1 『泥の血』
当座の新作です、序章のみ書き上げておりますので以降は余裕を見て書いていきたいと思います。
「もう一度……お願いできますかな、司祭様」
震える声でベイクス公爵は司祭に尋ねた。横には、顔面を蒼白にして堪えきれない恐怖に震える青年が一人いる。
この答えだけは聞きたくない、何かの間違いであって欲しいと願うが、目の前の水晶には何の変化も起こらない。
「残念ながら、ノア・ベイクス公爵子息は『泥の血』です。魔力を保有していません」
指先から冷え切って側から見てもガタガタと全身を震わせた青年……ノア・ベイクスはがくりと膝をついた。
ベイクス公爵はすらりとした長身にグレーの髪を後ろに流し、口髭を蓄えた見目のいい男だったが、その顔を苦悶に歪め、隣で膝をついた息子を蔑むような目で見た。
司祭に一礼すると、腰を抜かしたノアを文字通り引きずって聖堂を出る。階段から突き落とすようにして馬車の前に転がしたノアを無理やり馬車に乗せ、城に向かった。
この国の貴族階級は、魔法が使えることが絶対条件である。
使えない者は『泥の血』と呼ばれて、平民落ち……もっといえば、農奴に落とされる。それほど、貴族で魔力を持たないというのは不名誉で、無能で、生きているだけで恥であった。
魔法王国・ヴェルペイン。貴族は民に魔法で恩恵を与え、恩恵を受けた民が税を納める。
自ら家を去る貴族もいる。次男以下の貴族の子息は、冒険者として名をあげる事で叙勲されて新たな貴族になる可能性があるからだ。
他にも錬金術、回復魔法による医療、神殿に入っての聖魔法の鍛錬、様々な道がある。
平民に魔力を持つ者が現れれば、その者はその領地の主人に養子として引き取られて貴族として生きる。
魔力測定は16歳にならないと出来ない。それまでは魔力量が変動するため、神童と呼ばれるほどの魔力を有していた子供が、大人になれば魔力量が下がっていた、なんて事もある為だ。
「ノア、分かっているだろう。これは最早変えられぬ。貴様は我が家の恥だ。——このまま王城へ。謁見を申し込む」
畏まりました、と御者がいい、貴族街を抜けていく。
ノアの震えは止まることがなかった。当たり前だ。今まで貴族として生きてきたのに、農奴に落ちるのだから。
「……お前は勘当だ。公爵家として陛下にその旨を報告せねばならん。いい加減その震えをなんとかせぬか」
「はい……、父上」
ノアはぎゅっと両手を握りしめた。
烏の濡れ羽色の髪に、アメジストの瞳のノアは、こんな情けない状態でなければ貴族の子女が放っておかなかっただろう。
魔法さえ使えれば。
背も高く文武両道で、剣と弓の腕は特筆すべきものがある。流鏑馬でも的の真ん中を射抜く事ができ、強弓も引ける。政治にも詳しく教養があり、見目も美しい美男であるが、今後はそんなものは関係ない世界に行く。
泥の血として、土を耕し、給金はなく、寝床はタコ部屋だ。
魔法が使えないというだけで、貴族にとっては大罪人である。
今から行く謁見室には、王族特有の魔力によって若い姿のまま80歳を超える王がいる。
一説では、王族は必ず何かしらの魔眼を持っていて、泥の血は生まれる事がないという。
王族に血の近い公爵家から輩出された『泥の血』のノアは、国王によってあらゆる痕跡まで抹消される事になるだろう。
(嫌だ……)
ノアは頭の中がその言葉でいっぱいになっていた。
しかし『泥の血』は覆らない事実。
これまでの努力など、全て無に帰す。
震える手足を叱りつけて、馬車から降りる。
父上と呼んでいた人は、もう振り返りもしない。ノアに無価値を突きつける。
この運命に抗うことはできない。魔力を持たない貴族は罪人。
魔法王国・ヴェルペインでは、そう法で定められている。