6
普段でも扱いにくいヒストは、波打つ草に苛立つように猛っている。ひたりと身を伏せ、風の抵抗をできるだけ受けないように走らせるユーノは、みるみる追い付いてきたアシャを視界の端に捉えて少しほっとした。
「ちっ」
(何を甘えている)
自分の温さに気付いて舌打ちしたが、
「ユーノ!」
「ああ!」
鋭い声が前方を見るよう促して視線を前に向ける。
2人の目の前に、青白い篝火を数カ所灯らせた石造りの砦が見え始めていた。平原からやや奥まった岩と岩が互いの肩を寄せあうような窪地、焦茶色に湿った岩盤を基底部として黒い岩を積み上げてある。
だが、小高い物見台は既に崩れ、外壁は形もない土塊と化している。薄暗い口をあちこち開けた砦は、かつての熱気溢れる人間達の代わりに、不思議な気配で満たされている。
(!)
突如殺気を感じて手綱を引き絞ったユーノは、棒立ちになったヒストにかろうじてしがみついた。ほぼ同時に地響きがして、少し先の地面に青白い炎が降り落ちる。
それは燃える岩の塊だった。
ぼふぼふっと煙と火を吐きながら岩は草の間で光り輝いている。きな臭いにおいが広がり、ヒストが不愉快そうに嘶く。
すぐに続いてもう1つ、空気を切る重い気配が降ってきた。真側に落ちて白煙を上げ、ユーノの側に駆け込んできたアシャも馬を操り、落ちてきた岩から後退せざるを得ない。
続いてもう1つ、今度はもっと間近に降ってきた。直接こちらは狙っていないようだが怯えてて飛び出してしまえば、燃える岩の下敷きになるのは必至、荒い鼻息になっていきりたつヒストを宥めて静まらせ、距離をとって背後に引きながら、ユーノはじっと砦を注視した。
当たれば確実に致命傷を与えるだろう攻撃を、相手はユーノ達に向けてこない。
(近付くな、か)
警告なのだ。
砦とこちらの間に、いつの間にか幾匹かの獣の姿が浮かび上がっていた。
見ている間に1匹2匹と、青白い篝火に影を波打たせながら、数が増えていく。
子どもなら軽々と背中に乗せて運べそうな薄緑色の体躯の四つ足、猫のようにしなやかな動きで砦のあちこちから忍び出てきて、こちらを輝く緑の瞳で見つめてくる。体の表面は指の幅ぐらいの剣型になった平らな皮のようなものが重なりあい、くねらせて攻撃的に上げた尻尾まで滑らかに覆っている。
やがてその中から、一際明るく輝く瞳の獣が1匹、ゆっくりと尾を中空に翻らせた。緊張を走らせた尾が一瞬ぴんと伸びたかと思うと、微かに震え出し、音とも振動ともつかぬ響きが空間を伝わってきた。
『ワレ……ラハ……オウヲヒ……ツヨ……ウトシ……テイル』
強くなったり弱くなったりするうねりで、ことばがよく聞き取れない。
「アシャ」
「草猫だ」
相手を見つめながら問いかけたユーノに、アシャが低く応じた。頷き、ユーノは指示する。
「……馬を降りよう」
「なぜだ」
「確信はない、けど」
答えながらユーノは草猫達を刺激しないようにゆっくりとヒストから滑り降りる。
「レスファートが攫われる夢で、草に触れていると誰かの声が聞こえた」
「……確かに草猫達は草原を通じて意志を伝えることができるとは聞く」
溜め息まじりにアシャが呟き、するりと同じように馬から降りるのがわかった。
「だが、逆に捕われる可能性もあるぞ?」
「でも、このままじゃ、レスを返してくれそうにない」
言い切ると、そうだな、とアシャが苦笑しながら近寄ってきた。体温は空気を介して伝わるのか、気持ちが強くなるのを感じる。
(側にアシャが居る)
一瞬目を伏せ、ヒストを待機させて、ゆっくりと草猫達の方へ歩み出した。すぐにアシャが背中を守るように寄り添ってくる。草猫達の尾が急に激しくうねり出す。緑の瞳は明滅する星のよう、警戒心がきりきりと大気を絞り上げていく。




