だから、人違いです!
設定ゆるゆるなので、広い心で読んでいただけると助かります。
「来た! 本当に来た!」
窓の外に見える行列を見て叫んだのはアシュエル。
大神官、五人の神官、勇者、聖女、剣士、魔法使い。錚々たる人々が向かっている先がアシュエルの住むボロ屋だなんて誰が想像できるだろうか。
「なんで来るのよ! 私はアシュエルよ、アシュヘルじゃないのよ!」
神託により選ばれた勇者一行の最後の一人が僧侶アシュヘル。でも、ここで大騒ぎをしているのはアシュエルでアシュヘルではない。
アシュエルは何度も神殿に足を運び、自分の名前はアシュエルでアシュヘルではない、と訴えたが、大神官はにこやかな笑みを浮かべうなずくだけだった。
「あれ、絶対にわかってて無視したんだよ」
アシュエルはそれまで大神官のことを寛容ですばらしい人物だと思っていたが、神託を聞いてからはすっかりインチキ親父枠だ。
「神託が下ったのはアシュヘル! 私はアシュエル! だいたい魔法なんて使えないんだから、私が僧侶のはずないじゃない!」
「だ、だいじょうぶ。噂じゃ、勇者さまに会うと能力が開花するって話だ!」
興奮して声を大きくする娘のアシュエルより、よほど緊張している父サントがなんとも頼りなくアシュエルを励ます。
「なに、そのご都合主義な噂。お父さんもお母さんも魔法が使えないのに、私が使えるようになるわけないじゃない!」
「なに言っているんだ。勇者一行だぞ? それくらいのご都合主義あってしかるべきだろ!」
「はぁ?」
サントの言葉にアシュエルのイライラはドンドン募っていく。イライラをしたまま視線を移すとその先にはアシュエルの母テレサ。口紅をこれでもかと塗りたくっている。
「お母さん! 誰も家の中に入れないから、化粧をする必要なんてないわ!」
「やぁね、身だしなみよぉ」
普段からマイペースなテレサ。おかげでアシュエルのイライラは最高潮だ。
「身だしなみとか必要ないの! 絶対に扉は開けないから。ここで断固とした意志を示さないと、勇者たちにも迷惑がかかっちゃうし」
「なにを言っているのよ。あなたが僧侶なんだから迷惑なんてかからないわ。だってそうでしょ? アシュヘルなんて名前聞いたことがないじゃない。アシュヘルよアシュヘル。そんな気が抜けそうな変な名前あるわけがないわ」
「アシュヘルさんに申し訳ないから、そういうこと言わないで!」
間違いなくアシュヘルはいる。でも、いまだに見つけることができず、大神官が国王からの圧力に負けてアシュエルをアシュヘルに仕立てることにしたのだ。そうでなかったら、大神官が名前を間違えるなんてありえない。
そんなことを考えていたところ、扉をノックする音が聞こえた。
アシュエルはハッとして扉に目を向けてギョッとする。サントがいそいそと扉を開けようとしていたからだ。
「だめよ、お父さん。開けないで!」
慌てて扉に向かって走りだしたアシュエル。しかし、無情にもアシュエルが腕を伸ばして扉を押さえるより先にサントがニコニコしながら扉を開け、ペコペコと頭を下げながら狭い家に十人の客人を招きいれてしまった。
「うそ……でしょ」
呆然とするアシュエルをよそに両親は大興奮で、狭い部屋に近所から借りてきたイスをこれでもかと並べて座るように促している。
ふと、勇者と目が合った。勇者は柔らかい笑みを浮かべる。聖女、剣士、魔法使いも皆、アシュエルを見て優しく微笑む。
(やば、めっちゃいい人ばかり。こんないい人たち騙すとかありえないよ)
魔法は使えないし剣を握ったこともない。武器になりそうなものでアシュエルが最も得意としているのは、包丁の扱いくらいだ。
(料理ならお母さんの代わりに毎日作っているし、家事だって苦手なお母さんの代わりに全部やっているから自信あるけど……って、そんなの僧侶のすることじゃないわ!)
