2 カナリア、ありがとう
時を止める時空間付与を成功させたくて、放課後の図書館通いが続いています。ケントが卒業した為、絡んで来る人が居ないので心置きなく通っているのですが……今日はカナリアが一緒です。最近、なんか、ふと、視線を感じるというか、変な気配を感じる事が多々あるのを相談したら、放課後の図書館に付き合ってくれる事になりました。
「取り敢えず、可笑しな人は見当たらないわね。出入り口は此処しか無いし、私はこのラウンジでゆっくりと監視してるから、マルガリータは勉強していらっしゃい。(笑)」
と微笑むカナリアに感謝して、何時もの場所に向かいました。因みに、飲食を提供するのはラウンジのみです。カナリアは紅茶を飲みながら、出入り口の見えるラウンジで読書するそうです。
時間の概念などの研究資料集を求めて、第二閉架書庫に向かいます。常連になりつつあるので、司書とも顔馴染みになり、いつも通りに鍵を開けて部屋に入りました。簡単には手に入らない属性だからか、時空間の研究はそれ程人気が無いらしく、入室リストには私の名前ばかり続いています。
『自分の持っている属性が、付与には影響が大きい。逆を言えば、自分の持っていない属性を付与するのは難しい。と言うより、不可能に近いという事である。』
という文章が、付与魔法の本に度々出て来ます。空間も時も基本属性には含まれないので、先天的に持っている人は珍しいのです。私の空間属性は空想力と努力の末に発現しました。ですが、時属性はきっかけすら掴めません。そこで、こうして勉強を始めた訳ですが、希少な属性を得る事の難しさを知った今では、空間属性を得られた事はつくづく運が良かった。と思い知らされました。
これだけ資料を読むと、後天的に属性を得る事の難しさが分かりますね。知らない事の強さ。ってあるのですね〜 と独り言を呟きながら資料の続きを読んでいると、背後から鼻と口を布で覆われ、臭い何かの気体を吸い込んでしまったら、目の前が暗くなりました。
カナリアがラウンジで寛ぎながら出入り口を見ていると、人が一人、入りそうな大きさの箱を積んだ台車を押して入って来た人がいます。受付で話しをしているので、職員か業者のようですね。台車を押して書庫の方に消えたので、何気なく見送り、また本に目を落としました。
照明の色が変わり、そろそろ閉館かしら?と顔を上げると、丁度、先程の大きな箱を積んだ台車が出口を出て行く所でした。時間を確認して、職員に声を掛けて第二閉架書庫に向かうと、鍵は空いたままで、中に人影はありませんでした。マルガリータが鍵を開けたままで部屋を開けるなんて?と不思議に思いながら他を探してみても、マルガリータの姿は何処にも見つかりません。
慌てて職員を捕まえ、職員総出で探しましたが、館内の何処にもマルガリータはいません。出入り口を通ったのなら私に声を掛けない訳は無いのですが、念の為、寮に遣いを走らせましたが、やはり、帰寮していませんでした。
寮監先生を通してマルガリータの父親にも連絡してもらい、駆け付けたドゴール伯爵からタウンハウスにも帰っていないと聞いて、ふと台車に載った箱を思い出しました。閉館間際に退館した人について職員に詰問すると、学院の先生から頼まれて資料を納めに来たと手続きした事を突き止めました。
ドゴール伯爵は、駆け付けたカナリアの父親と一緒に、学院長の部屋に乗り込み、図書館の職員から聞き出した教師を呼び出すように詰め寄りました。相手は付与魔法の講座を開いている教師のバスター・チャロ先生です。父親二人はマルガリータが空間付与を成功させた事を知っているので、誘拐や拉致監禁を心配していたのですが、それが現実になってしまったのです!
学院長が呼び出しを掛けた所、既に部屋はもぬけの殻でした。バスター先生の家を捜索すると、隣国に家を買った形跡が掴めたので、国に連絡して、隣国に捜査の手を伸ばしてもらいました。幸い? バスター先生は悪事に染まっていなかったようで、あちこちに痕跡を残していたので行き先は見つけ易かったのです。
目が覚めると、箱?の中でした。揺られては前後左右の壁に身体がぶつかっていたので、その痛みで目覚めたようです。書庫で嗅がされたのはきっと眠り薬だったのでしょうか? どうやら私は誰かに拉致されたようですね。多分、あの嫌な気配の正体に拉致されたのでしょう。箱?の中は暗く、自分の手ですら見えません。あれからどれぐらい時が経ったのか、今、何処にいて、何処に向かっているのか、何一つ分からない事が不安を増長させます。
どの位時間が過ぎたのでしょうか? 喉が渇き、お腹が空いて、気分も悪くて、意識が朦朧として来ました。時折、動きは止まるものの、何も聞こえず、誰も来ません。もしかしてこのまま殺されるのかしら?
