最悪の結末
「クレス、18歳のお誕生日おめでとう。これはお母さんが肌身離さず付けていた、代々引き継がれるお守りよ。これからは、あなたが大切に保管してね」
そう言われて渡されたのは、オパールみたいな七色に輝く乳白色の小さな石が飾られたネックレス。
その輝きは年月を感じさせないくらい鮮やかな上に、石に掘られた金色の月と太陽の紋章は光に当てるとキラキラ輝き、私はあまりの美しさに暫くの間見惚れてしまった。
「……ほ、本当にこれを私にくれるんですか?」
「ええ。これは自分の子どもが18歳を迎えた時に引き渡す物なの。ここには女神様の魂が込められていると言われてるわ。だから、大切にしていれば、きっとあなたにも女神様の御加護があるはずよ」
それから引き続き熱く語ってくれたお母様の話によると、どうやらこれは、御先祖様が紛争があった土地の復興支援にあたっていた時、ある老人からお礼の品として渡された物らしい。
本当に女神様の魂が込められているのか真偽は誰にも分からないけど、我がヘリオス家はその言葉を信じて今日に至るまで大切に引き継がれてきたんだとか。
そう言われてみると、かれこれ百年以上は経過しているのに、まるで新品のように錆一つないのはとても不思議で、あながち嘘ではないのかもしれない。
「ただし、この事はヘリオス家の血筋を引く者以外には公言してはダメよ。お父様やオリエンスにもね。身に付ける時も人には見せないように気を付けてね」
「そ、そこまでするんですか?」
せっかくこんな綺麗なネックレスなのに。
お母様に忠告されなければ、今直ぐにでも二人に自慢しようと思っていたのに。
私は不服な目を向けると、お母様は少し困ったような表情でやんわりと口元を緩ませた。
「どうやら、人に見せると効力がなくなるらしいのよ。私も真相はよく分からないけど、ラグナス家に嫁げたのもこのネックレスのお陰だと思っているわ。だから、あなたも信じていればきっと幸せになれるわよ」
そして、今度は自信満々な表情をみせると、お母様はネックレスを手に取り、そっと私の首元に掛けてくれた。
◇◇◇
「クレス、お誕生日おめでとう。これは私からのプレゼントよ。デビュタントの時に是非着て欲しいの」
お母様からプレゼントを受け取った後すぐにオリエンスお姉様に呼ばれ、衣装部屋へ向かうと、そこには二着のドレスが飾られていた。
一つは繊細なレースとリボンがあしらわれた、淡いピンク色の可愛らしいスレンダー型ドレス。
もう一つは胸元が開いた金色の花の刺繍が施された、大人っぽい真っ赤なマーメイドドレス。
タイプは異なるけど、二つとも私の好みを思いっきり刺激して、嬉しさのあまり歓喜の声が漏れ出た。
「お姉様ありがとうございます。こんな素敵なドレスを二着も頂けるなんて!どれを着ればいいのか迷ってしまいますわ」
ピンク色の方は普段着ているドレスとデザインが似ているので抵抗感は全く感じないけど、もう一つの赤いドレスはこれまでに挑戦したことがないタイプだから少しの抵抗感が否めない。
けど、こういう大人っぽいデザインにも挑戦したい気持ちはあるので、不安と期待が入り混じる。
「私は、せっかくだからこの赤いドレスを是非クレスに着てもらいたいわ。お母様にもこれを見せた時絶賛していたし。何より、大人っぽく仕上がったあなたは、きっとどの令嬢よりも美しいに決まってるわ」
そう太鼓判を押してくるお姉様。
尊敬するオリエンスお姉様がそう言うのなら、間違いはないのだろうと。
私は迷いを振り払い、満面の笑みで素直に二つ返事をした。
私と二つ違いのオリエンスお姉様。
そして、私達は異母姉妹でもある。
私が六歳の時にお父様が病死で他界した数年後、今のお父様とお母様が出会い、私達はこのエーデル国家で絶大な領地を保有するラグナス公爵家の一員となった。
オリエンスお姉様はお父様の再婚をとても喜んでいたそうで、率先して盛大な歓迎パーティーを開いてくれたり、家族になってから私と頻繁にお出掛けしたりと。
血縁関係なんて全く気にならないくらい仲の良い私達は、社交会の間でも有名となった。
