レーテ教の真実
昨夜は夢のような時間だった。
煌びやかに装飾された会場。
豪華でどれも美味だったディナーと多種多様なスイーツ。
他にも各名家に挨拶回りをしたり、優雅なダンスを披露したりして、私は無事に社交界デビューを果たすことが出来た。
それに加えて、会場ではリオス様と一緒にいる時間が多く、ダンスも踊ってくれて、一生分の幸せが集結したような特別な日となった。
一方、お姉様はあの一件があってから気不味いのか、私達とあまり関わることはなく、社交界の中で軽いどよめきが起きた。
結婚秒読みとされているリオス王子とオリエンス公女の仲を引き裂き、妹が寝取ったんだと。
たった一夜にして根も葉もない噂が私の耳にまで届き、まるで悪女扱いされていることに呆れてものが言えない。
けど、そんなことはどうでもいい。
お姉様に屈辱を与えることが出来れば、悪女だろうが何だろが好きに呼べばいい。
とにかく、今日という日を迎えられたことが感慨深く、今を生きていることの大切さを身に沁みて感じる。
成人となった自分にこれからどんな未来があるのか。
期待に溢れる一方で、この先の出来事が全く分からない不安はある。
昨日の出来事で、私が盗品のドレスだと気付いていることを完全に知られてしまった。
だから、お姉様が今後どういう行動をとるのか全然予測出来ない分、これからはもっと気を引き締めなければいけない。
そう自分に強く言い聞かせながら、食卓へ向かおうと朝日が差し込む通路の突き当たりを曲がった時だった。
「…………あ」
向かいからに来た人物に、足の動きが自然と止まる。
相手もまた、私の姿を目にした途端表情が固まり、警戒するような眼差しを向けてきた。
「……おはようございます。お姉様」
このまま素通りしても良かったけど、ここは礼儀を守らねばと。私は軽い会釈をして朝の挨拶をする。
けど、お姉様からは何の返答もなく、私から視線を逸らすと、何事もなかったように無表情のまま通り過ぎて行ってしまった。
これまで、お姉様が挨拶を返さないことなんて一度たりともなかったのに。
普段の振る舞いからは到底想像もつかない程冷めた反応に、私は小さく肩を落とす。
これがお姉様の本性なんだろうけど、本当に何故ここまで憎まれているのか全く分からない。
もしかして、出会った当初から私のことが気に食わなかったのだろうか。
あの女神様のような優しい笑顔も全て嘘偽りで塗り固められていたのかと思うと、憎い反面やっぱり何処か悲しい気持ちは拭いきれない。
けど、感傷に浸っている場合ではない。
ようやく、盗品のドレスを表に出す事が出来るのだから、これからはとことんお姉様を追い詰めていく。
そして、あの時の復讐を必ずや果たしてみせる。
未だ心の片隅に残る迷いを振り切るため、小さく深呼吸をすると、私は前を向き再び歩き出した。
リオス様にドレスを見せるのは今日の夕暮れ時。
そこで全てを打ち明けて、王手をかけたいところ。
けど、その前にやらなければいけないことがある。
__二時間後。
「お待たせして申し訳ございません」
約束していた時間丁度に街中の馬車停留所へ向かうと、既にそこで待っていた御者のお爺さんの姿を見つけ、慌てて駆け寄る。
「気にしなくていいよ。どうせ暇人なんだから。」
お爺さんは深いシワが入った顔をくしゃりと歪ませ、優しい笑みを浮かべながら首を横に振った。
……そう。
やらなければいけないこととは。
それは、レーテ教について情報を探ること。
以前廃村を訪れた時、お爺さんのお孫さんがレーテ教と関わりがあると言っていた。
だから、折り入って会わせてくれることになったのだけど……。
「あの、お孫さんはまだ到着してないのですか?」
見たところ、それらしい人物は見当たらず私は周囲を見渡した。
「ああ。午前中の仕事を片してから来るとは言っていたんだが……」
そう言うと、お爺さんも不安気な表情で辺りに目を向けた時だった。
「爺ちゃんごめーん!遅くなった!」
遠くの方で何やら聞き覚えのある女性の声が響き、私は咄嗟に声のした方を振り返った瞬間、思いがけない人物が視界に飛び込み、目を丸くした。
