辛酸Part1
初めて小説家になろうで小説を書かせて頂きました。初めてなので文章におかしい点が見つかるかも知れませんが、暖かい目で助言をくださると幸いです。
この春、大学受験を失敗し、またもや志望大学を再受験をすることになってしまったこの私、楠根俊介は、いつもの通っている予備校への通学電車で、勉強に使う参考書や授業のノートなど何も読んだりも眺めたりもせず、ただ何も考えずぼーっとしていた。ぼーっとしている間に考えてしまうことは、自分の過去の過ちや後悔を、電車に乗っている通学時間幾度となく呪いのように頭の中に浮かんでしまうのです。
ある休日の登校日、自分が通学時恒例のようにぼーっとしていると、向こうの目線に明るく活発で4から5歳程の年頃と見られる幼い女の子と、20代後半から30代前半と見られる年頃の母親の二人の親子が楽しそうに会話しているのを自分の目に入りました。
その親子を眺めていると自分は妙に複雑な心境に陥りました。その時きっと自分は羨ましいと思ったでしょう。いや、羨ましいと思ったに違いない。その親子を眺めている間に自分は、あぁ、あの頃に戻れたらどうなっていたのだろうと物思いにふけるほどでした。
何故その親子を羨み、自分の人生を悔やむようになったのかその経歴や自分の犯した罪を話すとしましょう。
2002年の7月14日、私は大阪府にある病院で生まれました。私は幼き頃初めて自分が生まれた頃のアルバムの写真を目にし、その写真には自分の両親2人と赤ん坊の自分と一緒に笑顔で写っていました。一件微笑ましく普通の家庭のように思えるかもしれませんが、実際はそうではありません。
私の母はいつも『世の中金が1番大事』と言い張る人で、幼い頃私の『命はお金よりも大事』という純粋で無垢な主張をも打ち砕くような大人気ない人でした。私の父と結婚した理由も一般人よりお金を多く持っていたという理由で結婚したと私の前で言う人でした。おまけに極度な貧乏性で、私が昔コンビニでお菓子を買ったことを知った母は、高々コンビニでお菓子を買ったぐらいで、物価の高いコンビニより物価の安いスーパーで買いなさいと叱りつける程貧乏性でした、その母の極度の貧乏性の影響で私にもその貧乏性が伝播してしまったのです。
私の父も父で物事を色々と面倒くさがる性格でした。家庭内事情で頼まれたことを面倒くさがって母に押し付け、母に押付けたのにも関わらず感謝もせず文句を垂れ流し避難するような、『クズ』と形容してもおかしくない人でした。それでいて父はヘビースモーカーで、私が喘息持ちだと知っているにも関わらず私がいる目の前で煙草を吸うような迷惑な父でした。唯一もの救いは、父は性格が面倒くさがりってだけで気性が特に荒くなく、煙草を自分の目の前で吸っていることをきつく指摘しても逆上せずただ面倒くさがって文句を垂れ流す程度でいつも済んでることです。私としては母以上に父の方が断然に嫌いでした。物心ついた頃には病死してもいいと思えるくらい呆れ果てていました。
当然母と父は夫婦仲が悪く、夫婦喧嘩するのが日常茶飯事で、とてもアルバムの出産時の写真のような夫婦には見えない有様でした。私はその2人の夫婦喧嘩を見ていていつも嫌気が刺していました。早く大人になってこの家から出ていきたいと思えるほどでした。
今思えば私は親に恵まれなかったのだろう。だから電車で見かけた親子を羨んでしまった。
ただ親に恵まれなかっただけならどれだけ幸せだったのだろう。親に恵まれなかったというのは私の人生の不幸話として序章に過ぎなかったのです。
次の辛酸のPart2を投稿するのは面倒臭いので当分先になります。こんなつまらない私の小説を楽しみにしてくださっている方がもし居たのなら大変申し訳ありません。