新たな一歩
__翌朝。
あれからリリスさんとたわいもない話をしていたら、いつの間に寝落ちしていたようで。気付けば空は明るくなっていて、あっという間に出発の時間を迎えてしまった。
「それでは、色々とありがとうございました。突然だったのに泊めて頂き、感謝します」
「こちらこそ楽しい時間をありがとう。またいつでもいらっしゃい。……と言いたいところだけど、ここへ来るのはもうこれっきりにしときなさいね」
それから、セシルさんにお礼を伝えると、嬉しそうな笑顔の裏に寂しさが垣間見た。
「それじゃあ、船の出発まであまり時間がないから、少し急ぎ足で行くぞ」
そして、地理がよく分からない私達を港に案内するため、わざわざ迎えに来てくれたアルトさんの面倒見の良さに改めて感心すると、私は荷物を持ってここを離れようとした時だった。
「……あれ?リリスさんは?」
先程まで隣に立っていたはずなのに、いつの間にか忽然と姿が見えなくなり、辺りを見渡す。
すると、少し離れた空き家の前でぼんやりと佇んでいるリリスさんを視界に捉え、慌てて側に駆け寄った。
「もうリリスさん。急にいなくなってビックリしましたよ。一体ここで……」
何をしているのかと質問しようとした矢先。
見覚えのある景色が目の前に広がり、そこで口の動きが止まった。
「ここは……ブライトさんの家?」
間違いない。
この真っ赤な煉瓦で出来た家は、昨日見た写真に写っていたものと一緒。
つまり、ここがリリスさんの生まれ育った家というわけで。見たところ中はもぬけの殻だし、入っても問題ないような気はするけど……。
「家の中、見てみますか?」
もしかしたら、これがきっかけで記憶が蘇るかもしれない。
そんな期待を込めて、私は恐る恐る尋ねてみる。
「…………いや、いい。ちょっと雰囲気を見てみたかっただけ。それに、あまりここに長居しない方がいいかも……。だから、早く行こう」
すると、少し間を置いた後リリスさんは小さく深呼吸をすると、吹っ切れたような晴々しい表情で私の手を引いた。
過去はもう振り返らない。
そんな彼女の強い意志がひしひしと伝わってきて、私はこれ以上余計なことを言うのは止めて、首を縦に振った。
こうして私達はアルトさんに再び案内され市街地に戻ると、何やら街の中心地に人集りが出来ていて、そこで足の動きを止める。
「なんだ?人探しか?」
よく見てみると輪の中で数人の役人らしき人物がビラを配っていて、ポツリと呟いたアルトさんの一言にビクリトと肩が小さく震えた。
「あ、あの。せっかくだから、帰りは違う道を行きませんか?どうせなら、もう少しこの街を見ていきたいかなー……なんて」
まさかとは思うけど、何だかもの凄く嫌な予感がして。
私はなるべく人集りを避けようと、無理くり理由を絞り出して違うルートを提案した時だった。
「なんだこれ?エーデル国公爵令嬢の手配書?昨日から行方が分からなくなったって書いてあるけど、なんでこんな所で配ってんだ?くっだらねー」
そのビラを手にしていた通行人が、私達の前でそれを投げ捨てると、運悪くビラはアルトさんの足元にひらりと舞い落ちた。
「……おい。これって……」
そして、そこに映っていた写真を目にした途端、アルトさんは険しい表情になり、私を睨み付ける。
「どういうことだ?おまえ、エーデル国の公爵令嬢だったのか。まさか、俺らを偵察にしに来たとか……」
その上、これまでにない程の敵意を向けられ、低い声で問い掛けてきた。
「ち、違います!これには訳があって……。あなた達を陥れようなんて、そんなこと微塵も思っていません!」
出来ることなら、首に掛けたネックレスを見せて証明したいけれど、この状況だと余計に事が悪化しそうで。
どう弁解すればいいのか分からず、私は必死で頭をフル回転させる。
その時、突然誰かに腕を強く引っ張られ、思わず軽い悲鳴をあげてしまった。
「ようやく見つけましたよクレス様。まさか、本当にこんな場所に居たなんて……。一刻も早く王都に戻りましょう」
振り返ると、いつの間にかビラを配っていた役人が背後に立っており、血の気が一気に引いてくる。
つい先程ムキになって声を張り上げてしまったのが良くなかったのか。後悔先に立たずとは、まさにこのこと。
「ま、待ってください!あともう少しだけ時間をください!」
せめて、アルトさんの誤解が解けるまでは。そう思っていたのに。
悲しいかな。その思いは微塵も届かず、役人は私の背中に手を回し、強引に港の方へと連れ出していく。
「ちょっと、あんた達!人の話はちゃんと最後まで聞きなよ!」
それを食い止めようと、リリスさんは血相を変えて私達を追いかけようとした時だ。
「おまえはここに残って、事情を説明しろ」
今度はリリスさんに怒りの矛先を向けてきたアルトさんは、彼女の腕を掴んで動きを制した。
結局、リリスさんとはここで離れ離れになってしまい、私はそのまま役人に連れられ、王都に強制帰還することとなった。
__それから数時間後。
「クレス、どういうことだ!?突然家出なんて!」
「申し訳ございません。どうしてもお姉様の行方が気になってしまって……。もう、こんなことは二度と致しません」
重い足取りで屋敷の門を潜り抜けた途端、入り口前で待ち構えていたお父様に勢いよく怒鳴りつけられ、私は適当な理由をつけて即座に頭を下げる。
「事情はどうあれ、オリエンスの件があって直ぐにこんな騒ぎを起こすのは、あまりにも軽率過ぎるわ。罰として当面の間監視を付けます」
