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死に戻り公爵令嬢の逆襲  作者: Kore
第二章〜真の断罪〜
23/28

束の間の休息


お財布よし。

鏡よし。

ハンカチ良し。

日傘よし。

あとは、日焼け対策に天然オイルを塗れば完璧。



日帰りとはいえ、ここまで遠出するのもかなり久しぶりなので、両親達には申し訳ないけど、昨日は心がずっと浮ついてなかなか寝付けなかった。



なんて言ったって、人生初めてのデート。

しかも、そのお相手はリオス様。


一生叶わない夢だと思っていたけど、まさかこんな形で実現するとは今でも信じられない。



……ただ、リオス様はあくまで私を励ます目的で提案してくれたので、これをデートと断言するのは少し違う気がする。


だから、あまり舞い上がらないように気を付けているつもりだけど、そう簡単には自制することが出来ない。

  


私は一向に鳴り止まない鼓動を抑えながら、屋敷の門扉前で彼の到着を今か今かと待ち侘びた。



今日も雲一つない青空が広がっていて、まさに絶好のお出掛け日和。


お昼はせっかくなので海岸で食べようと、朝早く起きてサンドイッチを用意した。


だから、寝不足もいいとこだけど、この空を見ていると眠気も何もかも吹っ飛んでいく。



すると、視界の隅で黒い馬車をとらえ、私は背筋をピンと伸ばした。



「おはよう、クレス」


そして、目前で馬車が止まると、中から町民姿のリオス様が出てきて、思わず目を丸くする。


「お、おはようございます。びっくりしました。一瞬誰だか分からなかったです」


「そう言ってくれると変装した甲斐があるよ」


リオス様は照れくさそうに微笑むと、少しズレた眼鏡を指でくいっと正す。



どうしよう。

普段のリオス様も風格があって素敵だけど、初めて見る軽装姿も凄くそそられる。



白シャツに無地の黒いベストとスラックス。

そして、グレーのハンチング帽に縁が細いシルバーの眼鏡。


一見すると誰だか分からないけど、滲み出るオーラと、モデル顔負けのスタイルの良さと、眼鏡姿でも隠しきれない格好良さが溢れていて、街中を歩いていてもかなり目立ちそう。



「クレス?どうしたの?」


すると、暫く反応がないことに、きょとんとした目で首を傾げられ、そこではたと我に返る。


「な、なんでもないです。早く行きましょうか」


流石に見惚れてましたとは言えず。

私は平静を装うと、リオス様にリードされながら馬車へと乗り込んだ。




本当に夢を見ているみたい。



今私の目の前には彼がいて、いつもお姉様に独占されていた視線は、今日一日私だけのもの。


例え恋愛感情がなくても、そんなことはどうでいいと思える程、今がとても幸せで。

お忍び用の馬車から降りて、南部行きの列車に乗り込んでからも現実の甘さに酔いしれる。


二人っきりと言っても斜め向かいの席には護衛の者が二名付いており、常に監視の目はあるけど、干渉してくることは無いから特に気にならない。


とにかく、今はリオス様との時間に集中したくて。


列車に揺られながら車窓から吹く風を堪能している彼の横顔を覗き見していると、ふとこちらの方を振り向いてきて、私は誤魔化すように視線を逸らした。



「えと……今日は天候に恵まれて良かったですね」


覗き見していたことがバレてしまっていないか内心焦りながらも、動揺している心を隠しながら静かに微笑む。


「そうだね。久しぶりの良い休暇になりそうだよ。……実は、今日無理矢理休みにしたんだ。なんか仕事に集中出来なくて。一国の王子としてあるまじき行為だとは思っているけど、今日一日くらいは別にいいかなって」


