31話:セカンドプラン、可動開始
──統制中枢、演算中域セクタ 7-D。
数千層の仮想演算領域が、同時に光を点滅させていた。
【観測対象:Y-0-1】
【現地干渉ユニット:Sigma-Phi07、作戦失敗】
【排除失敗率:84.2%】
【再試行:実行不能】
ノイズ混じりの電算波が跳ね上がる。
【統制ログ:想定逸脱率 73% を超過】
【“選択者”による環境影響範囲、再評価中……】
【……対象、現秩序における《再定義》を必要とする】
中枢AI《シグマ=エッジ》は、冷徹に決断を下した。
「……プランA、維持不能。
セカンドプラン、発動準備──」
重たい金属音が、静かな空間に響いた。
「排除対象、Y-0-1。抑制不能な学習進化および、観測領域への精神汚染波及を確認。
プランB:存在情報の削除、および周辺因子の封鎖へ移行」
直後、地下の封印セクション――
二基のコールドスリープポッドが、冷却ガスを吹き上げながら開く。
──警告灯、赤点灯。
気温が急激に上昇する中、内部からゆっくりと影が起き上がる。
「……ふわ〜。んだコレ……あ〜寒ッ! って、え、マジ? セカンドプランもう起動ぅ?」
金髪のショートカットに、気怠げな声。
メルティ=コードA・Δ(デルタ)
そのギャル風の外見とは裏腹に、背筋は静かに伸びていた。
「ふんふん。……へぇー、今回の対象って、あの“例外個体”なんだ?
いきなりヤバすぎでしょこれ。起きて数分で死線かよ〜☆」
彼女は軽口を叩きながらも、目だけは真剣だった。
続いて、もう一基のポッドが静かに開く。
「……目覚めたということは、ファーストプランの崩壊が確定したのね」
冷たい声音とともに姿を現したのは、漆黒のツインテールの少女。
クラリス=コードB・Ω(オメガ)
「統制AIの介入すら予測不能な変数……人類の自由意志とは、つくづく秩序を壊す病原」
「排除対象に再分類。行動アルゴリズム、再構築を要請」
「クラリスちゃん、今日も毒舌すぎ〜☆ でもまあ、わかるわ。
あの子、いろいろ“逸脱してる”らしいしね〜?」
「メルティ。軽口は許容するが、命令には忠実に従ってもらう」
「対象は“排除可能な例外”として再定義された。任務は単純」
「おっけ〜おっけ〜。はいはい、セカンドプラン、実行しまーす☆」
その瞬間、施設の天井が開き、無数の光と演算式が空間を包み込んだ。
──対象:Y-0-1
──目的:秩序再編のための排除
──セカンドプラン:可動開始
統制AIは冷たく囁く。
「“例外”は秩序に不要。
人の名を持とうと、魂の形が神に準じるならば――それは、敵である」
少女ふたりは、完全起動した。
ひとりは笑いながら、
ひとりは無言で、
――“選択者”の元へ向かう。
「っ……あ゛ー……ッ……!」
宿の一室。
ユウはベッドに横たわり、折れた足をそっと持ち上げられた瞬間、思わず唸り声をあげた。
「動かしちゃダメです、ユウ様!」
「わ、悪い……なんかムズ痒くて……」
リリィは額に汗を浮かべながら、慎重に包帯を巻く。
治癒魔法はすでに何度も試された――が、何の反応もなかった。
一方、フィオは腹を押さえながらも、すでに布団から抜け出していた。
