ネックレスの真相
__お姉様が失踪した翌日。
お父様とお母様がようやく状況を整理出来たところで、私はこれまでの経緯を二人に話した。
お母様にはタイムリープの話を含め、初めから事情を伝えてるのでお父様程の驚きはなかったけど、やっぱりショックを隠し切れず。
お父様に至っては放心状態となってしまい、暫くの間口を閉ざしてしまった。
この光景はもう何度見たことか。
私の実刑が確定した時も、お父様とお母様は絶望の淵に立たされていた。
結局この二人には悲しみしか与えられないと思うと、何だか胸の奥がキリキリと痛くなる。
「…………オリエンスは一人娘だけに、亡くなった妻に異常な程可愛がられていたんだ。オリエンスを叱ることは殆どしなかったし、あの子のやる事が正しいと思わせるように、周囲との調和よりも全てオリエンスを優先させていたんだ」
すると、遠い目をしながらぽつりぽつりと語りだすお父様の話に、私は黙って耳を傾ける。
「今思えば、あれは我が子のためと言うよりは妻自身のためだったのかもしれない。まるで自分の人形を人に自慢するような。我が子の可愛さを誇示するような……」
そこまで話すと、お父様は再び黙り込んでしまった。
けど、この話でお姉様が何故私に対して異常な恨みを持っていたのか、ここでようやく分かった気がする。
きっとお姉様は……。
「こうなったのも全て私の責任だ。忙しさにかこつけて、育児は全て妻に任せていたから。もっとあの子のためを想って行動していれば。うわべだけで判断しないで、オリエンスの気持ちをよく考えてあげれば、こんなことにはならなかった」
それから、心底悔やむようにお父様は頭を抱えて、そのまま俯いてしまった。
そんなお父様にかける言葉が何も思い浮かばず、暫くの間この部屋には長い沈黙が流れた。
こうしてお姉様の過去の話はここで終わり、今度はこの事態をどう対処すればいいかの家族会議が行われた。
皇族と一番距離が近い上に、いずれは身内となる立場であるにも関わらず。この裏切りの代償は大きく、おそらく今後ラグナス家の立場はかなり揺らいでしまうことになるかもしれない。
だから、せめてもの誠意を見せるために、オリエンスお姉様の捜索を第一優先に取り組み、彼女に下される処罰は全て受け入れると。
その意思表示と謝罪をすべく、お父様は早速王宮へと向かった。
私とお母様は屋敷に残り、お姉様が逃亡した先の手掛かりがないか探ることに。
お母様は屋敷関係者への聞き込みに行き、私はお姉様の部屋を捜索しようと恐る恐る扉を開ける。
ここへ来たのは領収証の捜索以来。
だから、どこに何があるのか大体のことは覚えている。
手始めに机周りを確認してみたけど、特にこれといった有力な資料はなく。
次に本棚へと足を運び、何か思い出の場所がないか探るためアルバムに手を伸ばす。
中を開いてパラパラページをめくってみると、そこに貼られているのはお姉様が単独で写っている写真ばかり。
幼い頃はよく家族と遠出して、写真も沢山撮ったはずなのに。
まるでそんなことは一度もなかったかのように、お姉様のアルバムには私とお母様の存在が見事に消されていた。
そして、段々と時代が古くなるにつれ、知らない女性とのツーショット写真が目立つようになり、そこでページをめくる手が止まる。
おそらく、そこに写っているのはオリエスお姉様の実の母親。
その証拠に目元がとてもそっくりで、お姉様に負けないくらい美人。
それから、そこに写るお姉様の表情は心底楽しそうで。
側から見ても母親のことが大好きなんだというのが、写真越しでもよく伝わってくる。
その時ふと脳裏に浮かんできた、お姉様の言葉。
それは、前世でブラッド•ラッドの罠に掛かり、薄暗い倉庫でお姉様と対峙した時のこと。
全てを奪われたと言われた時は全然ピンと来なかったけど、今日お父様の話を聞いて、ようやく理解することが出来た。
大好きな母親が亡くなり、ある日突然余所者の私達が現れ、これまでお姉様中心だった日常が壊されていく。
そんな風に思われていたなんて、改めてショックを隠しきれないけど、気持ちは何となく分かる。
……なんだろう。
これまで復讐のため躍起になっていたのに。
ここに来てお姉様のことを理解しようとする自分が信じられない。
私はお姉様に二度殺された。
牢獄に入れられた屈辱。
リオス様に見放された悲しみと絶望。
今でも覚えてる、肉を割くような強烈な痛みと感覚。
大切な人達にまで手を下した怒りと憎しみ。
これまでのお姉様の行いは到底許されるものではなく、この苦しみを何倍にも返して、地獄に堕ちて欲しいと。
心からそう願っていたのに。
