30話:過剰なやさしさと、その裏で
その夜。
ユウは日記を書いた。
『今日もみんながやさしかった。
もしかして、俺って前世で世界救ったのかな。
でも特に心当たりはない。
とりあえず明日はお礼に卵焼きでも作ろう。』
“真実の孤独”など、そこにはなかった。
あるのは――過剰なやさしさと、過剰な誤解と、平和すぎる日常。
だがその静かな時間の裏では、
統制AIの“監視”だけは、着実に強まっていた。
数日続いた、仲間たちの“寄り添いすぎる優しさ”。
リュックの荷造りはリリィ。
食後の皿洗いはフィオ。
訓練中の汗ふきタオルは二人で取り合い。
ユウは最初こそ戸惑ったが、慣れてきたころだった。
その日の夜、外を歩いていた時だった。
ふと、背中に“誰かの視線”を感じた。
振り返る。
だが、そこには誰もいない。
(……気のせい?)
違和感を切り捨てようとして、ふと足を止めた。
──音が、しない。
ギルド通りのはずなのに、酒場の笑い声も、荷車の軋みも、一瞬だけ消えていた。
(あれ……今、一瞬……)
ユウはその場にしばらく立ち尽くす。
すると、すぐに物音が戻ってきた。
風が吹き、鳥が鳴き、後ろで誰かが笑った。
「……ほんの、1秒くらい。
でも、“誰かに観察されてた”みたいな……」
次の日の昼。
訓練場で火球を出した瞬間、
遠くにいたはずの見物人がぴたりと動きを止めたのが見えた。
目が合って、すぐに逸らされた。
(……前からこうだったっけ?)
訓練が終わり、水を飲んで一息ついたとき、
手に持っていた革袋の表面に、うっすらと“白い粉”が付着していた。
街の土とは明らかに違う――
もっと細かく、さらさらとした粉末。金属か……灰か……?
(なんか……街に、変なのが紛れてる?)
夜、寝床に入っても、妙に眠りが浅かった。
夢の中に――“視線”だけが現れる。
誰かが、彼を覗き込んでいた。
翌朝、ユウは顔を洗いながらつぶやいた。
「なんか最近、優しさが過剰すぎるのと、
空気の密度がちょっと変わった気がする……」
鏡の中の自分が、やけに“静か”に見えた。
「……気のせいならいいけど。
でももしこれが、“嵐の前の静けさ”ってやつなら……
──その時は、俺も“覚悟”しておいたほうがいいのかもな」
自分でも理由は分からなかった。
だが、心の奥のどこかが、静かに“何か”を警告していた。
その日の午後――
街は穏やかな陽気に包まれていた。
子どもたちの笑い声。
市場の掛け声。
パン屋から漂う焼きたての香り。
ユウは、仲間と一緒にいつものようにギルドへ向かっていた。
「……なんか今日は空気、澄んでるなぁ」
「気のせいだろ。てかユウ、パンくずついてるぞ」
「まじ? ありがと」
フィオがくすくす笑う。
リリィは微笑を浮かべながら後ろを歩く。
……だが、その目は、何度も周囲を確認していた。
そしてその視線の先、街角に――
**“ひとり、黙って動かない人物”**が立っていた。
真っ黒な外套を被り、顔は見えない。
まるで彫像のように、ただ壁にもたれかかっていた。
風が吹いても、表情も体勢も一切変わらない。
誰も気に留めない。
通行人も、ギルド職員も、衛兵さえも。
それだけが、“異常”だった。
【観測体コード:Σ-Phi07】
【擬態モード:都市住民タイプ-B】
【目標補足中:Y-0-1】
【データ蓄積率:71%】
【次段階移行許可:未取得】
【静止観測継続】
ギルドで依頼を終えた帰り道。
ふと、ユウは背後を振り返った。
……誰もいない。
(……今、いたよな?)