ボウッと何度か目覚めた時に、たまたま振動が止まり、床が傾きました。力なく、底に蹲ったままの身体が、何の抵抗も出来ずに壁にぶつかります。痛いのですが、うめき声を上げる気力すらもう有りません。
ユラユラとしてましたが、ドスンと降ろされ、浮き上がった身体が底に打ち付けられました。痛みに気を失う直前、知っているような声を聞いた気がしました。
バスターの残した多くの痕跡から捜索は着々と進んでいましたが、それでも、マルガリータの救出には2ヶ月程掛かり、救い出されたマルガリータは痩せて、自力で動けない状態でした。因みに、バスターも別の場所に監禁されている処を見つけられました。
今回の事件のきっかけは、たまたま魔石工房ギルドの主催する飲み会に参加したバスターが、お酒に飲まれて、空間付与に成功した学生の話をしてしまった事だそうです。それが回り回って隣国の貴族にバレて、貴族の配下に見張られていたバスターからマルガリータが見つけられて、教師共々拐われたのだそうです。
マルガリータは薬を嗅がされて体調を崩した上に、丸3日も飲まず食わずの状態で隣国に運ばれた為、箱から出された時には生死を彷徨う危険な状態だったそうです。騙されたバスターも自分達の扱いに不審を覚え、『マルガリータの健康を取り戻す迄は何も協力出来ない。』と強気で反発してくれたそうです。
直ぐにでも空間付与をさせて、大金を稼ぎたかった貴族は大反発したらしいのですが、ナイフを突き付けて脅してもバスター本人には空間付与が出来ない事が理解?出来て、マルガリータが死ねばどうしようも無い事が理解出来て、やっと、マルガリータの回復に力を入れ始めた所の発見だったとか。
1ヶ月以上最低限の栄養しか与えられず、意識が朦朧としたまま治療もされずに、ベッドに寝かされていただけのマルガリータは、ずっと死ぬ事と向かい合う毎日でした。
付与魔石を作らせる為にやっと治療が始まり、意識が戻ってからは、領地にいた頃は大好きな両親に見守られて勉強し、安全に暮らしていたなぁ。とか、ケントと婚約解消してからは自由で、学院生活も楽しくなったなぁ。とか、楽しかった記憶が甦る事も僅かでは有りましたが、起き上がる事さえ自力で出来ない現状に、鬱々した感情に支配される時間の方が多くなってました。
助け出されて、隣国から戻ったマルガリータをカナリアだけが会う事を許されたのですが、明るかった性格が消えて、不健康なまでに痩せ細ったマルガリータに、カナリアは抱きついて泣くばかりでした。
救出された後、母親のいる領地でのマルガリータの療養の話に反発したのはカナリアでした。まだ意識が飛びがちのマルガリータから了解を得て、寮に来た母親からの手紙をドゴール伯爵に見ると、『マルガリータの嫌がるケントとの復縁を結ばせる気ですか!』と言い切ったのです。
因みに、ケントは未だに、『自分は魅了に操られていた被害者だ。』と自分の母親を通じてマルガリータの母親に訴えているようです。マルガリータと長年婚約していて、『子爵を継ぐ兄より上の身分になる。』という優越感で育って来たせいで、『マルガリータは自分に夢中だから、マルガリータの為に復縁してやるんだ。』という自己中な妄想に固まっているのです。現実的な処、今のままでは兄が子爵を継いだら平民になってしまうので、マルガリータと結婚して婿入りし、伯爵になるのを諦められないのでしょう。
コレらの内容を繰り返し書いて来ては、『マルガリータの為に言ってくれているのだから素直にケントと復縁しましょう。』と手紙を送ってくる母親に、マルガリータは苛立っていて、カナリアはよく慰めていたのです。だから、
「学院にいる間は王都から出ない。喩え再び申し込まれても、タウンハウスを通せば父が断ってくれるから、新しい婚約者が決まるまで、私は領地には戻らないつもりよ!」
というマルガリータの決心を何度も聞いていたのです。マルガリータに送られた妻の手紙を初めて読んだドゴール伯爵は、うっすらと涙を浮かべて、
「マルガリータは学院で良い友を得たようですね。マルガリータを取り戻せた件についても、カナリア様には感謝の言葉しか有りません。本当にありがとうございます。
大丈夫です。マルガリータはタウンハウスでゆっくりと休養を摂らせましょう。ふざけた妄想に取り憑かれている妻の居る領地になど戻しません。
王都のタウンハウスになら、カナリア様をご招待しても構いませんか?」
と、カナリア様にお伺いを立てるのでした。
メイスンはマルガリータの拉致監禁の話を聞いて、直ぐにでも休暇を取って隣国に探しに行くつもりでした。ですが、国を跨ぐ内容に上司から待ったが掛かり、王都に足止めを食らいました。ドゴール伯爵が隣国に行って自分の娘を連れ戻すのと、近衛騎士が隣国に乗り込むのとでは、隣国の対応が変わるからです。
隣国では『ドゴール伯爵が娘の為に国を動かした。』と、親子愛を大々的に受け止めて、大変協力的でした。……偶々、マルガリータを拉致監禁した男爵が、悪どい事を繰り返してブラックリストのトップを飾るような貴族だった事も無関係では無かったと思いますが、さっさと拠点を炙り出してくれました。
マルガリータは健康状態は兎も角、生命があって戻って来たので、早速、お見舞いに行こうとしたのですが、今度は妹に止められました。
「メイスン兄様、現状ではまだ会えないですよ。私の口から伝えて良いのか判りませんが、マルガリータの今の外見では面会謝絶です。体調が戻ってからでも遅くはないですから、もう少し待ってあげて下さい。
もし、私がマルガリータだとして、誰かに会いたい状態かと聞かれたら、誰にも会いたくない。と言うと思います。特にあんな酷い状態で異性には会いたくないですよ。
せめて、以前の外見。以前の健康を取り戻してからの方がマルガリータも喜びますよ。」
正論だ。正論ではそうだが、間に合うのか?