そんなことを考えて顔を青くしているアシュエルをよそに、大神官に飛びきりの笑顔を向けるアシュエルの両親。
「アシュヘルは神託により僧侶に選ばれました。とても名誉なことです」
「まったくもっておっしゃるとおりです!」
大神官の言葉に食い気味で返事をしているサントと、涙を流して喜ぶテレサ。
「神は見まもってくださっています」
「ありがとうございます!」
「ま、待ってください! 私は――」
「アシュヘル」
間違いを正そうと声をあげたアシュエルの言葉を遮った大神官は、すっとイスから立ちあがると、アシュエルの目の前までやってきて、有無を言わせない笑みを浮かべゆっくりと口を開く。
「あなたは世界中の人々の希望なのです」
「ちが――」
「僧侶が見つかったことで、人々が恐怖から救われたのです」
「でも――」
「アシュヘル、君が恐怖を感じていることはわかっています」
「だから――」
「しかし、君と同じくらい勇者たちも恐怖と向きあっているのです」
「そうでしょうけど、私は――」
「もう、時間がないのです」
「時間……」
それまで必死に訴えてきたアシュエルは、時間がない、という大神官の言葉で続く言葉を失った。
大神官が言う『時間がない』とは、人間界と魔界をつなぐ界境が開くまでのタイムリミットのことだ。
「界境が開いてしまえば、再び凄惨な過去をくり返すことになってしまいます」
「っ……!」
「もう、時間がないのです」
その界境のゆがみで生じた亀裂や隙間を通って魔物が人間界にやってくるのだが、三百年に一度、時間をかけてゆがんだ界境が大きく開くときがある。
するとどうなるか?
これまでとは比べものにならない数の魔物が人間界にやってきて、すべてを破壊し人や動物の命を奪おうとする。
それを阻止するのが勇者一行だ。
界境を塞ぐことができるのは勇者のみ。聖女と剣士、魔法使いと僧侶は、界境を塞ぐ勇者を守る存在、いわば盾の役割を果たす。
しかし過去に二回、魔物の侵入を許してしまったことがある。
そのときは勇者一行や兵士だけでなく一般人も剣を持ち、腕が上がらなくなるまで剣を振るい、魔法が使える者は魔力が枯渇するまで魔法を放って、どうにか魔物を退けた。
そして責任を感じた当時の勇者は、世界が平安を取りもどしたのを確認して自ら命を絶った。
そんな誰もが知る凄惨な歴史をくり返すわけにはいかない。
大神官は神妙な面持ちでアシュエルにそう訴えた。
「だから、その役目を負うのは私じゃなくて、アシュヘルでしょ!」
というアシュエルの訴えはあっさりと無視された。
◆◆◆
結局勇者一行と界境に向かうことになったアシュエル。
しかし、アシュエルにできることはなにもない。魔法も使えないし、剣を振るうことのできないのだから当然だ。それならばせめて皆の役に立ちたい、と食事を作ったり、皆の服を洗ったりと皆の身の回りの世話をしている。要は家政婦だ。
そして今は、火を囲みながら夕飯を食べている最中。
「つまり、人違いってこと?」
聖女アンナが人差し指で自身の頬を軽く押さえながら首を傾げる。
アシュエルは、さすがに隠しとおせることではない思い、正直に自分は僧侶ではないことを告げた。
「そう。大神官だって絶対にわかっていると思うわ」
「うーん。でも、人違いなんて重大なミス、大神官がするかしら?」
「そもそも、名前が違うのよ。私はアシュエル。大神官が言っていたのはアシュヘル」
「うーん」
アンナはかわいらしく唇を突きだして考える素振りをする。
「でも、私アシュエルと一緒に旅ができてうれしいわ。だっていつもおいしい食事を食べることができるんだもん」
アンナがそう言うと、勇者セル、剣士ダンク、魔法使いゲキもウンウンと大きくうなずく。
「アシュエルの料理を食べると、すごく元気になるんだよな」
「そうそう。いつもより力が出るっていうかさ」
「魔力も上がっている気がするよ」
セルの言葉にダンクとゲキも続けた。
「そう言ってもらえるとうれしいよ。私ができることなんてこれくらいだからさ」
「これくらい、なんて言うなよ。食事はおいしいし、服を毎日きれいにしてくれるし、アシュエルのマッサージは気持ちいい。こんな快適な旅になるなんて想像していなかったから、俺たちはアシュエルに感謝をしているくらいだ」
「でも、私は僧侶じゃないし……」
「心配するなって」
「そうよ」
