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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

潮の香る街で

作者: 七宮叶歌

 私の視線は貴方――(なぎ)を追っていた。貴方に敵う人なんて、きっともう一生現れないだろう。勝手に幻想を押しつけ、今日も同じクラスの凪に想いを馳せる。


海音(うみね)も一途だねぇ」


「からかわないでよ」


 友人の美咲(みさき)は膨れっ面の私を見ると、豪快に笑った。


「凪のやつ、羨ましいなー。こんな美少女に想われるなんてね」


 美咲は「ふふん」と鼻を高くし、自分のことのように誇る。今年はクラスのみんなに、ミスコンに無理やり担ぎ出されたのだ。クラスの女子お手製のフリフリドレスを着せられた時はどうしようかと思った。準優勝という文字に驚いたのも、言うまでもない。

 私が凪を追うのには理由がある。昔、どこかで見たことのあるような、柔らかな垂れ目なのだ。不思議なことに、彼との出会いは高校入学の時で、それ以前の思い出に彼はいない。なのに、何故だろう。その瞳を見るたびに、胸が震え、想いは強くなっていく。


「おい、凪。あいつまたこっち見てるぞ。お前に気があるんじゃねーの?」


「冗談言うなよ。海音が見てるのはお前だって」


「そっかなー」


 凪と、彼の親友――(みなと)はちらりとこちらを見た後、無邪気に談笑している。奏は凪とは正反対で、クールなイメージを持たれる。つり目がその一因なのだけれど、本人は納得していないらしい。

 来週からは修学旅行がある。行先は沖縄と北海道で選べるのだけれど、私たちは北海道を選んだ。偶然にも、凪と奏も。函館の夜景や異国情緒溢れる景観にはとても興味がある。凪に告白をするなら、雰囲気を重視したい。一緒の班になった美咲に頼み込み、凪と奏の班が教会を巡る時間とぶつけてもらった。玉砕も覚悟の上だ。一生に一度の大舞台を、しっかりと心に刻み込みたい。

 その日の下校時間には雨が降っていた。すれ違った凪は傘を差しながら、憂いを帯びた瞳で空を見上げていた。微かに残る記憶の片隅に触れた気がして、胸がざわつくのだった。

 修学旅行の当日、飛び立った空港は晴れていた。それなのに、北海道へ差しかかると雲が厚くなっていく。函館空港に降り立った時には、しっとりとした霧雨が降り注いでいた。空港で外を見遣りながら、凪は唇を噛む。その横で、奏が凪を睨んでいるように見えたのは気のせいだろうか。


「今日、函館山に行く予定なのに! 夜景見れないなんて、嘘でしょー!?」


 美咲の声に、はっと我に返る。初めての北海道旅行で、悪天候なんて。ツイていない。日本三大夜景とも言われる函館山からの眺めは、幻に消えた。がくりと肩を落とし、バスへと乗り込むのだった。

 温泉にも浸かり、宝石のように輝く刺身をいただく。なんて贅沢な時間なのだろう。旅の疲れからなのか、はたまた凪を意識しすぎたせいなのか。恋バナに花を咲かせる女子に混ざることが出来ず、布団の中で枕を抱えた。


「海音、大丈夫?」


「うん。ちょっと眠いだけだから」


「つまんないなぁ。海音の話も聞きたいのに」


「海音が好きな人なんてバレバレじゃん」


 ちゃちゃを入れる女子たちに、美咲が頬をふくらませてくれる。


「しっかり寝て、明日に備えなね」


 ありがとう。言葉にする前に瞼は落ち、意識の底へと沈んでいった。

 その日の夜、夢を見た。

 そこは資料で見た、函館ハリストス正教会だ。霧雨が降る中で、私は誰かの頬を平手打ちした。あの人が傷つけられるなんて許せない。何故か、私の心は怒りと絶望に打ち震えていた。背中を覆うマントのついたコート――黒の二重廻しを着こなした二十代くらいの男は、ぎろりと私を睨みつける。