今になって、少しだけ躊躇している自分がいるなんて……。
段々と頭の中が混乱してきた私は、そこで開いていたアルバムを閉じる。
そして、思考を無理矢理遮断して、アルバムを本棚にしまうとその場から離れた。
見た限りだと、どれも屋敷内やイベント事、旅先の写真ばかりで、手掛かりになるような情報は何もなかった。
おそらく、お姉様は特に目的地を定めず咄嗟に逃げ出したんだと思う。
その証拠に、部屋には貴重品以外の物が殆ど残っているし。
あてもなく遠くに逃げ出したとしたら、探し出すのはかなり困難かもしれない。
そうなると、やっぱりシルヴィ様達の力を頼る他ないような……
「クレス」
その時、背後から声を掛けられ、振り返ると、そこには神妙な面持ちをしたお母様が立っていた。
「ちょっと話をしてもいいかしら。ちなみに、私があげたネックレスは今も付けてるの?」
そして、突然投げられた質問の意図がよく分からず、私は首を横に傾げる。
「はい、ここに。あの時よりも更に変色してしまいましたが……」
それから、首に掛けていたネックレスを外して見せた瞬間、お母様の表情がみるみるうちに青くなっていく。
「……これは。もしかして、あなた……」
そういえば、お母様にはまだ二回目のタイムリープについて話していなかった。
けど、ここでまた全てを打ち明けるべきか。
既にお姉様が罪人であると確定した以上、お母様に更なるショックを与えるのも何だか心苦しくて。
短い間に考えた末、私は何も語ることはせず無言で頷くだけに留めた。
「おそらく、女神様の力はもう残り僅かでしょう。万が一また同じ目に遭ったら、その時は壊れるか、或いはタイムリープすら出来なくなるか……」
一体あとどれぐらいの神力が残っているのか、生憎素人の私には何も分からない。
だけど、これ以上女神様の力を頼ることは無理だというのは分かる。
だから、一刻も早く黒幕が誰なのか見つけ出したいところだけど……
「そういえば、お母様はこのネックレスについて何処までご存知なんですか?」
これを始めに渡された時、お母様の口からは特に詳しい説明はなかった。
もし何も知らないとしたら、このネックレスによって私達が狙われていることは伝えなきゃダメな気がして口を開く。
「実は、そのことであなたに話さなければいけないことがあるの」
すると、お母様は急にかしこまった雰囲気で話を切り出してきて、辺りを見渡してから部屋の扉を閉めた。
「クレスからタイムリープの話を聞いて以降、ネックレスについて色々調べようと実家の資料を漁っていたの。そしたら、祖父の日記が見つかって……」
そこまで話すと、お母様はポケットから手のひらサイズの小さな手帳を取り出し、あるページを開いて私に見せてきた。
一体何が書かれているのか。
私は疑問に思いながら、今にも崩れそうなボロボロの手帳を手に取り、折り目がついたページを開いて内容に目を通す。
“◯月×日
今日は私の誕生日であり、無事に成人を迎えられたことに心から感謝したい。そして、成人のお祝いとして父からある物を送られた。それは、女神の魂が込められた不思議なネックレスのお守りだという。
私はアクセサリーを身につけることはしないので、そのまま机にしまおうとしたところ父に酷く怒られた。「それは人に見られないよう、肌身離さず持っていなさい」と。
何故そこまで必死なのかは分からない。
ただ、身につけていれば必ず女神様の御加護があるからと言われたので、とりあえず、父の言いつけを守ることにした”
……うん。
ここまでは、特に変わった内容は書かれていない。
顔も知らない御先祖様だけど、きっとこの方も始めは半信半疑だったと思う。
私もこの一件がなければ、疑問が残ったまま次の世代へと引き継いでいたかもしれない。
それが、まさか二回も時が巻き戻る程の力が込められているとは、きっとこれまで誰一人として想像もしていなかったと思う。
それから、隣のページには一週間以上経った日記が書かれていて、私は引き続き読み進めていった。
“〇月×日
ある日、屋敷にレーテ教信者だという謎の青年が尋ねてきた。
両親が不在だったので代わりに私が対応したら、何やらネックレスのことを聞かれた。
心当たりがあるとしたら、つい最近父親から貰ったものだけど、公言してはいけないので私はしらを切ることにした。
けど、青年はなかなか引き下がらず。詳しい話を聞いたら、どうやらそれは教会から盗まれた物だという。
それから、何故うちに尋ねてきたのか理由を尋ねてみても答えてはくれず。結局謎に包まれたまま、青年は諦めて引き返して行った”
……え?
