明と暗
エーデル国家設立から百年目。
今年は節目ある年なので例年よりも街の装飾が華やかで、出店も多い。
子供から大人まで皆活気に溢れていて、一年に一度の盛大なお祭りを楽しんでいる。
…………まさに、オルファナとは天と地の差だわ。
王宮へと向かう道中。
私は馬車に揺られながら街の様子をぼんやり眺めていると、港で私の財布を盗んだ子供の顔がふと脳裏に浮かんできた。
この日は何処へ行っても人々の笑顔で溢れていると、つい最近まではそう思っていたのに。
オルファナの人達にとって生誕際は、きっと忌々しいものでしかないのだろう。
これまで純粋にお祭りを楽しんでいたのに、エーデル国の裏側を知ってしまった以降、なんだか心からお祝いが出来なくなっている自分がいる……。
…………だめだ。
仮にも私はエーデル国の公女。
それに、これから開催される生誕祭の式典では重要な役目を任されているのに、こんなことを考えては絶対に失敗してしまう。
とにかく、今は式典に集中しないと。
そう思い直して、私は窓から視線を外す。
式典は国王陛下が王座の前でエーデル国の未来永劫を誓った後、皇族達が国花であるユリを献花し、祝杯をあげるという流れになっている。
その中で、私は献花するユリを国王陛下にお渡しする重要任務が課せられて、それは一番王族に近い貴族であることを意味する。
本来その役目はリオス様の花嫁候補であるお姉様が任されるものだったけれど、それが出来なくなった今は代役として私がやることになった。
貴族令嬢の間ではあの場に立つことが最高のステータスとされていて、とても名誉ある行為ではあるけれど……。
もしかしたら、皇族の誰かに狙われているのではないかと思うと、何だかとても複雑な気持ちになる。
「……ほら、来たわよ。本当に花を渡すつもりなのかしら。身内が王族の物を盗んだというのに、よくあの場に立てるわね」
「どうやら、リオス様の次の花嫁候補はクレス様かもしれないって噂されているけれど、そんなことが許されると思っているのかしら」
「もしかして、リオス様は騙されているんじゃない?とても清純な方だから、きっと人を疑うことを知らないのよ。実は姉妹揃ってかなり腹黒かったりして」
「花嫁候補を根本から見直した方がいいわ。今のラグナス家では国民の信頼は得られないだろうし、リオス様に相応しい女性はもっと他に沢山いるわよ」
式典会場に到着した途端、四方八方から聞こえてくる誹謗中傷の嵐。
ナディアに言われてそれなりに覚悟をしてきたけれど、ここまで酷いと気持ちが滅入ってくる。
隙を見せれば、一気に引き摺り落とされる。
社交会とはそういうものだから、気にしないようにするつもりだったけれど。最近まで親し気に話してくれた人達にまで冷ややかな目を向けられると、なかなか精神的に辛い。
だけど、こんなことで怯んではダメ。
そもそも私がここに来たのは情報収集のため。
周囲の噂に振り回されないで、しっかり目的を果たさなければ!
そう自分に喝を入れると、私は気持ちを入れ替えるために大きく深呼吸をした。
「クレス、ここにいたんだ」
すると、背後からリオス様の軽快な声が響き、思わず背筋がピント伸びる。
「……あ、リオス様。ごきげんよう」
自然に応えるつもりだったけれど、咄嗟のことでつい笑顔がぎこちなくなってしまい、私は慌てて体裁を整えた。
「式典用のお召し物がとてもお似合いですね。いつもと雰囲気が違うので、少し緊張してしまいます」
「そうかな?クレスも華やかな純白のドレスがよく似合っていて凄く綺麗だよ。また一段と大人っぽくなったね」
まるで後光が差しているような眩い笑顔を振り撒き、優しく私の頭を撫でてくれるリオス様。
それだけで、心の中のモヤが一瞬にして晴れ、体の奥からじんわりと熱が込み上がってくる。
まったく。
我ながら、なんて単純なんだろう。
だけど、彼の隣に立てば平静でいられなくなるのは致し方ないことだと。早々に諦めた私は、改めてリオス様の凛々しい姿に魅入ってしまう。
皇族の正装は全身白で統一されており、リオス様も真っ白のベストとジャケットを羽織り、首元にはキラキラ光るレッドダイヤモンドのブローチが施された白いスカーフ。
そして、肩には国章が刻印された金色のエポーレットと、金の刺繍が施されたサッシュと。
普段よりも一段と華やかな衣装によって彼の輝きが更に増し、周囲にいる貴婦人達は皆リオス様に目を奪われている。
「リオス様ごきげんよう。今日もとても麗しいお姿で、惚れ惚れしてしまいますわ」
すると、突然私達の間に割って入ってきたのは、ラグナス家と負けじ劣らずの財力を誇るウェイレント公爵家のご令嬢エレナ様と、数人の貴族令嬢達。
エレナ様はお姉様と同い年で、彼女も周囲を圧倒させるような美貌を持ち、昔からお姉様をライバル視していた。
だけど、お姉様が失脚してからは彼女の地位は一気に上昇し、今ではカースト制度トップクラスと囁かれている。
