復讐の始まり
部屋を飛び出した後、私は首元に手をあててネックレスの有無を確認してみると、そこにはしっかりと石の感触があった。
……やっぱり。
既に付けているということは、私がタイムスリップしたのは、おそらくお母様からネックレスを貰った直後。
一体どういう法則があってこの時に戻ったのか全く分からないけど、説明するにはいいタイミングかもしれない。
果たして、お母様は私の話を信じてくれるのか。
不安はかなりあるけど、行動を起こさなければ何も変わらないので、私は小さく深呼吸をしてからお母様の部屋の扉をノックした。
「あら?クレスどうしたの?何か忘れ物?」
中から返事が聞こえ、恐る恐る扉を開けると、お母様は私の姿を見るや否やきょとんとした目をこちらに向ける。
その瞬間、自然と目頭が熱くなり、危うく涙がこぼれそうになった。
……ああ、お母様。
こんなに健康的な姿を見たのはいつぶりだろか。
牢獄に入れられてから処罰が決まるまでの間、食事が喉を通らずどんどんやつれていく姿にずっと胸が苦しかった。
陽の当たらないカビ臭くて薄暗い収容所、板のように硬いベッド、不衛生な体と浮浪者のような悪臭、味のしない硬いパンとスープ。
思い出すだけでも吐き気がしてきて、体が震えてくる。
悪いことなんて何一つしていないのに、無惨にも処刑された私達。
そして、その主犯格であるオリエンスお姉様。
これまで尊敬してやまない人だったけど、今では心の底から憎くて仕方がない。
だから、やり遂げなければ。
こうして、女神様の恩恵によって蘇った以上、もうお姉様の思い通りにはさせない。
「クレス?顔色が良くないわよ。もしかして、どこか具合でも……」
「お母様。今直ぐ私の部屋に来てもらえますか?」
暫く呆然と立ち尽くす私の顔を心配そうに覗き込んできたお母様の言葉を遮り、私は切迫した表情でそう尋ねる。
すると、そんな私から何かを感じ取ったのか。
お母様はそれ以上は何も触れず、黙って首を縦に振り、私の後を付いてきてくれた。
◇◇◇
「……このドレスは……」
それから私の部屋に招き入れた途端、お母様は早速部屋の真ん中に置いてある二つのドレスに目をつける。
「この二つはお姉様の誕生日プレゼントです。ピンクの方はお母様もご存知だと思いますが、赤い方はご存知ないかと思います。これは、プレゼントの候補から外れた筈のドレスですから」
「ええ、そのとおりよ。よく知ってるわね」
暫しの間赤いドレスを凝視しているお母様に事の次第を話したら、とても驚いた目を向けられた。
けど、私は気にすることなく、これから全てを打ち明ける決意を固め、小さく深呼吸をする。
「これは王室から盗まれた王妃のドレスであり、お姉様が私達を殺す為に仕組んだ罠です」
そして、躊躇することなく、はっきりと断言した。
「……………………え?あなた何を言っているの?」
それから、数秒間の沈黙後。
予想通りの反応が返ってきたので、私はお母様にこれまでの経緯を一つ一つ丁寧に説明し始めた。
「……ごめんなさい。少しだけ考える時間をくれないかしら」
終始私の話を黙って聞いていたお母様は、全てを打ち明けた後、暫しの間呆然とその場で立ち尽くしてしまった。
確かに、この話を直ぐに信じて欲しいというのは無理があると思う。
けど、これは紛れもない事実であり、処刑から免れる為にはお母様にこの情報を共有しなければいけない。
だから、例え信じてくれなくても、先ずは発信することが大事だと。
そう自分に言い聞かせ、私は固唾を飲みながらお母様の反応を待った。
「……クレス。さっきあなたに渡したお守りのネックレスを見せて」
すると、意表を突いてきたお母様の一言に、私は一瞬目が点になる。
それから、言われた通り首に掛けていた金具を外し、ネックレスを外してお母様に渡そうとした矢先、ある異変に気付いた私は思わず「あっ」と声が出てしまった。
「お母様、これは……」
掌には薄紫色がかった石がキラリと光る。
確か処刑される直前までは七色に輝く綺麗な乳白色の石だった。
