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黒い野心〜オリエンス視点②〜






「オリエンスお姉様、私も一緒にお出掛けしてよろしいですか?」


「……ええ、もちろんよ。それじゃあ、馬車の中で待っているわ」



まったく、忌々しい。

私は一人でリオス様に会いに行きたいのに、毎度毎度本当にこの女は空気が読めないわね。



イライラが収まらない私は、床を何回も蹴りつけていると、程なくして馬車の扉が開き、慌てて体裁を取り繕った。



「今日はリオス様にお茶会の招待状を渡す予定よ。お母様が外商から珍しい茶葉とお菓子を購入したそうで、試食したらとても美味しかったの。だから、是非リオス様にも召し上がって頂こうと思って」


「それは素敵ですね。どれ程なのか私も気になります」


「それなら三人でお茶会をしましょう。人数が多い方が話も盛り上がるし」


「私も参加していいのですか?嬉しいです。ありがとうございます」



はっ?

いいわけないでしょ。


あんたを誘う気なんてさらさらなかったのに、バレたから仕方なく誘ったのよ。

てか、そこは察して遠慮しなさいよ。

私がリオス様を慕ってるの、あんたも知っているでしょ。この超無神経女。



そう心の中で毒づかれているとは露知らず。

クレスは期待の眼差しをこちらに向けて、心底嬉しそうな表情を見せてきた。




クレス達がラグナス家に来てから早三年が経過。

もうすぐ十三にもなるんだから、そろそろ男女の事情というものを理解して欲しいのに、人の色恋沙汰に疎いのか、未だ平然と恋路を邪魔してくる。

それが無自覚なものだから、余計にタチが悪い。


そして、本人の口からはまだ聞いたことはないけれど、十中八九クレスもリオス様のことを慕っている。

しかも、私が彼と知り合うより前から。


クレスは自分の感情を隠すことが下手で、初めてクレスと一緒に彼の元を尋ねた時、すぐ分かった。


一体いつ頃知り合ったのか知らないけれど、私よりも先に出会っているなんて、つくづく気に食わない。


だけど、こうしてこまめに会いに来ている甲斐あって、最近リオス様の態度が柔らかくなってきたと思う。



もともと、そこまで人見知りが激しい方ではないけれど、始めの頃はやっぱり何処か見えない壁があった。


それに気付かない令嬢達はリオス様の心を射止めることに必死で、距離感を考えずに強引に近付こうとする。


そうなると、呆気なく撃沈するのは目に見えて分かるのに、同じ過ちを繰り返す者が後を立たない。



私は、そんな愚かなことは絶対にしない。

少しでも焦ってしまえば、これまで積み上げていたものが一気に崩れかねないから。


だから、時間を掛けて控えめに。尚且つ、攻めるところは攻めていく。

そんな駆け引きをし続けて、ようやく今の距離感を手に入れた。




____それなのに。






「待たせてごめん。……あれ?今日はクレスも一緒なんだね」


「リオス様ごきげんよう。お姉様がお出掛けするって言ってたので付いてきちゃいました」


「クレスはオリエンスが大好きなんだね。君に素敵なお姉さんが出来て本当に良かった」


「はい。毎日とても楽しいですよ。昨日なんて……」



相変わらず、私を置いて会話に盛り上がる二人。


私は数ヶ月かけてやっと彼と気兼ねなく話せるようになったというのに、最初に会った時点からこの二人の距離は凄く近かった。


本当に腹立たしい。

だけど、クレスが私を慕ってくれているおかげで、リオス様は私に対して好印象をもってくれている。


そこだけは、この女唯一の利点だけど、それ以外は害悪でしかない。


聞いたところによると、初の国王謁見の時に王宮内で迷っていたところをリオス様に助けられたんだとか。


そこから親しくなったと言っていたけれど、それにしてはリオス様はクレスに対して随分手厚い気がする。


まるで、本当の妹のように大切にされているとは別に、それ以外の感情もあるのではないかと疑う時がたまにあるくらい。



「あの、リオス様。今度うちでお茶会をしませんか?珍しい茶葉とお菓子を手に入れたので、リオス様にも召し上がって頂きたいと思いまして」


とりあえず、細かいことは気にしないようにして。

私は笑顔で本題に入ると、リオス様に用意した招待状を差し出した。


「それは凄く興味深いね。ありがとう、是非参加させてもらうよ」


すると、快く受け取ってくれたので、一先ず胸を撫で下ろす。



「リオス様、ご歓談中のところ申し訳ございません。国王陛下がお呼びです」


それから、私も彼と会話を楽しもうとした矢先。

まるで図ったようなタイミングで現れた臣下によって、話が中断されてしまった。


「分かった、今行く。ごめんね。せっかく来てくれたのに、あまり時間が取れなくて。それじゃあ、お茶会楽しみにしてるから」


そして、リオス様は颯爽とこの場を離れてしまい、面会はここであっけなく終わった。



「リオス様は相変わらずお忙しい方ですね。あまりお話出来なくて残念です」


「…………ええ。本当ね」



てか、あんたはあれだけ盛り上がっていたんだから、別にいいでしょ!

私なんて、あんたのせいで、ほんの少ししか話せなかったのにっ!



そう喉まで出かかったけれど、ここは良き姉を演じるために抑えて、静かな微笑みをみせた。





__それから数日後。



約束していたお茶会の日を迎え、私は朝から準備に勤しんでいた。


まずはこの日のために厳選した、白のグラデーションが織り成す鮮やかな空色のドレス。

このドレスは外国で話題になっているデザインで、エーデル国内では珍しく、知名度が低い上に値段も高額。


そして、髪型は長い銀髪をハーフアップにして三つ編を作り、それをクルッと巻いてピンで止める。そうすると、まるで花のような形が出来上がり、そこに同じ色のリボンを付ければ完成。


この髪型も外国の若者の間で流行っているそうで、有名な仕立て屋に教えてもらった。


他にもシンプルなデザインだけど、高級感溢れるブルーダイヤモンドのアクセサリーを身につけたり、最後には少しでも大人っぽく見えるように、あまり選ばない深紅のルージュを塗ってみたりと。