そして、お母様からごもっともな指摘をされてしまい、私は何も反論することはなく、大人しく首を縦に降った。
この行為がいかに軽率で子供じみていたのは、始めからよく分かっている。これがラグナス家の評価を下げることになるのも。
全て理解した上で強行手段に出たのだから、その代償は謹んで受けなければ。
それから、個別で説教をするという名目の下、私はお母様の部屋に連れられ、お父様に言えなかったこれまでの経緯を全て洗いざらい話した。
「お母様はご存知でしたか?エーデル国とレーテ教の歪みを」
そこでは先程と打って変わり、黙って話を聞いてくれたお母様に、私はゆっくりと問い掛ける。
「いえ……。おそらく、その話が事実だとしたら、それはきっと国家の極秘事項なのでしょう。それが、あなたを狙う要因だとしたら、不用意な詮索は命取りになるわよ」
すると、的を射る忠告が返ってきて、私は少しの間口を噤む。
「しかし、放っておいても結果が同じなら、何もしないよりかマシです。動かなければ、状況は何も変わらないですから」
それに、このまま人を疑い続けて、怯える日々を過ごすのだけは絶対に裂けたい。
そんな強い思いを込めて、私は真剣な眼差しをお母様に向けた。
「……まったく、あなたの強情さは誰に似たのかしら。正直言うと、私はまだ半信半疑なの。オリエンスのことは驚いたけど、国家にまで狙われているなんて、その話は受け入れ難いわ。それに、私達は曲がりなりにもラグナスの者よ。由緒ある公爵家の人間に国が手を出すなんて、ありえない」
「それは私も同意見です。ですが、他に思い浮かぶ要素が何もないので、今はその可能性を否定するためにも、行動に出るべきだと思います」
そして、最後のひと押しで熱弁すると、お母様は口を閉ざし、暫くの間考え込んでしまった。
「……確かに、それは一理あるわね」
それから、小さな溜め息を吐くと、お母様はポケットから一枚の封筒を取り出し、私に見せてきた。
「これは、エーデル国生誕祭の招待状?」
そういえば、色々あり過ぎてすっかり忘れていたけど、もうすぐ国内最大のお祭りである生誕祭が控えている。
そして、開催式にはエーデル国の貴族や著名人達、諸外国の皇族まで招待され、かなり大きなイベントとなる。
毎年楽しみにしていたお祭りなのに、今年はお姉様のことやオルファナでのことがあって、何だかあまり気が進まない。
「今回はオリエンスの件があるから、私と夫だけで参加するつもりだったけど……。あなたは、どうしたい?」
神妙な面持ちで投げられたお母様の質問に、私は頭を抱えて小さく唸る。
出来ることなら参加はしたくない。
だけど、生誕祭とあって開催式に集まる人達は、学者や大司祭など普段お目にかかれない人達ばかりで、情報収集をするには最適な環境かもしれない。
おそらく、そんな意味を込めて、お母様はこの招待状を見せたのだろう。
それなら、答えはもう決まっている。
「私、行きます。結果はどうなるか分かりませんが、出来る限りのことはやってみたいです」
そもそも、レーテ教のことが極秘事項だとしたら、情報を引き出すなんて不可能かもしれない。
だけど、少しでも調査する糸口が見つかれば、それだけでも大いに収穫はある。
だから、私は強い意志を持って、大きく頷いた。
「……分かったわ。くれぐれも周りには注意して。何か異変を感じたら、すぐに報告するのよ」
そんな私を見て、お母様は少し呆れたように肩を落とすと、最後には真剣な表情で忠告してきた。
こうして、早くも調査する機会が出来たのは良かったけど……。
どうやってレーテ教のことについて聞き出せばいいか、全然分からない。
敵国だった宗教の名前を生誕祭で堂々と口にすることは、ご法度な気がするし。
それに、お姉様の一件でラグナス家の地位に大きくヒビが入ってしまった手前。あまり不審な動きをすると、更に追い討ちをかけてしまう可能性もある。
「……はあ。なんだか気が重い」
参加すると意気込んだはいいものの。
これからのことを考えると、自信と共に気持ちがどんどん後ろに下がっていく。
こんな時、リリスさんが側に居てくれたらどんなに心強いか。
王宮内の警備はかなり厳重だから、きっと闇市場の時みたく簡単には中に入れないと思う。
だから、ここは一人で乗り越えなければいけないのだけど……
…………それよりも。
あれからリリスさんはどうなったのだろう。
アルトさんから厳しく詰問されていないか凄く心配になる。
これまで優しく接してくれていたのに。
公爵令嬢と分かった瞬間、手の平を返したように態度が急変したから、例え同業者と言えども、リリスさんにもかなりキツく当たっているかもしれない。
事情はよく分かっているから仕方ないことだとは思うけど、何だか申し訳ない気持ちでいっぱいになり、胸が苦しくなる。
いつか、アルトさんにも事情を話すことが出来れば、この蟠りも、少しは解消されるだろうか……。
「クレス様、よろしいですか?お客様がお見えになりました」
その時、突然ノック音が聞こえ、自室の外から聞こえた使用人の声で私はふと我に返った。
こんな時に私を訪ねてくる人って一体誰だろう。
一応私の失踪話は極秘事項にしてくれたみたいだけど、それにしては、あまりにもタイミングが良すぎるような。
ただの偶然かもしれないけれど……。
……もしかしてリオス様?