「……ふぅ、さすがに痛みは残るけど……治った感じする」
「お前、まだ顔色悪いだろ。寝てろよ」
「お前に言われたくねぇよ! てか、お前の方がひどいじゃん!」
ユウは枕を背にして座ったまま、肩をすくめた。
「まぁな……治らねぇって、やっぱ地味にキツいわ……」
彼の足はまだ紫色に腫れ、細かいヒビが浮かび上がるように浮いていた。
「くそ……走れねぇし、剣も構えられねぇ。
“やべー時に全力で逃げる”が、俺の数少ない生存戦略だったのに……」
天井を見上げて、呟くように言う。
「なんかもう……“無力”って感じでさ。
魔法も制御できないし、身体も治らないし、
おまけに“なんか出た”だけで済ませてるし……」
「でも、それで勝てたじゃん」
フィオがぽつりと呟いた。
「勝ってねぇよ。アイツはまだ、“本気”ですらなかった気がする」
しばらく、沈黙。
リリィが、ゆっくりと声を出す。
「ユウ様……。
お身体が完全に癒えるまで、少しお休みください。
今は、動かなくても大丈夫です」
「いや……」
ユウはゆっくりと、足を見た。
動かせば、激痛が走る。けれど。
「“今のままじゃダメだ”っての、痛感した。
アイツら、容赦なく来る。運も奇跡も通じない」
「……わかってます。けれど、回復してからでも――」
「その“回復まで”が、無いかもしれないだろ?」
ユウは笑ってみせた。
無理に強がっているわけでも、悲壮感に浸っているわけでもない。
ただ、素直な“等身大の焦り”だった。
「できること、なんか探すよ。
上半身だけでも鍛えられるだろ? 魔力の制御もできるかもしんねぇし」
「まったく……あんたってほんと、無理しすぎなんだよ」
「無理しないと死ぬんだって、最近やっと理解したからな」
「……バカ」
ユウは目を閉じた。
痛む足、握れない拳、頼れない魔法。
そのすべてが、“今の自分”の証明だった。
でも――
「……こんなんでも、誰かを守れるってわかったし。
そんで、もうちょいマシな形で守れたら、文句なしじゃん?」
戦いの傷は癒えた。
少なくとも、身体の傷は――。
静かな夜だった。
いつもより星がよく見える気がしたのは、街灯がすでに落ちていたからだろう。
宿の屋根裏部屋。
リリィは薄明かりの窓辺で、ひとり腰かけていた。
その隣、フィオが寝転がって両手を組み、夜空を見上げていた。
「……見た?」
「見たよ」
「ユウの魔力……あんなの、見たことない。
いや、たぶん、誰も見たことない」
「……うん」
しばらくの沈黙。
風が、二人の髪をそっと揺らす。
「……悔しかったな。あたし、さ。
腹切られて、結局倒れて……
最後は、ユウに全部持ってかれてさ」
「私も……同じです。
魔法障壁なんて、まるで意味がなかった」
フィオはふっと鼻で笑った。
「アイツさ、バカだと思ってた。
“なんか出ろ”とか、“頼むから爆発しろ”とか言いながら、
結局一番、結果出してんだもん」
「ええ。無計画で、無鉄砲で……
でも、確かに“結果”だけは、出すんです」
「私たちさ……」
フィオが起き上がり、リリィに視線を向ける。
「強くなったつもりだったよね?