そんな彼女もリオス様にぞっこんなのは有名な話で。
彼の隣が空席となった今、彼女も次の花嫁候補として名前が挙がっているとナディアが教えてくれた。
「あら、クレス様もいらしてたのね。そういえば、ユリの花を手渡すのはクレス様でしたね。でも、驚きました。オリエンス様のことがあったので、てっきり違う令嬢が選ばれるのかと」
「私はエレナ様が選ばれると思っておりました。オリエンス様に匹敵するのはエレナ様くらいしか考えられないので」
「まったくですわ。エーデル国一の美男子リオス様と女神様のようにお美しいエレナ様は本当にお似合いですもの」
明らかな悪意を込めたエレナ様の言動に賛同する二人の令嬢。
どこの名家の方達なのか分からないけど、エレナ様に負けじ劣らずの威勢で迫られ、私は思わず後退りをしてしまう。
とても悔しいけど、彼女達には何も言い返せない。
そう見られるのは仕方ないことだし、私自身もまさか選ばれるとは思っていなかった。
だから、今は彼女達の話を静かに受け入れようと。小さく拳を握り締め、覚悟を決めた時だ。
「俺はクレスが適任だと思うよ。というか、彼女を抜擢したのはこの俺だし」
不穏な空気を一瞬にして変えたリオス様の衝撃的な一言に、私達は唖然とする。
「…………リオス様、今なんて……?」
どうやら彼の言葉が未だ信じられないようで。暫しの間停止していたエレナ様は、声を震わせながらゆっくりと尋ねた。
「オリエンスがどうなろうと、ラグナス家が皇族に一番近い存在であることに変わりはない。だから、クレスの名前を挙げたんだ」
すると、リオス様は爽やかな笑顔を崩さずに彼女達の言い分を一掃すると、優しく私の手をとった。
「そろそろ式典が始まるから、俺達はこれで失礼するよ」
そして、何も言わないエレナ様達には構わず、私を引き連れて颯爽とこの場を離れていった。
「……あの、リオス様。庇って下さってありがとうございました」
それから、あまり人気のない会場の外れまで行くと、私はリオス様に深く頭を下げた。
「庇うも何も、君には全く非がないんだから、俺は当然のことを言ったまでだよ」
すると、先程まで終始穏やかだった彼の表情は、いつの間にか険しい顔付きに変わっていて、小さく溜め息を吐いた。
「君達の評判はこっちの耳にまで届いているけれど、俺は全然気にしない。確かに、ドレスの一件はオリエンスだけの問題ではないかもしれないけれど、クレスは被害者だ。だから、君を悪く言う人間を俺は良しとは思わないから」
そして、キッパリと断言してくれたことに、私は軽い感動を覚えた。
これまでリオス様はずっとお姉様の味方だった。
だけど、今はこうして彼が私を理解してくれる世界線であることを身に染みて感じ、胸が熱くなる。
……だめだ。
意志に反して彼にどんどん絆されていく。
オルファナとの関係性について色々探りを入れるつもりだったけど、これじゃあ何も聞けない。
もしかしたら私を庇ったことも何か魂胆があっての行為かもしれないのに。
それでも、彼が私を守ろうとしてくれることが純粋に嬉しくて。
そこに裏があろうとなかろうと、今はどうでもいいと思える。
結局、私はリオス様に何も聞けないまま生誕祭の開催式を迎えることになった。
式典会場には国内全ての貴族が集結するので、社交パーティーよりも遥かに多い人口密度に圧倒させられる。
そして、厳かな雰囲気の中、開催式は滞りなく進められ、国王陛下のお言葉の後、ついに私の出番が回ってきた。
ここ数年間、この役目はお姉様が務めてきたもの。
だから、きっと自分には一生回ってこないだろうと諦めていたのに。
まさか、こんな形で自分がこの役目を受けることになるとは思いもよらず。私は震える体を抑えてユリの花を受け取ると、周囲の視線を一身に浴びながら、王座の前に立つ国王陛下の元へと歩み寄る。
今まで、この役目を任されていたお姉様のことが密かに羨ましいと思っていた。
だけど、これまで抱いていた憧れや夢や忠誠心はいつしか色褪せてしまって、今手にしている百合の花も心から綺麗だと思えなくなっている。
そんな自分が本当にこの場に立っていいものなのか甚だ疑問に感じるけど、ラグナス家の人間である以上、この責務は果たさなければいけない。
そして、私を選んだと言うリオス様の言葉を信じたい。
果たしてこの判断が正しいのか、間違っているのか。白と黒の感情が入り混じり、頭の中が混乱してくる。
だけど、私は動揺している心を悟られないよう毅然とした態度で真っ直ぐ前を向むいた。
空気がピンと張り詰めている。
恐ろしいぐらい静寂な会場の中、私の靴の音だけが響き、それが益々緊張感を煽る。
そして、全身に突き刺さる視線。
いずれにおいても、この無数の視線の中におそらく黒幕はいるはず。
だから、絶対に隙を見せてはダメ。