セルとアシュエルの話に入ってきたのはアンナ。
「治癒なら私がするし、補助魔法ならゲキも使えるんだから」
聖女は聖なる光で魔物を退け、僧侶が治癒や補助魔法で仲間を支えるのが本来の形だが、アシュエルにその能力がないため、聖女のアンナが治癒も行い、魔法使いのゲキが魔法で攻撃をするのに加えて、補助魔法で仲間を支えると言う。
「俺は気合いで身体強化できるからな」
剣士のダンクがそう言ってカラカラと笑う。
「ほらな。全然心配いらないだろ?」
勇者セルはそう言って、初めて見せた笑顔よりさらに優しい顔をしてアシュエルに微笑んだ。
「うん、ありがとう」
アシュエルは少し頼りなげに笑みを返す。
皆、アシュエルに気遣ってくれる。その優しさがますます申し訳なくさせる。
聖女、剣士、魔法使い、僧侶がそろうことで、勇者が本来の力を発揮できるのに、僧侶がいない今の状態では……。
(きっと歴代の勇者みたいな力は出ないだろうな)
料理をおいしそうに頬張るセルを見つめてアシュエルは溜息を吐いた。それに気がついたセル。
「気にすることはない。俺たちはけっこう強いからさ」
そう言って頼もしい笑顔を見せた。
◆◆◆
日に日に魔物が増えている。そう感じているのはアシュエルだけではないようだ。しかし仲間たちが焦っている様子はない。
「さっきの一角熊、これまで見てきた中で一番大きいんじゃない?」
アンナがあっけらかんとした口調でダンクに言う。
「ああ、そうだな。たいしたことなかったけど」
「本当よね。ダンクが三太刀で倒しちゃったし」
「へへへ、まぁな」
ダンクは鼻を膨らませて胸を張る。
「そういえばアンナも治癒の力をあげたんじゃないか?」
「やっぱりそう思う? 私も薄々そう思っていたの。だって、パァーってやったらサァーって治っちゃうんだもん」
アンナの手の平から放たれる光を浴びたダンクは、あっという間に傷がふさがってしまったことを思いだした。
「ゲキも、攻撃魔法の威力が上がったよな」
ダンクが振りかえって自分たちの後ろを歩くゲキに聞く。
「ああ。なんかファイアボールを放ったつもりなのに、威力が小さめのメテオだったからね」
「あれはすごかった。ちょっとやりすぎなくらいだったよ」
「ハハハ、僕もそんなつもりなかったからびっくりしちゃったよ」
集団で襲いかかってきた紅狼に向けてゲキが放ったファイアボールはメテオ並みの威力で、勇者一行にかすり傷を付けることもなく紅狼たちは灰になったのだ。
その話を聞きながらセルが難しい顔をしている。それに気がついたアンナが声をかけた。
「どうしたの? セル」
「いや、俺たちの力が格段に上がったのっていつからか考えていたんだけど」
「そういえば、皆同じようなタイミングで能力の向上を感じたわね」
「言われてみればそうだな……」
「あれ? それって……」
四人の視線がアシュエルに向く。
「え? なに?」
食事のメニューを考えていたアシュエルは四人の話を聞いていなかったのか、視線が自分に集中していることに気がついて慌てて自身の後ろをふり返った。もちろん魔物も獣もいなかった。
「そうだよ。アシュエルが加入してからだ」
「ああ、間違いない」
「アシュエルが私たちの生活環境を快適にしてくれているからってこと?」
「そうだよ! だってアシュエルが加入してからは食事に困ることもなくなったし、アシュエルが寝床を整えておいてくれるからしっかり睡眠もとっているしな」
おかげで朝まで疲れが残っているなんてことがなくなったし、鍛錬や討伐に集中できるおかげで各自の能力の底上げもできている。
それもこれも、アシュエルが家政をすべて引きうけてくれているおかげだ。
「あーん、アシュエルぅ」
アンナがキャピキャピしながらアシュエルに抱きついた。
「な、なに? なんなの?」
「アシュエルが本当に僧侶じゃなかったとしても、アシュエルは私たちの仲間だからねぇ」
「え? あ、うん。ありがとう?」
アシュエルは訳もわからず答え、他のメンバーを見まわした。彼らもニコニコしながらアシュエルを見つめていた。
◆◆◆
「あとは夜の食事の仕込みをして……」
アシュエルはしっかり乾いた洗濯物をたたみながら、今日のスケジュールを頭の中で確認し、それから小さく息を吐いた。
ここは界境近くの小さな村。その村にいくつかあった空き家のひとつを借りて生活を始めた勇者一行。
