2話:はじめまして、異世界(泣)
気づけば森の中、よくわからんモンスターに遭遇し、ピンチ。
そこに現れた謎の美少女――と思ったら、俺が“神の使い様”!?
ちょっと何言ってるかわかりませんが、とにかく始まりました異世界ライフ。たぶん。
《記録再構成プロトコル 起動》
《■■■■■ユニット Y-0214、動作環境チェック開始》
……全同期条件、整合率 100%。
《システムシーケンス、転送前段階へ移行》
《意識補正:進行中》
《擬似日常シナリオ:カウントダウン開始》
――転送まで、残り 32,600秒。
それは、誰も気づかぬまま始まっていた。
人知れず起動したシステム。
■■■■計画“アーク”は、静かにその第一歩を踏み出した──。
日が沈みかけた通学路での帰り道。
ふと、世界が“静かになった”気がした。
まるで“音”そのものが、世界から削除されたような静寂。
空気は重く、視界の端がわずかにノイズのように揺らいでいる。
「は?」
そこに、空間が“バグった”。
夕焼け空の中心が、テレビのノイズみたいにザザッと歪んだかと思うと――
空が、裂けた。
「おいおい、イベントムービー始まったぞ……?」
現実離れした現象を前にして出てきたのは、緊張でも悲鳴でもなく、そんな感想だった。
だって、意味がわからない。
《プロジェクト・アーク フェーズ01 起動開始》
頭の中に、直接“誰かの声”が流れ込んできた。
《初期化シーケンス開始》
《対象:人類規格 旧型番号 “Y-0214”》
《同調率確認……100%》
「は……?」
声が聞こえたのは、俺だけだった。
でもそれは、確かに――俺の中から響いてきた。
《システムオールグリーン》
《セーフライン解除》
《記憶カプセル解除まで 00:04》
俺の身体が、異常をきたす。
まず耳――
さっきまで聞こえていた車の音、風の音、人の声が、まるで“水の中”に沈んだように遠ざかる。
次に視界――
色が、滲む。
夕焼けだった空がセピアに染まり、世界の輪郭が崩れていく。
足元がふわりと浮くと同時に、背骨をなぞるような金属音が脳を揺らした。
“誰か”に体の主導権を奪われていく、そんな不気味な実感。
言葉にならない声を吐いた瞬間、
内臓の位置すらわからなくなるような“感覚の欠落”が襲った。
自分が、自分でなくなる。そんな恐怖が、体の芯を這い上がってくる。
《転送座標固定》
《データリンク確立》
《最終同期開始》
俺は立ったまま、ゆっくりと崩れ落ちるような感覚に包まれた。
「え、まって……待って、俺まだ……」
言葉にならない声を吐いたとき――
《同期完了》
すべての五感が――
同時に、シャットダウンされた。
(……ああ、なんかよくわからないけど“さよなら、日常”ってことだけはわかる)
「これって……もしや、“転生イベント”ってやつでは?」
いやいや、ないない。そんな都合よくあるわけが――
そのとき、俺の思考は、
白いノイズに、吸い込まれるように消えていった。
《……システム再起動処理、開始》
――システム再起動。
そんな言葉が、ぼんやりと意識の奥底に響いた気がした。
「……っ、ぅ……?」
何も見えない。
真っ白な空間。音もなく、温度も感じない。自分の体がどこにあるかも分からない。
それでも、何かが戻ってくるのが分かった。
まず最初に戻ったのは――触覚だった。
地面の冷たさ、ザラリとした砂の感触。
それが、指先からじわじわと伝わってくる。
次に――聴覚。
遠くで“ザァァ……”と風の吹く音。木の葉が揺れる音。そして――獣のうなり声?
「……なに、これ……」
目を開けようとした瞬間、視界に強烈な光が飛び込んできた。
瞬間、思わず目を閉じ直す。
次に戻ってきたのは――嗅覚だった。
草の匂い、土の匂い。微かに焦げたような臭いも混じっている。
まるで野外キャンプ場のような、でもどこか人工的なものを感じる匂い。
ゆっくりと、目を開けた。
――そして、久遠ユウは、言葉にならないうめき声を喉の奥に押し込めながら、立ち尽くしていた。
「……は……?」
彼の立つ場所は、森の中。見渡す限りの緑。
澄みきった空気には、どこか乾いたオゾンのような匂いが混じっていた。
木々は均等すぎる間隔で生えていて、その幹には金属片と回路のような筋が浮かんでいた。
枝葉の形すら左右対称で、どこか“設計図通り”に配置されたかのような風景。
足元に転がっていた“石”を見て、ユウは思わず眉をひそめた。
「……これ、加工されてないか?」
普通の石に見えて、よく見ると金属片とプラスチック片が混ざっていた。
(夢か?)