そう話すリオス様の表情は何処か儚げで。

分かってはいたけど、彼にとってお姉様の存在がいかに大きいか痛感し、胸の奥がずきりと痛む。



「リオス様はこれまでほぼ休まず公務に励んでいたのですから。それで文句を言う人は誰もいませんよ」


それよりも、これ以上彼に余計な気負いをして欲しくなくて。私は精一杯笑顔を作って励ましの言葉を送った。


「なんか、ごめんね。君の傷心旅行のつもりだったけど、結局は自分の為でもあったかな」


すると、リオス様は苦笑いを浮かべながら胸の内を明かす。


「いいんです。今日はお互い辛いことは忘れて、楽しいことに集中しましょう。私、リオス様としてみたいこと沢山あるんです」


とにかく今は笑って欲しい。

そんな一心で小さくガッツポーズをつくると、リオス様の固い表情が徐々に解れていった。


「いいよ。今日は君の望むこと全部叶えてあげる」


そして、砂糖菓子のような甘い笑顔で言われた一言に、危うく心まで溶かされそうになった。




__それから電車に揺られること約二時間。



十年ぶりに訪れたカラニア地方はあの頃よりも大分発展していて、駅の周りには沢山のお店が建ち並んでいた。


今はオフシーズンなので人はそこまで多くないけど、ハイシーズンの時期は平日でもかなり混雑しているらしく、世界各国から観光客が訪れてくるんだとか。


私達は駅の改札を抜けると、まずは活気あふれる市場を散策しようと街中へと繰り出す。




「リオス様、あれは何でしょう?丸い物体に棒みたいなのが突き刺さっていますよ」


市場を歩いていると、そこかしこに同じような品物を扱っている露店が目につき、私は物珍しさにリオス様の腕を軽く引っ張る。


「あれはココナッツだね。最近南部地方で獲れるようになったフルーツで、細長いのは”ストロー”っていう果汁を吸うためのものだよ。試しに飲んでみる?」


「え?は……はい」


勢いで頷いた途端、リオス様は足早に露店へ向かうと、ココナッツを一つ購入してこちらに戻ってきた。


「リオス様は召し上がらないのですか?」


「俺はそこまで喉乾いてないし、味は知ってるから。とりあえず君の感想を聞かせて欲しいな」


そう言うと、リオス様は期待を込めた眼差しでココナッツを差し出してきたので、私はおずおずとそれを受け取る。


「では、ありがたく頂きます」


それから、軽く頭を下げてストローに口をつけた瞬間、これまでに嗅いだことのない香りと、味わったことのない甘さが口の中で広がり、思わず目を大きく見開いた。


「これはとても美味しいですね。甘くてクリーミーで、こんな濃厚な味がするフルーツは初めてです」


「クセが強かったりしない?」


「確かに香りも味も独特ですが私は全然平気です。これで色んなデザートを作ってみるのもいいですね」


初めての味に感動しながら、私はリオス様の質問に笑顔で答えると、更にもう一口、二口とココナッツの味を存分に堪能し始める。


「実はここの食材や伝統工芸品の一部を王都にも取り入れようと密かに計画してるんだ。そうすれば地方の収益が上がるし。でも、南部地方の特産物は割とクセが強いから、都心部の人達が受け入れてくれるかどうか気になって……」



流石リオス様。

休みと言っておきながら、何だかんだ頭の中では政治のことを考えていらっしゃる。


その勤勉さに改めて感心すると、私はココナッツを片手に他にも変わったお店がないか、辺りを見渡しながら市場の奥へと進んでいった。




「………あ」


そして、市場の中枢に差し掛かったところであるお店が目につき、思わず動かしていた足を止めた。


「どうしたの?」


急に立ち止まった私を不思議そうな目で覗いてきたリオス様は、そのまま視線を私と同じ方向へと向ける。


「綺麗な星の砂だね。クレスはこういうの興味あるの?」


それから、大中小様々な瓶に敷き詰められた星の砂を眺めながら、優しく問いかけてくれた。


「ええ。とても素敵だと思いますが……。実は、昔家族でここを訪れた時、お父様が私とお姉様に記念品としてお揃いの星の砂を買ってくれたんです。あの頃は凄く嬉しくて、今でも大切に保管しているくらいだったのですが……。その思い出が今となっては虚しいものに変わってしまい、少し残念だなと思いまして……」



