罠の始まり
時刻はもうすぐ午後三時を回るとこ。
私はヘリオス家の門扉の前に立ち、彼等の到着を今か今かと待ち侘びる。
前世通りの時間であれば、もうそろそろ姿が見えてもいい頃合いで、刻々と時間が過ぎる毎に緊張感が徐々に高まってくる。
果たして、上手くやれるだろうか。
それなりに自信はあるけど、ここから先は自分の演技力にかかってくるので、若干不安はある。
けど、ここは絶対にやり遂げなければダメだと。
私は何度目かの喝を入れるため、自分の頬を軽く叩いた。
そして、再び視線を遠くの方に向けた途端、見覚えのある純白の馬車が視界に映り、私は思わず背筋を伸ばす。
「リオス様、お待ちしておりました」
それから、門扉の前に到着した馬車の前で、恭しくお辞儀をして彼等を迎えた。
「驚いた。約束した時間よりも大分早く到着してしまったのに、もう来てたんだね」
そんな私の姿を見て目を丸くするリオス様。
その隣では、相変わらず無表情なモルザ大臣が冷めた視線を送ってくる。
その視線に脈打つ鼓動が益々激しくなっていくけど、動揺しているところを悟られないよう私は笑顔で会釈した。
「モルザ様もお越し頂いたんですね。わざわざここまでご足労頂きましてありがとうございます。…………ただ、大変申し上げにくいのですが……」
そこまで話すと、私は自分の中で精一杯の困惑した表情を作り、視線を足元に落とす。
「どうしたの?何かあった?」
そして、わざと間を空けると、なかなか反応がないことにリオス様は心配そうな面持ちで私の顔を覗き込んできた。
「実は、保管していたドレスが何者かによって無断で持ち出されました。先程倉庫を見に行ったら、もぬけの空状態で……」
それをいいことに、私は瞳を潤わせて彼の目を見返す。
「もしかしたら、ドレスを盗んだ犯人の仕業かもしれません。なので、一度リオス様達にも確認して欲しいのです」
それから必死に願い入れると、リオス様はモルザ大臣と目配せをした後、小さく頷いた。
「分かった。とりあえず、その保管場所まで案内してくれるかな?」
こうして思惑通り、私はリオス様達を地下倉庫に案内すると、ドレスを保管していた場所を指差す。
「確かにここに保管していたんです。だから、リオス様が到着する前に確認しようと思って様子を見に行ったのですが、何もなくなっていて……。屋敷の者にも確認したのですが全員口を揃えて知らないの一点張りでした」
そして、落ち着いた口調で説明すると、真っ先にモルザ大臣が前に出て周囲を見渡し始めた。
「ふむ……。そう言われましても、我々はまだ現物を確認していませんので、その話をどこまで信用していいのやら……」
流石はモルザ大臣。
やはり、一筋縄ではいかない人。
確かに、物がないと説得力に欠けるのは分かっている。
だから…………
「ん?なんだこれ?」
その時、タイミングよくリオス様は《《例のメモ書き》》を拾い上げる。
「時間と場所が書かれているけど、これは一体……」
そして、顎に手をあてながら訝しげな目で眺めた後、モルザ大臣にそれを渡した。
「この住所は……。確か、今夜開催される夜の市の会場ですね。時間もぴったりです」
驚いた。
まさか、このメモ書きだけでそこまで分かるとは。
けど、お陰で話が早い。
「何故こんな所に……。しかも、ドレスがあった場所に落ちているなんて……」
私は眉間に皺を寄せると、白々しく考え込む振りをしてみせる。
「なんだか怪しいな。モルザ、念の為確認してみよう」
それが後押しとなったようで、リオス様は神妙な面持ちで提案すると、モルザ大臣はあっさりと首を縦に振った。
「そうですね。早速調査団を手配します」
そう言うと、モルザ大臣はメモ書きを胸ポケットにしまい、私達は倉庫を後にする。
メモ書きを見つけやすい位置に置いたおかげで、上手くことが運んでくれたことはまず良かった。
でも、一つだけ気掛かりなことが。
それは、モルザ大臣の反応があまりにも自然体過ぎること。
仮に彼が黒幕だとしたら、この状況はかなり不味いはずなのに、動揺する素振りを見せないどころか、寧ろ積極的に捜査に踏み込もうとしている。
そうなると、モルザ大臣は一切関係ないのかもしれない。
闇市場に一人で出歩いていたのも、ただ熱心に調査していただけで、全てが私のはやとちりだとしたら。
もし、そうだとしたら、誰が黒幕なのか皆目見当もつかなくなってしまった。
彼が白であるならそれはそれでいいけれど、そうなると敵が全く見えてこない不安と恐怖が新たに生まれ、何だかとても複雑な気持ちになる。
◇◇◇
「それじゃあ、俺らはここで失礼するよ。クレス、協力してくれてありがとう」
それから、彼等を屋敷の入り口前まで送り届けると、リオス様は優しい笑顔を向けて軽く頭を下げてくれた。
前回はドレスがなくなっていたことに気付けなかったので、かなり怪しまれてしまったけど、今回は事前に話をしたから大分結果が違う。