「……リ、リリスさん!?」
「あれ?レーテ教のこと知りたい人ってクレスだったんだ」
なんと。
まさか、ここで彼女と再会するとは。
思いがけない偶然に暫く唖然としている一方、リリスさんはあっけらかんとした表情で軽く首を傾げてきた。
「なんだ、知り合いだったのか。それなら話が早いな。早速出発しよう」
そんな私達の様子を側から眺めていたお爺さんは、馬車の扉を開けると、中に入るよう視線を送ってくる。
「あ、あの。どこへ向かうのですか?」
まだ詳しい話を何も聞かされていないため、一人状況に付いていけない私は、馬車に乗ろうとするリリスさんの服の裾を慌てて掴んだ。
「私の生まれ育った場所。まあ、行けば分かるよ」
すると、リリスさんは屈託のない笑顔でそう答えると、颯爽と馬車に乗り込んだ。
とりあえず、言われるがまま私も中に入り、扉を閉めてから座席に腰を下ろすと、馬車はゆっくりと動き出した。
「ところでさ、あれからお姉さんとはどうなの?」
暫くの間馬車に揺られていると、何気なく尋ねられたリリスさんの質問に私の眉がピクリと反応する。
「えと……何と言いますか……。端的に言うと、決裂しました」
別に隠すようなことでもないので、おずおず答えると、これまで窓の外に向けられたリリスさんの視線がこちらに戻される。
「………………そっか。まあ、そうだよね」
そして、少しの間沈黙が続いた後、それ以上深く追求することなく、リリスさんはあっさりと頷いた。
「もしかして、この調査もお姉さんのことと何か関係があるの?」
しかし、今度は核心をつく質問が飛んできて、思わず肩が小さく震えた。
「そうですね。……詳細はお答え出来ませんが……」
とは言ったものの。
ここまで彼女と繋がりがあるのなら、この際もう打ち明けてもいいような気持ちはある。
でも、全てを話す勇気はまだ持ち合わせていないので、後ろめたい気持ちについ視線を落としてしまう。
「……あの、リリスさんの故郷ってどんな所なんですか?」
それから、若干気まずくなった空気を変えようと、私はふと思いついた疑問を投げてみた。
「あたし、実は孤児なんだ。だから、これから向かう先はあたしを育ててくれた孤児院」
すると、予想だにしない返答がきて、一瞬言葉に詰まる。
「でも、御者のお爺さんはリリスさんのことを孫だって言ってましたが?」
「ああ、あれは世話好きの爺さんが勝手にそう言ってるだけ。あたしは廃墟に捨てられていたみたいで、それを爺さんが拾ってくれたの。それからは、ちょくちょく面倒見てくれてたんだよね」
生い立ちを話してくれるリリスさんの表情は、相変わらず飄々としている一方。
思いがけず彼女の暗い過去を知ってしまった私は、またもや気不味くなってしまう。
「……それじゃあ、レーテ教とは……」
「それは、あたしの育ての親がそこの神父なの。現在は消滅したって言われてるけど、信者は完全にゼロってわけじゃないから、今でも細々と活動はしているよ」
それから再び話題を変えると、ようやく彼女とレーテ教との繋がりが判明し、納得した私は大きく頷いた。
こうして更に馬車を走らせること数十分。
ようやく目的地に辿り着いた私達は、御者のお爺さんをその場に残し、小さな教会の隣に併設された孤児院へと向かった。
「ネル爺久しぶりー」
「なんだ、リリスか。相変わらずお前は神出鬼没だな。数年振りだというのに、来るなら手紙の一つでもよこしなさい」
すると、丁度庭の手入れをしていた黒い祭服を着たスキンヘッドのお爺さんは、リリスさんの声に反応すると、深いため息と共に呆れた表情を向けてきた。
「爺さんまた禿げた?てか、暫く見ないうちに髪の毛跡形もなく消えてんじゃん」
「おい。数年振りに再会した言葉がそれか?高齢者には優しくしろとあれだけ言っただろ」
そして、まるでコントのようなやり取りを淡々と繰り広げている様子を隣で眺めていると、ようやく私の存在に気付いたのか。
ネル爺と呼ばれた神父様はこちらの方へと向き直し、軽い会釈をしてきた。