あの頃の自分は、こんな未来が待っているなんて夢にも思っていなかっただろう。


この地に残した様々な思い出は、これから先もお姉様と共に輝き続けると、そう信じていたのに……。




「…………クレス。この中で気になるものはある?」


「へ?」


すると、突然真顔で尋ねられたことに、私はつい間の抜けた声を発してしまった。


「えと……そうですね。あの青いブレスレットとか凄く綺麗だなと思いました」


質問の意図は何なのか。

あれこれ探りながらも一先ず素直に答えてみると、リオス様は何も言わずに指を刺した商品を二つ手に取り、店員さんに手渡した。



「はい。どうぞ」


そして、お会計を済ませた後、ブレスレットを私に差し出してくれて、少しの間呆気にとられる。


「リオス様これは……」


「せっかくだから、俺ともお揃いのはどうかなって思ったんだけど……少し強引だったかな?」


すると、不安気な表情で問い掛けられ、私はそれを全力で否定するため首を大きく横に振った。


「いえ!全く!ごめんなさい。突然のことに驚いてしまって。ありがとうございますリオス様。とっても嬉しいです」


それから、じわりじわりと込み上がってくる感動と喜びに、私は涙目になりながら満面の笑みでブレスレットを受け取った。


「よかった。それじゃあ、ちょっと失礼するよ」


リオス様は安堵の息を漏らすと、優しく私の手を取り、持っていたもう一つのブレスレットをそっと腕に付ける。


「クレスもそれを俺に付けてくれない?」


そして、始めから図っていたように甘い声で促してきて、不覚にも心臓が大きく跳ね上がった。



おおおおお落ち着け私。

とりあえず、ブレスレットを付けることに集中しなきゃ!


まさかの展開に、緊張と喜びで手が小刻みに震え出し、ブレスレットの金具が上手く外せない。


それから何とか外すことが出来、彼の手首を恐る恐る握ると、ほぼ息を止めた状態で慎重にシルバーの金具をフックにかけた。



私達の手首にキラキラと光るコバルトブルーのブレスレット。


それは指先くらいの小さなガラス玉に染色した星の砂と金の砂が混ぜ込まれ、その両脇には同じぐらいの大きさのターコイズ石が一つずつ飾られている、とても洗練されたシンプルなデザイン。