そして、これからリオス様はお姉様に呼ばれて盗品のドレスを差し出される。
そうなると、お姉様の立場はかなり危うくなると思う。
地下倉庫で匂わせるような発言をしたから、おそらくリオス様はお姉様を疑うはず。
それに、モルザ大臣が黒幕ではないとしたら、お姉様がこの現状を知ることは不可能だ。
だから、いくら言葉巧みに騙そうとしても、全てが裏目に出る可能性が高い。
その様子を、何とかこの目で確かめなければ。
私はリオス様達を見送った後、急いで自分の馬車に乗り込み、彼等の後を追うよう御者に指示をした。
__こうして、尾行することかれこれ数十分。
辿り着いた場所はラグナス家の別荘で、門扉の前で馬車が停車すると、そこからリオス様だけが降りて屋敷の中へと入っていく。
私も少し離れた場所で馬車を停車させると、モルザ大臣に見付からないよう密かに敷地内へと入り、リオス様の後を追った。
まさか、こんなに早く彼を呼び付けていたなんて。
おそらく、これも全て仕込まれていることなんだろう。
その中で私はまんまと罠にハマり最悪の結果を招いた。
でも、女神様の力によって再び蘇ることが出来、今ここにいる。
この貴重なチャンスを絶対に無駄にしないためにも、お姉様の動向をしっかり確認しようと。
私は息を殺して物陰に隠れながら尾行を続けていると、玄関先でお姉様が姿を現し、笑顔で彼を迎え入れた。
「リオス様、お待ちしておりました。急に呼び出して申し訳ございません。実は、見て頂きたいものがありまして……」
そして、事情を知らないお姉様は、白々しく不安げな表情をして彼の顔色を伺う。
「………………見て欲しいものって?」
一方、リオス様は何か勘付いたようで、訝しげな目をしながら首を傾げた。
「ここでは申し上げにくいので、先ずはお部屋にご案内します」
そんな彼の異変に気付いているのか、いないのか。
お姉様は特に気に留める様子はなく、リオス様を応接室へと案内した。
部屋に辿り着くと案の定。
応接室の真ん中にはあの真っ赤なドレスが置かれていて、それを見た瞬間リオス様の表情が益々険しくなった。
「以前リオス様がお話していた盗品のドレスです。これはクレスが隠し持っていたのを、今日たまたま発見しました」
それから、してやったりというような顔をしながら、お姉様は凛とした出で立ちで話し始める。
「実は、ここ最近クレスの様子がおかしくて見張っていたんです。昨日そのことを追求したら口論になってしまって……。それで、居ても立っても居られず、あんな見苦しい真似をしてしまい本当に申し訳ございませんでした」
そして、最後には今にも泣き出しそうな表情をみせて頭を深々と下げた。
「……おかしいな。あの時クレスはドレスは君から貰ったと言っていたけど?」
そんな彼女に冷めた視線を送るリオス様は、低い声で問いかける。
おそらく、普段の彼なら真っ先にお姉様をフォローするだろう。
けど、先手を打ったおかげで、今のリオス様は擁護する気持ちよりも疑惑の念の方が強いのかもしれない。
「えと……それはきっとクレスが私を陥れようとしたんだと思います。私は、このドレスの出所については一切知りません」
その様子を薄々感じ取ったのか。
これまで余裕だったお姉様の雲行きが段々と怪しくなっていく。
「それじゃあ、この領収書に心当たりはない?」
すると、このタイミングでリオス様は例の領収書をお姉様に差し出した。
「勿論です。おそらく、それはクレスが作り上げた偽物でしょう。調べればきっと分かるはずです」
その瞬間、お姉様は驚くことはせず、まるで始めから知っていたかのように勝ち誇った目をして自信満々に首を縦に振る。
なるほど。
知らない間にそんな話をしていたとは。
私から見たら何とも滑稽な芝居だと思えるけど、事情を知らないリオス様から見たら、これはかなり効果的だったかもしれない。
おそらく、ここから私を犯人に仕立て上げ、言葉巧みにリオス様を夜の市に誘い出したのだろう。
そして、私が見つけた領収書は偽造のものと確定させれば疑う余地がない。
これでようやく全貌が明らかとなり、私は沸々と込み上がってくる怒りで体が小刻みに震える。
こうして正義ぶって、裏では人を陥れて簡単に殺めようとするお姉様。
本当にあなたという人はどうしようもなく残酷で、自己中で、救いようがない。
きっと今頃頭の中では勝利を確信しているのでしょう。
…………でも、そう簡単にあなたの思い通りにはさせません。
「実は君と会う前にクレスに会ってきたんだ。盗品と思われるドレスを確認して欲しいと言われて実際見に行ったけど……そこには何もなかった」
その時、リオス様は険しい顔付きのまま、これまでの経緯をぽつりぽつりと話し始める。