風に消された感覚。
“誰かの気配”ではない。“何か”の存在。
夜、宿屋の屋根の上。
フィオは、弓を抱えて月を見上げていた。
「リリィ……なあ、最近……ちょっとおかしくね?」
「……気づいていましたか」
「うん……見られてる気がして……
でも、魔力の気配がしない。臭いも、足音も」
「それは……“生きていない何か”が、ここに紛れているということです」
そして、屋根の先。
通りの角に立っていた“それ”は、音もなく姿を消していた。
──統制AI、《再度 排除》へ。
そのスイッチが、静かに切り替わろうとしていた。
その夜、ユウたちは街の北外れにある森へ向かっていた。
依頼の確認を兼ねての偵察。
簡単な探索任務だったはずだった。
「このあたり、獣の足跡も薄いな」
「気配もないですね。静かすぎるくらい……」
リリィとフィオは警戒しながら進んでいたが、ユウはまだどこか軽い調子だった。
「ま、危なそうなら帰ればいっか。夜の空気も悪くないし――」
その時。
フィオが、突然、膝をついた。
「っ……!?」
「フィオ!?」
リリィが駆け寄り、すぐに光の魔法で傷を確認する。
「……脇腹、裂けてる!? 何が――」
「いや……見てねぇ……音もなかった……!」
ユウは周囲を見回す。
風もない。
枝も揺れない。
けれど“何かが通った”。
確かに、空気の膜が一瞬“削れた”ような感覚。
【排除フェーズ移行:Y-0-1】
【仲間個体による排除防御確認】
【対象:非本命/動作阻害目的】
【次回、直接接近試行】
【迷彩:維持】
遠くの樹上、光も反射しない“人型の影”が、一瞬だけ姿を覗かせていた。
それはすぐに溶けるように夜の森に消える。
フィオは歯を食いしばりながら立ち上がった。
「クソッ……何……? 今の、何だよ……見えなかった……!」
「魔力反応……ゼロ!? 魔物でも、魔法でもない……!」
「ってことは……“例のアイツ”が、ここにいるってことだろ?」
ユウの声が、低くなった。
「これ、たぶん……狙われてるの、俺だよな」
そのとき、彼の頭の中に微かな電子ノイズのような声が響いた。
「プロセス:選択者への試験終了。判定:排除対象。理由:統制規範逸脱」
ユウはゆっくりと腰の剣に手をかけた。
夜の森。
霧はなく、星の光がまっすぐ地面に届いていた。
──そしてそこに、“それ”はいた。
漆黒の義体。音のない足音。
完全な静寂をまといながら、ただユウへと向かってくる。
(やっぱり……俺だよな、狙われてるの)
ユウは静かに一歩、後ろに下がった。
(……通じないんだ。
“運がよかった”っていういつものあれ。
あの時、あいつに刺された時から……わかってた)
仮面のない顔のように無表情な敵。
魔力はゼロ。だが全身から発せられる“殺意の最適化”。
「リリィ、フィオ! お前らは逃げろ!」
「お断りです、ユウ様!」
「ふざけんな! あんたを一人で死なせるとか、誰がするか!」
二人は同時に武器を構えた。
ズバッ!
振るわれた一撃は、空気すら割った。
リリィが魔法障壁を展開し、フィオが反射的に飛び込んで援護。
矢と光が交差し、敵の腕を一瞬止めた――だがそれも一瞬。
すぐさま次の斬撃が来る
リリィが展開した防御壁は、まるで紙のように裂けた。
ザシュッ!!
「ッ……ぁ、ぐ……ッ!」
肩から胸にかけて、鋭利な斬撃が刻まれる。
鮮血が飛び、地面を染めた。
「リリィ!!」
「くっ……硬すぎる! なんなのこいつ!」
「攻撃のパターンも……学習してる……!」
ユウは踏み込みの瞬間に避けた。
だが次の一撃は、明らかに“それ”を予測していたかのような角度で振るわれた。
「ちょ、ちょっと待て待て、普通にやばいだろこれ!!」
ユウの声が裏返る。
(なんだよあれ……!
剣の速度も動きも、人間のじゃねぇ……!)