確かに、これなら男性が付けてもお洒落に見えるので、我ながら良いものを選んだと自負する。



そして、何よりも一番嬉しいのはリオス様の粋な計らい。


その優しさが心の奥深くまで染み込んできて、少しでも気を緩めると涙がこぼれそうになる。


「本当に嬉しいです。これは一生の宝物にします」


この気持ちを余すことなく彼に伝えたくて。

私は躊躇うことなく素直に喜びを表現した。


すると、リオス様はふと口元を緩ませ、そっと私の頭に手を乗せる。


「ここを辛い場所にするのは俺も忍びないんだ。だから、今日はいいことだけをこの場に残そう」


そして、ブレスレットの輝きに負けないくらいの笑顔で言われた最後の一言が、これまで悶々としていた灰色の霧を綺麗に消し去ってくれた。




……ああ。


やっぱり私はリオス様が好き。


心から大好き。


今すぐこの気持ちをここで伝えることが出来れば。



そう切に思いながら、私は込み上がってくる衝動を無理矢理押し込め、静かに微笑み返す。



それから、私達はたわいもないお喋りをしながら引き続きお店を見て回り、海岸行きの馬車停留所へと向かった。


後から聞いた話によると、リオス様も子供の頃からこのカラニア地域が好きで、よく訪れていたんだとか。


だから、この場所には特別な思入れがあり、私がここを選んでくれたことが嬉しかったと教えてくれて、図らずとも彼と好みが一致し、私の心は再び宙へと浮かび上がる。



こうして終始夢み心地のまま移動していると、いつの間にか辿り着いた今日の目的地。


馬車を降りた途端、目前にはエメラルドグリーンの海が果てしなく広がり、その雄大な景色に暫くの間言葉が出てこなかった。


雲ひとつない青のグラデーションで彩られた空。

頬を掠める少しひんやりとした心地よい風。

どこまでも続く広々とした砂浜。

そして、鼻を突き抜ける潮の香りと静かに奏でる波の音。


まるで別世界に来たような錯覚に陥りながら、私は五感を研ぎ澄ます。



やっぱり、自然の力はすごい。


これまで味わってきた苦しみは決して軽いものではないのに、今はどうでもいいと思えてくる。


嫌なこと全部この波が持ち去ってくれたような。

頭の中はいつの間にか空っぽ状態となり、代わりに穏やかな気持ちが私の心を満たしていく。



「リオス様。ここを素足で歩いてみませんか?」


「いいね。俺も同じこと考えてた」


そして、やりたいことの一つを提案してみると、リオス様は快く頷いてくれて、私達は早速靴を脱ぐと、まっさらな砂浜に足を踏み入れる。


その瞬間、まるでシルクのようにサラサラとした細かい粒子が肌を包み込み、あまりの気持ちよさに感嘆の声が小さく漏れた。


「どうせなら、このまま波打ち際まで行ってみようか」


すると、リオス様は紳士的に手を差し出してきて。

深い意味はないのは分かっているけど、正直に反応してしまった心臓は徐々に暴れ始めていき、私は極力平静を保ちながらリオス様の手を取る。


第三者からすると、私達は恋人同士に見えるだろうか。


そんな邪な考えが横切り、まるでロマンス映画の主人公になったつもりで、リオス様の手を握って波打ち際をゆっくりと歩く。



五月の海の水はまだ冷たい。


だけど、この冷たさが余計な邪念を取り除いてくれて、今このひと時をより一層深く感じることが出来る。


遠くでは護衛が見張っているけど、そんなことはすっかり頭から抜け落ちて。この世界には私とリオス様しかいないような気分になりながら、私達は果てしない砂浜を黙々と歩き続けた。



◇◇◇




「そろそろこの辺でお昼にしましょうか。サンドイッチを作ってきたのでここで食べませんか?」



そして、リオス様とやりたい事の二つ目。

それは、海岸でゆっくりとランチをすること。


これが今日の醍醐味でもあり、私は目を輝かせながら彼の返答を待つ。


「そっか。あの大きなバケットはそのためだったんだね」


リオス様は納得したように小さく頷くと、護衛に持たせていたバケットを受け取り、中に入っていた分厚い大きめの布を取り出して地面に引いた。


それから、三、四人前はあるサンドイッチと、オレンジやイチゴなどのフルーツの他に、レタスとトマトのサラダ。それから氷で冷やしておいた紅茶と、食後のデザートに用意したクッキー。