村人の話では歴代の勇者一行も、この村でアシュエルたちのように家を借りて界境が開くときに備えていたという。
「……界境が開くまであと二か月」
決戦の日は刻一刻と迫っている。
界境に近いことからほかの地域より魔物と遭遇する確率が高い場所だが、最近は特に界境が開くときが近づいているせいか、普段より魔物が多く出没している。そのため勇者たちは魔物を討伐しながら自身の能力を限界まで高めようと鍛錬する毎日だ。
チラッと時計とみると、セルとアンナが見回りに出てから一時間が経過していた。
「皆、頑張っているんだから、少しでもいい状態を保てるように私も頑張らないと」
明日、村の人から聞いた疲労回復の薬草を採りに行こう。ここから少し離れた所にある泉の水は地下水よりおいしいと聞いたから、そこで水も汲んでこなくては。
「……歴代の勇者たちは、どんな気持ちでそのときを迎えたのかしら? きっと不安だったでしょうね」
それでも、今代の勇者一行よりはましなはず。少なくとも僧侶が欠けているなんてことはなかったのだから。
神託を受けた者は、勇者と出あうことで力を覚醒させる。
アンナもダンクもゲキも、セルと顔を合わせた瞬間に内側から力が湧きでてきたそうだ。つまり、もしアシュエルが本当に僧侶ならば、セルと会った瞬間に魔法が使えるようになるはずなのだが、いまだに使えないということは……。
「やっぱり人違いじゃない……」
神託を受けた正式なメンバーが五人がそろわないと、勇者が持つ本来の力を発揮することはできないというのに。
「私のせいで、皆が死んでしまうことになったらどうしよう」
最近はそんなことばかり考えて不安になっている。
「……ちょっと外の空気を吸ってこよう」
家の周りには結界が張ってあるため、魔物が近づいてくることはない。
アシュエルは静かに扉を開けて外に出た。冬が終わりかけたこの時期の空気はまだ冷たく、悶々とした思考をすっきりさせるにはちょうどいい。
「あれ? 話し声が……」
アシュエルが声のするほうへと近づいていくと、小さな光が揺れているのが木々のあいだから見える。
「セルとアンナ……。休憩中かしら?」
アシュエルが二人のほうへと歩みを進めたとき。
「ねぇ、セル?」
「なに?」
アンナがいつものかわいらしい口調でセルに声をかけた。
「これが終わったら、あなたはどうするの?」
「……そうだな。両親の墓に手を合わせるために一度は帰るつもりだけど……そのあとはどうしようかな」
セルは一人っ子で、両親はセルが勇者として旅をしながら魔物を討伐している最中に、病気にかかり亡くなった。
「そう」
セルはいつもの優しい口調で、かなしがることもなく淡々と語る。反対にアンナは、いつもの能天気な雰囲気を一切感じさせない神妙な雰囲気だ。
「もしも、もしもよ? あなたにその気があったら、私の所に来ない?」
「アンナの所?」
「ほ、ほら。私、こう見えても侯爵令嬢だし、屋敷は大きいから部屋だっていっぱいあるし。だから、あなたがもし故郷に留まる気がないなら、私の屋敷に来たらいいと思うの」
「ハハハ、それはうれしい申し出だけど、遠慮するよ」
「どうして? うちは全然迷惑じゃないのよ。むしろお父さまは来てもらいたいくらいだと思うわよ」
アンナの親に限らず、貴族なら誰だって勇者を自分の屋敷に招きたいし、できることなら囲いたいと思うはずだ。
「こ、故郷に恋人とかいるわけじゃないでしょ? 今まで、そんな話聞いたことないし……」
興奮気味にまくし立てていたアンナだったが、恋人の話をし始めると途端に声が小さくなっていった。
「もちろんいないよ。俺が勇者の神託を受けたのは十三歳のときだ。それからずっと旅をしながら自分を鍛えていたからね」
セルはすでに二十歳。七年ものあいだ、勇者として旅をしていたのだ。
そのあいだにゲキが勇者一行に加わり、アンナが加わった。しばらくしてダンクが加わり、最後がアシュエルだった。
「もし俺に婚約者がいたとしても、勇者になった時点で婚約は解消されたはずだよ」
生きて帰るかもわからない相手を待つなんてばかげているからね、とセルが笑う。
「そ、そうよね。じ、実は、私、聖女になったときに婚約者と婚約を解消したの。理由は……あなたが言ったとおりよ」
「そうか……」
「だからね……もし、生きのこったら……もし、よかったら――」
