂、砂、砂。
砂の平原がつづきました。
ずっと、ずーっと、つづきました。
けれども、そのうち、急に傾斜がきつくなってきました。
いつのまにか、目の前には、砂の壁。
さっきまで、右も左も、前も後ろも、ぜんぶが空で、青くて、まぶしかったのに、それがいまは、前のほうだけ、さえぎられているのでした。
(あ、山なんだ)
とつぜん、みっちゃんは気づきました。
夏につれていってもらった海で、おとうさんとつくった砂山みたいな――幼稚園のお砂場でケンタロにてつだわされた砂山みたいな――サンカッケイみたいなトンガリ山が、ゆく手にたちはだかっているのです。
みっちゃんが歩いてきたのは、その山にむかって、すこしずつ盛りあがっている、すそ野なのでした。
それが、さっきから、いよいよ登山道の入口ってかんじで、急こう配になってきたのです。
(えー、のぼるの、これ?)
ちょっとウンザリ。
かといって、ほかにアテもありません。
ため息ひとつ、歩きつづけました。
ランドセルを背負って山のぼりだなんて、《こっちがわ》なら、遠足みたいかもしれません。
でも、《あっち》では、そんなのんきなことも、いっていられません。
ランドセルはランドセルでも、中はからっぽですからね。
(ジュース……せめて水でも入ってればいいのに)
《あっち》のことですから、知らないうちに、水筒がわいて出てくるとか、べんりなことがおこらないかしら?
なんて思って、なんどかランドセルのなかをゴソゴソしてみたりもしましたが、そんなツゴウのいいことがあるわけもなく……
もういいかげん、みっちゃんののどは、カラカラです。
(ときじくのジュースおいしかったなあ……)
(そういえば、おばあちゃん、オミヤゲにもらったあの実をどうしたんだろう)
「こまったもんだね」なんていいながら、ぜんぶ、回収してしまったけれど……
(ちょっとくらい分けてくれたってよかったと思うのだわ)
キカイ的に足をおくりだしながら、だんだんボーッとしてきたアタマで、そんなヤクタイもないことを考えたりするのでした。
アタマとカラダが、ちょっと、べつべつになってきたみたい。
つかれてきた証拠です。
(やばいかも……)
なんて考えながら、からだはまだ勝手に、自動的に、前へ、前へ――いいえ、いまでは上へ、上へ――歩きつづけているのでした。
そうして、どれくらい歩きつづけたのでしょう。
気がつくと、みっちゃんは、立ち止まっていました。
歩こうったって、もうそれ以上は、のぼれないのです。
むりに歩きつづけたら、今度は、下へおりていってしまうでしょう。
せっかくのぼってきたのに、それでは、意味がありません。
だから、アタマはぼーっとしていても、からだが気づいて、立ち止まってくれたのかもしれません。
(アー、ナンダコレ)
(ドコカデ見タコトアルヨウナ……)
みっちゃんは、はたらかないアタマで、考えました。
目のまえに、見えているのは、砂のとんがりアタマ。
それが、山の頂上でした。
みっちゃんは、そのちょっと手前で、立ち止まって、斜面に手をついて、そのとんがり帽子をのぞき込んでいるのでした。
それこそ、お砂場の砂山のてっぺんみたいな頂上でした。
でも、もっと、よく似た何かを、つい最近、見たような気もします。
何だっただろう?
アタマがぼーっとして思い出せません。
つかれて、のどがかわいて、
「……そろそろ出てきてくれないかしら」
そうつぶやくのがやっとでした。
すると……
「さっきからずっといるんだが」
声が、すぐ耳元でしたのでした。
※
みっちゃんが、声のほうに顔を向けると……
チロチロ、チロチロ、
青い舌をだしたり引っこめたりしているのは、頭から尻尾まで、1メートルはありそうな、おおきなトカゲでした。
頂上近くの斜面に手をついて、四つん這いになったみっちゃんのすぐとなりに、そのトカゲも、やっぱり四つん這いになって、みっちゃんの顔をのぞきこんでいるのでした。
とたんに、
「キモッ!?」
ざざーーっと、みっちゃん、いっきにあとずさり。
はちゅう類って、やっぱり、ちょっと……ですものね。
でも、トカゲは怒って、追いかけてきます。
「失礼かよっ!」
いっしゅんで距離をつめて、とびかかってきました。
みっちゃんは、きゃあきゃあいって、逃げまわりましたが、足場のわるい砂山のてっぺん近く。スピードではかないません。
あっというまに、すっころんで、背中にのしかかられてしまいました。
「わはは、勝った」
トカゲは、なんだか、やけにうれしそうに、ケラケラ笑います。
来月やっと小学生になるおんなの子あいてに、おとなげないったらありません。
それとも、このトカゲもコドモなのでしょうか……?