「あ、クレス。意外と元気そうじゃない」
身支度を整え、どぎまぎしながら応接間に向かうと、そこには優雅にお茶を飲む幼馴染のナディアの姿が視界に映り、私は密かに胸を撫で下ろした。
予想が外れた事にこんなにも安堵するなんて、普段の私からは想像も出来ない。
それが段々と悲しくなってきて、私は気を紛らわすために精一杯の笑顔で彼女を迎えた。
「お姉さんが失踪したって聞いたから、心配になって様子を見にきたけど……クレスったらずっと家にいないんだもの。なんか、拍子抜けしちゃったわよ」
どうやら、拗ねているのか。
ナディアは小さく頬を膨らませて明後日の方向を向いてしまい、その可愛らしい姿につい吹き出してしまった。
「心配かけてごめんさい。まだ大丈夫とは言えないけど、ナディアが来てくれたから今はとっても嬉しいわ。ありがとう」
何はともあれ、こうして駆けつけてくれる友人が居ることに心から感謝すると、向かいの席に座り、私も使用人が淹れてくれた温かい紅茶をゆっくりと口に含ませる。
それから、お姉様の失踪について軽く説明し終えた後、ナディアはとても浮かない表情で深い溜息をはいた。
「そのことだけど、今社交会ではラグナス家の話題で持ちきりよ。悪い意味でね。しかも、中にはクレス達のことを反逆人だって言う者もいて。そんなくだらない噂は阻止したいけど、私みたいな影響力がない人間は何もやっても無駄みたい……」
そこまで話すと、ナディアは再び大きな溜息を吐き、肩を落とした。
もしかしたら、彼女なりに私を守ろうとしてくれたのかもしれない。
それはとても有難いけれど、彼女にまであらぬ火の粉がかかってほしくない。
貴族にとって社交会での評判がどれだけ重要なのかは、ナディアだって十分理解しているはずなのに……。
「やっぱり、ここは今度の生誕祭でリオス様とダンスパートナーになるしかないわね!」
「…………へ?何のこと?」
すると、いつの間にか話がよく分からない方向へと進んでいて、私は暫しの間呆気に取られる。
「だってお姉様亡き後、今リオス様の隣はフリーなのよ!これは急接近のチャンスじゃない!それに、リオス様と親しげにしていれば反逆人だっていう噂もそのうち消えるわよ!」
そう熱弁するナディアになんて返答すればいいのかよく分からず、とりあえず笑って誤魔化してみる。
私の恋心はとっくの昔にバレているので、今更隠すことはしないけど、今はその励ましが少しだけ辛い。
確かに、彼女の言うとおり。
いくらラグナス家の地位が下がろうとも、引き続き皇族と親密な関係を保ち続ければ、いずれは元に戻る。
それに、生誕祭の祝賀パーティーでリオス様とダンスパートナーになれば、色々と探りを入れることが出来るかもしれない。
そのために頑張らなくてはいけないのだけど……。
彼に裏があるかもしれないと思うと、これまでのように接するのは難しい気がする。
「……そうね。出来る限りのことはやってみる」
とりあえず、これ以上ナディアに余計な心配をさせないよう、私は小さくガッツポーズを作って気丈に振舞った。
それからは、ナディアの近況話に盛り上がったりと。
久々に優雅なひと時を過ごすことが出来、彼女のおかげで少しだけ心が軽くなった。
__生誕祭まであと三日。
その日までに、このぐちゃぐちゃになってしまった気持ちを少しでも整理しなければ、うまくいくものもいかなくなりそうで。
それに、リオス様のパートナーを狙う令嬢はごまんといて、こんな半端な気持ちでは、彼の隣に立つことなんて到底出来ない。
だから、十分に気合いを入れなければと。
私は改めて意気込むと、来たる本番に向けて少しでも輝けるよう、早速準備に取り掛かることにした。