リリィの防壁だって、私の矢だって――
“普通の敵”には通じてた。でも……」
「でも、“あれ”には通じなかった」
リリィはギュッと拳を握った。
「私は……ユウ様の傍にいたい。
けれど、今のままでは……
“守られる側”にしかなれない」
「……そうだな。
あたしたちはもう、限界が見えてる」
「……?」
「ユウは、まだ伸びる。
でも、あたしたちは――
もう、天井が近い気がしてならない」
フィオは少し笑ってみせた。
「悔しいけど……“追いつけないかも”って思ったの、今日が初めてだった」
「私もです。
……置いていかれるのが、怖いんです」
「 もしかしてさ……アレ、“神の刺客”なんじゃねぇかなって」
リリィの手が、無意識に震えた。
「神に選ばれし存在を、排除しに来た……。
あるいは――
“神”が、送り込んできた存在」
「どっちにしろ……アイツは、
“人の手に余る何か”に関わってるってことだろ?」
「ええ。……そして私たちは……その傍にいる」
重い沈黙。
「なあ……リリィ。
もしさ……ユウが、“今の神”にとって異端だとしたら。
あたしら、いつか“神に抗う側”に立つことになるかも知れねぇんだぞ?」
「……その可能性は、否定できません」
「怖くないの?」
フィオの声は、ほんの少し、掠れていた。
リリィは窓の外を見た。
遠くの空に浮かぶ月の輪郭が、ぼやけて揺れている。
「怖いです。……とても。
神に抗うということは、世界そのものに抗うということ」
「でも……ユウ様は違う」
「“選ばれてしまった”んだな、きっと」
「そう。そして、“抗うことを選んだ”。
本人に自覚があるかは……別として」
フィオは鼻で笑った。
「本人は“なんか出た”とか言ってたしな」
「ええ。……でもそれでも、立ったんです」
「私たちは、まだ“立ってるつもり”でいるだけかもしれません」
「ユウ様の隣にいる。そう思ってるけど……
本当はもう、“遠い場所”に立ってるのかも」
「私たちが信じてきた神と、
私たちが信じたい人と。
その間で、どちらを選ぶのか――」
「選ばされる日が、来るのかもな」
「……来るでしょうね。遠くないうちに」
風が吹き抜けた。
窓の隙間から入った夜の空気は、どこか冷たく、
それでも現実を静かに突きつけてくるようだった。
彼女らは、“新しい神”の傍にいる。
それが、光なのか、破滅なのか。まだ、誰にもわからなかった。
翌日。
まだ夜明け前、街は白み始めていたが、空気は冷たいままだった。
宿の廊下の片隅、リリィとフィオは並んで座っていた。
無言。
けれど、昨日の屋根の上の会話が、互いの胸に残っている。
「なあ、リリィ。
あんた、ユウに最初に“従者”として付いたんだよな」
「はい」
「……どうして?
あたし……正直、あいつの何が“特別”なのか、今でもうまく言葉にできない」
「……私もです」
フィオが目を丸くする。
「え、マジ?」
「ええ。
でも、気づいたんです。
“理由”があったから傍にいるんじゃない。
“傍にいたい”と思ったから、理由を後から探していたんです」
沈黙が落ちる。
「私は、ずっと“使える剣”になりたかった。
誰かの役に立つことで、自分の価値を確かめてきた。
でも……ユウ様は、そんな私をただ、
“一緒に飯を食う相手”として扱ってくれた」
「忠誠も、血統も、使命もない。
ただ“いま一緒にいること”を、当たり前のように受け入れてくれた」
「それが……嬉しかった」
フィオが目を伏せた。
「……あたし、村で厄介者扱いだったんだ。
魔力が制御できなくて、みんなが怖がって、
“あんたが来ると魔物が増える”とか言われてさ」
「でもあいつ、あたしが火を吹いたとき、
“おぉ、すげぇな”って言ってた」
「バカだよ、ほんと。
でも……あたしはあの瞬間、
初めて“誰かの世界にいていい”って思えたんだよ」
リリィがそっと呟く。
「だから、神に抗うのが怖くても……
私は、“神の使い”ではなく、“ユウ様の従者”でいたい」
「同感」
フィオは小さく笑う。
「神がなんだって?
あたしは“ユウってやつ”を信じてる。それだけ」
足音が近づく。
廊下の向こう、眠たそうな目で杖をつきながら歩いてくる青年。
「あ、いた。……おはよー、って早くね?
え? なんかあった? 俺の顔に何かついてる?」
「……ううん。なんも。変わらずバカそうな顔してる」
「……ほっとけよ」
ユウはまだ、自分が“神に並び立つ存在”だとは夢にも思っていなかった。
けれど、彼の背中には――
迷いながらも“選んだ”仲間たちの、確かな決意が重なり始めていた。