ラグナス家の財力を最大限に活かし、派手さを抑えつつ、華やかさもしっかりとある姿を鏡に映した瞬間、思わず感嘆の息が漏れる。


「ああ。なんて美しいの。きっとお母様がこの姿を見たら大絶賛すること間違いないわ」


完璧なコーディネートに自画自賛すると、白いシェルフに立て掛けてあるお母様の写真に視線を向けた。



私を第一に考えてくれるお母様。

きっとリオス様と婚約出来たら、さぞかしお喜びになるでしょう。


それに、来週はお母様の命日。

その時に良い報告が出来るよう、出来ることならこのお茶会で彼の心を掴みたい。

そのためには、あの女との差を見せつけなければ。



一方、そんな事情を知る由もないクレスは、特段着飾ることなく、普段通りの装いで来たので、私は心の中で小さくほくそ笑む。



「わあ、そのドレスの色合い凄く素敵です!髪型もとてもよく似合ってますよ!」


それから、羨望の眼差しを向けて嫌味なく私を誉めちぎってくるので、この時ばかりはこの女の嫌悪感が少しだけ薄れた。



そうやって、彼の前で褒めまくって、せいぜい私を引き立てなさい。

そして、一生私の金魚のフンになればいいわ。




「ありがとうクレス。今度あなたにもヘアセットの仕方を教えてあげるわね」



本音とは裏腹に、いかにも妹想いの姉を演じながら、優しくクレスの頭を撫でる。

そうすることで、私の株はまたひとつ上がり、益々お姉ちゃん大好きっ子に仕上がっていく。


本当に、なんてバカで単純な妹なのかしら。




こうして、全ての準備が整うと、私達はリオス様を迎えるために玄関先で待機する。


そして、程なくしてから金色の国章が刻まれた真っ白な馬車が門扉前に到着すると、中から白シャツに紺色のベスト姿のリオスが降りてきた。



「リオス様、お待ちしておりました。どうぞこちらへ」


それから、私とクレスで彼を出迎えると、何やらリオス様は呆気にとられたような表情で動かなくなり、こちらをじっと見つめている。


その視線はクレスではなく、紛れもなく私の方に向いていた。


それってつまり……。


「リオス様、どうなさいました?」


暫く微動だにしないので、私は白々しく問掛けると、リオス様はふと我に返り、照れを隠すように私から視線を逸らした。


「あ……ごめん。あまりにも雰囲気が変わっていたから驚いて。ドレスもとてもよく似合っているし……凄く綺麗だよオリエンス」


どうやら私の予想は的中したようで。

リオス様は若干頬を赤らめながら、躊躇いがちにそう答えると、再び熱い視線を向けてきた。



この手応えは、間違いない。


決して勘違いではない。


リオス様は確実に私を意識している。



その証拠に、お茶会の間は普段よりも彼とよく目が合い、クレスよりも私と会話をしたがっている空気が伝わってくる。


沸々と込み上がってくる優越感に心が震え、もはや紅茶の味やお菓子の味がよく分からない。




こうして、有意義なお茶会はあっという間に終わりを迎え、私はリオス様を見送るために席を立とうとした時だった。


「リオス様、申し訳ございません。ちょっとお茶を飲み過ぎてしまって……。私はここで失礼させて頂きます」


クレスはバツが悪そうに頭を下げると、こちらの返答を待たずに足早にこの場を去って行ってしまった。



一体なんなの?



まるで逃げるように姿を消され、暫しの間呆気に取られる。


だけど、その行動の意図が段々と読めてきて、再び湧き起こる優越感に小さく口元を緩ませた。



……そう。

そういうこと。


あの鈍感女も、ようやく自分の立場が分かったみたいね。




「クレス大丈夫かな?もしかして、お腹を壊したとか?」


一方、クレスの後ろ姿を見送りながら、本気で心配しているリオス様の意識をこちらに戻すため、私はさり気なく彼の腕に手を回した。


「妹のことはご心配なさらずに。私があとで様子を見に行きますから」


そして、やんわり微笑むと、再び彼の頬がほんのりと色付く。


その様子に、攻めるなら今しかない気がして。

私はこの時のためにとっておいた、ある策を打ち出すことにした。



「ところでリオス様。予定が空いている時でかまいませんので、今度観劇を観に行きませんか?有名な小説を舞台にしたものなんですが、周りにそれを読んでいる人がいなくて、一緒に行ける人を探してるんです」