「俺は貴女に叩かれるような真似はしていない筈だが」


「あの方を傷つけておいて、何故そんなことが言えるのです?」


「あの方?」


 男は何かを思い出したように拳を手のひらに合わせ、「嗚呼」と呟く。


「あの試練を乗り越えられなかった彼奴が悪いのだ。命を奪うまではしていないのだから、感謝されはすれど――」


「どの口が、そんなことを言えるのです! 命を奪うよりも、もっと酷いことをしたではありませんか!」


 悔しさに涙が滲む。この男は、あの方の心を殺した。感情が全てなくなってしまったのだ。


「勇ましく戦った彼奴を、全身全霊で慰めてやることだな」


「それは貴方の役目――」


「お待たせ致しました」


 教会から出てきたのは、男の妻だった。深紅のドレスを身にまとい、優雅に微笑んでみせる。


「あら、貴女はいつぞやの」


 この女の姿も見たくはなかった。私を蔑んでいるような目を向け、口元を上げるばかりだからだ。幸せそうに寄り添う二人が私の心を蝕んでいく。


「行きましょう?」


「そうだな」

 

 なんてこの世は無常なのだろう。神様は存在しないのだろうか。相合傘をしながら去っていく二人に、嗚咽を漏らすのだった。


 瞼を開けると、宿の和風照明が視界に入った。あの女の顔には見覚えがある。もしや、美咲なのだろうか。あの人懐っこい笑顔とは相反するけれど、心で同一人物と捉えてしまう。

 話し疲れたのか、美咲は同室の女子たちと熟睡中だ。声をかけても起きはしないだろう。モヤモヤする心を何とかしたい。雲の僅かな切れ目から覗く朝焼けに目を奪われつつ、窓を開け放った。そのまま深呼吸し、外の空気を取り込んでみる。

 この状態で凪に告白できるだろうか。教会へ行くのは今日なのだ。途端に心拍が速度を上げていく。


「寒いー」


 起き抜けの美咲の声が聞こえた。


「北海道の朝……寒いー……」


 振り返ってみると、既に美咲は夢の中だ。私は何故あんな夢を見たのだろう。今頃になって、疑問が沸いてくるのだった。


 * * *


 函館の有名なハンバーガーショップである、猿が目印のウッキーピエロに立ち寄り、午前で使った足を回復させる。ハンバーガーはパテがとろけるように美味しいし、会話も楽しい。ただ、何かが引っかかる。


「教会すごく楽しみなんだけど!」


「ステンドグラスとか、絶対に綺麗だよねー」


 その『何か』が分からない。ぼんやりとストローでオレンジジュースを啜っていると、不意に美咲の瞳がこちらを向いた。


「今日の海音、変じゃない? 浮かない顔っていうか、ぼーっとしてるっていうか」


「うん。いつもの海音じゃない」


 もう一人の女子も美咲に賛同する。自分でも、いつもの私ではないことには気づいているのだ。今朝見た夢がそうさせているのだろうか。美咲の顔を見詰め返し、今朝の疑問をぶつけてみることにした。


「美咲って、この街に見覚えとかない?」


「え?」


 美咲の眉間にしわが寄る。


「私だって、この街に来るの初めてなんだよ? 見覚えある訳ないじゃん」


 最後に「あはは」と笑い飛ばす。そうなのだ、見覚えがある筈がない。私は何を聞いているのだろう。


「変なこと聞いちゃった」


 負けじと私も笑い、その場を取り繕ってみた。

 会計を済ませ、教会へと急ぐ。バスに揺られながら、異国情緒の混ざった街並みを眺める。告白の言葉はどうしよう。「好きです!」と直球で言った方が良いのだろうか。珍しく、美咲に意見を求めてみることにした。


「美咲」


「何?」


「なんて告ろう」


 人目を気にしながら、隣に座る美咲へ耳打ちをする。それなのに、彼女は「ぷっ」と噴き出したのだ。


「そんなの、素直な気持ちを伝えればそれで良いでしょ?」


 けらけらと笑いながら、私の背中を叩く。熱くなる頬を気にしながら、上目遣いでバスの天井を見上げた。


「そう、なんだけどね。私、大丈夫かなぁ」


「今日が駄目なら、明日もあるから。旅行はまだ終わんないよ」


 それはそうなのだけれど、私はどうしても『教会』で告白したいのだ。どうか上手く行きますように。教会に住まう神様に想いが届くよう、胸の前で手を合わせた。

 バスが停車し、教会への道を歩く。その途中で、凪や奏と一緒だった筈の男子班とすれ違った。その中に、二人の姿はない。


「あの二人、話ってなんだろーな」


「修学旅行で別行動って許されんの?」


「見つかんなきゃ良いんじゃね?」


 そんな会話も聞こえてきた。なんだか胸騒ぎがする。


「私、先に行ってても良い?」


「別に良いけど……出る時は一緒だよ?」


「うん。分かってる」


 班のみんなに断りを入れ、駆け足でハリストス正教会へと向かう。何もなければ良いのだけれど。

 二人の姿は、教会の建物の入り口付近にあった。歩くペースを落とし、様子を垣間見る。


「本当に、申し訳ないことをした」


「なんで謝ってんだよ」


「俺はこの街で、お前を殺したも同然なことをしたんだ」

 