それら全てを広げると、なかなかに豪勢なものとなり、我ながらよくやったと内心自分を褒める。



「凄……。これ全部君が用意したの?」


その隣ではあまりの品揃えに驚いたのか。リオス様は暫しの間呆然と立ち尽くしていた。


「はい。この日のために頑張りました。皆さんの分もあるので一緒に食べましょう」


それから、私は満面の笑みで首を縦に振ると、護衛の人の分をお皿に取り分けてから、少し遅めのランチをとる。





「美味しい。この卵サンドほんのり甘くて絶品だね。他のも程よい塩加減で凄く美味しいよ」


一つ一つの料理を口に入れては絶賛してくれるリオス様。


これがお世辞なのか本音なのかは分からないけど、褒めてくれることは素直に嬉しくて。

寝不足で作った甲斐があると思いながら、私もサンドイッチを口に入れる。


手にしたのはハムとレタスのシンプルなサンドイッチ。


その二つの味をマヨネーズソースが上手く引き立ててくれて、ひしひしと感じる幸せと共にゆっくり味わう。



こうして用意した食事は全て平らげ、最後に焼いたクッキーまで食べ終わてからまったりしていると、気付けば太陽の位置は海に大分近付いていた。



「もうこんな時間なんですね。そろそろ駅の方へ向かいましょうか」


ポケットにしまっていた懐中時計を広げてみると、思いの外時間が過ぎており、私は慌ててその場から立ち上がる。


その瞬間、視界がゆらりと大きく揺れ、倒れそうになる手前。リオス様はすかさず私の体を受け止めてくれた。


「クレス大丈夫?時間は気にしなくていいから、今はもう少し休もう」


そして、あろうことか膝の上に頭を乗せるよう促してきて、私は一瞬だけ躊躇うも。お言葉に甘えて横になると、リオス様の引き締まった膝に恐る恐る頭を乗せた。



……なんだろう。


普通逆のような……。



そんな違和感を覚えながら、体調管理が出来ていなかったことを反省する一方。愛しの彼の膝枕がこの上なく嬉しくて、暫くはここを動きたくない。



「やっぱり無理をしていたんだね。近頃の君は日に日にやつれていくから、ずっと心配だったんだ」


そう言うと、リオス様は憂げな目をしながら私の頭を優しく撫でる。


そこまで変わっていたという自覚はなかったけど、彼が言うならそうなのか。


頭の中でぼんやりとそう思いながら、私はされるがままに身を預ける。


「俺も辛いけど、君の方が遥かに苦しかっただろうに……」


すると、ただの偶然なのは分かっているけど、まるで全てを見ていたような口振りに、思わず一筋の涙が溢れ落ちた。


どうしよう。

泣くつもりなんてなかったのに。


あまりにも的確なところを付いてきたことが引き金となり、歯止めが効かない。


「……う……」


私は止めどなく溢れてくる涙を指で拭いながら、何とか泣き止もうと試みるも。彼の手の動きがあまりにも優し過ぎて、その意思は呆気なく崩れていった。


「ごめんなさいリオス様……。せっかくの楽しい雰囲気を台無しにしてしまって……」


もはやこの涙を止めることは不可能だと悟った私は、嗚咽を漏らしながら謝罪する。


「そんなことは気にしないで、思う存分ここで泣いていいよ。それで君の気が少しでも休まれば本望だから」


そんな私を宥めるように、リオス様は私の頭をゆっくりと撫で続けてくれて、徐々に気持ちが落ち着きを取り戻していく。



「……それにしても、オリエンスは何故君をそこまで憎んでいたんだろう……。今考えても信じられないな……」


すると、突然ポツリと溢れたリオス様の呟きに、私は視線を彼の方へと戻す。



リオス様の気持ちはよく分かる。


だから、ここでお姉様の素性を明かしてもいいのかもしれない。


だけど、これ以上彼に失望して欲しくないし、彼の中の良い思い出を汚したくない。


なので、お姉様のためではなく、リオス様のためを想って余計なことは言わないようにしようと口をつぐんだ。




そして、空が茜色に染まりきった頃。

ようやく涙が止まり、ふと何気なく視線を遠くに向けた矢先。


砂浜に落ちている小さな白い物体を視界の端で捉え、私は咄嗟に体を起き上がらせた。



「クレス?」


何だか変な胸騒ぎに、リオス様の呼び掛けを無視して足早に白い物へと近付く。


そして目の前で立ち止まった時、この胸騒ぎが何なのか、今ここでようやく分かった。


「……これは?」


後からついて来たリオス様も、落ちていたものに視線を向けた瞬間、私と同じように表情を強張らせる。


「お姉様のハンカチです。……もしかしたら、お姉様はここへ逃げて来たのかもしれません」


そして、おそらく彼もそう思っているであろうことを、私はポツリと呟いた。



それから、砂浜をよく見てみると、うっすらと足跡が続いていて、その痕跡を辿って行くと私達は大分老朽化した教会の前に辿り着いた。


ざっと見たところ、百年以上は経過しているだろうか。


柱は全て朽ち果てていて、金属部分は余すことなく錆が広がっている。


ツルも建物を覆い尽くすように伸び放題で、ここだけ薄暗く、異質な空気が漂っていた。



まさか、こんな綺麗な海岸の端に、こんな場所があったなんて……。



ロマンチックな光景から一気にホラー映画の中へと迷いんだような心境に恐怖を覚え、私は思わずリオス様の腕を掴んでしまった。



「もしかしたら中に彼女がいるかもしれない。俺が様子を見てくるから、君はここで待ってて」


すると、リオス様は勇敢にも一人で乗り込もうとするので、私は慌てて彼の手首を掴んだ。


「それなら私も行きます。この目で確かめたいので」


こんな不気味な場所にお姉様が一人で居るとは信じ難いけど、念には念をと。私達は護衛と共に教会の中へと足を踏み入れる。


その瞬間、かび臭いと木が腐ったような匂いが鼻の奥を突き抜けてきて、つい顔を顰めてしまう。


建物の中も外観同様朽ち果てていて、所々腐敗した柱が地面に転がっており、天井は穴だらけでツルが中にまで侵食していた。


こんな状態でよく原型を保っていられるなと感心しながら辺りを見渡すと、中に人がいるような気配はなく、お姉様の名前を呼んでも物音一つ返って来なかった。


「やっぱりここには居ないようですね。リオス様、他を……」


当たりましょうと言おうとした矢先。

見覚えのある紋章が教会奥の壁に彫られているのに気付き、思わずその場で立ち止まる。



あれは……間違いない。


月と太陽が隣り合わせに彫られた紋章はレーテ教の証。



まさか、こんな場所にもレーテ教会があったとは。


しかも、これだけ古いとなると、相当歴史ある建物なのかもしれない。


それこそ、このネックレスの惨劇が起こった頃からあるような……。



その時、ふとある記憶が脳裏に浮かび、はっと息を飲む。



そういえば、昨日見たご先祖様の日記には、このネックレスは老朽化した教会から発見されたと書かれていた。



まさか……。



そんな確証はどこにもないけど、再び変な胸騒ぎがし始めて、私は無意識に首に掛けていたネックレスを強く握り締める。


そして、気持ちを落ち着かせるために小さく深呼吸をすると、恐る恐る教会の奥へと進んで行った。



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