不穏な影
市街地まで戻り、馬車を降りてリリスさん達に別れを告げると、私は次の待ち合わせ場所であるヘリオス家へと向かう。
目的地に近付くにつれ徐々に高鳴る鼓動。
緊張と不安と興奮が入り交じり、先程から武者震いが止まらない。
果たして、リオス様はどんな反応を示すだろうか。
お姉様が犯人であるという決定的な証拠がない状況下、あの領収証でどこまで信じてくれるかは彼次第。
でも、昨日のリオス様の様子から察するに、悪い方向に話が進むことはないと思う。
そんな自信を抱きながら、ついに到着したヘリオス家邸宅前。
すると、門前には既にリオス様の馬車が停まっていて、私は慌てて近くまで駆け寄った。
「リオス様、到着が遅くなって申し訳ございま……」
そして、笑顔で迎えようとした矢先。
彼の隣に立っていた想定外の人物に思わず体の動きが止まる。
「……モ、モルザ大臣?」
てっきりリオス様一人で来るかと思っていたので、まさかの事態に動揺を隠すことが出来ない。
「急にごめんね。例のドレスの件は彼にも確認してもらおうと思って連れてきたんだ」
そんな私をよそに、リオス様は落ち着いた様子で隣に に立つ彼を紹介すると、モルザ大臣は私の前で軽くお辞儀をしてきた。
「クレス様突然の訪問をお許しください。そのドレスが盗品かどうか確認したら直ぐに退散しますので」
表情は相変わらず硬く、威圧的なオーラを感じるモルザ大臣。
けど、初めに会った時よりも雰囲気は大分柔らかくなっているので、少しだけ緊張の糸が解れると、早速リオス様達を屋敷の中に案内する。
確かに、モルザ大臣はこの窃盗事件捜査を指揮する人。
だから、彼が来るのは当然のことなのかもしれないけど……。
闇市場に一人で出歩いていたことがどうにも引っ掛かり、やっぱり何処か警戒してしまう。
再び襲い掛かってくる緊張と不安で心臓が徐々に暴れ始め、私は気持ちを落ち着かせるため小さく深呼吸をする。
とにかく、ここは冷静に対応しなければ。
少しでも動揺したところを見せれば、絶対に怪しまれてしまう。
先程からモルザ大臣の視線がちくちく背中に突き刺さり、まるで行動を監視されているような気分になりながら、私達は地下倉庫の前まで辿り着いた。
ドレスを確認したのはほんの数日前。
なので、何の疑いもなく倉庫の扉を開けたその時だった__。
「……………え?」
目を疑うような光景が飛び込んできて、思わず腑抜けた声が漏れてしまう。
「どうしたんだクレス?ドレスは一体どこに?」
すると、暫く呆然とその場で立ち尽くす私を不思議がるように、リオス様は顔を覗き込んでくる。
けど、私は目の前の現状に思考が付いていけず、彼の声が一切耳に入ってこなかった。
ドレスは分かりやすいよう倉庫の入り口前に置いたはずなのに。
あるはずのものが、そこには何もない。
もしかしたら場所を移されたのかと、更に奥へと進み辺りを見渡してみたけど、真っ赤なドレスはどこにも見当たらなかった。
念の為、近くに立っていた使用人達にも確認してみたけど、誰もドレスの行方について知る者はいない。
…………うそ。
もしかして、隠し場所がバレた!?
