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さやさやと草原を渡る風が、快い子守唄のようにユーノを寛がせる。
淡い夢の中で導師の横顔が声を荒げる。
『生きるための迷いまで取りたいのか!』
(導師、あなたの言う通りだ)
夢の中で囁き返して、ユーノは溜め息をついた。
そうだ、アシャに対する想いを消し去ることはできない、心の奥底に閉じ込めておくことはできても。
それがあれからずっと考えて出した結論だ。
諦めきれない、あの豊かな色彩に輝く瞳も、黄金の光に包まれて笑う顔も、からかうように動くしなやかな手足、見かけとは違った確かで揺らがない体も、何より痛みに呻く夜の苦痛を減じてくれたのは、他の誰でもないアシャだったのだから。
けれど。
わかっている、自分が、守ってもらうには強すぎる心と、求めてもらうには惨めな体と、見つめてもらうにはあまりにも華の足りない容姿を持っていることを。
アシャが望むのは姉レアナであり、レアナもアシャを愛しんでいて、両親もセレドもアシャの存在をいつの間にか頼りにしていることを、片時も忘れることなどできはしない。
この人は私のものではない。
この人は私のものにはならない。
言い聞かせながら見つめる視界に、少しでも長くアシャの姿を止めようとしてしまう自分を、いつも感じている。
もっと優しい娘に生まれたかった。もっと儚く美しい存在として育ちたかった、誰もが手を差し伸べ守ろうとしてしまうような。
もっともそうであったなら、今頃とっくに骸と化して打ち捨てられていたのだろうが。
それでもよかったと、一瞬魔の想いに襲われる。
これが人を好きになる、ということなんだろうか。
この人に見つめてもらえないなら、死んでいたほうがよかったと、そんなことまで思ってしまって情けなくなる。
遠い闇からサルトに叱責されるような気がする。
『私の存在はそんな軽いものだったのですか?』
(死ぬわけには、いかない)
何があっても。
どんなに辛くて苦しくても。
ユーノは命の約束を背負っている。
ぎりぎりまで、いやそのぎりぎりを越えて生き延びることを約束している。
それならば。
それならば、この想いを一生秘めて死出の旅に連れていってしまおう。誰にも悟られることのないように、幾重にもベールで包み、銀の箱に押し込めて鍵をかけてしまおう。
所詮愚かな想いだ、どうしようもない、叶うはずのない夢だ。
だから、そのどうしようもないものは心の奥深くに抱き締めて、真珠を抱くと聞く水底の貝のように、この身が砕け塵となるまで、ことばにも眼にも出さずにいよう。
伝えたところで分不相応と嗤われるだけだろうし、たとえ嗤われなかったにせよ、困った顔でアシャとレアナに顔を見合わせられては居畳まれない。
いつか無事にセレドに戻れたら、父母を説得し、アシャとレアナの婚姻を結ばせよう。晴れやかに微笑むアシャと頬を染めるレアナの喜びを自分のものとして、堂々と祝福し……そして、2人が落ち着き次第、もう一度旅に出よう。いろんなものを見、いろんな愛を、哀しみを見、己1人が辛いのではないと心に焼きつけてから、2人の手足となって働くためにセレドに戻ろう。
旅先で大切な人を喪ったのだと、そう偽って生涯1人でいればいい。
セレドの姫は変わり者。
それできっと通るだろう、今まで通りに。
(きっと、それで)
草の擦れあう音、眠りの底まで響き届き、傷ついた魂を抱き取る……。
『………の子よ』
ふと、切ない夢の靄がすみの向こうで声がした。
ユーノはネークの草原に立っている。
腰の上、鳩尾近くまで押し寄せてくる緑色の波の中に1人立って、あたりを見回している。
『………の子よ』
声は再びユーノを呼んだ。
振り返る耳元で風が鳴る。
『人の子よ、なぜ、そうまで、悲しい?』
暗い空には星1つなく、草原には人影1つなく、声が密やかに響いてくるだけだ。
『なぜに、そこまで、そなたは悲しい?』
草の擦れあう音、微かに青臭い香り。
(なぜ……って?)
『そなたは「銀の王族」、幸福を世の始めから約束されたもの……』
(銀の…王族?)
ユーノは首を傾げた。
優しい響きを持ったことばに、心が波立つ。