「もしかして、今話題になっているやつ?俺もその小説が好きで丁度観てみたいと思ってたんだよね」


すると、予想通りとてもいい反応を見せてくれて、心の中で歓喜の声を上げる。



勿論、このことは全部リサーチ済み。

王宮の侍女に使わなくなったアクセサリーをいくつかバラ撒いたら、簡単に情報提供をしてくれて、彼が最近ハマっていることや、好みなどを色々と聞き出した。


そこから練り出したデートプランなので、タイミングを見誤らなければ、まず断られることはないはず。



そんな期待を込めて、私はリオス様の返答を待っていると、案の定。快く承諾をもらった。




こうして、難なくデートの約束をし、私は飛び上がりたい衝動を抑えて静かに彼を見送る。




まさか、ここまで上手くいくとは思わなかった。


これも、色々と念入りに準備をしてきた賜物。


これまでずっと忌々しく感じていたリオス様とクレスの距離に、ようやく打ち勝つことが出来るかもしれない。


そう確信すると、私はリオス様の姿が見えなくなったところで、大きくガッツポーズをした。




それからリオス様を見送った後、屋敷の中に戻ろうとしたところ、何やら玄関先でクレスが呆然と佇んでいたので、とりあえず心配そうなフリをしてみる。


「急に走り出してびっくりしたわ。大丈夫?どこか具合でも悪いの?」


なんなとなくだけど、その表情は影掛かっているように見えて、思わず緩みそうになる口を必死につぐんだ。



「……いえ。もう大丈夫です。急に席を外して、ごめんなさい。それより、お姉様がお召しになっているドレスについて色々お話を聞いてもいいですか?」


そして、何事もなかったように無邪気に振る舞う姿が余計可笑しくて、笑いを堪えながら何とか平静を保ち続けた。



なんて最高の気分なのかしら。

ようやく私との格の違いを、この女に見せつけることが出来た。


そうやって、どんどん傷付けばいい。

そして、望みなんて何一つないことを、これから嫌って程教えてあげる。



「ええ、勿論よ。それじゃあ、私の部屋に行きましょう」


心とは裏腹に、満面の笑みを浮かべて私はクレスの手をとる。


それに気分を良くしたのか、クレスも嬉しそうに私の手を握り返してきた。


これから、辛い話が待ち受けているとも知らずに。





こうして、リオス様と二人で出掛ける話は、夕食の時に家族の前で公言した。

その方が更に効果的な気がしたから。


勿論、お父様は大喜び。

義理母(おかあさま)は若干複雑な表情をしながらも、喜んでくれた。

そして、クレスは暫しの間放心状態となっていた。


まさしくイメージ通りの光景に、思わず吹き出しそうになってしまう衝動をぐっと堪える。



おそらく、義理母(おかあさま)は密かにクレスがリオス様の婚約者になることを期待していたのだろう。


余所者のくせに、我娘に地位まで取らせようとするなんて、強欲で醜い女。


私がもし次期王妃になったら、あの手この手を使って、いつか二人をラグナス家から追い出してやる。



そんな煮えたぎる想いを隠すため上品な笑顔で取り繕い、引き続き家族との歓談を楽しむフリをしながら、今日も良き姉を演じる。





__そして、迎えたお母様の命日。





「え?今日は中止ですか?」



色々お母様に報告したいことを頭の中で整理しながら、上機嫌にダイニングルームに向かうと、浮かない顔をしたお父様が発した一言に私は絶句する。



「そんな……。これまで延期したことなんて一度もなかったじゃないですか!」


「すまない。クレスが今朝高熱を出してしまって。だから、墓参りはしばらく延期することにした」


そう言って心底申し訳なさそうな表情で頭を下げられたけれど、そんな話をあっさり受け入れるなんて、到底出来るはずがない。


「お父様は、この日は何があっても私達にとって凄く大事な日だって仰ってたじゃないですか!」


「それはそうだが、今はクレスが苦しんでいる。フロリアはずっとつきっきりで看病しているし、そんな状況下で我々が出掛けるわけにはいかないだろ」


諦めずに必死で抗議してみるも、私の話に耳を貸すことなく説得をしてくるお父様が許せなくて。腹の底から込み上げてくる怒りで、体が徐々に震えてくる。



例えどんなに忙しくても、必ずこの日だけは空けてくれたのに。


それなのに、クレスの体調不良でこんなにも豹変するなんて。


それだけ大事なことであるのは分からなくもないけれど、それでも、そんな選択は取って欲しくなかった。



「だから、なんなんですか!?私はお母様に会える日をずっと心待ちにしてたんですよ!お父様が来なくてもいいです!私一人で行きますから!」


余りにも悔しくて、やけになりながら押し切ると、困惑していたお父様の眉間が益々深くなっていった。


「オリエンス、一体どうしたんだ?おまえはそんなことを言うような人間ではなかったはずだ。大切な妹が苦しんでるんだぞ。もっと労わってあげてもいいんじゃないのか?」


そして、今度は軽蔑するような目を向けてきて、初めて見る表情にショックを隠すことが出来ない。


けれど、ここで怯んではダメと自分に言い聞かせ、私はお父様を思いっきり睨みつけた。



「……そうか。分かったよ。それなら、護衛隊を付けるから墓参りは侍女と行ってきなさい。私は、今から医者を手配する」


そんな私に見切りをつけたのか。

お父様は深い溜息をひとつ吐いた後、そっけない態度でそう言い残すと、この部屋をさっさと出て行ってしまった。





なんで?

