10
「ユーノ! レスファート!」
蹄の音を聞き付けて、イルファが火の側から立ち上がった。
軽く息を切らせながら、ユーノは馬から降りてレスファートを抱え降ろす。
「え…レス?」
ぎょっとした顔でイルファが焚き火の側の少年を振り返ると、まさに陽炎のように揺らめきながら消えていくところ、やがて薄緑色のしなやかな体躯を持った獣に変わる。
「な、何だ?」
イルファが身を引きながら声を上げた。
「何だよ、こいつは!」
「草猫だよ。レスに化けていたんだ」
「眠っているのか? いや……凍りついているようだぞ」
ユーノの声におそるおそる近寄ってみる。
「ぼく、わかるよ」
ユーノの腕から離れたレスファートが草猫に近寄り、いとしむようにそっと触れた。優しい手付きでぴくりとも動かない体を頭から背中へ向けて撫でて摩る。
「長い……長い夢を見てたの。草猫たちの王国が栄えて、やがてほろびたの。金色の波がよせてきて、みんなぜんぶ……流していってしまったの」
レスファートの瞳に涙の粒が膨れ上がる。
「それでもこの世界にいたくて、へっていく仲間を、もう、失いたくなくて」
少年の姿を模していた草猫が、レスファートの掌の下からみるみる輪郭をぼやけさせて、草の中へ溶け落ちていく。行き場をなくしたレスファートの指先が空に浮いて、ついには何も触れなくなる。
「かなしくて…それで…ぼくをよんだ…」
レスファートは指を止める。ユーノを振り仰いだ瞳から、きらきらと焚き火の光を跳ねて涙が零れ落ちた。
「でもぼく………王様にはなれなかった……だって…ユーノが……すきで」
頬を伝う涙を堪えようとするように、小さな唇が噛み締められる。
「レス…」
「草猫たちより、ユーノをえらんだ……ぼく……」
首を傾げる。
「悪いこと…したんでしょ…?」
「そ、そんなことはない」
イルファがおろおろした声で否定する。
「そんな身勝手な願いなど、叶える必要は」
「でも……ぼくが応えなければ……」
草猫たち、ちゃんとあきらめ、ついたよね?
「レス」
ユーノはそっと腕を広げて背中から少年を抱きかかえる。
「レスはまだ小さいんだ」
深く頭を下げて震える髪に唇を当て、慰める。
「誰かの運命を背負うことは、大人にだって難しいよ」
「でも…」
レスファートはしゃくりあげながら、ユーノの腕を抱えて背中を強く押し付けてきた。
「ぼく」
できると思ったんだ。
できると思ったのに、できなかった。
「………ぼく……」
なんで、こんなに小さいんだろう。
「おおきく、なりたい」
だれかのうんめいをせおえるぐらいに。
「レス」
胸が詰まってユーノはレスファートを抱く腕に力を込める。
「十分だよ」
囁いたことばが自分の胸の奥に響く。
「十分頑張ってるから」
きっとユーノだってそう言って欲しかった、自分の無力に竦むたび。
「十分にボクを助けてくれてる」
「……ユーノを?」
「うん」
レスファートが居てくれて、ボクはどれだけ諦めないでいられるだろう、とユーノは続けた。
「もうだめだと思っても、レスが居ると思うと、まだ大丈夫だって思えるよ?」
「だいじょうぶって?」
「そうだよ」
だからレスはボクの最後の砦みたいなものだよ。
ユーノは静かにレスファートの体を揺すった。宥めるように慰めるように。
「最後の砦を失ったら、ボクは大怪我しちゃうんだけど?」
「……いや」
ぞっとしたようにレスファートが体を震わせる。
「そんなのいやだ」
「ボクも嫌だ」
だから、レス、ボクをちゃんと支えていてね?
「…うん……」
ほっとしたように頷いて、レスファートがぎゅっとユーノの腕を抱き直したとたん、イルファがひょいと顔を上げた。
「アシャ!」
「……終わったぞ」
はっとして振り返ったユーノの目に、闇の中から唐突にアシャが姿を現す。
「無事だったのか!」
「当たり前だ」
いそいそと近付くイルファに苦笑する顔は心なしか青い。
「もう、草猫達が悪さをすることはない」
「んなことはどうでもいい!」
イルファががばりと両腕を広げ、今にも抱き締めてきそうに近付くのに、アシャがぎくりと立ち止まる。
「俺はお前に何かあったかと心配で心配で!」
「嘘つけ」
「嘘などついてないぞ、今ほら、気持ちを行動で証明」
「しなくていい」
引きつった顔でイルファの腕を押し退けるようにユーノに近付いてきたアシャがレスファートの涙に気付き、瞳を和らげる。
「レス? 大丈夫か?」
「草猫……やっつけちゃったの?」
「……いや」
一瞬暗い影がアシャの顔を掠めた。
「当分大人しくしていてほしいと説得してきた」
「なるほど、旅人というものは動物とも話せるようになるのか」
「…ならない」
わかったように頷くイルファにアシャが溜め息まじりに応じる。
「ああ、でも」
ユーノはその場の雰囲気を巧みに逸らせようとするイルファの配慮を感じた。
「アシャならできそうだよね」
「だろ?」
「俺は何者だ」
突っ込み返して、なのに一瞬それはなぜかアシャにとって痛いところを突いたらしい。ぴくりと顔を引きつらせて、ああ、腹が減った、何か残ってるか、と火の側に腰を降ろした。
「あるぞ、ほら、ペク焼きの肉」
「……食わん」
「じゃあぼくが食べる」
レスファートがユーノの腕から離れて手を伸ばした。
「じゃあ、俺ももうちょっと一緒に食うかあ」
心配したら腹が減ったからなあ。
笑うイルファに、イルファ、はたらいていないのに、とレスファートが突っ込み、まあまあと2人で火の側で食事を始める。
それをどこか虚ろな顔で眺めていたアシャはしばらく黙って水を呑んでいたが、やがてイルファとレスがたらふく食べて、お互いくっつきあって眠りについてしまうと、深く重い溜め息をついた。