どっちにしても、あんまり凶悪な感じはしない笑い方でした。
でも、なんだか、ムカつく笑い方ではありました。
それで、きもち悪さとか、こわさとか、あんまり感じなくなったのかもしれません。
みっちゃん、ぐいっと背中をおこすと、そのまま、ぴょんとはねおきて、すわりなおしました。
「おおっ!?」
みっちゃんの背中からすべり落ちたトカゲが、砂の上にひっくりかえります。
おなかを上にむけて、ジタジタ。
キモイというより、まぬけです。
みっちゃんにその気があれば、その白いお腹に、パンチのひとつもくらわしてやれそうです。
でも、まあ、さわるのは、まだちょっとキモチワルイし……
たぶん、これが、この砂山のカンリ人(※おばあちゃんが、前に、ときじくのおじいさんや、森の女の人のことを、そう呼んでいたのです)なのでしょうから……
(カンベンしといたげるわ)
トカゲはジタバタからだをくねらせて、やっとのことで、起きなおりました。
「あー、ひどいめにあった。まったく、あいかわらず、キョーボーなオンナだぜ」
「?」
みっちゃん、聞きとがめて、
「あんた、あたしを、知ってるの?」
たずねましたが……
トカゲは、「ふっ」なんて、カッコつけて笑うだけで、こたえようとしませんでした。
やっぱり、ムカつくトカゲです。
こんなトカゲと、どこかで、会ったこと、あったかしら?
むぅ……って、みっちゃん、トカゲをのぞき込みました。
すると、トカゲは、チロチロ、また青い舌をひらめかします。
その舌が、みっちゃんのお口に、ふれそうになって、みっちゃんは、また、ばっと、からだを引きはなしました。
「キモっ! へんたい! すけべ!」
「うっせえ、ナンダコノー!」
どうにも話がすすみません。
今回の「カンリ人」とみっちゃん、だいぶ相性がわるいみたい?
みっちゃんは、ふかぶかとため息をついて、
「で? あんただれ? ここどこ? 飲みものは? カギもってる?」
まとめてききました。
「雑だな、おいっ!」
「さっさとすませてよー」
のどかわいたー、と、みっちゃん、とうとう、泣きだしてしまいました。
「あー、わかった、わかった、ほらー、泣くなよぅ」
トカゲは急にこまったように、オロオロしはじめました。
みっちゃんも、弱みをみせたいわけではありません。トカゲがタイドをあらためて、シンシテキになるのなら、泣きやんであげるのもヤブサカではないのですが……
泣くのをやめたみっちゃんが、それでも、まだちょっとだけ、くすん、くすん、していると、トカゲったら、
「ちぇっ、女はズリーよな、泣けばすむと思ってやがる」
なんて、やっぱり、悪態をつくのでした。
(ほんとに、なってないわ)
(れでぃーが泣いてるってのに)
(気のきいたこともいえないなんて)
みっちゃん、プンスカ。でも、おかげで、涙も引っこんでしまいました。
それにしてもヘンなトカゲです。
これまでの「カンリ人」さんたちにくらべれば、ずいぶん、コドモっぽいのです。
「で、あんただれよ」
みっちゃんは、あらためて、ききました。
トカゲは、ぐっとつまって……
そっぽをむいて、なんだか言いにくそうに、
「王子さまだよ」
小さい声で、いいました。
「はあ?」
みっちゃんは、思いっきり、眉をひそめて、トカゲをみました。それはもう、あらためて、しげしげと、まじまじと。
それから、おおきく、これみよがしに、ため息をつきました。
トカゲは怒って、とびあがって、
「うっせえ! オレだっていいたくていってんじゃねぇ! だれだよ、こんな認証ワードつくったやつ! おまえかっ! おまえのしわざかっ! チクショー! さっさと魔法をときやがれ、オラー!」
みっちゃんのお顔めがけて、とっしんしてくるのでした。
ぺちっ!