なんでこうなるの?


毎年毎年お父様と二人でお墓参りするをずっと楽しみにしていたのに。


これも全部クレスのせいだ。


ずっと邪魔な存在だとは思っていたけれど、お父様の愛まで独り占めにするなんて。



何が“大切な妹”よ。


そんなこと一度も思ったことないし、ましてや妹として認めていない。



本当に忌々しい存在だわ。


もはや、息して動いているだけでも憎く感じてくる。






「オリエンス様、大丈夫ですか?」



お母様のお墓の前で暫く佇んでいると、心配そうに顔を覗きこんできた侍女と視線がかち合う。


「あ……はい。ごめんなさい、ちょっと感傷的になってしまって……」


お母様に会えた喜びよりも、お父様に見放されたショックの方が大きくて、心が締め付けられるような感覚に襲われながらも。とりあえず、心境を悟られないよう笑って誤魔化そうとしたら、何やら侍女は神妙な面持ちになって私の手を握ってきた。


「公爵様はああ言っておりますが、私はオリエンス様のお気持ちを理解しているつもりです。だって、オリエンス様は昔から奥様が大好きでしたもの。なので、何かあったら私に相談して下さい。どんなことでもお話聞きますから」


すると、まさかの同情してくれたことに、私は驚いて暫く言葉が出てこなかった。



この一件で、これまで培っていた信頼にヒビが入ってしまったと少しだけ後悔した。だけど、意図せず味方が増えたことは予想外の出来事であり、私は心の中で小さくほくそ笑む。