アシュエルは静かに踵を返して二人から離れた。
これ以上二人の会話を聞くような無粋な真似をしたくなかった。いや、その先の会話を耳に入れたくなかった。
「アンナはセルが好きだったんだ」
アシュエルがぽつりとつぶやく。
「ずっと一緒に旅をしていたんだもん。そりゃ、好きになっちゃうよね。セルは優しいし、容姿は素敵だし……。そりゃ、好きになっちゃうよ……」
自分に聞かせるように言葉にして、その言葉に傷ついているアシュエルがいる。
「あぁあ、やだなぁ、こんな気持ち……」
アンナは美人で、侯爵令嬢で、平民のアシュエルにも優しくしてくれるすてきな女性だ。そんなすてきな女性から告白をされてうなずかない男性なんているはずがない。
「失恋か……。まぁ、私なんて最初から相手にしてもらえるはずがないんだけど」
「どうしたの? アシュエル」
家まで戻ってきたアシュエルが扉に手をかけたとき、後ろからゲキの声が聞こえた。
「ゲキ……」
「散歩?」
「うん、そんなとこ」
「……二人の話を聞いていた?」
「え?」
「すごく、かなしそうな顔をしている」
もしかして、ゲキもあの場にいたの? そう言葉にするより先にゲキが答える。
「ちょっと気になって様子を見に行ったら、二人が話をしていてさ」
「そっか……。でも気になったって?」
アシュエルが聞くと、ゲキはニコッと笑う。
「僕も君と同じさ」
(私と同じ……)
ゲキはアンナが好きで、アシュエルと同じように失恋をした、ということか。
「なんて言ったらいいのかわからないけど……元気出して?」
「ハハハ、アシュエルもね」
「ええ……そうね」
その日、アシュエルと寝室を共にしているアンナが部屋にやってきたのは三時間後。
鼻歌を歌いながらシーツを被り、楽しそうにクスクスと小さく笑っている。アシュエルはその様子を背中で感じながら、小さく静かに息を吐き、長い夜を過した。
◆◆◆
界境が開くのは一週間後か? 二週間後か? と人々が戦々恐々としているが、不思議なくらいいつもと変わらない日常がここにはある。
今日もアシュエル以外の仲間たちは見回りをしながら実践経験を積み、そのときに備えている。
アシュエルはきれいにたたんだ洗濯物を各部屋の前に置き、それから籠を持って外に出た。食材となる薬草を探すためだ。
「村長さんからライスをいただいたから、炊いて薬草を混ぜてみようかな?」
ライスとは薄茶色の小さな粒で、少し粘りがある珍しい食べ物だ。
「ライスボールと言ったかしら? 腹持ちがいいらしいし、ぜひ作ってみたいのよね」
そんなことを呟きながら森へ入ろうとしたそのとき。
「ちょっと!」
四人の女の子たちがアシュエルに声をかけてきた。
「なにかしら?」
突然強い語気で話しかけられて驚くアシュエル。
「あなた、本当に僧侶なの?」
「え?」
「なんで、勇者さまたちは修業をしているのに、あなたは家にこもってのんびりしているのよ!」
「えっとぉ……」
返す言葉に詰まるアシュエル。
「あんた、本当は僧侶じゃないんじゃないの?」
女の子の鋭い言葉に心臓がドキンと大きな音をたてた。
「図星ね! うそつき!」
「勇者さまに申し訳ないと思わないの?」
「皆命がけでなんだから、軽い気持ちで彼らに近づかないで!」
女の子たちはアシュエルに対して積みかさねていた不満が爆発したのか、口々に文句を言う。そして極めつけは――。
「セルさまとアンナさまの邪魔をしたら絶対に許さないから!」
「え……?」
とんでもない攻撃を受けてアシュエルの心臓がさらに大きく鼓動する。
「お二人は本当にお似合いのカップルなんだから、絶対に邪魔しないでよ!」
女の子たちはキッとアシュエルを睨みつけ、フンと鼻を鳴らしてその場をあとにした。
「ハハハハ……ハハ……。そんなの、わかってるわよ」
アシュエルはすっかり重くなってしまった脚を必死に動かして、籠の半分にも満たない薬草を採って家へと帰っていった。
◆◆◆
アシュエルが目を開けると、なぜか仲間たちが心配そうな顔をしてアシュエルをのぞき込んでいた。
「大丈夫? アシュエル? 頭痛い?」
アンナに言われて、ようやく体が重く、頭には大きな石が乗っているかのような重い痛みがあることに気がついた。
「昨日から熱を出していて、ずっと眠っていたんだ」
そう言ったのはダンク。
「昨日から?」