けど、今目の前にある石は若干淀みがかかっている。
誰かに細工された記憶もないし、一体何が原因でこんな…………。
………………まさか。
「石の色が変わっているということは、かなりの魔力を消耗したという証ね。つまり、あなたの言っていることは正しいということになるわ」
どうやらその予感は当たっていたようで。
お母様の鬼気迫る表情に、思わず生唾を飲み込んでしまう。
「お父様が仰ってたの。女神様のご加護には限りがあると。けど、元々かなりの魔力量だから、普通に暮らしていれば色が変わることはない。……でも、あなたの言う通り時空を超えるような超越的な力が発動したとするならば、この色も頷けるわ」
そして、お母様の説明を聞いた後、私はもう一度ネックレスに目を向けた。
「つまり、魔力量によってネックレスの色が変化すると?」
「ええ。最終的に魔力がなくなると褐色化して石が壊れるそうよ」
それから、衝撃的な事実に暫くの間言葉を失う。
同じような奇跡が再び起こるとは思えないけど、心の何処かで期待していた。
万が一失敗しても、またやり直せるかもしれないと。
けど、それが有限であると確定した以上、そんな安易なことは言ってられない。
また処刑されるなんてことは絶対に避けたいけど、お姉様の陰謀を暴かなければ同じ目に遭う可能性は十分ある。
「あの、お姉様が呼び寄せた商人達の情報って分かりますか?」
そう思うと次第に焦燥感が募り始め、私は少し急かすように詰め寄った。
「それなら門番所にある来客名簿を見てみなさい。ただ、その情報が正しいかどうかは不明だけど。……もしくは、ドレスを購入した時の領収書が残っていれば、そこに手掛かりがあるかもしれないわよ」
なるほど。
名簿の確認は直ぐに出来そうだけど、お姉様から領収書を盗むのはかなり至難の技かもしれない。
そもそも、足が残るようなことをするだろうか。
お姉様のことだから、即行で廃棄しててもおかしくない気がするけど……。
でも、それはやってみなければ分からない。
「お母様、ありがとうございます。先ずは名簿を確認してきますね」
兎にも角にも、先ずは出来ることから始めようと。
私はお母様に一礼し、踵を返した時だった。
不意に手首を掴まれ、驚いた私は何事かと振り返る。
「……ねえ、クレス。あなたが言うように、オリエンスは本当に私達を殺そうとしているの?」
すると、少し震えた声で尋ねてきたお母様の不安気な表情に、胸がチクリと痛みだした。
私だってそんな事実は認めたくないし、今でも信じられない。
けど、身をもって知った彼女の憎悪は紛れもなく本物であり、避けることは出来ない。
だから…………。
「動機はよく分かりませんが、このままでは私達の命が危ないのは確かです。だから、そうなる前に私は必ずお姉様に復讐します」
何よりも大切なお母様の命を奪った人だから。
その代償はこの命を犠牲にしてでも絶対に払ってもらう。
そんな強い気持ちを込めてそう断言すると、私はお母様の腕を振り解き、返答を待たずして足早に部屋を出ていった。
◇◇◇
“カルロス商店 代表者:カルロス・ロイド 所在地: イグニス領シャルロ市街三番地”
一応それっぽい名前とそれっぽい住所は書いてあるけど、果たしてこれが正しいのかは分からない。
王城ならまだしも、公爵家では身分確認をすることはなく、よっぽど怪しくなければ嘘デタラメを書いたとしても簡単に通過出来る。
とりあえず、これが偽物かはどうかは確認してみないと分からないので、私は門番に断りを入れて名簿の情報を紙に書き写した。
そして、くれぐれも私が来たことは他言無用にするよう念押しして、詰所を後にする。
あとは、重要な手掛かりである領収書をどうするか。
ドレスを購入したのは昨日と言っていたので、もしかしたらまだお姉様の部屋にあるかもしれない。
けど、お姉様は今日一日屋敷に居るみたいだし、どのタイミングで部屋に侵入すればいいか…………。
「クレス」
すると、頭を悩ませながら引き返そうとしたところ、聞き覚えのある声が背後で響き、私は咄嗟に振り向く。