「ありがとう。そう言ってくれて凄く嬉しいわ。それじゃあ、お言葉に甘えて、これからも頼っていいかしら?」


「ええ、喜んで。何なりと私にお申し付け下さい」


それから、儚げに笑ってみせると、侍女はやる気に満ちた表情で大きく首を縦に振った。




そうか。

こうして味方を増やしていけばいいんだ。


私はこの屋敷で生まれ育った人間だ。

だから、昔から仕えている者は、こうして私の気持ちを理解してくれるはず。


それを利用していけば、あの女達をここから排除するのも、案外容易いことかもしれない。




待っていてください、お母様。


私達の居場所は、どんな手を使ってでも私が必ず守りますから。




墓石の前でそう強く誓いをたてた瞬間、私の中である野心が生まれた。



それは、これまでにないくらいドス黒くて、おどろおどろしくて。


だけど、揺るがない絶対的な強さを持っていて。



それが、今後の未来を大きく変えることになろうとは、この時の私はまだ知る由もなく。

生まれた野心を大切に抱えながら、己を信じて真っ直ぐと前を向いた。




◇◇◇






「…………ん」



ぼんやりとした意識が次第に覚醒し始め、うっすら目を開けると、視界には見慣れない真っ黒な天井が映り込んできた。


夢見が長かったせいか、頭の中は未だはっきりせず、暫くの間そのまま動かずに呆然としていた。



なんだろう。

随分昔の夢を見ていたような。


お母様はよく夢に出てくるけれど、クレスが出てくることなんて、これまで一度もなかったのに……。





「気付いたか?」



その時、脇から聞き覚えのある低い男の声が聞こえ、私はふと我に返った。


そこから、これまでの出来事を思い出し、一気に沸点が上昇した私は、体を勢いよく起こす。


辺りを見渡すと、部屋の中にはトイレと簡易的なベットがあるだけで、周りは鉄格子に囲まれている。

しかも、片足には鎖が繋がっていて、完全に囚人扱いされていることに余計腹が立ち、私は鉄格子を思いっきり掴んだ。


「ちょっと、あんた何してくれてんの!?こんな汚い部屋に閉じ込めて!私がラグナス家の人間だってこと分かってる!?」


「まったく。相変わらやかましい女だ。自分のことは棚に上げて、権利ばかり主張してくる。本当に貴族という輩は……」



なんなのこいつ。

事あるごとに貴族、貴族って。


「貴族バカにするのもいい加減にしなさい!それより、どういうこと!?ちゃんと状況を説明して!」


一体何の恨みがあって、こんな仕打ちを受けなくてはいけないのか。

私に危害を加えるなんて、そんな話は一度たりともなかったのに。これでは、契約違反だ。


「お前が余計な真似をしたから仕方なくだ。全部自業自得だろ。明日には出してやるから、そのまま大人しくそこでじっとしているんだな」


男は吐き捨てるようにそう言い残すと、再び深い溜息を吐いた後、踵を返してこの場を足早に去って行った。


「ちょっと待ちなさいよ!だから、私はこの後何をすればいいの!?ねえ、話はまだ終わってないんだけど!」


当然ながら納得出来るはずもなく、何度も叫んだけれど、それ以降フード男が戻ってくることはなく。

怒りが頂点に達した私は、ベットを思いっきり蹴り付けた。




本当に信じられない。