そう自分に強く言い聞かせると、国王陛下の前まで辿り着いた私は深々と頭を下げた後、ゆっくりとユリの花を差し出したのだった。
◇◇◇
「……はあ、終わった……」
それから無事に花を渡すことが出来、逃げるように人混みを避けて私は会場の外に出た。
式典が始まってからずっと緊張しっぱなしだったので、気持ちを落ち着かせるために大きく深呼吸をする。
「クレス様?こんな所でどうなさいましたか?」
すると、背後から突然低い男の人の声が聞こえ、小さい悲鳴と共に肩が大きく震えた。
「モ、モルザ大臣?」
勢いよく振り返ると、そこには久しぶりに見る大臣の姿に、思わず顔が引き攣る。
「ご無沙汰しております。えと……、初めて式典で重役を任されたので、緊張をほぐすために少し外の風に当たろうかと思いまして」
「そうですか」
やましいことなんて何一つないけど、どうもモルザ大臣の前だと変に気を張ってしまう。
それも、この無愛想な人相と、そっけない態度のせいなんだろうけど。
それに、まだ彼に対する疑いも完全に晴れたわけではないので、私は引き続き警戒しながら、心境を悟られないよう笑顔を心掛けた。
「モルザ大臣はあれからどうですか?ドレスを盗んだ犯人の手掛かりは掴めそうですか?」
兎にも角にも、少しでも黒幕に繋がる情報を引き出すため、私は期待を込めた眼差しを向ける。
「その件ですが、私は捜査班から外れました。今犯人の捜査を指揮しているのはシルヴィ様です。まあ、彼の方が頭が切れますし、大して成果を出せなかった私はお払い箱と言ったところでしょうか」
すると、意外な答えが返ってきて。モルザ大臣の弱気な発言にも驚かされ、私は暫しの間言葉を失う。
「それは……最近の話ですか?」
「夜の市の調査が始まる前です。突然別の任務を言い渡されて、ある場所を調査していたんです。それからは、いつの間にか捜査班から外されていて」
なんだろう。
モルザ大臣が捜査から外れたと聞いて少しホッとしてしまったけれど、何やら妙な胸騒ぎがする。
別に珍しい話ではないだろうし、ただの考え過ぎかもしれないけど、彼が急に捜査から外れた事がなんだか引っ掛かる。
「あの、モルザ大臣。ある場所の調査とは一体……」
「クレス様。こんな所にいらしてたんですね。探しましたよ」
それから、更に踏み込んだ質問をしようとした矢先。
前方から近衛兵の声が響き、惜しくも会話はそこで中断されてしまった。
「国王陛下謁見でラグナス公爵様がお呼びですよ。急いで会場にお戻り下さい」
そして、“国王陛下”という単語にハッとさせられる。
「は、はい!申し訳ございません!今すぐ向かいます!」
そうだった。
国王陛下の謁見はいつもお父様とお姉様が対応していたので、すっかり頭から抜け落ちてしまったけれど、今はその役目も全て私が担わなければいけない。
それなのに、一刻も早く緊張感から解放されたくて、公爵令嬢という立場を忘れて逃げ出してしまった自分が今更になって凄く恥ずかしくなる。
やっぱり、どの場面においても私はお姉様には遠く及ばないということを改めて実感すると、モルザ大臣に別れを告げて、近衛兵の後を急いで追った。
それから、ラグナス家の国王陛下謁見は当たり障りない会話で終わった。
お姉様の話は少し出たくらいで、それ以降はラグナス家の領地のことや財政のことなど政治の話ばかり。
今後の花嫁候補については特に何も触れられず、私の出番は始めに近況を話したくらいで、それからは居ても居なくても変わらなかった。
まだデビュタントを迎えたばかりなので、会話についていけないのは仕方がないと思いながらも。やっぱり、それはただの言い訳でしかなく。唯一のラグナス家後継者として、もう少し自覚を持たなければダメだと一連の出来事で痛感した。
「はあ……。なんだか疲れた……」
開催式が始まってから、まだ小一時間くらいしか経っていないのに、何だかどっと疲労が押し寄せてきて、思わず溜息混じりの独り言が漏れる。
「あ、クレス。こんな所にいた!何ここで油売ってんの!?もうすぐ祝賀パーティー始まるわよ!早くしないとリオス様のダンスパートナー誰かに奪われちゃうよ!」
それから、少しの間一目のつかない場所で休憩しようとした矢先。
間髪入れず今度は血相を変えたナディアが私の元に駆け寄ってきて、一向に落ち着くことが出来ない状況に、小さく肩を落とす。
「そうだったわね。教えてくれてありがとう」
確かに、つい数日前まではリオス様のパートナーになれるよう色々と気合を入れていた。けれど、献花を運ぶ役目を任された途端それどころではなくなってしまい、体力気力共に大分削られてしまった。
それに、これからエーデル国とレーテ教の歴史について調査もしなくてはいけなし、もうダンスは不参加でいいかと思っていたけれど。
それは絶対に許さないと言わんばかりにナディアの圧が凄まじく、私は引き摺られるように再び会場へと連れ戻されていったのだった。