ここの使用人達には一切手を付けないようお願いしてあるし、暫くは不用意に立ち入らないよう言い聞かせていた。
けど、ここにないということは、誰かが故意に持ち出したとしか考えられない。
「違うんです、リオス様。間違いなくここに保管していたのですが、誰かが勝手に持ち出したようで……私も何が起こっているのか全く分からなくて……」
側から見れば単なる言い訳でしかないのだろう。
でも、これは紛れもない事実なので、今はこう言う他ない。
「とりあえず状況はどうあれ、ここにドレスがないことには話になりませんね」
しかし、必死で弁解するも虚しく。
モルザ大臣の最もな一言により、私はそれ以上何も言うことが出来なくなってしまった。
「何があったのか分からないけど、君の言うことは信じるよ。でも、ごめんね。彼の言う通り物がない限りは調査も出来ないから、今日のところは引き上げるよ」
リオス様も優しく微笑んではくれるけど、何処かがっかりしたような色が見えて、胸の奥がズキズキと痛み出す。
結局ドレスの行方が分からないまま、私はリオス様達に深くお詫びをして邸宅の入り口まで見送った。
そして、彼らの馬車が遠ざかっていくのを見届けた後、もう一度確かめるために地下倉庫へと引き返す。
ダメ元で倉庫内をくまなく探した後、思い当たる保管場所をいくつか見回ったけど結果は変わらずで。
今起こっている現実を未だ受け入れることが出来ず、私はその場でしゃがみ込んでしまった。
一体いつからバレていたのだろう。
もしかしたら、私はまた知らないうちにお姉様の掌で転がされていたのだろうか。
こうなるのも、全て仕込まれていたことなのだろうか……。
ようやく形成が逆転したと思ったのに。
唯一の反撃する機会を奪われてしまい、これから先何をすればいいのか全く分からない。
盗品であるドレスが自分の手から離れれば少しは肩の荷が降りるかと思っていたのに、この状況下ではただ恐怖と不安しか残らない。
とにかく、ドレスの行方を探さなくては。
少なくとも、この数日間で誰かが立ち入ったことくらいは分かるだろうし、徹底的に聞いて回れば手掛かりは掴めるはず。
そう気持ちを入れ替えると、私は調査を再開しようとその場から立ち上がった時だった。
ふと視界の片隅で小さいな白い紙切れを捉える。
私は何気なくそれを拾いあげると、そこには何処かの住所と日時が書かれていた。
「……これは?」
もしかしたら、単に使用人の落とし物なのかもしれない。
けど、その紙切れが落ちていた場所は丁度ドレスを保管していた所であり、どうにも引っ掛かる。
これはただの偶然だろうか。
でも、何だか故意的なものを感じる。
まるで、何かを示唆しているような……。
もしかしたら、これも罠かもしれない。
けど、ここへ行けばドレスに関して手掛かりが掴めそうな気がして。
脳内では警告音がひとしきり鳴り響いているけど、堪えきれない探究心によって私は落ちていた紙をポケットにしまった。
それから、屋敷中の人達にここ数日私以外で来客がなかったか聞いて回ってみたところ、皆口を揃えて知らないとの答えが返ってきた。
そんなことがありえるのだろうか。
もしかして、お姉様が屋敷の人達に口止めをしている?
でも、全員にそんなことが可能だろうか。
念の為、庭師の人達にも聞いてみたけど、有力な情報を得る事が出来なかった。
まさか、ヘリオス家の中にも共犯者がいるとか?
