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「レス!」
ユーノの低くて鋭い声が草原を渡る。
群れをなしてアシャ達を見つめる草猫達の後ろから、小柄な姿が浮かび上がって前に立つ草猫の隣に並んだ。
まるで夢を見ているように、熱に浮かされた表情をたたえたアクアマリンの瞳がぎらついている。いつも聡明な気配で引き締まっていた唇が半端に弛んで、年齢に不似合いな蠱惑的な微笑が浮かんでいる。
「彼らは孤独なんだ」
幼いレスファートには決して出せない、深々と響く自信に満ちた声音。
「彼らは迷っているの。ぼくの心に話しかけたの。寂しいって。主人がいなくなったって。ぼくなら、彼らの心を読める。彼らの気持ちがわかる。だから彼らの王にふさわしい」
平板ではっきりとした、なのに舌足らずなことば遣い、自分の意志ではない何かに操られているのに気付かない熱に輝く瞳に、ユーノがレス、と呟いて身を竦めた。
「心を読めるのを逆に使われたんだ」
ユーノが怯えた顔で振り向くのをアシャはまっすぐ見返す。
「ラズーン支配が届かなくとも、統治を放棄したわけじゃない。草猫達にはわかっていない」
ことばに含めた謎を読み取ったのだろう、何か問いたげに開いたユーノの唇、だが続くはずの問いは無理矢理逸らされ置き換えられる。
「このままだと……レスはどうなる?」
単純な問いかけの形をとったそれを、アシャは苦笑で迎えた。
人間に知られていないはずの草猫の生態をわかっていなければ応えられぬ問い、それに答えを持つことはアシャが特殊な立場にあること、単なる旅人ではないことを証明すると知っている。
(頭がいい)
苦笑いを広げながら、アシャは答える。
そうだ、もちろん、アシャはその知識を備えている。
「………草猫は草を常食にしている。しかし、レスが草以外の食事を必要としているのはわかっていないに違いない」
「じゃあ、レスは」
それでもユーノはアシャに追及を向けなかった。気遣わしげに見やる視線の先には、草色の仮面をつけたままプラチナブロンドを風になびかせ不安定に揺れているレスファートの体、寄り添うような若い草猫を睨みつけたまま、問いかけて、口を噤む。
「あの興奮状態が続いている限り、体力の衰えはわからないだろう。倒れるまで草猫達の熱に魅せられたままネークの草原を歩み続けることになる」
答えに、唇を引き締めたユーノが絡みつく草を引きちぎるように無理矢理1歩、草猫達の方に歩み出す。はっとしてユーノの側へ歩み寄ろうとする、同時にレスファートが片手を上げて無造作に振り降ろした。
「ユーノ!」
「、つっ!」
さきほどからの光球が、またひとしきりユーノの周囲に降り注ぐ。
とっさに伸ばした指先を掠め、ユーノの髪の毛を焼きそうな近さに落ちたそれに、ざわりと体の内側が身震いした。ぎょっとして目を見開き、動きを止める。
コロシテヤル。
(馬鹿、な)
身内に走ったのはいつか味わった凶暴な衝動、ユーノを傷つけようとした相手に容赦なく牙を剥きそうな野獣の気配。歯を食いしばり踏み止まる。
(なぜ、これぐらいで)
今にも目覚めそうな状態になってしまうのか。
「ユ、ーノ!」
守りたいのに近付けない、その苛立ちに叫ぶと、
「大、丈夫…っ」
火球に焼かれる恐怖よりもレスファートが心配なのだろう、体を前にのめらせながらユーノが草猫達を睨んでいる。
普段なら考えもしない、むしろそんなことを考えた自分を責め苛むだろうに、ユーノを光球で狙わせたということに何も感じていないらしいレスファートが、夢現のようににっこり笑う。側の草猫が、ほくそ笑むように目を細める。
「!」
そうか。アシャは気付く。
「『運命』だ」
「『運命』?」
怪訝そうにアシャを振り返ったユーノに、舌打ちしながら唸る。
「ラズーン支配下から外れているとわかった時に、考えておくべきだった」
草猫達の不安と滅亡への恐怖に付け込んで、『運命』があの先頭の草猫を乗っ取り、周囲を煽ったのだ。
ただでさえ、ユーノの安全が脅かされていることで落ち着かなくなっているところに、その『運命』の攻撃が『銀の王族』に向かった、それを感じてアシャの視察官の感覚が臨戦体勢になっているのだろう。
(だが、これは)
まずい。
この二重の不安、ユーノが危険に晒されているだけでなく、敵がユーノの守りたい相手であるという状況は、否応なくアシャにゼランがもたらした傷みを思い起こさせる。また同じように手の出せない部分でこの腕をすり抜けて死に至るような怪我を受け入れてしまうのではないかという恐怖を。
(だから、俺は)
今にも限界を破りそうな怒りに冒されているのか。
「ふ、ぅ」
落ち着け、まだ力を放つな。
言い聞かせながら堪えるアシャの目の前で、降り注いだ光球がおさまる。こちらを傷つけようというのではなく、あくまで手出しをさせないための脅しだ。
「ユーノ」
打って変わって柔らかな優しい声で、瞳を潤ませながらレスファートが呼び掛けてきた。
「もういいよ……ぼくをおいてって」
「レス!」
「ぼくは……ぼくはここで草猫達といっしょにいる……だって……ぼくは」
先頭の草猫の背中にすがるように小さな手を乗せて、レスファートは儚く笑う。
「ぼくは……ユーノのやくにたたない…」
「……っ」
その手の白い包帯、それを見たとたん、ユーノがぐっと唇を噛み締めた。ためらいを振り切るように、いきなりユーノが差し伸べた両手にレスファートがびくりとする。
「レス!」
それは求愛、大切な相手を求める激しい動作、レスファートが体を硬直させて笑みを強ばらせる。
「レス!」
「…こないで、ぼくは草猫達の王になる、んだ」
「でも、レス!」
「こな、い」
「私が、嫌い?」
「!」
突然の問いかけにレスファートが目を見開く。
「私なんか、嫌い?」
「あ…ぅ」
ゆらゆらと首を横に振ったレスファートが1歩引き下がる。ユーノがもっと強く両手を差し出して1歩詰め寄る。光球は飛んでこない。レスファートの隣に居た草猫が叱咤するようにレスファートを見上げる。
「私が嫌いだから、旅を続けたくないから、側に居たくないから、離れるの?」
「ち、がう…」
レスファートはまた1歩後ずさり、ユーノはまた1歩前へ進む。苛立ったように体を捩る草猫をアシャは凝視する、視線で心臓を貫ければいいと願いつつ。
「怪我するから? 怖いことばっかりだから? 楽しいことなんて1つもないから?」
「ちが…う……っ」
ユーノはわかっていて追い詰める。何が何でもレスファートを取り返す、その強い意志が空気を満たし、闇を駆けて、少年の眠る心の奥底に届いていくのがわかる。
「レス…?」
絶妙の間合いでユーノは立ち止まった。両手を広げたまま、そっと静かに呼び掛ける。
「戻ってきて」
「ゆー…の…」
ふらりと引き寄せられるようにレスファートがユーノの方へ歩み寄る。見咎めて、草猫が回り込み、尾を震わせ、レスファートに話しかける。
『王よ、我らが王よ、どうして、あんな者の言うことに耳を貸される?』
「……」
ぼんやりと見下ろすレスファートにここぞとばかりに意志を伝える。
『あんなみっともない、傷だらけで粗忽で不作法な女のたわごとに』
「っ」
びくりとレスファートが固まった。