みっちゃんは、ものもいわずに、トカゲの顔をたたきました。
さわるのがイヤとか、いってる場合ではありません。
「王子さま」の「魔法をとく」だなんて、つまり、おとぎ話の、アレじゃありませんか?
そんなの、冗談じゃ、ありません。
でも、トカゲはもんどう無用、
「なにすんだコラー」
怒って、またとびかかってきます。
ごんっ!
みっちゃん、もっかい、たたきました――今度はグーで。
べしっと、トカゲは砂の上につっぷします。
そのまま、しくしく泣きだしたのは、今度はトカゲのほうでした。
「もういいもん。こっちから願い下げだもん。こんなボーリョク女、サバクでヒモノになっちまえばいーんだもん」
すっかり、すねて、いじけています。
ひとしごと終えたみっちゃんは、ふう、と、息をついて……
そしたら、また、のどのかわきが、よみがえってくるのでした。
※
「のどかわいた」
「サバクに水なんてねーよ」
ふてくされたトカゲが、ザマーミロみたいに笑いました。
そっぽを向きながら、でも、チラチラって、横目でみっちゃんの顔色をうかがっています。
(あ、かくしごとしてる顔だ)って、みっちゃんにはすぐわかりました。
コドモというより、おとこの子みたいなトカゲです。
そう思うと、あつかい方もわかってきました。
「つかえないトカゲねー。オンナノコに水ものませてあげられないなんて、カイショーナシだわ」
「だ、だれがカイショーナシだ。水くらい――って、おい!」
ひっかけやがったな、と、トカゲはジタバタくやしそう。
はちゅう類だからわかりにくいけれど、男子なら顔をまっかにしてるところだわ。みっちゃんにははっきりわかりました。だから、ぷぷって笑いをかみころしながら、
「なによー、意地をはるからそうなるんでしょ。ホントはかっこつけたいくせにー」
つん、つん。
みっちゃん、トカゲをつっつきます。
トカゲは、ことばにつまりました。
「ち、ちがっ! なにいってんだ、この、バーカバーカ!」
「はずかしがっちゃってぇ」
「うっせえ! んなわけねーだろ!」
「すなおになりなさいよ。お・う・じ・さ・ま」
ぐはっ、と、トカゲはつっぷしました。
そこで、みっちゃん、あらためて、
「のどかわいたなー」
にっこりわらって、いうのでした。
「ほしのおうじさまのサバクには井戸があったのに」
「あんな作り話といっしょにするない」
トカゲがあんないしたのは、一本の、サボテン(みたいに見えるナニカ)のところでした。
なにしろ《あっち》のことですからね。《こっち》と同じふつうのサボテンという保しょうはありません。
でも、トゲだらけで、緑色で、とちゅうで枝分かれして……見たところは、むかしのせいぶ劇にでもでてきそうな、ちゃんとしたサボテンっぽくはありました。
「こんなの、どーすんのよ」
「トゲ、ぬけば?」
トカゲはまだふてくされています。
しょーもないはちゅう類だわね、と、思いながら、とにかくのどがかわいているので、よけいなシゲキはしないように、みっちゃんは、だまりました。
トカゲのいうとおり、手近なところから、サボテンのトゲをぬいてみます。
ぐっ、ぽいっ
ぐっ、ぽいっ
ちょっと手ごたえはありますが、あんがいかんたんに、抜けてしまいます。やっぱりふつうのサボテンではなくて、《あっち》らしいサボテンモドキなのでしょうか。
やがて、枝分かれのさきっぽがひとつ、つるつる、丸裸になりました。
「まだぬくの?」みっちゃんはききました。
「折れば?」と、トカゲはぶっきらぼう。
ポキン。
やっぱり、思ったよりかんたんに、折れました。
「しぼれば?」と、今度はトカゲはそういいます。
みっちゃん、両手でぎゅっ。
すると、ぼたぼた、じゃーっ。さすがは《あっち》のサボテンモドキ。みっちゃんの力でもカンタンに、折れたとこから、すんだ液体があふれだすのでした。
みっちゃん、サボテンモドキとトカゲをみくらべて……