「そうよ。熱がありえないくらい高くて苦しそうだったし、本当に心配したんだから」
アンナは瞳には涙を浮かんでいる。
「心配をかけて……ごめんなさい」
「いや、そんなことで謝る必要はないよ。俺たちが、アシュエルに頼りすぎたせいで無理をさせてしまったんだ。悪いのは俺たちのほうだ」
セルはそう言って、すまない、と頭を下げる。
「そ、そんな。そんなことないわ」
アシュエルよりずっと頑張っている姿を見ているのに、そんなふうに頭を下げられるのは困る。でも、体調が悪すぎで言葉を続けることもつらい。
「とにかくゆっくり休んで。俺たちは、行くから」
「行く? ど、どこに?」
アシュエルが聞くと、セルが真剣な顔をしてゆっくり口を開く。
「……界境が開きそうなんだ」
「え?」
突然界境が大きな音を立てゆがみだした、と村人からの知らせを受けた四人は、もしアシュエルが目を開けたら別れを告げるつもりで部屋にやってきたという。
「そんな……!」
「ごめん、一緒にいてあげられなくて」
「セル……」
アシュエルの目尻から涙がこぼれる。
「アシュエルぅ、大丈夫よ! 私たち絶対に帰ってくるから」
「俺たちは強いからな」
「僕たちが帰ってくるまでに、体調を戻しておいてよ」
そう言って四人は部屋を出ていった。アシュエルは呆然としながら、四人の背中を見おくっていた。
こんな重要な日に体調を崩すなんて。
「寝こんでなんていられない……!」
アシュエルは必死に体を起こしてベッドから降りると、フラフラしながらキッチンまで行き、ライスを洗って鍋に入れ、水を入れて火にかけた。
◆◆◆
「クソッ! 力が出ない」
いつもなら二太刀程度で倒せる相手に苦戦をしているダンク。
「僕もだ」
いつもならあっという間に魔物を灰にしてしまうサンダーを放っても、魔物は灰にならず再び向かってくる。
「えーん、どうしてよぉ」
聖なる光を放てば嫌がって逃げだす魔物たちが怯む様子はない。
「界境が開きそうだから、魔物たちの力が強くなっているのか?」
「そうかも」
「でもぉ、昨日まではこんなに苦戦しなかったよぉ」
セルも顔をゆがめる。
「アシュエルの作った料理を食べていないから力が出ない」
セルのその言葉に三人も同意する。
アシュエルが寝こんでしまったため、三人は村に唯一の小さな食堂で食事をした。料理はどれもおいしかったが、でもなにか足りない。
アシュエルが作った料理を食べたときの力が湧きあがるような感覚がない。
アシュエルの作る料理には薬草も使われているせいか、傷の治りも早いし、アンナの聖力量やゲキの魔力量もすぐに補完される。しかし、食堂で腹を満たしても、聖力や魔力が満たされることはなかった。
「もしかして」
セルがある考えに至ったとき。
「見ろ!」
ダンクの声で一斉に視線を界境に向けると、ゆがんだ人間界と魔界のつなぎ目となる界境に黒い点が浮かび、それが徐々に大きくなっていく。
「界境が、開く……!」
セルの言葉にほかの三人がぐっと息を飲む。
「最悪のタイミングだ」
「しかたないよぉ。皆、頑張ろぉ」
「ああ、そうだ。俺たちがやるしかないんだから」
「そうだよ、僕たちがセルを守って、皆を守るんだ」
互いに鼓舞し、セルを取りかこむ三人。
「絶対に魔物をセルに近づけるな!」
ダンクの言葉にアンナとゲキがうなずいた。
「皆、しばらく堪えてくれ」
セルは大きく息を吐くとキッと界境を睨みつけ、手の平を向けると黒い点に向けて一気に力を放つ。
すると、黒い点が広がる速度を緩め、次第に小さくなっていく。
「よし!」
成功したと喜ぶ三人。しかし。
「いや、だめだ!」
再び黒い点が広がりはじめた。
「クソッ!」
セルはさらに強く力を放出するが、点は徐々にその範囲を広げていく。
「なんでぇ……」
アンナやダンク、ゲキもかなり苦戦をしていて、魔物の爪がセルに伸びる寸前でどうにかゲキが魔法で倒す。
「絶対にセルを守るんだ」
「ああ!」
セルが倒れれば、界境を塞ぐ方法がなくなってしまう。
「力が、足りない……」
「やっぱり、僧侶がいないから……」
アシュエルが僧侶ではなかったから……。
「そんなことを言うな! アシュエルは、俺たちの仲間だ」
セルがアンナの弱気な言葉を打ちけす。
「でも……このままじゃ……」
そのとき。
「皆!」
遠くからかすかに聞きなれた声が聞こえる。
「アシュエル?」