「だが、その待っている間に誰かに取られたらどうする? 卒業式には私がエスコートして出たいのだ。政略と思われないようにマルガリータの心を掴まえてから告白する予定なのに、会えなくては……」
2ヵ月以上も会えないので焦る私に、カナリアはなおも言うのだ。
「メイスン兄様。取り敢えず、マルガリータはお出かけの際は、私の為に兄様が付いてくると思っていたぐらいでしたから、マルガリータには兄様の気持ちが伝わっていません。ですから、何時始めても同じです。焦らないで下さい。
それに、今のマルガリータには婚約を考える余裕など全く有りませんから。政略だろうが何だろうが、親を落としてから、外堀を埋めて行くのが大切です。現状では父親は反ケントの代表です。そして、私には好印象を抱いて頂けておりますから、私の兄という時点でどなたからも一歩有利な位置におります。
そうだわ! 兄様を利用したヘンケル様にお知恵を拝借してみたら如何ですか?」
「はっ? 何故ヘンケル? ヘンケルは学院でカナリアを見初めたと言っていた。お前は学院で口説かれていたのでは無いのか? 何故、そこに私が出て来るのだ?」
実は、私の婚約者のヘンケル様はメイスン兄様の2歳下の近衛騎士です。この春に申し込まれて婚約しましたが、キッカケはお酒に呑まれたメイスン兄様です。宴席からタウンハウスに送って来られましたのがヘンケル様で、甲斐甲斐しく先輩騎士の介護をする姿に、アラアラと母の目を引かれたのがキッカケで、気づいた時には家を通じて婚約を申し込まれていました。兄様の介護で母の好感度が上がっていた上に、同じ侯爵家の嫡男と言う事もあって、あっと言う間に婚約が決まりました。来年、私の卒業と共に式も決まっております。やる事がスマートなのです。
実直な事が一番の取り柄の兄様には難しい課題かもしれませんね。取り敢えず、兄様はほっといて、私はマルガリータのお見舞いに行きましょう。
今回の件で解雇されたバスター先生は、ドゴール伯爵家で雇う事にしたそうです。『野放しにしてマルガリータを脅威に晒す心配を増やしたく無い。』というドゴール伯爵の意見が優先されました。マルガリータが生きていたからの措置ですね。マルガリータがもし亡くなっていたら? バスター先生は男爵家なので、まぁ、そういう事になっていたでしょう。
タウンハウスで療養を始めてから1月程過ぎた頃に、領地からバレリー夫人が駆け付けて来ました。ドゴール伯爵はマルガリータの拉致監禁をワザと知らせなかったそうです。ドゴール伯爵に
「マルガリータは約3ヶ月も音信不通だったのに、心配にならなかったのか?」
と問われると、
「ケントと婚約解消してから、半年に1通ぐらいしか返事が来ないし、お休みでも戻って来ないのだもの。」
と憤ったそうです。バレリー夫人はマルガリータの病室の入る前に夫から、『ケントの事は口にしない事』『どうして拉致されたか質問しない事』など、マルガリータに聞かせてはいけない注意事項を繰り返し暗記させられて、ぐったりして会いに行くと、そこには想像より酷い状態の娘が寝ていました。
想像以上の健康状態に、悲鳴を上げそうになって、ドゴール伯爵に口を抑えられたまま廊下に連れ出されました。泣き出したバレリー夫人を執務室まで連れ戻すと、
「だから、領地には連れ出せないのだ。隣国から此処に連れ帰るのに、通常の4倍程の時間が掛かった。王家の馬車を借りられたから、4倍程度ですんだのだ。
バレリー、それよりも、この手紙の内容について問い質したいのだが?」
と言うと、マルガリータ宛のバレリー夫人からの手紙を取り出した。
「あの婚約は私とペノッカ子爵との間で、解消と決定して既に終わった筈だ。アレとの婚約のせいで、マルガリータがどれだけ辛く大変だったか、領地にいるお前達には理解出来ないようだな。」