「……これ?」
「それ」
「まずそう」
「ゼイタクかっ!」
「むー」
まわりは見わたすかぎり、砂、砂、砂。
ほかにないなら、仕方もありません。
みっちゃん、目をとじて、サボテンモドキのだん面に口をつけると、かるく、ぎゅっ。
とうめいな液体が、口のなかに流れこんできました。
ごくごく、ごくん。
ちょっと青臭いけど……
「あれ、甘い?」
ふん、と、トカゲがそっぽを向いた、そのほっぺたが、ちょっと赤くなっているような気がしたのは……まあ、気のせいだったでしょう。
けれど、慣れると、グロテスクなはちゅう類も、まえよりは、ちょっとだけ、キモチワルクなくなった気がして……みっちゃんは、すこし、わらいました。ほんの、すこぅしだけですけどね。
あとは、ごくごく。
むちゅうで、のどをうるおしました。
「あー、いきかえった」
ひとごこちついて、砂の斜面にごろん。
横になりました。
でも、さえぎるもののない、砂の山。
まっさおな空から、ようしゃないおひさまが、照りつけてきます。
じりじりじりじり……
もういちじかんもここにいたら、まっくろにひやけして、またのどがカラカラになって、トカゲのいうとおりヒモノになってしまいそう。
はやくかえらないといけません。
でも、どうやって?
やっぱりトカゲにきくしかなさそうです。
「で、ここは?」
「サバクだろ」
「ただの?」
「ただの?」
「ときじくのサバクとか、きおくの砂とか、何かないの?」
「ねーよ」
「ないのかあ……」
《あっち》のサバクなのだから、もうちょっと、それっぽい名まえとか、かわった役わりとか、あってもよさそうなものです。
でないと、お手伝いのしようもありません。
それとも、今回は、何もすること、ないのかしら?
それはそれで、帰るとっかかりがつかめないのですが……
「じゃ、どうするの?」
どうせまたブアイソウな返事がかえってくるだけかと思いましたが、トカゲは、こんどばかりはすなおに、「ん」と、鼻づらで上をさし示しました。
「あれだ」
見上げると、砂山のてっぺんの、そのまた上の、空のまんなかに、ぽっかり、穴があいています。
穴、としか、いいようがありません。
あおい空が、そこだけ、とうめいなプラスチックの板に、焼きごてをあてたみたいに、きゅっとちぢこまって、ぶあついフチのある輪っかになっているのでした。
ごしごし。
目をこすってみましたが、そのままです。サッカクではなさそうです。
「ナニアレ?」みっちゃんはききました。
「穴だろ」
「何の穴?」
「見りゃーわかんだろ。空の穴だ」
「なんでお空に穴があくの?」
「知らねーよ、いいだろ、こまかいことは」
トカゲはめんどくさそうに話をうちきりました。
(知らないのかしら……)
説明したくないというより、説明できないみたいにも、見えました。
やっぱり、まえに会った、ほかの「カンリ人」さんたちとは、ちがうみたい。
「とりあえず、いつもみたいに、ゼンマイまいて、あの穴をどうにかすれば、もどれるんだろ」
たぶん、と、さいごは口のなかでもごもご、小声でつけたしながら、トカゲはそういいました。
そして、
「ん」
きように前足でさしだしたのは、白っぽい石でできたカギでした。
「石?」
砂じゃないんだ。みっちゃんは、ちょっとだけ、首をかしげました。まあ、砂なんてどうやってカギにしたらいいのかわかりませんが……なんだかコジツケっぽくも感じます。
でも、トカゲは、
「石はくだけて砂になる、砂はつもって石になる」
なんて、すまして、もっともらしくいうのでした。
それだけならよかったですが……
「理科でならっただろう」
なんて、鼻でわらったりもするのでした。
どうにもヒトコト多いトカゲです。
しかも、みっちゃん、
「……習ってない」
そもそも、まだ、学校にも行っていません。
このトカゲ、いったい、ナニモノなのでしょうか?