お父様も私達にとても優しくて、こんなに幸せで賑やかな暮らしを再び送れる日が来るとは夢にも思っていなかった。
だから、ラグナス公爵家の人達には感謝してもしきれないし、これがお母様のいう女神様の奇跡と言うなら、確かにそうなのかもしれない。
一先ず、赤いドレスはデビュタントの日まで大切に保管することにして。
早速もう一着の淡いピンク色のドレスを身に纏い、私は庭園内を散策することにした。
所々積もっていた雪は気付けば殆ど溶けてなくなり、季節はもうすぐ春を迎える。
このラグナス家の庭園は王都内で評判が良く、季節の花以外にも諸外国から手に入れたい珍しい花が沢山植えられていたりと。
まるで植物園のような華やかさと広さを兼ね揃えていて、私のお気に入りの場所だ。
今日は天気も良いし、お茶でもしようかと。私は近くにいたメイドに声を掛けてから、庭園内に入ろうとした時だった。
「……あ。リオス様ご機嫌よう」
艶めく黄金色の髪をなびかせた若い青年の姿を視界の端で捉え、私は動かしていた足を止めて深々と頭を下げた。
「クレス、ちょうど良かった。君に渡したいものがあって。……はい、お誕生日おめでとう。大したものじゃないけど、成人のお祝いとして受け取ってくれないか?」
そう言ってピンク色のリボンが付いた白い紙袋を私に差し出してくれたのは、この国の第一王子であり、私の初恋の人。
「ありがとうございますリオス様。とても嬉しいです。中身を拝見してもよろしいですか?」
「ああ、勿論」
私は胸を高鳴らせながら、紙袋を丁重に受け取ると、恐る恐る中を覗いてみる。
すると、そこには透明のガラスケースに入った金色の蝶の髪飾りがキラリと光っていた。
羽を広げた蝶には数個のピンクダイヤが施されていて、とてもシンプルなデザインだけど上品さがあり、私は一目でそれを気に入った。
「まあ、なんて美しい。とても嬉しいです。これから大切に使わせて頂きます」
大好きな人から初めて貰ったプレゼント。
おそらく、これは一生の宝物になると思う。
溢れる喜びに私は満面の笑顔で応えると、再び頭を深く下げた。
リオス様は、幼い頃初の国王謁見の日に城内で迷子になった私を助けてくれて、それ以降彼は私の特別な存在となった。
容姿端麗、高身長で足が長く、歳の割に大人びていて、頭も切れるし、性格もとても穏やかで優しいお方。
故に、貴族だけではなく国民の間でも絶大な人気を誇り、私如きでは到底手が届かない。
それでも、偶然が重なり、今ではこうして誕生日プレゼントを頂ける程の仲にまで発展することが出来た。
だから、リオス様に対する想いはどんどん膨らみ始め、もしかしたら……と、淡い期待を持ち始めた時だった。
「ところで、オリエンスはいるかな?実はデートに誘おうと思って」
そんな私の期待を一瞬にして壊したリオス様の躊躇なき一言に、思わず笑顔が引き攣ってしまう。
「お姉様なら自室にいらっしゃると思います。今呼んで参りますので、客間でお待ちください」
けど、すぐさま体裁を整えると、私は笑顔で一礼し、足早にこの場を去ったのだった。
……そう。
こうなることは、始めから分かっていた。
それでも、もしかしたら彼の恋人になれるのではないかという望みを捨て切れず。
初めての誕生日プレゼントに、つい舞い上がってしまった。
リオス様と出会ったのは私の方が先だったけど、女神様のように美しく優しいお姉様には期間なんて関係ないようで。
私とは明らかに態度が違う状況を目にした瞬間、全てを悟った。
そして、お姉様もまたリオス様に想いを寄せている。
きっと、彼が来訪したと告げれば、直ぐに飛び出していくでしょう。
だから、私の恋は一生叶うことはない。
でも、彼の相手がお姉様なら素直に諦められる。
きっと私なんかよりずっとお似合いだと思うから。
皇族と密接な関係にあるラグナス家。
おそらく、将来的に二人は結婚する運命なのかもしれない。
その時が来たら、心から祝福しようと。
そう自分に言い聞かせながら、私は少し重い足取りでお姉様の自室へと向かった。
◇◇◇
__デビュタント当日。
真っ赤なマーメイドドレスを身にまとい、私は全身鏡の前に立ち、自分の姿をまじまじと眺めた。