これだけ何もないと、そうとしか考えられない。
そうなると、今自分が置かれている状況は思っている以上に危険な状態な気がして。
段々と焦りが生じ始めた私は、慌てて屋敷から出ると、謎の白いメモ書きを持ってある場所へと向かった。
「はーい。どちら様?……って、クレスじゃん」
「良かったリリスさん。家に帰ってたんですね!」
それから、藁をも縋る思いで真っ先に向かったのは、以前教えてくれたリリスさんの自宅。
もう頼れるのは彼女しか思い浮かばず、私はリリスさんの顔を見た瞬間、一気に肩の力が抜け落ちた。
「どうしたの?用事あったんじゃないの?」
一方、リリスさんはそんな私の様子をきょとんとした目で眺めながら首を傾げる。
確かに。
リリスさんと別れたのは、ほんの一時間前くらい。
彼女が不思議がるのも無理はないけど、今はそんな事構っていられない。
「あの、リリスさん。お願いです。また護衛の依頼をしてもよろしいですか?」
私は彼女の質問を無視して単刀直入に頼み込むと、またもやリリスさんの目が点となった。
「随分と切羽詰まってるじゃん。この短時間で何があったの?てか、これまで黙っていたけど、そろそろ事情を教えてくれてもいいんじゃない?」
それから真剣な表情で最もなところを突かれてしまい、つい口をつぐんでしまう。
でも、彼女の言う通りだ。
ここまで巻き込もうとしているのだから、せめてこうなった経緯だけでも伝えなければ。
色々考えた結果、タイムリープの部分を抜かした全ての出来事をリリスさんに打ち明けようと心に決めた私は、ぽつりぽつりと事情を話し始めた。
◇◇◇
「……ふーん。なほどね。それは確かにきな臭いわ」
暫く私の話に黙って耳を傾けていたリリスさんは、一通り聞き終えた後、例のメモ紙を見ながら神妙な面持ちでそう呟いた。
「それで、クレスはここに行きたいってわけ?」
そして、今度は射抜くような鋭い眼差しを向けられ、彼女の唯ならぬ迫力に思わず生唾を飲み込んでしまった。
「は、はい。このままやられっぱなしなんて絶対に嫌ですから」
けど、私も負けじと真剣な表情で首を縦に振ると、リリスさんは暫くの間考え込んでしまった。
「……まあ、あんたがそう言うなら、あたしには止める権利ないしね」
そして、深い溜息を吐くと、あまり乗り気ではない様子で小さく肩を落とした。
「それより、ここに書いてある日時が今夜の七時ってなってるけど、もしかしてそれに合わせて行くつもり?」
「はい、もちろんです。もしかしたら、その時間に何か動きがあるのかもしれないので」
それから、二回目の質問にまたもや大きく頷くと、リリスさんは再び大きな溜息を一つ吐いた。
「気持ちは分かるけどさ。十中八九罠だって分かってるなら、せめてあたしだけが調査に行けばいいんじゃない?なんなら写真も撮ってくるから」
そして、最もな彼女のアドバイスに、私は言葉を詰まらせる。
確かに、状況確認だけならリリスさんにお願いするでもいいかもしれない。
でも、もしかしたらそこにお姉様が現れる可能性だってある。
そうなった場合は証拠を抑えた後、彼女をとことんなまでに問い詰めたい。
「お気持ちは有り難いのですが、ここは自分の目でしっかりと確認したいんです。なので、私も一緒に行っていいですか?」
だから、リリスさんの忠告を押し切り、私は深く頭を下げて強情な自分を貫いた。
「…………まったく、本当にどうしようもないお嬢様だね。分かった。それじゃあ、六時にこの前と同じ場所で待ち合わせでいい?」
そんな私を呆れた目で眺めた後、リリスさんは本日三度目の溜息を吐いて渋々首を縦に振った。
こうして、半ば強引な運びとなってしまったけど、ここが正念場なような気がして。
徐々に襲ってくる緊張感に、先程から手汗が酷い。
ひとまず、落ち着かなくては。
そして、お姉様の動向を注視すること。
私は昂る感情を抑え、冷静になろうと深く深呼吸する。
もしたしから、これが空振りする可能性だって十分あり得る。
だから、あまり先走らないように気をつけなければ。
そう自分に言い聞かせると、リリスさんと別れた後、一旦自宅へと戻り、確認のため真っ先にお姉様の部屋へと向かった。
すると、案の定。
どうやらお姉様は私が家を出た後に出掛けたらしく、帰りは遅くなるとのことらしい。
ただの決めつけなのかもしれないけど、これでお姉様の動きが益々怪しくなり、期待値が高まってくる。
とにもかくにも、真の黒幕は誰なのか。
ヘリオス家に共犯者がいるのか。
そして、お姉様は一体何と繋がっているのか。
その全てが明らかになるかどうかは分からないけど、何か手掛かりとなるものが少しでも掴めればいいなと。
私は残された謎のメモを眺めながら、そう強く願いを込めたのだった。