みっちゃんの答えをきくと、トカゲは「しまった」みたいな顔をして(トカゲに表情があればですが。でも、なんでだか、なんとなく、読み取れるようになってきました)……キョロキョロ、あたりをみまわしました。
それから、気をとりなおして、ごまかすみたいに、えへん、と、咳払いひとつ、
「いいから、さっさと巻けよ……時守り」
「トキモリ……?」
「それもまだか」
トカゲはがっくりして、「いいから、はやくしろ」と、前足をふりました。
「むー」
みっちゃん、ふくれっ面になりながら、でも、もう、暑くてイヤになってきたので、それ以上はきかずに、かいちゅう時計をとりだしました。
※
いつもどおり、カギは、ぴったり、時計の裏のゼンマイ穴に、はまりました。
あとは、カチカチ、カチカチ、いつもどおり。
なれた手つきで、巻きました。
カチカチ
カチカチ
さいしょは、じゅんちょうでした。
ゼンマイは軽かいな音をたてました。
でも、そのうちに、だんだん重くなって、それ以上、どうしたって、まわらなくなりました。
「いっぱいだわ」
「なら、もういいだろ」
トカゲがいいました。
みっちゃんは、カギをぬきました。
時計をひっくりかえして、ふたをあけます。
すると、やっぱり、いつもどおり……
チッチッチッチッ
チチチチチチチチ
チーーーーーッ!
時計が、ふるえはじめるのでした。
秒針が、すごいいきおいで、クルクルまわって……同時に、いつもは見えないくらいノロノロとしか動かない、ほかの二本の針も、すうーっと、目にみえるはやさで、まわりだします。
もう三度目ですが、何度見ても、ふしぎです。
いったい、この時計、何なのでしょう?
前はたいして気にならなかったギモンが、いまは、あらためて、頭のなかをぐるぐるします。
でも、それ以上、考えているひまはありませんでした。
「はじまっ――とゎああああっ!?」
もっともらしく実況しかけた、トカゲの声が、とちゅうでひっくりかえりました。
そして、みっちゃんだって、いっしょに、ひっくりかえっているのでした。
「ナニコレ?」
ボーン
ボーン
いったいどこからきこえてくるのか、わからない、むかしの大時計みたいな音が、やっぱり、いつもどおり、砂の世界にひびきわたったと思った、その瞬間――
ぐるんっ
みっちゃんとトカゲのいるあたり――お山のてっぺんか、空の穴か、それとももしか、かいちゅう時計?――を中心に、画鋲でとめた紙をくるんと回したみたいに、上と下とが、きれいに、宙返り。
世界が回転して、さかさまになったのでした。
さっきまで足の下にふんでいたはずの砂の地面が、いまは、頭の上にあって――さっきまで頭の上にあったはずの青い空と、その空にあいた穴が、いまは、足の下の、ずっと、ずーっと、下の方に、あるのでした。
そうして、上にあるものは、下にむかって、落っこちはじめるのでした(理科で習わなくたって、わかりますよね?)。
「うーわーっ!」
「あれ? あれあれあれ?」
トカゲが悲鳴をあげ、みっちゃんが目をまるくするうちにも、
ドドーッ!
ザザーッ!
頭の上の砂が、巨大な流れになって、流れ落ちてきます。
トカゲとみっちゃんが、その激流に、すぐにはまきこまれなかったのは、二人も砂といっしょに、足下の空にむかって落ちていたからでした。
「そうそう、りんごも鉄のタマも、落ちるスピードは同じなんだよ、コノヤロウ」
トカゲが、やけになって、やっぱり理科みたいなことをつぶやきました。
そのあいだにも、砂の大河は下へ下へ流れつづけていきます。
見上げると、頭の上のサンカッケイの砂の山は、ひっくりかえって、ギャクサンカッケイの、いうなれば、お台所にある「ろうと」みたいな形に、なっているのでした。
そうして、砂は、ぜんぶがいっぺんに落ちてくるのではなくて、てっぺんからじゅんばんに、お行儀よく、せいぜんと、流れだしてくるみたい。
それこそ、ママが、細いビンの口に、ろうとをさして、何かを流しこむときみたいに……
砂の流れは、下に見える穴に向って、まっしぐらに、すすんでいくのでした。
「これって、やっぱり、アレだよね……」
みっちゃんには、ピンときました。
だから、トカゲに、きいたのです。
「ねえ」
「あんだよ」
「砂時計にゼンマイなんてあるの?」
「あるわけねーだろ」
「じゃ、なんで巻いたのさ」
「それをいうなら、木にも、水にも、ゼンマイなんてないだろ」
それは、まあ、そうですが……
トカゲは、さらにつづけました。
「時報の音だって、どっかべつのところからきこえたろ。連動してんだ。アクセスするんだ、そのタンマツで」
「タンマツ……?」
みっちゃんは、もっとくわしく聞こうと、あらためてトカゲのほうを見やりました。
でも、そこには、もう、トカゲはいませんでした。
「トカゲ、にんげんになってる……?」
そこにいたのは、人間のおとこの子――みっちゃんより、だいぶ年上の、でも、コドモにはちがいない、小学校何年生だかの、オニーサンでした。
「だから、そういうタンマツだろ、それは」
「ちゅーしなくてよかったの?」
王子さまなのに? 魔法でトカゲにされていたのに?