しかし、自分の足で立っている。
微かに震える膝。汗が冷えて張り付くシャツ。
(……なんだこの場所)
まるで、自然と人工物が“融合”したような風景。
「うそだろ……ここ、どこだよ……」
「……まさか、ほんとに転移とか、そういうオチじゃないよな……?」
そう言いつつも、周囲の異様さは否応なく“非現実”を突きつけてくる。
混乱しかない。
頭の中には「バグった現実」って言葉しか浮かばなかった。
そんな俺の思考を、耳をつんざくような咆哮が破った。
グルルルル……ガァァアアア!!
「っ!?」
反射的に振り向いた。
そこには、どう見ても“モンスター”としか言いようのない存在がいた。
獣のような体躯。鋭い牙。尾には浮かび上がるような“プログラミングのコード”のような紋様。
ゲームなら中ボスって感じの風格だ。
「いやいや、何? おれ今まだチュートリアルでしょ? チュートリアルでこれ出てくる!?フロムゲーかよ!!」
足が、動かない。
というか、動かす余裕がない。心臓がバクバク鳴りすぎて、呼吸すら浅くなる。
「詰んだ……俺、詰んだわ……」
体が完全に硬直していた。腰は抜けていないけど、“立ち尽くす”という最悪の形でフリーズ中。
逃げろと叫ぶ心とは裏腹に、体が鉛のように重くて、足の指すら動かせなかった。
そのときだった。
ヒュンッ、と空気を裂く音と共に――
モンスターの体が吹き飛んだ。
「え?」
視線の先。
長い金髪と漆黒のコートを身にまとった少女が、斜め上から舞い降りてきた。
彼女の手には、光を纏った細身の剣。
ユウ:「あれって……電気か? 魔法か? ……いや、誘導?」
少女が振り返る。長耳。深い翠の瞳。
足元のブーツでモンスターを踏みつけながら、無表情に呟いた。
「“神の使い”が……本当に、現れたのね」
は?
「え? 今の、俺じゃないですよね? なんかすごいの倒したの、あなたですよね?」
「静かに立ち尽くし、動じることなく魔獣を見据えるその姿――やはり、伝承は本当だったのね」
「いやいやいやいや、今完全に心の中では“アカンアカンアカンアカン!”って叫んでたよ俺!?」
……でも、笑ってないと、泣きそうだった。
この世界の現実味が、じわじわと、背中を冷たく撫でていくような感じがして。
だが、少女は俺の声など一切聞いていないかのように、
ただ一歩、二歩と歩み寄ってきた。
そして、跪くように片膝をつき、頭を下げた。
「私はこの大地に仕える者、リリィ・アルフェン。あなたを、我が主とお呼びしても?」
え、これってアレ?
チュートリアルの選択肢で「はい」を押すと、取り消し不可のやつ?
「……ご趣味、変わってますね」
「……?」
世界の謎と勘違いの幕は、今――
とてつもない誤解から始まった。
――〈暁光の書〉第七節より抜粋
いにしえより伝わりし光、天を裂きて大地に降るとき――
その光の中心に現れし者、世界を巡り、災いを祓わん。
剣を振るわずとも争いを鎮め、言葉少なにして真を見通す。
民はその姿に膝を折り、王はその在り方に敬意を捧ぐ。
――彼の者の歩みは、大地を清める祝福なり。
今日という日は、
"予言の日"だと言われていた。
古い書物に記された、救いの日。
遥かな昔に記された、教典の黙示録。
胡散臭い占い師が、酒場で吹聴していた、未来の予言。
そんなもの、数えきれないほど見聞きしてきた。
そのどれもが、結局──
何ひとつ当たった試しなどなかった。
救いの天使も、
奇跡の英雄も。
誰一人として、現れなかった。
今日、アルフェン家に伝わる予言の日も──
(どうせ、何も起こらない)
心のどこかで、そう、思っていた。
期待なんか、していなかった。
どれほど高名な血筋を持っていようと、どれほど厳かに語り継がれていようと。
この世界には、救いなんて、存在しない。
ただ、緩やかに日常が過ぎて行くだけ。
──そんなふうに、思っていた。
だから、今日も。
儀礼的な装いを整えながら。
淡々と、形式だけをなぞるつもりだった。
それは、風の囁きが止まった午後。静かな昼下がりだった。
青く晴れた空に、何の予兆もなかった。
鳥たちはさえずり、風は優しく木々を撫で、世界はあまりにも“静か”だった。