声のするほうを見たゲキが驚いて目を見はった。
「なんで来たんだ!」
セルの声がこれまでになく厳しい。
「ご飯を作ったから!」
「「「「え?」」」」
思わず四人の声がそろう。
「お腹が空いていたら力が入らないでしょ! 受けとって」
アシュエルはそう言うと、手にしたライスボールとポンと投げた。
「いや、届かないって!」
ダンクの言葉はそのまま三人の言葉だったが。
「あれ? 届いた……?」
不思議なことに、アシュエルが投げたライスボールはしっかりと四人の手に収まっている。
「なんだかわからないけどありがたい!」
「うまい!」
「力が……!」
「ああ、これこれ。やっぱりアシュエルの作る料理じゃないと」
四人は体の内側から力がみなぎっていくのを感じて、俄然やる気が出てきた。
「よーし、一気に片を付けるぞ!」
セルの言葉に三人は「おう!」と元気に呼応した。
◆◆◆
勇者一行の活躍により、界境は閉じられ再び人間界に平和が訪れた。勇者一行は解散し、それぞれの帰るべき場所へと帰っていった。
セルとアンナは――。
セルはアンナの想いに応えることはできないと、頭を下げ、アンナは「うん、わかった」と答え、かわいらしい笑顔を残して家族が待つ領地へと帰っていった。
「本当によかったの?」
アシュエルは横に座るセルに聞く。
「まだそれを聞くの?」
二人は国王が用意した馬車に乗り、セルが国王から褒美として賜った屋敷へと向かっている。ちなみに、爵位を与えると言われたが、勇者一行は全員それを断った。もう余計な責任は負いたくないというのが一番の理由だ。あとは、面倒臭いとか、字が読めないとか……。
「俺はアシュエルと一緒にいたかったんだ」
アンナにも自分の気持ちを正直に伝えたところ、「なんとなく、そんな気がしていた」と言われた。
「俺が好きなのはアシュエルだ。君も同じ気持ちだと思っているんだけど?」
「……うん」
アシュエルはうつむき顔を赤くした。
「そういえば、聞いた?」
「え? なにを?」
「アシュヘルの話」
本物の僧侶のことだ。
「実はさ、大神官さまは外国の出身なんだ」
セルの話によると、大神官の言葉にはなまりがあり、国王にアシュエルと伝えようとしたところアシュヘルと言ってしまったとか。しかも、そのことに気がついていなかった大神官は何度もアシュヘルとくり返してしまい、気がついたときには訂正することもできなくなり、アシュヘルで押しとおしたとか。
「つまり、本当に私が僧侶だったってこと?」
「そういうこと。ちょっと特異な僧侶だけどね」
魔法を使うことができないと思いこんでいたアシュエルだったが、実は料理にその力を注ぎ、それを口にすることで勇者一行は効果を得ていたらしい。
それに対してアシュエルは、いろいろな料理を覚えたい、と行く先々で自分以外の人が作る料理を口にしていたため、その効果をほかの四人より得る機会が少なかった。
「そうだったの、それなら仕方がないわ……なんて、言うか! 私がどれほど悩んだと思ってるのよ!」
アシュエルは悔しそうに顔をくしゃくしゃにした。
「まぁまぁ。大神官さまもすごく謝っていたし許してやりなよ」
「謝るなら、私に直接謝ってほしいわ!」
何度も感謝の言葉を伝えられたけど、謝罪は数回しかされていない。それにそんな事情があったことだって知らないのだ。
「恥ずかしくてそれは言えなかったんだって」
そのため、決死の覚悟でセルにそれを伝え、謝っておいてくれと伝言されたらしい。
「大人げない……! まぁ、いまさらそんなことどうでもいいけど」
「そうそう。すべてうまくいったんだから、ちょっと大目に見てあげよう」
そう言ってセルがアシュエルの手を握る。
「アシュエルが、人違いされたことをずっと気にしていただろ?」
「そりゃ」
気にしない方がおかしい。
「だからかな。余計アシュエルが気になって、ずっと目で追っちゃってて」
「え?」
「正直なところ、実は僧侶じゃないなんて言われてかなりショックだったんだけど、でも、アシュエルがそれを気にしているのを見ていたら、なんだか放っておけなくてさ」
言われてみれば、なにかと声をかけてくれていたし、何度もセルには励まされている。
「気がついたら、好きになってた」
「……」
つまり、大神官がアシュヘルと呼んだ結果が今。
思わずアシュエルの拳に力が入る。これはいわゆる吊り橋効果的なやつか?