「…………リオス様」
そして、笑顔でこちらに手を振ってくる声の主の名を口にした瞬間、ある記憶がふと蘇ってきた。
そうだ。
この場面は……。
意図せず偶然にも生前と同じ状況となり、私は動揺を悟られないよう慌てて笑顔を作る。
「リオス様、ご機嫌よう」
それから、今日も眩くて爽やかな笑顔を振り撒く王子様に恭しく一礼した。
「クレス。ちょうど良かった。君に渡したいものがあって。……はい。お誕生日おめでとう。大したものじゃないけど、成人のお祝いとして受け取ってくれないか?」
そう言って優しい表情で差し出してきたのは、あの時と同じピンク色のリボンが付いた白い紙袋。
中身はもう知っているけど、こうして再び手に取ることがとても感慨深く、暫しの間その場で固まってしまった。
「ありがとうございます。とても嬉しいです。中身を拝見してもよろしいですか?」
とりあえず、このまま何も言わないのは失礼なので、私は初めてプレゼントされた日のことを思い出しながら、精一杯の喜びを再現する。
「ああ、勿論」
そう答える姿はとても照れくさそうで。
あの時は初めて貰ったプレゼントに浮かれて全く気付かなかったけど、今改めて見ると、こんなにも恥じらっていたことが分かり、新たな喜びが込み上がってくる。
「……ああ、なんて美しいのでしょう」
それから、紙袋に入っていた小さな透明のガラスケースを取り出した瞬間、思わず溢れた感嘆の息。
中身を知っていても、リオス様から頂いた物は何度見ても胸が熱くなる。
このシンプルに輝く金色の蝶を再び目にすることが出来た喜びに、少しでも気を緩めると涙が出そうになり、私は何とかその場で堪えた。
__その時、ふと浮かんできた考え。
「あの、折角なので早速付けてみてもよろしいですか?」
当初はデビュタントの時に披露すればいいと思っていたけど、今後どうなるか分からなくなった今。
彼に見せるのはこの時しかない気がして、私は期待を込めた眼差しを向けてリオス様の返答を待った。
「それじゃあ、俺が付けてあげるよ」
すると、予想だにもしていなかった反応に、一瞬思考が停止する。
「……は、はい。で、ではお願いします」
まさか、リオス様直々に付けてもらえるとは夢にも思わなかった事態に、緊張で声が少しだけ震えてしまう。
そして、恐る恐るガラスケースを渡すと、リオス様は箱から髪飾りを取り出し、私のこめかみ部分にそれを優しく挿してくれた。
「やっぱり。とても似合っているよクレス」
それから、蕩けるような柔らかい笑顔でそっと頭を撫でてくれて、鼓動の速さが最骨頂に達する。
ああ。
なんて幸せなんだろう。
こんなに満たされた気持ちになったのは、とても久しぶりな気がする。
これまで裏切りと絶望によって亀裂が入り、ボロボロになった心の隙間からリオス様の温かい優しさが染み込んできて。
いけないと分かっていても、好きという気持ちが止まらない。
「ところで、オリエンスはいるかな?実はデートに誘おうと思って」
それから、暫くの間夢心地な気分に浸っていると、さらりと放たれたリオス様の一言によって意識が現実へと引き戻される。
「……お姉様なら自室にいらっしゃると思います。今呼んで参りますので、客間でお待ちください」
そして、少しの間を置いた後、私は無理矢理笑顔を作ってその場で一礼した。
知っている展開だとしても、これ程までに悔しいと感じたことはない。
お姉様を心から尊敬していた時は、悲しかったけど仕方がないと諦めることが出来た。
けど、今はもう無理だ。
誠実で優しく清らかな、次期国王に相応しいリオス様。
そんな彼の恋人が、人の命を平気で奪うことができる悪魔のような人間だなんて、絶対にあってはならない。
だから、何もかも壊してみせる。
化けの皮を剥がして、彼女の本性を全て曝け出せば、きっとリオス様はお姉様には見向きもしないはず。
そのためには、行動を起こさないと。
そう固く心に誓うと、私は小さく拳を握り締め、リオス様に別れの挨拶をした後、お姉様の自室へと足早に向かった。