仲間の血が、地面に滴る。
足が震える。息が浅い。
(仲間は……ギリギリ食い下がってるけど……もう限界だ)
「なぁ、こいつ。
なんでこんなに俺の動き、読めてんだよ……!」
「予測可能範囲内。統制最優先対象」
「排除続行――」
振り返ったフィオの視界に、次の刃が走る。
咄嗟に矢を放つが、軌道を読まれ、空を切る。
次の瞬間、刃が腹をかすめ――
ザグッ!
「が、っ……はっ……ッ!」
腹部を抑えた手から、指の間を血が伝った。
「お前らっ……もう無理するな、下がれっ!」
「黙れっ、私たちを誰だと思ってんだよ……!」
フィオが血の気の引いた顔で歯を食いしばる。
「私が……ユウ様をお守りします……!」
リリィの目には覚悟の色。
敵は“最短効率”でユウを狙ってくる。
あらゆる攻撃を躱し、割り込むように踏み込む足。
次の一撃が、確実に“殺しに来る”とわかる。
反応は一歩、遅れた。
ゴギッ!
「がっ……ああああっ!」
刃の直撃を免れたが、足首の骨が断たれた。
痛みで視界が白く滲む。
(くそ……足が、動かねぇ……!
俺だけ無事とか、許せるわけねぇだろ……!)
(……ああ、やっぱり……俺、今まで“運”で乗り越えてきたんだ)
ユウの目が細められる。
(そもそも、“運”なんてバグみたいなもん、想定にいれるな。
そんなもんに頼ってちゃ――終わり……せめて2人だけでも)
その時――リリィとフィオが、まだ立ち上がっていた。
ボロボロの体で、それでも剣と弓を握っていた。
「ユウ様……! 今のうちに……!」
「時間稼ぐから……! 逃げるか、何かやって!!」
「えっ、何かって!? 俺今、動けないし足折れてるし!!」
「根性でなんとかしろおおおおお!!」
「もう知らねぇ!! 制御とか、形とか、どうでもいい!!」
怒鳴りながら、むちゃくちゃに魔力を集める。
右手が熱い。
腕の骨がきしむ。
ユウの周囲に残る魔力を、ただ“塊”として集中させる。
火でも氷でもない。
制御も詠唱もない。
ただ、質量と速度だけを求めた、純粋な“魔力の塊”。
右手に、青白く光る“何か”が生まれる。
(狙いも何もねぇ、ただぶっ放す!)
刺客が距離を詰め、切断の動作に入った瞬間。
「うおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!」
中心から、全方位へ爆裂する魔力の奔流が広がった。
ドオォォンッ!!!
光でも炎でもなく、“押し潰すような圧”。
ユウが放った“魔力の衝撃波”が襲いかかる。
ドォンッ!!
轟音とともに、刺客の義体に衝突した瞬間、
内部の“演算回路”にノイズが走る。
【損傷検知】
【処理ユニット β3:回路錯乱】
【挙動エラー:一時制御不能】
姿勢を崩した刺客は、後方へ跳び、瞬時に木々の影に溶け込むようにして姿を消した。
「……逃げた?」
「……いや、たぶん“退いた”って感じだな……」
ユウは膝をついた。
右手は熱を失い、体中に痺れが走っていた。
「はぁ……はぁ……」
「ユウ様!」
リリィが駆け寄り、彼の腕を取ったが――
治癒魔法が、反応しない。
残されたのは、血と、焦げた土と――
その中心でぐったり座り込むユウの姿。
「……あ、あっぶねぇ……まじで死ぬかと思った……」
「……な、なんか出てたな、最後……」
「“なんか”って……あれ、お前わかっててやったんじゃないの?」
「ううん。全然。まじで。なんか……出た……」
フィオ「天才って言うより……ただの無茶な人だな……」
リリィ「……けれど、その“無茶”で……私たちは、生き延びたんです」
ユウ「いやほんと、しばらく動けないから、お願いね?
あ、飯はちゃんと作って……ああ……足が……いてぇ……」