盗まれた?
どういうこと?
私は頭上に無数の疑問符を浮かべながら、日記から目を離した。
リリスさんの故郷を訪れた時、確かに神父様は争いを終わらせるためネックレスを誰かが散らしたと言っていた。
詳細は語られなかったけど、つまり、それは教会から勝手に持ち出された物だったと。そういう話だったのだろうか……。
徐々に緊張が襲ってきた私は、日記を持つ手がじんわりと汗ばんでくる。
そして、他にもネックレスに関する内容が書かれていないか次のページをめくると、そこには更に長い文章が綴られていた。
“〇月×日
謎の青年が訪れてから、私はこのネックレスの出処について父に尋ねると、どうやらこれは人から譲り受けたものらしい。
ネックレスを貰ったのは今から二十年前。
紛争があった村の復興支援にあたっていた時、レーテ教徒と名乗る老人からこれを渡された。
始めは怪しい代物に廃棄しようと考えた。しかし、その日の夜に不思議な夢を見たという。
夢に出てきたのは全身白いヴェールに包まれた、神秘的なオーラを放つ謎の女性。そして、何を言うわけでもなく、小さく微笑むとその女性は直ぐに消えてしまったそうな。
それから父の身に不思議なことが起きた。
低迷しかけた事業が急に軌道に乗り始めたり、持病が突然回復したりと。奇跡に近い出来事がいくつも重なり、老人が言っていたことは本当だったと確信したらしい。
そして、このネックレスについて詳細を確認しようと老人の元を訪ねたら、半年前に誰かに殺害されたそうだ。
その遺体はまるで酷い拷問を受けたように傷だらけで、森の中で遺棄されたところを通行人が発見したと聞く。
ただの偶然かもしれないが、殺された時期はネックレスを渡された時と近かった。
そこに恐怖を感じた父は、再びネックレスを廃棄しようと考えた。けど、度重なる幸運を手放すことの方が恐ろしく、今日に至るまでこのことは誰にも話さないでいたという。
だから、謎の青年の話をした時、父はかなり驚いていた。
まさか、それが盗まれた物だったなんて、この時まで知る由もなかったから。
私はすぐにでも返そうとしたが、父に止められた。
まずは、この盗まれたネックレスが何故ここに渡ったのか経緯を調べてからでも遅くはないと。
それから、レーテ教について色々資料を漁ってみたら、驚くべき事実が分かった。
このネックレスは老朽化した教会から発掘され、これが女神様のものだと判明してから大切に保管されていたという。
しかし、それを聞きつけたレーテ教徒達は我ものにしようと各地で長きに渡り争奪戦を起こし、大量の死者が出た。その最中にネックレスが忽然と消え、紛争はそこで止まったそうだ。
この事実を知った私達は、このネックレスをどうするべきか色々考えた。
安易に返したら、また惨劇が繰り返される恐れもある。
かと言って、万が一このネックレスの在処が知られたら、我々も老人と同じ目に遭うかもしれない。
けど、謎の青年が現れて以降、ネックレスについて訪ねて来る者は誰一人としておらず。
このまま黙っていれば、その不安はいつしか時が解決し、女神様の加護を受ければ一族が衰退することはない。
だから、このまま代々ヘリオス家が隠し持つことにしようと。
そう結論に至ったり、私はこの話を胸の内にしまうことにした。”
日記を読み終えた私は、暫くの間呆然とした。
つまるところ、これは盗品であり、今になってそれを取り返そうと私達が狙われている。
まさか、またもや盗品に苦しむことになるなんて。
これも何かの因果なのかと思うと悲しくなってきた。
でも、そうと分かれば尚更悠長なことは言ってられない。
根っからのレーテ教徒からすれば、女神様の魂を奪われた挙句、全く関係のない人間が長年独占していたとなると、その恨みは相当深いと思う。
この危機的状況をお母様にも分かってもらおうと、私は知っている情報を余すことなく伝えることにした。
「…………つまり、あなたはオリエンスというよりも、その黒幕に殺されたと。そう言いたいのね?」
そして、全てを話し終えると、お母様は一呼吸置いてから静かに尋ねてくる。
「おそらく、このまま大人しくネックレスを返したとしても、見逃してくれる可能性はかなり低いと思います。なので、早くその者を暴き出さなければ、この惨劇はずっと繰り返されるでしょう。だから、お母様も用心してください」
これまで、長きに渡りヘリオス家が隠し持っていたんだから、正直にネックレスを差し出したとしても、無事である保証はないと思う。