なんで、こんな臭くてジメジメした場所に閉じ込められなきゃいけないの?


お風呂にも入れないし、食事と言ったらいつのだか分からない硬いパンと水があるぐらいだし。


これなら、あのロリコン男の所にいた方が百倍マシだわ!



文句を言いたくても言える相手がいないので、行き場のない怒りが再び募っていく。


鏡がないから自分が今どんな姿をしているのか全く分からない。


明日にはここから出すと言っていたけれど、あの男は一体私を何処に連れて行こうとしているのだろう。



とにかく、閉じ込められている以上は何も身動きが取れないので、私は荒れる心を何とか落ち着かせるために何回か深呼吸をした。


そして、懐に隠してあるナイフの存在を確認すると、ほっと胸を撫で下ろす。


良かった。

どうやら、護身用のナイフは取り上げられなかったみたいね。


いざとなったら、これで身を守ればいい。




こうして、先の見えない不安に駆られながらも。

まだ薬の効果が抜け切れていないのか、暫くすると強い眠気が襲ってきて、気付いたらまた意識を失っていた。



そして、次に目が覚めた時は、心なしか部屋の中が薄らと明るくなっていて。おそらく朝を迎えたんだろうと直感でそう思った。


すると、遠くの方で足音が聞こてきて、私は急いでベットから起き上がると、牢獄の前にはあのフード男が立っていた。



「約束の時間だ」


これだけ人を閉じ込めておいて、労いや謝罪など一切なく。相変わらずの無機質な声でそう告げると、男は牢屋の鍵を取り出して扉を開いた。


ようやくここから出れることに安堵するも、何やら男の手には白い布が握られていて、それを目にした途端嫌な予感しかしない。


「……あんた、今度は何をする気?」


十中八九良いことではないのは分かる。

一体この男は何を考えているのか色々思考を巡らせていると、不意に男は持っていた布を私の目元に充ててきて、思わず軽い悲鳴をあげてしまった。


「悪いが、ここから先は見せられない。お前は引き続き大人しく我々の後を付いていけばいい」


付いていくもなにも。

これじゃあ、何も見えないし、何をされているのか全く分からない。


「ちょっと!いつまで私にこんな真似をするつもり!?後で慰謝料たっぷりと請求するわよ!」


再び募る怒りに猛抗議するも、男はそれ以降言葉を発することはなく、足首に付いた鎖を外した後、あろうことか。今度は手首に鎖を巻きつけ拘束してきた。


まるで死刑囚のような扱いに、我慢の限界を迎えた私。


地位を取り戻したら、まずはこいつの正体を暴いて、即行社会的に抹殺してやる!



……と、言いたいところだけど。


今は圧倒的不利な状況なので、これ以上下手なことをするのはやめた。



それにしても、この先に私の望むべき未来が本当に待っているのだろうか。


これまで散々酷い扱いをされてきたから、この男の言っていることが全く信じられない。

だけど、視覚と手を拘束されているので、ここは大人しく付いて行くしか他に手立てがない。



今頼りになるのは、聴覚と嗅覚のみ。


とにかく、その二つに神経を研ぎ澄ませ、私は男に引っ張られながら牢獄を後にした。

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