これまで赤色の服を着たことがなかったので、果たして自分に似合うのか不安だったけど、鏡を見た瞬間それは一気に吹き飛んだ。
赤色のお陰か、普段よりも肌が若干明るく見え、ブロンドの髪色とも違和感がない。
まさか、自分がここまで赤が似合うとは思ってもみなかったので、やはりお姉様のセンスは抜群なんだと心から感心した。
「とても綺麗よクレス。それに、18歳とは思えないくらい大人っぽいわ。流石は私の妹ね。きっと会場では他の誰よりもあなたが一番輝いてるわよ」
「お、お姉様。それは少し言い過ぎですよ……」
先程からずっと絶賛されていることに、段々と気恥ずかしくなってきた私は、視線を足下に落として身を縮こませる。
すると、お姉様は突然私の肩に手を回し、優しく抱き締めてきた。
「そんなことないわ。あなたは世界一美しくて、愛しい私の大切な妹よ。この赤いドレスは、きっとそんなあなたを大きく変えてくれるはずだわ」
そして、一言一句に想いが込めれた、お姉様の穏やかで優しい言葉が私の心にじんわりと染み込んできた。
「お姉様、いつもありがとうございます。私もお姉様のこと、ずっと大切に想っています」
私達に血の繋がりはないけど、きっと他のどの姉妹よりも私達の絆は深いものだろうと。
そう確信した私は、同じようにお姉様の体を優しく抱き締め、私達は暫くの間姉妹だけの時間を満喫した。
それから、パーティー会場に足を運ぶと、既に沢山の人で溢れ返っていて、皆煌びやかなドレスを身に纏い、優雅に会話を楽しんでいる。
その中で、私みたいにデビュタントを迎えるご令嬢の胸には真っ白なエーデルワイスのコサージュが飾られているので、一目で今日の主役だと分かる。
大昔デビュタントは純白のドレスを着ることがしきたりとなっていたそうだけど、今ではその縛りがなくなり、自由服装となった。
だから、皆思い思いのドレスを身に纏い、会場はより一層華やかさを増す。
とのドレスも装飾が派手で美しいけど、やはりこの中では私のドレスが一番華やかだと思う。
フリルも飾りも何もない至ってシンプルなデザインだけど、施された金色の刺繍がとても細かく繊細で、絵画のような仕上がりに何度見ても圧倒させられる。
胸からスカートの裾にかけて縫われているのは、百合の花と羽を広げる一羽の白鳥。
まるで皇族が着るような、高貴な印象を与えるこの素敵なドレスをお姉様は一体どこで手に入れたのか。
なかなか市場でも見掛けないデザインが更に特別感を醸し出し、改めてこのドレスを選んで良かったと心からそう思った。
そして、極め付けにはリオス様から頂いた素敵な髪飾り。
例えお姉様に夢中だとしても、リオス様が私のことを想って選んでくれたと思うと、とても嬉しい。
そのお陰で今日という日が更に特別に感じて、気持ちが徐々に昂っていく。
早くリオス様にもこの姿を見てもらいたくて、私は彼の到着を今か今かと待ち侘びた。
「クレス」
すると、背後から私を呼ぶ声が聞こえ振り向くと、遅れて到着したお父様とお母様が笑顔でこちらに手を振ってきた。
「……あら、クレス。そのドレスは?」
それから、私の姿を見た途端、不思議そうな表情で首を傾げるお母様の反応に、私はきょとんとした目を向けた。
「これはお姉様からの誕生日プレゼントですけど……お母様はご存知ではないのですか?」
確かプレゼントされた日、ドレスはお母様にも見せたとお姉様が言っていたような気がしたけど……。
「あなたのプレゼントを一緒に選んだ時、そのドレスも商品の中にあったけど、オリエンスはピンクのドレスしか選ばなかったわ。だから、ちょっと驚いて……」
「え?」
すると、母親の思わぬ発言に、私は更に目を丸くする。
お母様の口振りだと、このドレスは初めから予定になかったみたいで。
一体どういうことなのか状況が理解出来ず、段々と頭の中が混乱してくる。
事実を確かめたかったけど、生憎お姉様は知人に会ってくると言って何処かへ行ってしまった。
でも、お姉様は私へのプレゼントだと言っていたし、もしかしてサプライズで用意してくれたのだろうか。
…………でも、家族にまで秘密にすること?