なにせ、王族のドレスを盗んでまで殺しにかかろうとしているのだから、謝って済まされる問題ではない。
それから、このことを私達だけに留めておくのは危険だと判断し、お父様にも打ち明けることにした。
「それにしても、まさかこのネックレスにそんな裏があったなんて……。これまでずっと名誉あるものだと思っていたのに……」
お母様は言葉を詰まらせると、項垂れるように視線を足下に落とす。
確かに、お母様は成人した時からずっと大事に持っていたので、私よりもショックは大きいかもしれない。
結局ヘリオス家はどうすれば良かったのか。
それはよく分からないけど、出来てしまった歪みを消化させるには今しかない。
だから、復讐も長年のヘリオス家の皺寄せも、全部ここで終わりにしようと。
改めてそう心に誓うと、私は拳を強く握りしめた。
こうして、ネックレスの話はここまでにして。
今度はお姉様の捜索について話を切り替えると、結局お互い空振りに終わり。
諦めて一旦自室に戻ると、私はこれからのことを考えようと窓の外に目を向けた時だった。
「……あれは」
ふと視界の片隅で捉えた、屋敷の入り口に止まっている白い馬車。
それに気付いた瞬間、私は急いで部屋から飛び出し、一階へと降りた。
「リオス様!」
小走りで玄関先まで向かうと、案の定。
丁度応接室へと案内されている彼の姿を確認すると、私は慌てて声を掛ける。
「驚きました。今頃王宮でお父様の話を聞いているのかと思っていたので」
「謝罪の話はもう受けたよ。あとのことはモルザに任せた。今はドレスのことより君の方が気掛かりだから、急いで様子を見に来たんだ」
すると、憂げな目で言われた最後の一言に、つい心が反応してしまう。
特別な意味はないのに、放っておくとどんどん暴走してしまうので、私は舞い上がる気持ちを無理矢理押し込め、蓋をした。
「それを言うならリオス様の方こそ。心から愛する人の裏切りがどんなに辛いかは痛い程よく分かるので……」
それから私達の間に暫しの沈黙が流れる。
この先に続く言葉をどうすればいいのか。お互い探り合っているようで、なかなか次の会話に繋がらない。
「……あの、せっかくいらして下さったので、少し散歩でもしませんか?」
ひとまず、この若干重い空気を少しでも変えるために提案してみたら、リオス様の表情が徐々に明るくなっていく。
「そうだね。天気もいいし、気分転換でもしようか」
そして、快く承諾してくれると、私達は一旦外へ出ることにした。
今日は見事な快晴で、少し汗ばむくらいの陽気。
まさにお出かけ日和で、こんな日にリオス様とデート出来ればどんなに良いかと。
こんな状況になっても、邪な考えが浮かぶ自分が嫌になる。
「ここをリオス様と歩くのは久しぶりですね」
それから、選んだ場所はお気に入りの庭園。
季節はもうすぐ初夏を迎え、新緑の匂いに包まれながら私は小さく深呼吸をした。
「確かに。そもそも君と二人で肩を並べて歩くのは幼少期以来かもね」
そう言われて思い返すと、確かにラグナス家の人間になってからは、リオス様に会いに行く時は必ずお姉様がいた。
だから、こうしてゆっくり二人の時間を過ごすのはかなり久しぶりかもしれない。
「初めてリオス様と出会ったのは七歳の時でしたね。陛下謁見の時に、私が父親とはぐれて迷子になってしまったところ助けて下さって。その時のことは今でもよく覚えてますよ」
なにせ、それがきっかけで彼に一目惚れをしたのだから。
例えその恋が実らなかったとしても、あの時の出会いは今でも大切にしたい。
「クレスは落ち着いているように見えて、案外そそっかしいからね。なんか、放っておけなくて」
「そうですか?」
これまで人から指摘されたことはなかったけど、リオス様が言うなら、そうなのか。
なんだか少しだけ気恥ずかしくなり、私は肩を縮こませる。
「王宮の通路の隅で泣いている君を見つけた時は驚いたよ。両親の元へ案内してる間、泣きながらずっと必死に俺の手を握ってたよね」
「そ、そうでしたっけ??それは大変申し訳ございませんでした!」
しかも、そこまで詳しく覚えられていたとは露知らず。
リオス様の凛々しい姿にずっと見惚れていた記憶しかなかったけど、その頃から私は彼を求めていたのだろうか。
そう考えると益々恥ずかしさが込上がってきて、堪らず頭を下げた。
「謝ることじゃないよ。それに、あの時の君は凄く可愛かった。だから、その日を境にクレスのことはずっと妹みたいに思っていたんだ」