机の上に投げ出された手紙を見て、バレリー夫人はどうして此処に私の手紙が?という表情をした。
「マルガリータの療養の場所の話になった時、寮で同室の侯爵令嬢が教えてくれたのだよ。解消されてホッとした筈のマルガリータが憂い顔になる事が度々あったと。マルガリータを心配して相談して欲しいと促して、やっと聞き出した内容がその手紙だ。
マルガリータは、アイツの将来の為や、お前達の友人ごっこの為に存在している訳では無い!お前の優先順位の中で、マルガリータの位置はそんなに低いのか⁉︎
マルガリータの幸せを害するのなら、私は妻よりも跡取り娘を選ぶ。」
ドゴール伯爵が辛そうに言うと、バレリー夫人が、
「だって、ケントはマルガリータをを愛しているのよ。マルガリータもそうでしょ? だから、あの女の影響が消えたケントがやり直すと言ってくれてるのに、マルガリータはどうして拒むの?
私もミリヤもケントとマルガリータの復縁に賛成して上げているのに。母親同士が祝福しているのよ。マルガリータが何を我慢して婚約を解消したのか、私達には理解出来ないわ。
貴方達が婚約を解消したのよ。マルガリータの幸せを奪っていいの!?」
泣き声が途中から叫び声に変わった。ドゴール伯爵は冷静に
「マルガリータは最初の1通以外、お前に返事を書かなかったそうだな。マルガリータはまだ体調が戻ってないから、代わりに同室の令嬢から詳しく聞いたよ。
アイツは学院でマルガリータに素っ気なかったそうだ。そのうち、友人と言ってマルガリータに寄生した虫の影響を受けるようになり、マルガリータへの態度は悪化したそうだ。あの食堂の事件の時も虫に寄り添ってマルガリータを貶めたそうだ。
マルガリータの一言で魅了がバレて虫に監視がついて近寄れなくなると、魅了の力から解放されたのか、アイツは恥ずかしげも無くマルガリータに付き纏い始めたのだ。兄が子爵家を継ぐと、自分は平民になると思い至ったようでな。周囲には、マルガリータがアイツに惚れ込んでいると言い募っていたそうだが、マルガリータの態度を見て、信じる者は誰も居なかったそうだ。
学院で失敗したアイツは、自分に甘い母親を使ってお前に取り入ったのさ。お前の親友とやらも、自分の息子を伯爵にしたくて口裏を合わせたのだ。
お前が知ろうとしなかったマルガリータの真実がコレだよ。
お前はコレを知った上で、マルガリータとお前の親友のどちらを選ぶのだ?」
ドゴール伯爵はバレリー夫人が何を叫んでも聞かず、訥々と自分の話しを貫いた。バレリー夫人は、
「そんな筈ないわ。マルガリータはケントを愛しているのでしょう? ミリヤが私に嘘を吐くなんて、信じられないわ。あり得ないわよ…」
と呟いたのを聞いたドゴール伯爵は、
「そうか。お前は自分の産んだ娘より、狡賢い親友を選ぶのだな。お前の気持ちはよく分かった。
今すぐ領地に帰り蟄居するか、離縁して実家に帰るかを選べ。此処にはお前の居場所は無い。」
と言い切ってセバスを呼び、領地からついて来た使用人に持って来た荷物をまとめさせた。バレリーは『ミリヤが言ってるのよ。嘘じゃ無いわ。』などとブツブツ呟くだけで、答えを出さなかった。
タウンハウスを出された一行は、仕方なく領地に戻ったものの、伯爵の指示を受けた執事により、離れに押し込められた。バレリー夫人付きの使用人は数を減らされ、夫人と共に離れに軟禁される事になった。元々、領地経営もしていないし、ミリヤと会うぐらいしか社交もしていなかったので、使用人を減らされて蟄居させられても問題は無いのでした。
それよりも、ミリヤ夫人に不要な情報を与えては不味いので、ペノッカ子爵家との遣り取りは固く禁じられたのでした。…それでも、こっそりと手紙を出そうとしていましたが、バレリー夫人の味方をする使用人は居なくて、全て、ドゴール伯爵に届けられました。