考えれば考える程深みにハマっていくので、私はこれ以上勘繰るのは止めようとした時だった。
「クレス嬢。ご歓談中のところ失礼ですが、別室までご同行願いますか?」
突如私達の前に現れたニ名の騎士と、大臣のような厳かな服装をした中年男性が一人。
何やら険しい表情に何事かと尋ねようとした途端、急に騎士達に両腕を捕まれ、驚きのあまり小さな悲鳴をあげてしまった。
「な、なんですか突然?本当に失礼ですよ!」
こんな手荒なことをされる心当たりなんて、全くないのに。
状況が理解出来ない私は、厳しい口調で彼らを非難する。
「あなたが着ているそのドレスは、盗品の可能性がありますので、詳しく話を聞かせてください」
すると、中年男性の口から予想だにしない単語が発せられ、一瞬思考回路が停止した。
「おい、君はさっきから何なんだ!?うちの娘が何をしたって言うんだ!?」
それから、暫く言葉を発せられずにいると、隣に立っていた父親が私の代わりに厳しく男性を問い詰める。
「話は場所を移動してからです。ラグナス公爵も我々について来てください」
しかし、中年男性は物怖じすることなく、更に厳しい口調でそう言い放つと、騎士達を使い、強制的に私達を会場の外へと連れ出したのだった。
◇◇◇
「確認したところ、このドレスは王妃の物で間違いありません。これは国王が王妃のために用意した特注品です。しかし、つい最近何者かによって盗まれました。あなたはこのドレスを一体何処で手に入れたのですか?」
会場から少し離れた、城内奥にある個室へと連れられた途端。
そこで待機していた数名の鑑定士にドレスをくまなく調べられた後、耳を疑う話を聞かされ、この場にいた私達は暫くの間言葉を失ってしまった。
「これはオリエンスお姉様がプレゼントしてくださった物です。なので、私は何も関係ありません」
とりあえず、事実をはっきり伝えたものの。
まさか、お姉様が盗品をプレゼントするだなんて、未だ信じ難い状況に混乱とショックで頭がどうにかなりそうになる。
けど、悪いことは何もしていないのは確かなので、ここは堂々としなければと。私は自分に喝を入れて、背筋をしっかりと伸ばした。
「では、これはどういうことか説明して頂けませんか?ラグナス公爵夫人」
すると、思わぬところで今度はお母様の方に白羽の矢が立ち、中年男性は懐からニ枚の写真を取り出した。
そこに映るのは、商人らしき人物がお母様に例の赤いドレスを見せている光景と、お母様がそのドレスを手に取り商人達と楽しそうに話している光景。
その様子を窓越しから撮影したような写真に、私達は再び絶句してしまった。
「これはオリエンスが招いた商人達です!この写真は出された商品をただ見立てていただけです!私は盗品について何も関与してないわ!」
そんな中、すかさずお母様が反論したお陰で私はふと我に返る。
お母様の言っていることは間違いない。
ドレスをプレゼントされた時、オリエンスお姉様はお母様に見せたと確かに言っていた。
それなのに、まるで犯罪者のように見えるこの故意的な撮り方は一体何なのか。
何故お母様が隠し撮りをされているのか。
まずは二枚の写真の出処を問い詰めようと、口を開いた直後。
部屋の扉が勢い良く開き、この場にいる全員の視線がそこに集中する。
「お母様、クレスもう止めてください!」
すると、突如姿を現した、全ての元凶であるオリエンスお姉様。
しかも、何やら目には涙を浮かべており、段々と嫌な予感がしてくる。
「私、偶然聞いてしまったんです。お二人がドレスの話をしていたのを。しかも、犯人を私に仕立てて陥れようとしていたことも。なので、確かな証拠を集めなければと思い、私が用意しました」
…………は?