みっちゃん、すなおにフシギでした。
でも、おとこの子は顔を真っ赤にして、どなるのでした。
「マセガキかっ! 認証ワードっていっただろ!」
「しらないもん!」
みっちゃんも、まけずに、どなり返しました。
認証ワードとかアクセスとか、わけのわからないことばっかりいって――人間にもどっても、やっぱり、びみょうにムカつくトカゲ野郎です。
このムカつきかた、なんだか、なじみがあるような……そんな気もしましたし、そう思うと、初対面のはずの元トカゲのおとこの子にも、どこかで会ったことがあるような、見おぼえがあるような気がしてくるのでした。
(だれか知ってる子のお兄ちゃんか何かかしら……?)
みっちゃんが、もういちど、きいてみようと、口をひらきかけたときでした。
「ほら、もう、さっさと帰れよ。タンマツを、しっかり、にぎってな」
元トカゲがいうのでした。
その口調は、さっきよりは、ムカつかない、これならおまけしてオニーサンと呼んであげてもいいかな、くらいには、おだやかな、やさしいものになっているのでした。
「ねえ」
あんたって――と、きこうとした、みっちゃんのくちびるに、元トカゲのオニーサンが、人さし指で「しーっ」をしました。
それから、オニーサンが、にやっとわらったそのとき――
ザザーッ!
砂とみっちゃんとオニーサンと、いっしょくたになって、穴のなかになだれこんで……まっくらで何にもみえなくなったのでした。
意識がとけてしまいそうな、まっくらやみのなかで、いつもどおり、手にした時計の感触だけが、クッキリ、ハッキリしていました。
みっちゃんは、ぎゅっと、その感触を、にぎりしめました。
すると、やっぱり、いつもどおり、チーッと、すごいはやさだった時計の音が、だんだん、ゆっくりになって……やがて、チッチッチッチッ、と、ふつうのはやさに、もどっていくのでした。
それでいい、と、元トカゲのオニーサンがいいました。
「さあ、帰りな。オレも、オレの時間に帰る。あんまり、そっちのオレを、いじめるんじゃねーぞ」
あたしがイジメるだなんて、なにそれ、ヒボーチューショー?
失礼しちゃうわ。ひと言、文句をいってやろうと思いました。けれど、思っただけ。声にするひまはありませんでした。
まっくらい砂のトンネルを流れ、流れて……
急に、スポンッ!
細い口をぬけだして、まぶしい光があふれました。
そうして、目をひらくと、さっきと同じ――ような、ちがうような――たぶん、入口と出口くらいには、ちがいそうな――空の穴から、はるか下の地面に向って、みっちゃんは、おちていくのでした。
まわりにはもう砂もなくて、オニーサンもいなくって、みっちゃんだけが、ひとりで、おちていくのです。
「あれー?」
おちるのはいいけど、どうやって着地するのかしら?