「これは挨拶が遅くなって申し訳ございません。私はこの教会と孤児院を管理するネルディアと申します。もしかして、リリスのご友人ですか?」
「は、はい。クレスと申します」
それから答えに迷う質問が最後に飛んできて、私は話を合わせるため、とりあえず首を縦に振り、深く頭を下げた。
「まさか、こんな綺麗で品のあるお嬢様がリリスの友人とは驚きだ。……それに、あなたがここへ来たのには、何か深い理由があるみたいですね」
「…………え?」
すると、まだ何も話していないのに、会って早々図星を突かれ、思わず表情が固まってしまう。
「とりあえず、孤児院は子供達がいるので詳しい話は教会でしましょう。リリスはお茶を用意してきなさい」
「ちょっと、あたしも客人なんだけど」
「屁理屈言わないで、さっさと持ってきなさい」
そんな私を他所に、まるで本当の親子みたいな二人の掛け合いが再び繰り広げられ、段々と緊張の糸が解れた私は、ネルディアさんに案内されるがまま教会の中へと入っていった。
教会の奥に進むと、正面には廃村で見た時と同じ。
壁一面に女神様の肖像画が描かれており、ここがレーテ教会であることが一目で分かる。
「……あの、なんで私が訳ありでここへ来たことが分かったのですか?」
リリスさんが席を外し、ネルディアさんと二人っきりになったこの状況に若干の気不味さを感じた私は、ひとまず最初に浮かんできた質問をしてみる。
「曲がりなりにも私はここの神父ですから。これがあなたの胸元に秘められた女神様のお導きだということは、すぐに分かりましたよ」
…………え?
てっきり”迷える子羊たちよ……”的なセリフが返ってくるのかと思いきや。
瞬時に秘密を暴かれてしまい、全身が凍りつく。
「それに、あなたはこの世界の人間ではありませんね。違う世界線から舞い戻ってきた、まさしくあなたの存在は奇跡そのものです」
そんな硬直する私に構うことなく、ネルディアさんはまるで全てを見透かした目で、恭しく頭を下げてくる。
「そ……そこまで分かるんですか?」
ここまで言い当てられてしまっては、否定することも出来ず。
私はあっさり認めると、弱々しい声で尋ねた。
「あなたの首元にあるネックレスはそれだけ強力な神力が込められた唯一無二な代物です。だから、扱いには十分用心して下さい」
すると、以前お母様に言われた台詞がここでも出てきて、思わず生唾を飲みこむ。
「このネックレスを持っていることは、そんなに危険なことなんですか?」
確かこれを渡された時、お母様は絶対に人に見せるなと言っていた。
それだけ、貴重なものなんだとは思っていたけど、並ならぬ気迫でネルディアさんにそう言われると、段々と怖くなってくる。
「昔そのネックレスの存在によって大きな紛争が起きましたからね。表面では財政難と信者の高齢化によってレーテ教は消滅したと言われていますが、真相は信者同士の殺し合いが原因で大半の人間をそこで失いました」
そして、衝撃的な事実を打ち明けられ、私は開いた口が塞がらない。
「そ、そんな代物が何故我がヘリオス家の手に……。これは昔ご先祖様がある神父によって譲り受けたと聞いたのですが……」
「………そうですか。まさか、ここでお目にかかることが出来るとは。これも女神様のお導きでしょうか」
「それは、どういうことですか?」
返ってきたネルディアさんの言葉の意味が分からず首を傾げると、何やら浮かない顔をされてしまった。
「その神父はレーテ教の惨劇を終わらせるために苦肉の策でそのネックレスの存在を散らしたのです。その流れ着いた先が、たまたまあなたのご先祖様だったのでしょう……」
そこまで話すと、ネルディアさんは言葉を詰まらせ、暫くの間考え込んでしまった。
「クレスさん。差し支えなければ、あなたのこれまでの経緯を私に話してくれませんか?」
そして、真剣な表情で尋ねられ、その気迫に押された私は徐に首を縦に振ると、躊躇うことなく事の発端を話し始めた。
「……そうですか。まさか、あれから長い月日が経っているというのに、未だあの惨劇が続いているとは……」