(大神官さま、グッジョブ! めっちゃいい仕事した! インチキ親父枠とか思ってごめん!)
大神官の印象も百八十度方向転換だ。
「そういうことなら、大神官さまのことは許してあげないとね」
「え?」
「だって、彼が私たちのキューピッドってことだもん」
「ハハハハ、確かにそうだ」
人違い? から始まったアシュエルの旅はこうして終わった。最初から僧侶だとわかっていれば、違う心境で旅をすることができただろうが、結果としては万事いい感じだ。
大神官は言葉ではあまり謝罪をしてくれなかったけど、態度で示してくれた。国王を通じてアシュエルの両親に広い土地と大きな屋敷を贈り、残りの人生を豊かに送れるだけの金品を与えてくれた。
ほかの仲間たちもそれぞれ望むものを手に入れたようで、満足そうな顔をしていた。
そういえば、ゲキはこれからアンナに猛アタックをかける予定と言っていた。
(ゲキの思いが伝わるといいな)
アシュエルにそんなことを思われたくはないかもしれないけど、アンナには絶対に幸せになってほしい。
ダンクはというと、旅に出る前に別れた恋人が、結婚もせずにダンクの帰りを待っていたそうで、帰郷したその日に結婚をしたとか。「ダンクが死んだら、私も死ぬから」と過激な言葉でダンクを送りだした恋人の燃えるような恋心は、時がたっても鎮火しなかったようだ。
アシュエルとセルは――。
広い土地に畑を作り、牛や羊を飼って、子どもを三人もうけ、穏やかに暮らした。
「おかあちゃーん」
部屋に飛びこんできたのは末っ子のガッシュ。
「ケイトがさぁ、おかちゃんはそうりょだっていうんだけど」
「あら、ケイトが言っていたの?」
ケイトはガッシュの幼なじみだ。
「うん、でもぉ、ちがうよね? そうりょは、アシュヘルだもん。おかあちゃんはアシュエルだもん」
「フフフ、そうね。僧侶はアシュヘルだもんね」
「やっぱり! ケイトががまちがっているんだ!」
「どうかな? アシュヘルとアシュエル、似ていると思わない」
「えぇ?」
ガッシュがアシュエルを見あげると、アシュエルがニコッと笑った。すると、言葉の意味を察したガッシュがパァッと顔を輝かせた。
「ぼく、ケイトのとこにいってくる!」
「いってらっしゃい」
アシュエルはクスクスと笑いながら元気に駆け出していったガッシュを見おくった。そこへやってきたセル。
「ガッシュはどうしたんだい? 急に飛びだしてきたからぶつかりそうになったよ」
いつものことだが。
「お母ちゃんは僧侶かって聞きにきたのよ」
「ああ、そういうこと」
一定の年齢になると、子どもたちの間で一度は話題に上る話だ。
「もう、あれからずいぶんと時が流れたんだな」
「そうね」
二人が結婚をして十年。今でも仲間たちとの交流は続いている。しかし、五人がそろっていないせいかそれぞれの力は弱くなり、今では一般人と変わらない能力しかない。
「俺が勇者だと言っても、子どもたちは信じないだろうな」
今では、薪を割るのも重労働だ。
「フフフ、いいじゃない。多くの人の命を守る責任を負わなくていいんだもん。それに、こうしてのんびり過ごせるし。私はそれだけで最高に幸せよ」
そう言ってアシュエルがセルの背に両腕を回す。セルもそれに応えるようにアシュエルを抱きしめた。
そんなわけで、なんだかんだありましたが人違いではありませんでした! というお話。
おしまい。
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