オリエンスお姉様一体なにを言ってるんですか?
そう口にしたかったのに。
あまりにもショックが大き過ぎて、すぐに言葉が出てこない。
それはお母様も同じようで、私達はその場で暫く固まってしまった。
「私はお二人を大切な家族だと思っていました。けど、お母様とクレスは母親が違う私を鬱陶しかったのか、早くこの家から追い出したいとも言っていました。だから、こんな酷いことを……」
それをいいことに、お姉様の口からどんどんと出てくる嘘デタラメ。
挙句の果てに、女優顔負けの大粒の涙を零しながら嗚咽する姿は、真相を知らない者が見れば誰も嘘とは思わないだろう。
「フ、フロリアとクレスがそんなことをするなんて有り得ない!何かの間違いではないのか!?」
しかし、お父様は最後まで私達を信じてくれて、食ってかかる姿に心が少しだけ軽くなる。
「残念ですが、商人やドレスを盗んだ窃盗団は皆ラグナス公爵夫人の指示だと証言しています。そして、その契約書がこちらです。この筆跡はあなたのもので間違いないですね?」
すると、中年男性が側に立っていた騎士に目配せした途端、何処からか一枚の紙切れを取り出し、騎士は私達の前にそれを提示してきた。
見ると、契約書の下には紛うことなきお母様の字でサインがしてあり、私は血の気が一気に引いてきた。
「確かにこれは私の字ですが、私は何も知りません!これは誰かが偽造したものです!」
けど、お母様の毅然とした態度によって邪推は全て取り除かれ、私も負けじと一歩足を前に踏み出す。
「お母様も私もオリエンスお姉様のことを心から愛してます。なので、お姉様の言うことは全てデタラメです!このドレスは確かにお姉様から頂いたもので間違いありません!」
そして、この場にいる全員に知らしめるように、大声で訴えた。
「それなら、その証拠を見せてください。ラグナス家の使用人達にも事情聴取しましたが、真相は誰も知らないそうです。なので、あなた方がその証拠を提示しなければ、この事実を覆すことは出来ません」
しかし、私達の訴えも虚しく。
終始落ち着いた口調で断言されてしまい、それ以降この場にいる全員は何も反論が出来なくなってしまった。
それから、私とお母様はあっという間に牢獄に入れられてしまった。
これだけ当事者が違うと訴えているのだから、もう少し捜査をしてくれてもいいはずなのに。
役人達もお姉様の言うことを全面的に信じ、お父様を含め、私達を守る者はそれ以降誰一人としていなかった。
そして、私達に下された処分。
それは、聞かなくてもよく分かっている。
“皇族の物を盗むのは、誰であろうと死罪”
幼い頃そう教育されたことが、まさか自分の身に降りかかるなんて。
きっとあの時の私は、夢にも思っていなかっただろう。
薄暗い地下牢の中。
カビ臭さと錆びた鉄の匂いが入り交じったこの独特の香りは、何日もいると段々と鼻が慣れていき、今ではなんとも思わなくなった。
けど、肌がベタつくような湿気と、寒さと、空腹には一向に慣れず。
私はお母様と身を寄せ合い、隠し持っていたお守りのネックレスに何度も祈りを捧げた。
後からお母様に当時の話を詳しく聞いたところ、不可解な点はいくつかあったそうだ。
ある日突然、お姉様が誰にも言わずに商人を呼んだこと。
ドレスを選ぶ時は誰も部屋に立ち入らせなかったこと。
そして、一時的に席を外していたことも。
その話を聞いて、私も思い当たる節が一つある。
ドレスをプレゼントされた日、部屋には私とお姉様以外誰もいなかった。
普段は専属の使用人が常駐しているはずなのに、何故かその日は誰も部屋に来ることはなかった。
今思うと違和感でしかないのに、当時それに気付けなかった自分を後になって呪う。
けど、今更もう遅い。
あの中年男性に言われた通り、例え揺るがない真実があったとしても、それを証明する術がなければ何も覆せない。
嘘の証拠で塗り固められてしまっては、私達がどんなに訴えても誰も信じてはくれない。
それは、お父様であっても。