それから最初から最後まで起こった出来事を全て話し終え、ネックレスを見せると、ネルディアさんは意味深な言葉をポツリと呟いて押し黙ってしまう。
そんな彼の話に、私は引っ掛かりを覚えた。
「惨劇が続いてるというのは……私とお母様が処刑されたことは、お姉様だけが要因ではないということですね?」
薄々そんな気はしていた。
普通に考えれば、盗品のドレスをあんな公の場で披露するような犯人なんているはずがない。
加えて、必死で違うと主張している人の話を全く聞こうとしない強引さ。
まるで全てが仕込まれたように滞りなく処刑台へと連れられたことは、今でも疑問に思うことが多々ある。
つまり、本当の黒幕はお姉様ではないということ。
そして、その人間は間違いなく政権を握っている者。
「本当は、そのネックレスはこの世から抹消すべき物なのでしょう。けど、あなたの状況を考えると、それが命取りになる可能性は大いにあるし、女神様の魂を葬り去るなど言語道断。だから、今はその危険な奇跡に賭けるしかないでしょう」
ネルディアさんは私の質問を敢えて避け、代わりに厳しい現実を突きつけてきた。
ネックレスを持っていても手放しても命の危険に晒される。
とことん不運な運命に、私は深い溜息を吐いて肩を落とした。
「本当に人間はどうしようもない存在です。世の平和を願って蘇った女神様の魂がまさか破滅を導くなんて。その奇跡に限りがあるのは、きっとそれを危惧したものでしょう。その重荷をレーテ信者とは関係ないあなたが背負うことになるなんて……。だから、女神様はそんなあなたを必死で救おうとしているのかもしれませんね」
そう嘆きながら教えてくれたネルディアさんの話に、これまで暗闇に沈んていた謎が全て解明されていく。
お姉様の事情とレーテ教の惨劇が重なったことは、運命の悪戯なのかもしれない。
それでも、生き残れる術を手に入れることが出来たのであれば、もうなんでもいい。
「いいですか、クレスさん。くれぐれもレーテ教信者には気をつけて下さい。おそらく、その者が真犯人である可能性が高いでしょうから」
それから、忠告と共に大きな手掛かりを与えてくれたネルディアさんに感謝の意を込めて、私は静かに首を縦に振った。
「爺さんごめん。ガキ達の相手してたら遅くなった」
その時、教会の扉が勢いよく開かれ、振り返ると、そこには両手でお盆を抱えながら足で扉を支えるリリスさんが立っていた。
「まったく、神聖な教会の扉を足蹴りするとはなんという不届き者め。一体何を間違えてこんな野蛮な人間になってしまったことやら……」
「まあ、親の背中を見て子は育つからね。自業自得じゃない?」
リリスさんの振る舞いに嘆き悲しむネルディアさんを横目に、リリスさんはしれっとした態度で反論すると、そこから再び親子(?)喧嘩が勃発した。
それからは、お茶を飲みながらリリスさんの幼少時代の話を聞いたり、子供達と少しだけ遊んでみたりして。
暫しの穏やかなひと時に、少しだけ気が休まった。
◇◇◇
「リリスさん、ありがとうございます。おかげさまで貴重な情報を得ることが出来ました」
そして夕日が沈みかける頃、ネルディアさんと孤児院の子供達に別れを告げ、馬車に乗り込み街へと引き返す道中、私は正面に座るリリスさんに改めてお礼を述べた。
「それはよかった。それなら、またいつでも連れてってあげる。あんたが来ればネル爺と子供達も喜ぶだろうし」
そう言うと、窓枠に肘をつきながら、視線だけをこちらに向けて微笑んでくるリリスさん。
振る舞いは粗暴だけど、相変わらずの温かい優しさが身に染みて、私も自然と笑顔になった。
ネルディアさんの言っていた通り、もし黒幕がレーテ教信者だとしたら、それを割り出すのはかなり困難なことだと思う。
ましてや、城内の人間であれば尚更。
それでも、こうしてまた力になってくれる人が増えていくことに、募る不安が少しだけ和らいでくる。
女神様が私を救おうとしてくれるのであれば、きっとこの目的も達成することが出来るような。
そんな希望を抱きながら、私は夕日に照らされキラキラと輝く水面に視線を向けた。