だからこそ、空が裂けた瞬間――
私はすぐにそれが“彼の降臨”だと理解した。
天を裂くように現れた、光の柱。
その眩き輝きに、一瞬だけ世界が沈黙した。
風は止み、鳥は声を失い、大地は息を飲んだ。
そして私の心だけが、あの日からずっと続いていた“祈りのような鼓動”を打ち鳴らしていた。
「……ついに……!」
この日を、私は待っていた。
一族に伝わる伝承がある。
いつか天が光をもって裂けるとき、そこに現れる“救いの御方”がいる、と。
その者は剣も魔法も振るわず、ただ静かに大地を歩み、
戦乱と災いを鎮め、忘れられた真理を再び地に満たす。
“光と共に現れし者”。
彼はやがて神々の試練に挑み、この世界の行く末を選ぶであろう、と。
私は、その日を夢のように思い描きながら育ってきた。
けれど心のどこかで、それはただの御伽噺に過ぎないのだと、思い込もうとしていた。
だが今――
空を裂き、大地を照らす光の柱を前にして、
その思いは、歓喜へと変わった。
心が震えていた。
血が沸き立つのを感じた。
いつも冷静沈着であろうと努めてきた私が、この瞬間だけは、ただ一人の“信奉者”だった。
足が自然に走り出していた。
気がつけば私は森を抜け、草原を駆け抜けていた。
風を裂く音すら感じないほど、心はただひとつの衝動に突き動かされていた。
そこに、彼は立っていた。
全身が光に包まれ、静かにその場に立ち尽くす姿。
威圧するでもなく、怯えるでもなく――ただ静かに、空を見上げていた。
私は、言葉を失った。
美しいとか、尊いとか、そんな陳腐な表現では語れない“何か”がそこにあった。
「……やはり、あなただったのですね……」
夢で何度も思い描いた“光の御方”。
その姿を、私は魂で覚えていた。
誰が教えたわけでもない。
ただ、私の中に最初から刻まれていた記憶のように、彼の存在は私の心に沁み込んできた。
初めて見たはずのその姿に、私は既視感すら覚えた。
いや、魂が記憶していたのだ。あの日伝承を聞いた夜に、夢の中で出会った面影。
ゆっくりと膝をつき、頭を垂れる。
風が、彼の髪を揺らし、光がその頬を照らしていた。
「私はこの大地に仕える者、リリィ・アルフェン」
「あなたを、我が主とお呼びしても?」
それは忠誠でも、恋慕でもなく。
ただ、私の“存在理由”が今、そこに立っていたのだ。
その言葉に、返答はなかった。
ただ、彼の瞳がこちらを向いただけだった。
だが、その無言の眼差しに、私はすべてを感じた。
私の中で、すべての歯車が噛み合った。
運命が、音を立てて回り始めた。
……その音は、誰にも止められない。
――世界は、今、変わろうとしている。
彼らが去ったあと。
森の中に、再び静寂が戻った。
だが、その場に、ひとつの影が残っていた。
少女──ミリィ・アルフェン。
リリィの、妹。
彼女は、樹々の影に身を隠すようにして、ただ、静かに立っていた。
細い指先が、そっと空気を撫でた。
かすかに漂う、魔力の残滓。
誰かが、確かにここにいた証。
ミリィは、瞼を閉じ、小さく息を吐いた。
「──この魔力の残滓」
呟く声は、震えていた。
「……絶対に、忘れない」
姉様の魔力。
幼い頃、何度も、何度も感じた温もり。
今は、ただ痛いだけの記憶。
ミリィは、苦々しく唇を噛んだ。
「アルフェン家も」
「役目も」
「──私も」
吐き捨てるように、言葉がこぼれた。
「全部捨てて、飛び出したくせに」
それでも、私はずっとここにいたのに。
誰も、私には気づいてくれないのに。
拳を握り締めた。
白い指が、痛々しく震えていた。
(知らなかったんだよね、姉さんは)
(自分に課された本当の役目を)
分かってる。
頭では、分かってる。だけど。
「……なんで、今さら」
低く、震える声。
お読みいただきありがとうございました!
リリィさん、全力で信じすぎ。ユウのツッコミも追いつかないレベルの誤解劇が始まりました。
次回以降はさらに“神の使い様”としての伝説が加速されていきます。
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