「彼女は誰かに持ち出されたと言っていた。ただ、君のことは何も触れていなかったよ。あと、ドレスを保管していた場所から怪しいメモが見つかったんだ」
「メモ……ですか?何のことでしょう?」
どうやら、お姉様は本当に地下倉庫のことを把握していないようで。
寝耳に水といった様子で目を大きく見開き、あからさまに動揺しだした。
「知らないなら別にいい。それはこっちで調べるから気にしないで。それよりも、君はこのドレスを一体何処で見つけたのかな?」
そして、核心をつく彼の質問に、お姉様の表情が固まる。
「それは倉庫で見つけました」
「どこの?」
「え……?どこって…………《《この家の裏側にある》》倉庫です」
おそらく、お姉様は隠し場所についてここまで追求されるとは思っていなかったのだろう。
だから、詳しい場所を確認しなかったのか、或いは聞かされていなかったのか。
お姉様が一体どのように黒幕とやり取りをしているのかは分からないけど、これまでの状況から察するに、あまり綿密な関係ではなさそうな気がする。
おかげで、こうも簡単にボロが出るとは。
お姉様の爪の甘さに感謝したい。
「…………オリエンス。悪いけど、君の話はあまり信用出来ない。このドレスは本当に君が見つけたものなのか?もしかして、誰かと共謀しているとかじゃないよね?」
それはリオス様にとっても決定打となったようで、眉間に皺を寄せながらお姉様を完全に疑いの目で見てくる。
「そ、そんなことは決してありません!これは全部クレスが作り上げた罠です!私は何も関与していません!」
予想外の展開に、お姉様は完全に冷静さを失い、必死になって私に罪をなすりつけてきた。
その光景は何とも惨めで、側から見ていて心底呆れる。
「それより、リオス様。今夜は大規模な夜の市が開催されます。きっとそこに行けば真相が分かるはずです!」
すると、最後の切り札をここで出してきて、何とも強引なやり方に思わず乾いた笑みが溢れる。
「夜の市?」
けど、それが更にリオス様の疑惑を加速させているとは露知らず。お姉様の表情に再び自信の色が見え始めてきた。
「奇遇だね。我々もそこを調査することになっているんだ」
「そうなんですか?で、では私も……」
「君にはこれからこのドレスのことや、夜の市について詳しく話を聞かせてもらうよ。丁度モルザ大臣も来ているから、今呼んでくる」
まさか“夜の市”という単語が地雷になっているとは知る由もなく。
更なる疑いを掛けてくるリオス様に、お姉様の顔がみるみる青ざめていく。
こうして、暫くしてからお姉様の事情聴取が始まった。
ドレスについては、やはり知らないの一点張りで。
お姉様が犯人だという確かな証拠もないので、リオス様とモルザ大臣はこれ以上追求することはしなかった。
そして、夜の市についてはお姉様曰く、昨夜私が誰かと裏庭でこっそり話しているところを目撃して、その時にその単語が出てきたんだとか。
それから、そこでドレスを受け渡すというような話も出てきたと言い、完全なる作り話に私は抗議したくなる衝動を必死になって堪えた。
けど、リオス様達も先程の一件で話半分に聞いていたから、そこまで危惧するようなことでもないと思う。
結局何の手応えもないままお姉様からの聴取はあっけなく終わり、リオス様達は盗品のドレスを回収して馬車へと戻って行った。
当然ながら、リオス様とお姉様の夜の市デートは成立することなく。
彼等が帰った後、お姉様は鬼のような形相になり、近くにあった花瓶を思いっきり床に投げ付けた。
「なぜなの!?なぜこうなるの!?話が全然違うじゃない!なんで私が疑われなくてはいけないの!?」
それだけでは飽き足らず。
今度はソファーに置いてあるクッションを次々と壁に投げ付け、盛大に暴れ始める。
「今夜でケリを付けるはずだったのに。これじゃあ何も身動きが取れないじゃない……」
それから、ブツブツと独り言を吐き出すと、悔しそうに指を噛む姿が典型的な悪役を連想させて。
私は思わず吹き出してしまいそうになるのをぐっと堪え、静かに耳をそばだてる。
「……まあ、いいわ。リオス様達は会場に出向くそうだし、あの子も夜の市にさえ行ってくれれば……」
そこまで話すと、お姉様は吹っ切れたように冷静さを取り戻し、周囲に散らばった物を片付け始めた。
おそらく、彼女の最終的な狙いは《《あの倉庫での惨劇》》なのだろう。
だから、内容は違えど、結果的に同じような状況を作り出せれば特に支障はないのかもしれない。
その思惑が手に取るように分かり、私は思わず小さな溜息が漏れた。
いずれせよ、ここから先はお姉様の掌から外れる。
私はもう、あなたの操り人形ではないのだから。
そして、不当に味わってきた罪を何倍にも返してあげます。
そのためなら、罠にだって引っ掛かって差し上げますよ。
そう心の中でほくそ笑むと、私は物音を立てないように気を付けながら来た道を引き返した。