 凪が奏に頭を下げている。会話の内容が夢の話と重なる。


「それってもしかして、明治のことか?」


 凪ははっと顔を上げた。


「お前も覚えてるのか?」


「断片的ではあるけど。あれは、想像を絶する光景だからな。出来れば思い返したくないよ」


「それなのに、なんで俺と親友でいてくれるんだ?」


「明治でのことは、今の俺たちとは無関係だから。そんなの気にしてたら、凪は美咲と結婚しなきゃいけなくなるし、俺は孤独に生きなきゃいけない」


 今朝見た夢の話なのだろうか。それは実際にあった話で、凪と美咲が結婚――もしや、あの男は凪なのだろうか。


「あ、海音だ」


 凪の瞳がこちらを向いた。


「ちょっと話に付き合ってくれない?」


 私が立ち入っても良い話なのだろうか。気持ちが揺らぎながらも、足は二人へと向いていた。この恋の、あの夢の真実が知りたくなってしまった。


「海音の気持ちには気づいてた。でも、その想いは奏に向けられるべきなんだ」


「どういう意味?」


 小首を傾げ、先を促す。


「俺は箱館戦争で、上官として奏を酷使した。戦いの先頭に立たせて、その結果、奏は生きたまま感情をなくした」


 曇り空は涙を零し始めた。三人で傘も差さず、しとしとと濡れていく。

 

「俺、こんな温厚な顔してるけどさ、似てるんだよ。前世の奏の顔に」


 走馬灯のようにして、垂れ目で穏やかな『あの人』の表情が移り変わっていく。太陽のような微笑み、情に厚い泣き顔、感情を失ってしまった焦点の定まらない瞳――私が心で追っていたのは凪ではなく、奏だったのだ。思い違いだったなんて。凪は左頬を擦りながら、目を潤ませる。


「雨が降ると、海音に平手打ちされた頬っぺたが痛む気がして、平常心を保てなかった」


 夢の内容がフラッシュバックする。憎しみを込めた相手が、凪だったなんて。

 凪に恋をしているのか、恨んでいるのか。そして、奏に恋をして良いのか、許されるのか。何もかもが分からなくなってしまった。

 顔を上げると凪と目が合った。雨音だけが静寂を無視し、その沈黙が全てを語っていた。奏は私に優しく微笑みかける。


「俺は海音が誰を選ぼうと、応援するよ。それが俺に出来ることだから」


 凪は雨を浴びながら寂しそうに天を見上げ、奏はただ立ち尽くしていた。


 * * *


 修学旅行から一か月が過ぎ、凪への想いはしぼんでしまった。代わりに奏への思いが募っていく。一生に一度の大恋愛なんて言っておきながら、あっさりした終わり方だった。過去で、奏が向けてくれた優しい眼差しが忘れられないのだ。


「あーっ、遅刻するところだったぁ」


 朝礼が始まる五分前に、美咲が教室へと滑り込む。


「寝坊?」


「そうだよー……」


 美咲は鞄を乱雑に机に置き、大きく溜め息を吐いた。


「美咲も凪のことが好きなら、言ってくれれば良かったのに」


「言える訳ないじゃん。こんな美少女相手に、ライバルになりますなんてー」


 私も「あはは」と苦笑いしながら、机の上を片付ける。

 前世の記憶があるなんて羨ましい。楽しそうだ。そう思う人もいるかもしれない。でも、凪や奏を思うと、絶対にそんなことは言えないだろう。

 私は過去を内包しつつ、心のままに、自分を生きていきたい。奏の『今』を見詰めながら。あの潮風に触れた街での記憶が、私を支えている。

※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・地名は架空であり、実在するものと関係ありません。

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