心から愛している、リオス様であっても……。
__処刑前夜。
絶望感に口を開く気力さえ失ったお母様と私の元に訪れたのは、私達を陥れた日から一度も姿を現さなかったオリエンスお姉様。
これまで、お姉様をずっと尊敬していたのに。
今でも信じ難い裏切りに、怒りと悔しさと深い悲しみで涙が自然と零れ落ちる。
「オリエンスお姉様、何故こんなことを……。あの時、私を愛していると言ってくださったのに……」
もうお姉様とは二度と会話が出来ないと諦めていたので、ここで蟠りを吐き出せたのは良かった。
けど、徐々に締め付けられる胸の苦しさから、これ以上言葉にすることが出来ず、その場に座り込み唯ひたすらに涙を流す。
すると、暫く無表情のまま私を見下ろしていたお姉様は、不意に口元を緩ませると、片膝をついて私と視線を合わせてきた。
「ええ、勿論愛しているわ。可愛くて惨めな私の妹クレス。あなたのことを考えない日なんて、これまで一度たりともなかったわ」
そして、言葉とは裏腹に。
久しぶりに見る女神様のような優しい微笑みに、背筋がぞくりと震えた。
「ヘリオス親子は私から全てを奪おうとした。だから、私はそれを自分の手で守っただけよ」
それから、そっと私に耳打ちをしてきたその声は、今までに聞いたことがない程低く、憎しみが篭っていて。
咄嗟に視線を向けると、その表情は普段の姿からは想像もつかないくらい酷く歪んでいた。
「奪うって……、私達はお姉様から何も奪ったりなんて……」
「さようなら。クレス、お母様。来世は幸せになれることを心からお祈りしております」
全くもって納得がいかない答えに尚も反論しようとしたところ。
それをバッサリと断ち切られ、お姉様はそう言い残すと、足早にこの場を去っていった。
そして、これがお姉様と交わした最後の会話となった。
それからのことは、あまり記憶がない。
処刑当時の日も今日で自分の命が尽きると言うのに、全くもって実感が湧かないまま、私とお母様は執行人に連れられ、王宮の外れにある処刑台の前へと立たされた。
処刑はお父様の配慮により非公開とされ、立会人は被害者である国王と王妃と、王子であるリオス様とその弟君。
そして、皇族の隣に立つのは、ラグナス家代表として、お父様の代わりに立ち会うこととなったオリエンスお姉様。
悲壮感漂う立ち振る舞いに、煮えたぎるような怒りが込み上げてくるけど、それよりも、リオス様にこの見窄らしい姿を見られていることが何よりも苦痛で。私は彼に目を向けることが出来ず、終始俯いたままでいた。
結局、リオス様の前で頂いた髪飾りを披露することが出来なかった。
せっかく私のために選んでくださったのに。
彼の好意を無駄にしてしまったことが悲しくて、少しでも気を抜くと涙が溢れ出てくる。
季節はもう春だというのに、吹く風はとても冷たく、擦り切れた布もひんやりとしていて、凍える寒さが更に絶望感を増幅させていく。
そんな打ちひしがれる私達の体を、執行人達は容赦なく縄で縛り付け、頭を断頭台に押さえ付けてきた。
これで私達の人生は本当に終わりなのだろうか。
何も真実を証明できないまま無実の罪を背負わされ、私達は無惨にもここで散っていくのだろうか。
私達を陥れたお姉様は絶対に許せないけど、それ以上に真っ当に生きてきた私とお母様の訴えを誰も聞き入れてくれないことが何よりも悔しい。
ここで終わっていいはずがないのに。
オリエンスお姉様こそ、この場に立たなければいけない人なのに。
この場でそう叫びたいのに、口にまで縄を結ばれてしまい、ここから先は何も言葉を発することが出来ない。
出来るとしたら、ただ心の中で祈るだけ。
縛られる直前に、掌に忍ばせておいたネックレスを強く握り締め、私は最後の最後まで女神様の奇跡を祈り続ける。
けど、その願いも虚しく。
刃物を支えていた綱が切られた音と共に、これまでに味わった事のない強い衝撃と痛みが襲って来た瞬間、目の前が真っ暗になり私の意識はそこでプツリと途絶えたのだった。