なんて、思っているうちにも、地面はどんどん近づいてきて、大きくなって……
真っ青なきもちのいい空のなかを、みっちゃんがおちていく、その先は、見おぼえのある――お家や、おばあちゃんちや、スーパーや、幼稚園のある――ご近所なのでした。
ご近所は、どんどん、どんどん、近づいてきて……
みっちゃんが最後に見たのは、おばあちゃんちの屋根でした。
ぶつかる。
そう思った瞬間、すうっと意識が暗くなって……
気がつくと、みっちゃんは、おばあちゃんちの元の和室の、ちゃぶ台の前で、砂時計を手にしたまま、立ちつくしているのでした。
※
和室は、でかけるまえと、すこしも変わっていませんでした。
もちろん、畳の上に、砂なんてひと粒も落ちていません。
両手でもっているのは、さっきちゃぶ台のうえから手にとった、おおきな砂時計。
ガラスのなかには砂の平原。そのまんなかに、ちょこんと立っていたトンガリ帽子は、みっちゃんがゆらしたせいで、くずれて、流れて、アトカタもありません。
かいちゅう時計は、いつのまにか、ポケットのなか。
音は、たぶん、もう、していません。
たしかめてみるまでもなく、それはわかりました。
それでも、いちおう、カクニンしておこうと思って、砂時計を片手にもちかえ、ポケットに手をつっこんだ、そのときでした。
「やれやれ、待たせたね」
おばあちゃんがふすまをあけて、入ってきました。
そして、みっちゃんが砂時計を手にしているのをみると、びくん、と、へんな感じで、立ち止まったのでした。
「おまえ、それ……」
モノに動じないおばあちゃんにしてはめずらしく、おどろいたような、こまったような顔をしていました。
じっと、みっちゃんを見つめて……
やれやれ、と、ため息をつきました。
「おばあちゃん――」
みっちゃんも、おばあちゃんを見つめました。
めずらしく、しんけんな顔をしていました。
もう、はぐらかすのは、やめにして。
これ以上、ごまかしたら、キライになるから。
そんなケッシンをこめたつもりで、いいました。
「あたし、この中に、いってきたの」
「そうだろうね」
おばあちゃんは、しずかに、こたえました。
みっちゃんは、そんなおばあちゃんの顔を、じっと見つめたまま、もういちど、ききました。
「《あっち》って、何?」
「ばあちゃんが、まえにいた場所さね」
「どこにあるの?」
「時間の裏がわ」
「ジカンノウラガワ……?」
みっちゃんは首をひねりました。
なんだか、それこそ《あっち》で、カンリ人さんの話をきいているみたいな気分。
トキジクノキだの、キオクノモリだの、トキノイズミだの……
ジカンノウラガワだって、その親戚か何かみたいな、謎ワードにきこえます。
むーっと、みっちゃんが、シブイ顔をしていると、おばあちゃんはわらって、やっぱり、《あっち》のカンリ人さんたちみたいな、よくわからない言い方で、それでも、いつもよりはキチンと、説明してくれたのでした。
時間の裏側なんてのは、まあ、もののたとえさね。具体的に、ここ、そこ、なんていえる場所じゃない。
ただ、ね、ゼンマイ穴も、時間合せの穴も――ゼンマイ式じゃないなら、電池だって――ぜんぶ、時計の裏っかわにあるだろう。
同じように、時間を管理するシステムは、時間の裏っかわにあるのさね。
時間なんて、いいかげんなものでね。
ほうっておいたら、ねじれたり、からまったり、逆流したり、枝分かれしたり、グルグル回ったり、早くなったり、おそくなったり、つまったり――いろいろ困ったことになるものさ。
そんなやっかいなシロモノを、きのう、きょう、あした――過去から未来に、キチンと行儀よく流れさせてやろうっていうんだ。
だれかが、めんどうをみてやらなきゃならないだろうじゃないかね。
「――それが、わたしら、時守りの一族だよ」
おばあちゃんは、そういって、話をしめくくりました。
みっちゃんには、おばあちゃんのおはなしの、はんぶんも、わかりませんでした。
ただ「トキモリ」というのが、さっきトカゲも口走っていたコトバだってことは、おぼえていました。
じゃあ、あのトカゲも、そのイチゾクだったの?
おじいさんも、女の人も?
それで、《あっち》で、お仕事していたの?
あたしが、それを、お手伝い、したのかしら?
みっちゃんは、ふーん、と、ほっぺに指をあてて、これまでのことを思い出しました。
そんなみっちゃんを、見つめながら、
「あんたもその血を受けついでる。色濃くね。ひときわ、強く……受けついじまったのさね」
困ったもんだ。
いつものように、おばあちゃんはそういって、また、ため息をつくのでした。




