1-2 無茶苦茶な宿屋
カラン、カラン……。
軽やかなドアベルの音が店内に鳴り響く。
「おっっっそい!!どこほっつき歩いてたのよ!!!!」
凄まじい怒声とともに、放たれたガラスのグラスは……。
「こんちは~…………痛っっ!」
店内にゆっくりと入ってきた(入ろうとした)、シンの顔面に直撃した。
「ぁ…………。」
気まずい空気が、店内を包み込む。
「ぇっと…………。……いらっしゃい!」
特上の笑顔で微笑む、宿屋の女将とおぼしき人物。
「おい、じじい!!何がいい場所だ!いきなりなんかで襲撃されたあげく、笑顔でごまかそうとしたぞ、あの女っ!!!!」
背後に立つ老人に向かって、喚くシン。
「ふむ……。あの台詞から察するに……人違いじゃろ。」
「人違いで済むかっ!」
若干、涙目になりながら顔を押さえるシンを尻目に、老人はすたすたと宿屋へと入って行く。
「あら、じいさん。どうしたの?」
先程の事故(襲撃)など、何もなかったかのように、にこやかに老人を迎える女将。
年齢は二十歳くらいだろうか?
一人で宿屋を切り盛りするには、いささか若すぎるような気もする。
「おう。確か、あんたが優秀な剣使いを探してた気がしたんでな。」
老人とは顔見知りなのか、幾分くだけた態度でエールの入ったグラスをカウンターに置く女将。
「おい、若いの。おまえさんもこっちに来るんじゃ。」
シンは、しぶしぶといった感じでカウンターに腰を降ろした。
「この子が、この宿屋『躍る春風亭』の主人じゃ。」
よろしく~。
とにこやかに微笑む女に、シンは強張った笑みを返した。
……まだ、鼻の頭がズキズキする。
「ちょうど良かった。部屋が一人分空いてたのよね。」
「ふむ、この宿屋は万年人手不足じゃと思っていたのしゃが。」
「昔の話よ。」
老人と女主人が、談笑している間に、シンは辺りを見回してみた。
若い女性が主人だけあって、店内は落ち着いた装飾で、宿屋につきものの酒場というよりは、庶民的な料亭とでもいった感じの空間が広がっている。
ただ、酒場の隅に無造作に立て掛けられている、明らかに実戦向きの長槍などが、酒場の柔らかな雰囲気をぶち壊しているが……。
……って、宿屋にまがまがしい長槍って!
なんか、後ろ暗いことでもやってんのか?
「それで、どんくらい滞在予定なの?」
突然、女主人がシンに話の矛先を向けた。
「ぇっと……特に予定はないけど……。」
「じゃあ、一年契約でいいじゃろ。」
老人が不思議なことを言った。
「一年契約?」
「まぁ、流れ者にはそんなもんじゃろ。……それとも、半年が良いのか?」
シンの疑問を勘違いしたのか、契約期間の長さについて答える老人。
「いや、だから、契約ってのは?」
一瞬の沈黙。
「おまえさん、どこか田舎の出身か?」
頷くシン。
「……じいさん、この子ダメじゃない?」
「いや。わしの目に狂いはない。」
「歳には勝てないんじゃないかなぁ?」
「いいや、間違いない。絶対に大物になるぞ!」
胡散臭そうな女主人と、力説する老人。
シンの知りたい答えはなかなか出てきそうにない。
「あのぉ~……?」
我を忘れて言い合う二人(特に、年寄り呼ばわりされている老人)に、恐る恐る声をかけてみた。
「おう。そうじゃった。」
老人が、シンを見てハッと我に返った。
「おまえさんでも、この国には、大きな軍隊がないのは知っているじゃろ?」
そう、この国には、小規模な軍隊しかない。
民の負担を極力減らすために、兵役を廃止しているからだ。
「確か、国の首都を護るのに必要最低限な軍隊と、それぞれの街や村を護る警護団だけしかないんだっけ?」
「そうじゃ。」
つまり、この国は驚くほど手薄な守りなわけだ。
「もちろん、軍隊の兵士達は全員が職業軍人になるわけで、他の国と比べても、強さは上なわけだけれど……数では明らかに他国に劣るわけなの。」
退屈そうにグラスを弄ぶ女主人。
「そこで、私達みたいな小さな団体ができたってわけね。」
「彼女達は、普段は宿屋などを営み、国の危機的状況には、それぞれが軍の小隊となり、兵隊として戦うのじゃ。」
シンには、話の流れがいっこうに読めてこない。
「わけが解らないって顔してるわよ?じいさんの説明が悪いんじゃない?」
「むう……。」
「ようするに、国に忠誠を誓う傭兵団ってとこかしらね。難しく考えなくていいわよ。」
つまり、平時は各自がばらばらに行動し、戦乱時には、国に仕える傭兵ってことか。
そして、俺は傭兵団に雇われる傭兵ってわけだ。
「あれ?だったら、なんで今みたいな平和な時に、俺を雇うんだ?」
いまのところ、他国と戦争を始めるという噂は聞こえてこない。
「まぁ、組織によっては、普段から『何でも屋』として活動してるとこもあるのよ。うちみたいに。」
「門のとこでわしが言った、魔物退治や、商人のキャラバンの護衛、あくどいとこでは暗殺なんかもやっとるな。」
「仕事は選ぶけどね。」
よくわからないが、いろんな仕事を請け負っているみたいだ。
「それで、契約ってのは、『何でも屋』のエージェントとしての契約ってこと。」
女主人が話を続けた。
「契約期間中、寝る場所と食事を提供するから、あなたは依頼をこなす。もちろん、依頼主からの報酬は八割あなたに渡すわよ。」
「まぁ、最近じゃと魔物退治が多いみたいじゃがな。」
「ふーん。おもしろそうだな。」
それに、寝る場所はともかく、食事が必ず食べれるというのが嬉しい。
ここ一年くらい、豆と干し肉の生活が続いてたからなぁ……。
「どうじゃ、若いの。試しにやってみないか?」
老人がシンに尋ねた。
「そうだな……おもしろそうだからやってみるかな。魔物退治なら割と得意だし。」
シンが答える。
「というわけじゃから、若いのを頼むの。」
老人が女主人に笑いかけた。
「う~ん……。ど~も頼りないのよね、この子。」
「まだ言うか。こいつは絶対に大物になるぞ!」
「全く、しょうがないわね。……とりあえず、一ヶ月間雇ってあげるわ。それで、使えそうならまた期間を伸ばす。……それでいいわね?」
女主人が眼光するどくシンを睨む。
「もちろん!」
即答するシン。
『絶対に大物になる』
初対面の老人がここまで言ってくれたんだ。
なんとかして期待に応えなければ。
それに、一ヶ月間も食事の心配をしなくていいとは!
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