久しぶりに見たリオス様の眩い笑顔と、はっきり言われた「可愛い」という単語に不覚にも心を持っていかれる。
けど、やっぱり彼にとって私は妹的存在なんだと改めて思い知らされ、舞い上がっていた気持ちが段々と萎んでいった。
「オリエンスのことは今でも信じられないよ。彼女はそんな君を心からずっと愛しているんだとばかり思っていたから。デビュタントの時、君に手をあげようとするのを見た時はショックだった。それから彼女はどんどん歪み始め、俺の知るオリエンスはいつの間にか消えていったよ……」
すると、突然リオス様の表情から笑顔が消えると、私から視線を外し、寂しそうに遠くを見つめる。
「俺は慈悲深い彼女を愛してた。けど、この一件でどれが本当の彼女なのかもう分からない。もしかして、俺が見てきた姿は全て偽りだったんじゃないかって、今ではそう疑い始めているかな」
そこまで話すと、リオス様は進めていた歩を止めて、近くに咲いていた赤い薔薇の花びらをそっと指でなぞる。
その姿を横目に見ながら、「おそらく後者でしょう」とは言えず。
彼が次の言葉を発するまでは黙っていようと。私も咲き誇る色とりどりのバラを静かに鑑賞した。
「ねえ、クレス。今度二人でどこか出掛けない?」
「…………え?」
それから暫く沈黙が続いた後、何の前触れもなく提案されたことに、私は一瞬思考回路が停止した。
「君のデビュタントを迎えた直後にこんな事件が起きたんだ。せめてもの慰めじゃないけど、気晴らしに行きたいところがあれば何処でも連れてってあげるよ」
そして、思いもしなかったリオス様の配慮に、感動のあまり涙腺が緩む。
「いいんですか?ありがとうございます。凄く嬉しいです」
全力で喜ぶと少し不謹慎な気がするので、なるべく控えめな笑顔で応えようとするも。嬉しさが滲み出てきて、上手く表情がコントロール出来ない。
確かに、この悲劇が始まったのは、記念すべきデビュタントの時だった。
そこから二回も死を経験しているので、輝かしい思い出となるはずの一大イベントが、今は辛い記憶しかない。
だから、リオス様の提案は心の底から有難く、これで少しは苦しみから解放出来ればいいなと。そんな期待を込めて、私は行き先を真剣に考えてみる。
街中デートは憧れるけど、この騒動があってから二人でいるところを見られると、リオス様の立場が非常に悪くなる気がする。
どうせなら、誰にも干渉されずに二人でゆっくり過ごしたい。
何処かそういう場所は…………
「……あ、そうだ」
その時、ふと浮かんできた幼い頃の記憶。
この家に来たばっかりの時、家族の親交を深めるため、エーデル大陸の南部にある広いビーチに行ったことがある。
そこの海の水はとても澄んでいて、水平線が果てしなく続き、長時間眺めても飽きなかった。
それに、砂の粒子が非常に細かく、素足で砂浜を歩くととても気持ち良かったのを今でも覚えている。
夏場は観光客で溢れかえっているけど、この時期ならまだ人はまだらかもしれない。
王都からかなり距離はあるけど、今は列車に乗れば二時間弱ぐらいで着くので、日帰りでも行けると思う。
お忍びでリオス様と列車に乗り、海岸で二人で過ごすなんて、我ながらとてもロマンチックで夢が溢れてくる。
あとは、多忙な彼が果たしてこの要望を受け入れてくれるかどうかだけど……
「……リオス様、私カラニアビーチに行ってみたいです」
場所がかなり遠いので、私は不安になりながら恐る恐る彼の顔色を伺う。
「カラニアビーチって……確か天国に一番近いって言われるぐらい綺麗な海岸だよね?いいね。俺も海なんて久しく行ってないから、気晴らしには最適かも」
すると、あっさり承諾してくれたことに拍子抜けした私は、直ぐに反応することが出来ず、少しの間その場で固まってしまった。
「もし君が大丈夫なら丁度明日空いてるけど、どう?」
「……あ。は、はい!喜んで!」
しかも、こんなに早く予定が組めるとは思っていなかったので、思考が追いついていかず、返答が少し遅れてしまった。
こうして、急遽決まったリオス様とのデート(?)
こんな悠長なことをしてていいのか少し疑問を感じるけど、これまでずっと気を張っていたから、リオス様の言う通り気晴らしは必要かもしれない。
そう自分に言い聞かせると、私は期待に胸を膨らませながら、早速明日の日程について彼と話し合うことにしたのだった。




